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  update 2009. 4.16

踏 破 日 2009/03/16
コースタイム 9:30〜11:15
歩 行キロ 5.1q
累 計キロ 478.5q
踏 破 率 97.2%

 
寺院の休館日に落胆

瀬田の唐橋〜義仲寺
 

(前の明日は瀬田の唐橋に…へ戻る)

 

    瀬田の唐橋を渡った旧街道は京阪石山坂本線とクロスする。

   ―京阪電車―   濃淡のグリーンを配するこの電車を見るとあぁ京都へ来たのだなとの感が深まる。昔の人は瀬田の唐橋、平成の旅人は京阪電車で京の都を意識すると言ったところだろうか。

    
 

    京阪の踏切を渡った旧街道は右折して進路を西から北に変える。すると程なくJR石山駅となり、旧街道はこの駅を南北に突っ切る道筋だったのだが現在では道として残っていない。そのため石山駅の東側にある道を進みJR東海道線をアンダークロスする。

    
 

    JR石山駅を過ぎると旧街道は日本精工やNEC関西などの工業団地の中を進む。その中に「農業試験研究所発祥の地付近」と称した石碑を見つけた。明治28年に滋賀県農業試験場が開設された地と紹介されているが、興味をひいたのは展示の写真パネルに当時の東海道が写っている点で、松並木が残っている様子がよくわかる。

   なおこの付近には粟津一里塚(日本橋から121里目)が有ったとされるが、残念ながらその遺構・案内板等は無い。

    
 

   さらに進むと「膳所城勢多口総門跡」という碑が右手にある。

   「膳所城」と聞いて、はて?何氏の居城だったかな…と思ってしまうが、ここは江戸初期に天下普請の一環として諸大名に築城させた城のひとつで、戸田・本多・菅沼・石川といった譜代大名が歴代の城主であったそうである。(明治の初めに廃城)

     
    

    
 

    旧街道は左折・右折を繰返し、京阪石山坂本線を縫うように西進・北進を繰返す。  

    
 

   沿道には小振りながら寺院・神社が多くなってきたことに気付く。(写真は若宮八幡宮)

 

    
 

    ここは和田神社。旧街道はこの先のY字型分岐を左に進む。もちろん道順としてはこれで正しいのだが、右に進む道がすぐに琵琶湖へと出る道なので、ちょっと寄り道してみよう。

 

   
 

    湖岸道路の横断歩道を渡るとすぐに琵琶湖に出る。現在の旧街道では最も琵琶湖に近い場所がこの付近で、広々とした湖面を見ながら小休止するのも良いだろう。

  

   
 

   琵琶湖畔から戻り、道を進める。

   この付近(木ノ下町から西の庄)には非常にわかりにくい分岐があり、地図を掲載しようと思ったがその作成も困難なほどの道順なので写真掲載にとどめた。しかしさすがは大津市、例の地図入り案内板が付近に建っていたのでこれを手掛かりとしたい。 

 

   
 

    やがて旧街道はJR膳所駅のすぐ北付近を東海道線に平行して西進するようになる。すると源義仲(木曽義仲)ゆかりの義仲寺(ぎちゅうじ)が左手に現れる。

    義仲寺の存在は以前から知っており、木曽義仲の墓や松尾芭蕉の墓がある史跡として来訪を楽しみにしていた。ところが毎週月曜日は休館日(!)とあって門が閉ざされているではないか! 

   遠来の旅人は「寺院に休肝日、いや休館日??そりゃないよ…」と思わずヘタってしまった。う〜ん、ここはぜひ補遺で取り上げたい。 

   →次はついに山城国へ!です。