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  update 2009. 4.13

踏 破 日 2009/03/15
コースタイム 15:00〜17:10
歩 行キロ 5.0q
累 計キロ 471.0q
踏 破 率 95.7%

 
草津宿史跡を巡る

草津追分〜大萱一里塚
 

(前の再訪ありや草津追分へ戻る)

 

   草津追分からは草津宿の史跡がいくつか続いているので順に巡ってみよう。草津追分から50mほど歩くと右手に「草津宿本陣」(国指定史跡)があり、早速入ってみる。ここの入場料は200円だが、この先にある「草津宿街道交流館」との共通券320円がお勧めである。

   草津宿には2つの本陣が有ったとされ、そのうちの「田中七左衛門本陣」がここに現存している。

    
 

    本陣内部は撮影禁止のため写真は玄関部分までにとどまるが、大名の殿様が使う上段の間をはじめ各用途に応じた数々の部屋は大変興味をひく造作となっており、ぜひ時間を掛けて見学したい。

    
 

   草津宿本陣を出て道を進むと程なく左手に脇本陣と称した御食事処がある。最初は「なんだ脇本陣とは名前ばかりか…」と思ったが、かつて実際に脇本陣が存在した地に出店しているようである。

   

  

    
 

    やがて旧街道はアーケードの付いた商店街となる。その左手に「草津宿街道交流館」があるので、先の草津宿本陣との共通券で入館してみよう。なお館内は1階が物産館で入場無料、2階部分が歴史館(有料)となっている。

   

    
 

   この歴史館の面白いところは通常の展示に加えて体験コーナーが設置されている点で、江戸時代の旅人を実際に体験できる。

   そこでさっそく平成の旅人も笠を被ったり駕籠(右写真)に乗ったりしてみた。予想はしていたが駕籠内部は狭く、上下振動の体感を緩和させるための握り綱(?)が目をひいた。

   他にも着衣・わらじからチョンマゲカツラまで何でも揃っているので来訪の折はぜひ試して見ると良いだろう。

    
 

   展示の部分で興味深かったのは旅籠の食事である。「一汁二菜」(主食と漬物の他に汁物と惣菜二品)の例が示されているが、実際には一汁三菜のケースも少なからずあったようである。

   参考までに庶民の宿泊施設では食事付きの旅籠と食事なしの(自分で持参し自炊する)木賃宿の2種類が有ったとされる。

 

    
 

    さて草津宿でいろいろ見学したため時刻は16時近くになった。しかし3月中旬の近江国はまだまだ陽光が持ち、しかも本日は草津駅近くに宿泊予定なので帰宅列車の時間を気にする必要もない。その点では今回は気楽な道中である。

   右の石碑は「右やばせ道」の道標である。やばせ(八橋)道とは陸路ではなく琵琶湖を舟で大津へ抜ける道のことである。

 

   
 

    陽光はだんだんと西日になり、旧街道は上北池公園という小公園を突っ切る。公園内を突っ切るとは妙な感じだが、実はここに一里塚跡が有るので不可欠の進路なのである。

    ここは野路一里塚、日本橋から119里目の一里塚跡である。

   
 

    野路一里塚を過ぎしばらく歩くと右手に「平清宗」の看板に出くわす。彼は平清盛の孫(平宗盛の長男)で、壇ノ浦合戦で源氏方に捕らえられた後、近江国で父宗盛と共に斬首される。実はこの看板の裏には清宗の供養塔があり、それを示す看板であった。

   <吾妻鏡/元暦二(1185)年六月廿一日 >
   廷尉(源義経)近江国篠原宿に着く。橘馬允公長をして前内府(平宗盛)を誅せしむ。次に野路口に至り、堀弥太郎景光をもって前右金吾(平清宗)
を梟す。

   
 

    さて時刻は16:30、平成の旅人は「野路の玉川跡」にさしかかった。ここは平安時代後期の歌人・源俊頼が「あすもこん  野路の玉川  萩こえて  色なる波に  月宿りけり」と詠んだ地で、それ以来歌どころとして知られるようになった。

   現在は川を模した池を配する小公園となっており、休憩もできる。 

   
 

    旧街道は草津市から大津市へと入った。次の大津宿へは10キロ近くあるので行政区画としての大津市の広さが伺える。

    平成の旅人にとって嬉しいのは、大津市内には史跡散策の便宜をはかっての地図入り看板が至る所に掲出されていることである(右写真)。おかげで道に迷う心配がなくなり、大変有難い。

   
 

    旧街道はJR瀬田駅の近くまでやって来た。すると交差点左手のクリーニング屋前に大きな一里塚碑が建っている。ここは大萱一里塚、江戸から120里目の一里塚跡である。

   ここから京の都までには更に4ヶ所の一里塚が江戸時代には有ったとされるが、石碑等が残るのは残念ながらここが最後である。 

  →次は明日は瀬田の唐橋に…です。