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   巡礼二十四日目
  
思い出巡る結願の遍路
 
 
      第八十七番  長尾寺   第八十八番  大窪寺  
令和3年1月4日巡礼   

  

 ついに結願の日となった。右写真はかつて初めてことでん長尾駅に降り立った時の写真である。そこには駅舎を出て「長尾寺へ向かうお遍路さん」の姿があった。当時は鉄道ファンとして降り立った長尾駅、それから8年後には遍路結願の旅として降り立つ自分があった。あの時、心の片隅にはいつかは自分も、との気持ちがあったのかも知れない。

 さて歩き遍路の行程を組む際に最終日の第八十八番札所大窪寺への到達と帰還を考えると、ひとつ手前の第八十七番札所長尾寺を結願の朝に打つのが自然な行程と考えられ、今回の自分もその例に倣ってみた。

早朝の長尾駅とお遍路さん(2013年1月4日撮影)

 

 「第八十七番札所長尾寺(ながおじ)」---境内を仕切る壁も垣根も無い開放的な境内が特色である。

 境内を歩いていると「静御前剃髪塚」という石塔を見つけた。静御前は源義経の愛妾で鶴岡八幡宮での舞いが有名だが、その後のことはあまり知られていない。かく言う自分もそうだったがここ長尾寺で出家して、その剃髪を埋めたのがこの塚と伝えられている。「義経記」・・・小学生のときに読んだこの作品に登場した砂金売り吉次・勧修坊・常陸坊海尊といった個性的人物達は“その後”どうなったのだろう?

広々とした境内に建つ諸堂

 


  納経を終えて大窪寺へ!距離は16.5Km、右写真の石塔「平成へんろ石」にお世話になるもの今日が最後か…この石塔を見て4年前、藤井寺境内での焼山寺道スタートを思い出した。


コロナ対策のお願い(納経所)

いざ結願の大窪寺へ!

   

 めざす大窪寺は山中の札所だが、行程の前半は平坦でのどかな道中である。朝とあってやや長めの影が映し出される。都会と異なり、道中では長い影が映し出される場所が多かったのも思い出、一番長かった影は夕方に第三十四番種間寺を打ち終えた後の影だったかな? 初夏の四国地方は18時を過ぎてもまだまだ明るかったのが思い出される。

平地を歩くお遍路さん(自分)

 

 道はほぼ真南に向かって進んでいる。右写真の行く手に山が連なるが、あの山々がほぼ香川県(讃岐国)と徳島県(阿波国)の境となっており、目指す大窪寺はその中腹にある。

あの山へ向かうのだな

   

 平坦な道からやや坂道となってきた。それでも標高はまだ100Mを超えた程度なのだが、ここに「前山ダム」(下写真)がある。ダムには山奥のイメージが有るが、ここはこれから山へ分け入る導入部と言ったところで、香川県らしい水源確保が主目的のようである。

   

 

さぁ分岐だ、選択の時

 

 さて道は直進と左折とに分岐する。いわゆる旧遍路道は直進なのだが、より険しい山越え道(景観は良いらしい)を選ぶお遍路さんもいるのだろう。

   
前山ダム横の道から撮影

「赤文字の標識」今までありがとう

 

 分岐を直進と書いたが、少しだけ左折した方を歩くと「前山おへんろ交流サロン」がある。ここはさぬき市の文化施設のひとつで、結願間近のお遍路さんが山登り前に一息入れる名所である。内部は「資料展示室」と「サロン(休憩処)」からなっており、サロンでお茶の接待を受けた後、資料展示室を見学した。

 

 その展示は遍路の歴史を知るには素晴らしい内容で、特筆すべきは江戸時代からの納札・納経帳の実物を見学できること、同じ遍路の身として強い感銘を受けた。今回は行程の都合で僅か20分程度の見学だったが、1時間は掛けてじっくり見たい内容だった。(逆打ちでリトライ?)

  ぜひ寄りたい「おへんろ交流サロン」

    

 さて遍路道は山道&登りとなり、木々の幹や枝が道脇に散乱している様子は第六十番横峰寺への道を思い出させる。なおこの旧道は別名「丁石道(ちょういしみち)」とも呼ばれ、一丁(110m)の距離を示す石仏が多く残っている。


これは「六十六丁石」=大窪寺まで7.2km

ある意味遍路道らしい風情

 

    道は非舗装の山道と舗装道(クルマは殆ど来ない)とを繰り返すような感じで進む。おぅ休憩所だ、少し休もう。遍路用の休憩所は至る所にあって大変お世話になった。特筆すべきはどの施設も手入れが行き届いていたことで、遍路に対する尽力を有難く感じた。

 なお休憩所で面白かったのは第三十五番清瀧寺から第三十六番青龍寺へ向かう間の「塚地休憩所」で、複数の飲料自販機が立ち並んでいたが納入業者の違いからか全く同じ缶コーヒーでも一方は100円、他方は130円の価格設定となっており、買おうとしておっとっと・・・となったことが思い出された。(笑)

休憩所も各地でお世話になった、ありがとう。

  

    再び古道の雰囲気ある道となった。右写真のように古い石碑が立ち並んで、結願へと向かうお遍路さんを見守ってくれている。

 遍路道で初めて古道となったのは導引大師から第四番札所大日寺への道だった。板野町観光協会の案内板の他に、地元の保存会が丁寧に作った楷書体の案内板も有ったことが思い出される。

何人のお遍路さんを見てきたのだろう

    

  昼が近づいて来た。今まではひたすら南進してきたが、多和駐在所の信号を左折して徐々に東進の道順となる。(駐在所の建物は普通の家と大差ないが、車庫にパトカーが有るのでそれとわかる)

 

