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  update 2009. 3. 13

踏 破 日 2009/01/04
コースタイム 9:10〜11:00
歩 行キロ 3.8q
累 計キロ 440.7q
踏 破 率 89.6%

 
道は三分岐そして再合流

今郷一里塚跡〜三筋の辻広場
 

(前のあいくるバスに感謝へ戻る)

 

   明けて1月4日(日曜)は曇天。しかし寒さは普通の冬の一日と言え、写真写りは期待できないが歩くにはちょうど良いコンディションである。昨日の今郷一里塚跡まで「あいくるバス」で戻り、野洲川沿いの県道を西へと進む。時折脇道への分岐があるので間違えないようにしたい。

   

    
 

    さて旧街道は岩神社と言う神社からは県道を離れ、住宅が点在する道を歩くようになる。そして水口宿の東見付跡(右写真)にさしかかる。ここに休憩用の石のベンチがあったので休むとしよう。

    
 

   休憩スペースには水口宿のガイドマップ(無料)が用意されており、早速いただく。今回は正月休みとあって各種の資料館へは全く立ち寄れず地元発行の印刷物に全くありつけなかったので、この水口宿の取組姿勢には感謝しきりである。

   “見付”は宿場の両端に設けられる番所付きの入口であるが、右写真の碑文によれば天和二(1682)年に水口藩が設置されて以来は水口城を擁する城下町にもなったため、警備の施設も整備されたようである。

  

    
 

    東見付跡から県道を渡り南側の道をとると旧宿場町らしい沿道の雰囲気となる。この水口宿で面白いのは宿場の中心付近の街道が三つに分岐することで、ほぼ平行に続いて再合流するという道筋(三筋通り)になっている。

  
    

    
 

   今回はオーソドックスに真ん中の道を採ることにしよう。

   

    
 

    水口は甲賀市に属するが、かつては甲賀郡水口町と名乗っていた。この甲賀市は平成16(2004)年10月に甲賀郡の水口町・土山町・甲賀町・甲南町・信楽町が合併して誕生した非常に広大な市である。鈴鹿峠を越えて滋賀県に入って以来、ここまでずうぅっと甲賀市であるわけはそのためである。

   この付近は言わば旧水口町の中心付近で商店街が形成されているが、当時の宿場町らしい雰囲気も残されている。 

    
 

    やがて三分岐した街道は合流するが、その合流地点に近江鉄道がクロスする。写真の左には水口石橋駅がある。

   例により列車の出現まで踏切手前でじっと待っていると、現れたのは700系「あかね号」であった。黄色のロングシート車が多い近江鉄道に於いては貴重な転換クロスシート車で、某サイトによれば地元住民からはこの電車に当たる(乗車できる)と縁起が良いと言われている!? そうである。

   
 

    この踏切の手前には「三筋の辻広場」という三つの路地が合流するエリアがあり、そこには仕掛け時計が設置されている。来訪時は残念ながら時計の鳴る時刻ではなかったのだが、よく見ると時計の下部に水口宿の由来が記載されていたので右に紹介しよう。

   ところで踏切を通る電車撮影のために20分待ち…今日中に出来れば次の石部宿まで行きたいのだが大丈夫かな? 

   →次は北脇縄手の長さに驚くです。