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  update 2009. 4. 6

踏 破 日 2009/03/15
コースタイム 7:30〜10:20
歩 行キロ 8.6q
累 計キロ 455.0q
踏 破 率 92.5%

 
天井川の土手を登る

JR三雲駅〜石部一里塚
 

(前の北脇縄手の長さに驚くへ戻る)

 

   3月になった。昨年もこの時期に踏破キロ数を稼いだことが思い出されるが、今年は遥か近江国(滋賀県)が目的地とあって快速「ムーンライトながら」で西へ向かう。

  なお本日はJRダイヤ改正の初日で、この「ムーンライトながら」が毎日運転の定期列車から臨時列車に格下げされた初日でもある。運行ダイヤや使用車両はこれまでの臨時「ムーンライトながら91号」とほぼ同じであるが、深夜の停車駅が減り睡眠の点では有難い。

    
 

    7:30、JR草津線三雲駅に降り立つ。天気は良いが少々ひんやりした空気、これも歩いて体が暖まれば心地良く感じるだろう。

   この付近の旧街道は国道1号線よりも南側に続く道で、センターラインのない舗装道の両脇に古くからの家々・商店が並んでいる。

   なお昨秋以来国会の解散が取り沙汰されているせいで、各政党のポスターが沿道にやたら目立ち写真の構図に困ることもしばしば。本日もそんな感じになるのだろうか…。

    
 

   古い道標群の脇を草津線の電車が音を立てて通過する。

   

    
 

    旧街道は草津線の踏切を渡り、線路の南側を平行するように西進する。この付近が概ね水口宿と石部宿の中間地点である。

   

    
 

   草津線踏切から少し歩くと写真のトンネルが見えてくる。このトンネルの上は河川、つまり「天井川」なのである。資料によれば大沙川(おおすながわ)という川がこの上を流れているらしい。

  それにしても東京在住の平成の旅人にとって天井川は初体験、本当に川が流れているのだろうか?流れているとしてどんな様子なのだろうか?と思わずにはいられなくなり、意を決して写真右手の土手を強行登坂してみた。

   

    
 

   すると…水は流れていた。しかし川と言うには余りにも小振りな川幅で、水量もその辺のどぶ川と大差ない。「わくわく」が「なんだ」に変わった瞬間でもあった。

   帰宅後にこの大沙川について調べてみたところ元々水量は少なく、雨の少ない時期には川の水も枯れてしまうそうある。実際に旧街道を歩いた先達諸氏のHPの中にも「水は流れていなかった」旨の記述が見受けられた。もちろん天井川が氾濫しては周囲に及ぼす影響が甚大であろうから、このような水量でむしろ良いのだろう。(過去には氾濫したこともあるようである。) 

    

 

     天井川の大沙川を過ぎ、トコロテンが名産だった夏見の里を過ぎる。この付近には当時一里塚(日本橋から115里目)が有ったとされるが、残念ながら現存しない。

   ところで近くには由良谷川というもう一つの天井川があり、再び川下をトンネルでくぐったが、さすがに今度は土手を登る気にはならなかった。(もういいヤ)

 

   
 

   この付近は旧街道らしく寺院が沿道に比較的目立つ。右写真は盛福寺という寺で、早咲きの桜が境内にアクセントを添えていた。

 

   
 

    時刻は朝9時を過ぎ、ようやく石部宿エリアに入る。

   

 

   
 

    おぉ、道祖神発見! 久しぶりに出会った道祖神は表面の風化がやや激しいが、それは長く風雪に耐えた証であり価値が下がるとは考えない。そこで残り少ない我が道中の無事を祈願してみた。(京の都まで無事完歩できますように!)

   

   
 

    石部宿は「京立ち石部泊り」と言われるように京の都を出発した旅人がまず最初に宿泊する宿場で、日本橋側からみた程ヶ谷(保土ヶ谷)や戸塚に相当する位置にある。そのため当時は結構栄えたようであるが、今は国道1号線から少し外れている事もあり静かなたたたずまいである。

   ところで朝の三雲駅でカフェオレを飲んだだけで何も食わず、さすがに腹が減った。食糧調達をどこかでしないと…。 

   
 

    空腹のまま石部中央の交差点まで来ると前方にヤマザキのパン屋(写真オレンジ帯の建物)が見つかり、ここでチョコパンと飲料をようやく入手、交差点斜め向かいに休憩施設が有ったので座って食う。右写真はその休憩施設からの撮影である。

    国道を外れた旧街道では食糧調達に苦労することを何度も経験したが、これもあと僅かである。 

   
 

    街道の左手にある無料休憩施設「石部宿駅」。内部にも入れるが、当時の宿場の地図(本陣・旅籠から農家まで)が展示されており、その内容が非常に詳しいので驚いてしまった。

    

   
 

    続いて小島本陣跡。明治天皇御東幸の際にも宿泊した本陣で、右写真のような石碑が建っている。当時の建物は昭和43年に取り壊されてしまったと看板に記載されている。

   なお後方の住宅の表札には「小島」とあり、おそらく当時の末裔のかたが住んでいると思われる。この点はかつて戸塚宿の澤邊本陣跡でも同じような経験があり、そのことを思い出したりした。

   

   
 

    旧街道は石部宿田楽茶屋の前を右折する。本当はこの辺でゆっくり休憩したいところだが、後掲の「石部宿場の里」を訪れる予定があるので止むを得ずすっ飛ばす。

   

   
 

    石部宿も西端にさしかかるころ、右手に一里塚跡の看板がある。ここは石部一里塚、日本橋から116里目の一里塚跡である。

   さて今回は旧街道から少し外れるが、「石部宿場の里」を訪れてみたので次項にて取り上げたい。 

   →次は石部宿場の里を訪れるです。