駐在所の建物

 

 

   竹林の道となった。今までも何度か有った光景で、最初はたしか第十八番恩山寺から第十九番立江寺へ向かう弦巻坂だったと思う。源平合戦のおり、義経が四国上陸のあと行軍を進めた道との解説が案内板にあったっけ…

    もちろん今日は反対側から武者がやってくることも無く、金剛杖を片手に道を進めた。

竹林の道も本日がさいご

 

  やがて舗装道(国道377号線)に戻った道は徳島県との県境付近を南東~北東へと進むが、その北東方面へ向かうところで分岐(槇川の分岐)が有る。右写真のとおり「旧へんろ道」とあり、地図を見るとこの道が真っ直ぐ大窪寺へと続いているようだ。

分岐は「←旧へんろ道」へ

 

    大窪寺へ真っ直ぐ!! ガードレール脇の案内を見るとあと1.7Kmとあって、もう30分もかからないのかな?(あと30分で終わり…)と思ってしまう。

 もうこの舗装道を歩くだけ…かと思いきや、資料によれば舗装道から分け入ったところに「十六丁石」があり、古道の雰囲気が残っているらしい。確かに注意深く歩くと右に分け入る小径が有り、入ってみる。

長い道中、何度も助けられた

 

 すると「十六丁石」は有った。しかし古道と言うよりは空地の脇を通るような感覚で、しかも程なく道が無くなると小川の外溝上を歩いたり個人宅と思しき敷地内を歩いたりとわけが分からなくなってしまった。帰京後に先達諸氏のHP・ブログ等を拝見すると同様な道中記が散見された。

 そうこう歩くうちに何とか元の道に戻ることができてやれやれ、だった。

これは「十二丁」の石仏

 

    目指す大窪寺はもうすぐ! しかしこの時の自分には目標達成の高揚感よりもこの遍路が終わってしまう寂しさの方が大きかった。この気持ちは…そう、12年前に旧東海道を完歩する直前、三条大橋の手前で感じた気持ちと同じだった。

 遍路道の前方に大きな構築物が見えてきた。
 結願の大窪寺だ。

境内裏手に到着、立派な門構え

 

 

  「第八十八番札所大窪寺(おおくぼじ)」---ついに「八十八」・結願の札所に自分は立っている。境内は正月四日とあってまだ初詣客が目につき、遍路の姿は殆ど見当たらない。

 本堂・大師堂でいつものように「般若心経」を暗唱する。何とか暗唱できるようになったのは3年前・第三十番善楽寺での勤行だった。そのときも地元(高知)の初詣客が多かったことが思い出された。

本堂・大師堂が並ぶ

 

 納経を済ませ、境内を歩いてみる。結願したお遍路さんの多くはこのあと一番札所霊山寺や高野山金剛峯寺へお礼参りに行くのだろう。あるいは二巡目の旅に出たり、難度の高い逆打ち(八十八番から一番へ)に挑むお遍路さんもいるはずだ。では自分はどうするか?今は結願したばかりなので未定だが、打ち込んだ遍路の旅をこれで全て終わりにしてしまうのは残念な気もする。

   この点は今後改めて考えてみることにしよう。

立ち並ぶ「結願御礼」

 

 境内へは裏手から入ったので、出るときは山門から下りてみる。すると結願したお遍路さん向きのお土産屋さんが並んでいたので入ってみる。

 商品を眺めていると、一般的なお土産の他に結願の大窪寺でありながら各種遍路用品が揃っているのが面白い(逆打ちのお遍路さん用かな?)。その中に「南無阿弥陀仏」の白衣を見つけたので記念に買ってみた。真言宗は大日如来を中心とする世界観を持つが、阿弥陀如来もその中に取り込まれているので念仏の揮毫もOKというわけである。

山門前にはお土産屋さんが並ぶ

 

 さて大窪寺からの帰途には「さぬき市コミュニティバス」を使ってみた。公共交通機関を紹介する当HPでは最後の登場である。大窪寺と長尾・志度方面を結ぶこの路線は1日3往復(平日は4往復)の設定で、予め時刻を調べておけばとても便利なバスである。

 バスは14時に大窪寺を発車、往路に見覚えのある景色を逆戻しにするような車窓が続き30分ほどで長尾駅前に着いた。運賃は平日200円均一で、その安さにびっくり。もっとも土・休日と12/29~1/3は500円均一なのだが、本日は1/4の月曜なので200円なのだ。降車時に運転士さんにお礼を言ったら笑顔で返してくれた。

ぜひ利用してみたいコミュニティバス

 

 最後に大窪寺境内に建つ歌碑「同行二人の御詠歌」を記して結びとしたい。

   あなうれし
    ゆくもかへるも
     とどまるも

   われは大師と
    二人づれなり

大窪寺境内の歌碑。だいぶお大師様に助けられたと思う。

 

<参考>
琴電長尾駅~長尾寺~前山おへんろ交流サロン~大窪寺~琴電長尾駅
タイムテーブル

  (冬季晴天・軽装・やや健脚の場合)

  琴電長尾駅 8:00 ~ 8:05 長尾寺 8:30 ~ 9:50 おへんろ交流サロン 10:15 ~ 11:40 多和駐在所 11:40 ~ 12:30 槇川の分岐(最後の旧道への分岐) 12:30 ~ 13:15 大窪寺/大窪寺バス停 14:00 (コミュニティバス) 14:29 大川バス本社前(長尾駅近接)

 
 <備考>このタイムテーブルに準拠される場合は、スタート時刻を早めて「おへんろ交流サロン」の展示を十分見学されることをお勧めします。

さらば大窪寺、ありがとう四国遍路の旅

     拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 南無大師遍照金剛