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  update 2009. 3. 11

踏 破 日 2009/01/03
コースタイム 14:00〜17:00
歩 行キロ 7.9q
累 計キロ 436.9q
踏 破 率 88.8%

 
あいくるバスに感謝

道の駅・あいの土山〜今郷一里塚跡
 

(前の現代の立場茶屋「道の駅」へ戻る)

 

    道の駅「あいの土山」で休憩を取り、土山宿から次の水口宿へと足を進めるとしよう。ここで各宿場の位置を右地図でおさらいしておくが、こうして見るとゴールの京の都が近づいてきたことが良くわかる。

   

 

  

    
 

    土山宿は滋賀県(近江国)側にある最初の宿場町で、道の駅「あいの土山」の先に有ったとされる。

    
 

   土山宿エリアへ入って程なく道の右手に一里塚跡がある。ここは土山一里塚、日本橋から110里目の一里塚跡である。

   

  

    
 

    土山宿の家屋には江戸時代の屋号が表札のように取り付けられている。この少々立派な建物には「油屋権右衛門」の名があり、当時はその名の通り油屋(商人には苗字が許されていなかったので、商売・商号を名乗る)であったのかも知れない。

  
    

    
 

   それにしてもこの土山宿は静かなたたずまいである。まぁ先にも触れたように正月休みという理由も有ろうが、ここ土山は明治以降には鉄道ルートから完全に外れてしまい、人や物の流れが絶えてしまったことも大きいと考えられる。

    

    
 

    道の右手に「東海道伝馬館」という資料館があるも正月休みのため休館で残念、道を進めると「大黒屋本陣跡」がある。ここには併せて「問屋場跡・高札場跡」もあり、おそらく旧宿場町の中心地がこの付近であったことを伺わせる。

   天気は曇天、ようやく雨の心配は無くなったが相変わらず寒い。 

    
 

    やがて土山宿エリアから出ると国道1号線を斜めに横切り、松尾川の川辺に到達する。松尾川では旧東海道は舟渡しだったため橋が無く、やむなく国道1号線を迂回する。

   おぉ〜、日が差してきた(右写真)と思ったらまた突然の雨に見舞われ、民家の軒先をしばし借りる。  

   
 

    雨に濡れた道を早くも夕方の太陽が照らす。このままでは本日の宿泊先である水口までの到着が危ぶまれる(あと約10キロ)が、さてどうしようかな?

   滋賀県はお茶の栽培が盛んで、沿道にも茶畑がよく目につく。 

   
 

    鈴鹿峠越えで少々疲れた足を引きずりもとい足も軽やか(無理のある表現)にひたすら歩いて市場一里塚跡に到達する(甲賀市土山町市場)。ここは日本橋から111里目の一里塚である。

   ここで時刻は16時ちょうど。冬の陽光はたちまち陰り、目的地の水口までは更に7キロとあっては写真撮影しながらのゴールはさすがに無理、とりあえず次の一里塚までを激歩で到達することに決める。

    
 

    上の市場一里塚跡から10分ほど歩くと松並木がある。本日は意外にもここまで松並木は無かったような気がする。

    右写真は露光を多めにかけており、実際はもっと暗い。 

    
 

   途中に何か史跡が有ろうともすっ飛ばし激歩!!  …で、次の一里塚である今郷一里塚跡に辿り着く。ここは日本橋から112里目の一里塚である。近年の復元であるが久々に盛土付きの「塚」と石碑・案内板が有り、整備されている。

  さて、本日はここで終了とするとしても宿泊先(水口センチュリーホテル)までは3キロ強ある。鉄道はなく公共交通としてはバスしかない。そのバスもJR西日本バスが撤退後は地元のコミュニティバス「あいくるバス」があるのみ。これを使ってみよう! 

 

    
 

    コミュニティバスは専ら交通弱者たる地元住民の足とされるため、旅人(観光客)向けの情報に乏しいのが利用上のネックとも言える。実際のところ停留所探しに四苦八苦、コンビニの店員に尋ねても自信無げな回答はいかにも普段利用していないことがありありで、そうしているうちに日は完全に暮れてしまった。

   それでも県道を歩くと停留所がみつかり、うまい具合にバスもやって来た。(概ね1時間に1本の割合)  車内の暖房が天国のようである。しかも水口市街の綾野という停留所がホテルから近いことも車中で偶然発見し、このバスに大変感謝した次第である。 

 

   この写真のみ翌日(1月4日)撮影

  →次は道は三分岐そして再合流です。