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  update 2009. 2.15

踏 破 日 2009/01/03
コースタイム 11:30〜13:30
歩 行キロ 7.0q
累 計キロ 429.0q
踏 破 率 87.2%

 
現代の立場茶屋「道の駅」

鈴鹿峠〜道の駅・あいの土山
 

(前の雨雪霙霰の鈴鹿越えへ戻る)

 

    ついに滋賀県(近江国)に踏み入れた。一昨年の春に多摩川を渡った時から必ず県境の写真を撮影してきたが、ここまで来るとある種の感慨がある。これで県境撮影はあと一箇所(滋賀県→京都府)を残すのみとなり、それはおそらく最終回の踏破時になると思われる。

   さて鈴鹿峠を越えた旧街道は右手からの国道1号線と写真の少し先で合流し、緩やかな下り坂が続くようになる。沿道に人家はあまり無いためコンビニもなく、自宅から持参のバウムクーヘン2個がそのまま昼食となりそうである。(苦笑)  

    
 

   正午を過ぎたので昼食(上述)を取ろうと思いながら道を進めると第二名阪高速道路の高架下に小公園があり、ここが山中一里塚公園とわかる。ここは日本橋から109里目の一里塚跡である。

   この小公園にはひさし付きのベンチがあり、小雨を凌げるので有り難い。

  

    
 

    国道1号線はなだらかな下りが続く。この付近には旧街道が消失している部分が少なからず有り、かつてはもっと曲折の多い道であったものを国道1号線敷設の際に改めたものと推察する。その中で旧街道は蟹ヶ坂の信号の手前、写真の地点で右手に分岐する。(写真右の大木は榎島神社の境内なのでこれを目印にすると良い。)

   滋賀県側に入り時折雲間から陽がさすようになるが、雲の流れが非常に速くてたちまち雨の気配も…というせわしない空模様である。

   榎島神社前にあるステンレス製案内板はこちら
(戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。)
    

    
 

   分岐した道を少し行くと「蟹坂古戦場跡」の碑に出くわす。ここは戦国時代の天文十一(1542)年に伊勢国司の北畠具教とこの地を領する山中秀国とが戦った古戦場跡である。

  今風に解りやすく言えば三重県側にいた戦国大名北畠氏が鈴鹿峠を越えて滋賀県側に侵攻した戦いで、近隣の六角氏の援助を受けた山中氏が北畠氏を撃退している。

    
 

    さて旧街道は田村川のほとりまでやってきた。実はここに有った橋は国道1号線の開通以来久しく失われたままで、旧東海道踏破の先達諸氏は止むなく国道側を迂回していた。しかし平成17年に64年ぶりに架橋され、再び往時のルートが採れるようになったのである。

   この橋は「海道橋」と名付けられ、橋の脇には当時の触書が再現されている。また有難いことに現代語訳の看板が隣に立っており、ぜひ併せて読んでみたいところである。(右下写真) 

    

  

   右の文中にもあるようにこの橋は安永四(1775)年にまず架けられた。それまでは徒歩による川渡りであったが、増水時の通行は困難を極めたためこの橋が架けられるに至った。

   広重の五十三次「土山」にも雨の田村川を渡る大名行列の様子が描かれている。(下図)

 

  

     
 

   橋を渡ると田村神社の前に出る。本日は正月休みのため今まで歩いてきたところはいずれも閑散としていたが、この田村神社は初詣の参拝客で賑わっていた。

   この田村神社と国道1号線を挟んで道の駅「あいの土山」があり、上述の参拝客等でかなりごった返している。ここには有難いことに無料の給茶コーナーがあり、平成の旅人はこれで暖を取りながら設置されたTVで箱根駅伝を見てしばし休憩、まさに現代版立場茶屋といったところであった。

   →次はあいくるバスに感謝です。