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  update 2008. 10. 27

踏 破 日 2008/10/12
コースタイム 13:00〜14:52
歩 行キロ 5.4q
累 計キロ 404.0q
踏 破 率 82.1%

 
小走りで井田川駅着

石薬師一里塚〜JR井田川駅
 

(前の蒲冠者の史跡に感慨へ戻る)

   

   石薬師宿と次の庄野宿との距離は短く、30分程で着いてしまう。

   先の石薬師一里塚から旧街道はいったん国道1号線に合流するが、JR加佐登駅を右手に過ぎた庄野町北交差点を右折すると右写真の看板と石碑があり、この先が庄野宿であることがわかる。

   

    

  

   庄野宿に入った旧街道は交通量も少なく落ち着いた雰囲気の道となり、少し歩くと左手に「庄野宿資料館(旧小林家)」がある。行程の残り時間が少々気になるが、入館料も無料なのでちょっとお邪魔してみる。

   ここの展示で興味をひいたのは高札場に掲出されていた高札の実物が保存・展示されている点である。さすがに雨風にさらされ表面には損傷も目立つが、資料館が作成した丁寧な資料が頂けるのでそれと併せて読むと良いだろう。

     

 

   石部宿の本陣跡はこのように石碑が建つのみで、建物自体は残っていない。

   ところで本日(10月12日)は旧宿場町中央付近にある川俣神社の秋の祭礼に当たったようで、この付近のみ出店が有るなど賑やかであった。この川俣神社は同名の神社が3つあり、距離を置いてあと2ヶ所存在しているが、いずれも秋祭りを行なっていた。

     

   

   旧庄野宿が終わると旧街道は国道1号線の汲河原交差点にさしかかる。午前中に通過した内部川橋と同様非常に横断が困難な交差点で、どうしたものかと思案していたら右写真の案内板が目に付いた。

   この案内板は写真にもあるように「鈴鹿市観光まちづくり委員会」の製作で、安全且つ確実に旧街道を辿れるのが有り難い。しかもこの案内板は渡った先にも同様に設置されており、京から日本橋へ歩く旧街道踏破者の利便をもはかっていて素晴しいと感じた。

     
 

   時刻は14時を廻り、亀山駅到着はおろか手前の井田川駅(14:55発の名古屋行きがある)到着もギリギリの行程となってきた。先の庄野宿資料館見学が予定外の時間消費となったためだが、あくまでも展示内容が良かったからであり、それを理由にしてはダメ。とにかく急がねば!

   写真は「これより東  神戸(かんべ)領」を示す碑、じっくり見る時間がなく写真一枚で先を急ぐ。  

   

    

   

   さらに進むと左手に2番目の川俣神社が現れる。境内入口には一里塚跡があるためさすがにここは省略できない。

   この一里塚は中富田一里塚、日本橋から103里目の一里塚跡である。神社脇の案内板によればこの近くに御馳走場という家があり、大名行列などの一行を接待する場所も有ったようである。ここも祭礼で賑やか、しかし神社前に駐車するクルマも多く、一里塚の撮影もアングルが少々難しかった…。

  

    

    

   さて道は3番目の川俣神社(なんとここも祭礼)を左に見てから川土手に登り、鈴鹿川の支流である安楽川を渡る。しかし直結する橋はないため少し離れた和泉橋を渡らざるを得ず、ますます駅到達時間が気になってきた。今や小走り状態である。

   それでも川を渡るとはるか左前方に駅の跨線橋らしき構築物が見え、あれが井田川駅とわかると疲れた足も少し元気を取り戻し、結局列車発車の3分前に駅に到達できてヤレヤレ。一箇所でも道を間違えたら即アウトの危険があったが、右掲の案内図にも助けられて正直ホッとした。

 

  (↑この写真のみ10月16日撮影)

  →次は屋号札が出迎え、亀山宿です。