1章(4)



 中に入るといつものようにマスターが挨拶をしてくる。
 マスターと言っても俺と年齢は変わらない。
 彼は裕介といって高校の同級生だ。
 俺たちが卒業間近に裕介の両親が飛行機事故でなくなり、
 親が経営していた喫茶店を継ぐことになった。
 元々は俺と同じ大学に行くはずだったが、
 中学生の妹のために稼がなくてはいけないため大学は諦めたのだった。
「いつものでいいのか」
 裕介はそう言って支度に入る。
 俺たちは窓際の、綾と来るときに必ず座る席についた。
 この場所は眺めがよく、日当たりもいいので綾のお気に入りになっている。
 いつものように綾は窓のそばに座り、外を眺めている。
 隣に座った奈緒は綾に楽しそうに話し掛けている。
 俺はというと、疲れから深く腰掛けぼんやりと外を眺めていた。
「はい、お水とおしぼり」
 三人分のコップとおしぼりを置く女の子。
 彼女は俺の顔を見るなりこう言った。
「また、女の人を眺めてるんですか?」
「またって、酷いな。恭ちゃん」
 俺は恭ちゃんの顔を見てそう答えた。
「今日は、もう学校終わったんだ?」
「うん。今日は早かったから、お店の手伝いをしてるんだ」
 俺の質問に、笑顔で答える恭ちゃん。
 俺たちのやり取りで、綾が恭ちゃんに気がつく。
『恭子ちゃん、元気?』
「はい、元気いっぱいです」
 Vサインを作って答える恭ちゃん。
 恭ちゃんは綾とは仲がよく、綾のために一生懸命手話を覚え、ある程度会話ができるようになっている。
「ところで、今日は三人でどこか行っていたんですか?」
『お兄ちゃんに、服を買ってもらったんだ』
「いいなぁ…うちのお兄ちゃんは、そういうことしてくれないから……」
「悪かったな」
 カウンターでコーヒーを入れている裕介が、会話に入ってくる。
「綾ちゃんみたいに可愛い妹なら、服でも何でも買ってやるんだがな」
「ひっどぉい。私は可愛くないっていうの?」
「小生意気」
 裕介はそう言ってケラケラと笑う。
 恭ちゃんは、頬を膨らませてふてくされた。
「恭子ちゃんは充分可愛いよ。ね、綾ちゃん」
『私も、そう思います』
 奈緒がフォローを入れ、綾が同意する。
「俺も可愛いと思うよ。ま、可愛くないのは奈緒くらいだけどな」

バシッ

 俺の言葉が終わると同時に、おしぼりが俺の顔に飛んでくる。
「誰が可愛くないって!!」
「奈緒」

バシッ

 綾のところにあったおしぼりも飛んでくる。
「私だって可愛いって言われるんだからね」
「ほう、そいつは奈緒の性格を知らないんだな」
 俺はそう言って、おしぼりをテーブルに置く。
「奈緒の性格を知ったら、そう思わないな」
 俺の言葉にうんうんと頷く裕介。
「そこっ! 頷いているんじゃない」
 怒りの矛先が、裕介にも及ぶ。
「でも、良平の言うことは嘘じゃないぞ。今の奈緒の姿を見たら誰もが怖がってしまうって。
 実際、高校のとき良平とのやり取りを見て怖いと言っていたやつがいたからな」
 悪びれた様子もなく、裕介がそんなことを言う。
「くっ……」
 う〜ん、まさに言い得て妙。
 奈緒もそう思ったのか、言い返せないでいる。
 そんな俺たちをハラハラして見ている綾。
 恭ちゃんはとばっちりを受けないようにと、さっさとカウンターの方に移動していた。




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