1章(8)
「じゃ、遊びに行って来るね」
そう言って遊びに行くと必ず綾が付いて来る。
お気に入りのウサギのヌイグルミを持って俺の後をとてとてと。
幼い頃の俺は言葉が話せない綾を親の気を引くための演技だと思っていた。
病気だと言われても理解できず、わざとやっていると思っていた。
そんな綾を俺は嫌っていたが、綾は俺のことを気に入りいつも一緒にいようとしていた。
それが逆に俺の期限を損ねているとも知らずに。
「友達と遊ぶから付いて来るなよ」
そう言って綾を置いていこうとすると、母さんが必ず一緒に連れて行くように言う。
しかし妹を連れていけば友達に連れて来るなと言われ、仲間はずれにされてしまう。
結局それが原因で友達と遊ぶことが出来ず、次第に友達が少なくなり隣の奈緒だけが遊び相手となった。
そのため俺の中では親だけでなく友達も奪ったという思いが強くなった。
そんな時事件は起きた。
「なんで奈緒たちも一緒なんだよ」
遊園地に遊びに来た僕は何故か一緒に来ている奈緒たちの家族に不満に思った。
ただでさえ、遊園地なんて来たくなかったのに奈緒たちも一緒だなんて。
「何ふてくされてるんだ。もっと楽しめ」
父さんがそう言って飲み物をくれる。
楽しめって言われてもどこにでも綾が付いて来るから乗りたい物に乗れず、
綾の乗れる物になってしまえば楽しめるはずも無い。
だから来たくなかったのに……。
「トイレ行って来る」
僕はそう言って立ち上がるとトイレへと向かった。
途中ゲームコーナーなどによったりして少しは気持ちがすっきりした。
トイレは混んでいたので少し待つ。
周りを見るとチラチラと変な男の人がうろついているのが見える。
周りを気にするようにキョロキョロし、子供を目で追っている様にも見える。
先生が怪しい人には近付かないように言っていた。
だから近付かないように気をつけないと。
徐々に列は前に進み、やっと僕の番になった。
トイレが済んで外に出るとさっきの怪しい人の姿は無かった。
ほっとしてみんなのところに戻ろうとすると、目の端に見たことのある姿が。
気になってそっちを向くと綾の姿があった。
どうやらいつものように僕の後を付いて来たようだった。
このまま気づかない振りをしてみんなのところに戻ろうか、
それで行方不明になれば両親は僕だけの者になる。
そんなことを考えているとさっきの怪しい男が綾のそばに近付いてきた。
何事か話すと綾の手を引っ張っていく。
このまま居なくなればとも思わないが、気になるので付いて行くことにした。
だんだん人気の無いところに向かう男。
綾が嫌がって逃げようとするのを無理やり連れて行こうとしている。
他の人は気づいていないのか気にもしていない。
その時、綾が僕の姿に気がついた。
僕のそばに駆け寄ろうと男の手を振り解こうとする。
しかし男が僕に気がつき抱きかかえて逃げようとした。
抱きかかえられた綾は僕のほうに手を伸ばして口を開く。
しかし綾の口からは何の声も発せられなかった。
「なんで叫ばないんだよ」
僕はそう言って綾の方に走りよろうとする。
しかし綾を抱きかかえても男の方が早くてどんどん引き離される。
その間も綾は口を開くが声が出なかった。
このとき初めて僕は綾の病気が本当だということを知った。
そして声が出ないのは本当なんだと。
男はそのまま近くにあったお化け屋敷に入っていった。
入るとき今までに無いほどの大きな口を開け綾が叫び声を上げた。
「お兄ちゃん、助けて!」
聞こえるはずの無い綾の声が聞こえたような気がした。
だがそのことを確かめるまもなく、綾の姿はお化け屋敷の中へと消えた。
僕は確かに聞いた。綾が助けてと叫ぶ声を。
でも周りの人は誰も反応しなかった。
たぶん入り口の係りの人は綾がお化け屋敷を怖がっているだけと思ったかもしれない。
叫び声を挙げたならお化けに怖がって居ないとわかるはずだから。
僕に聞こえた声はそんな声に聞こえなかったから。
僕はすぐさまお化け屋敷の中へと入っていった。
係りの人が驚いたが、彩たちが入った後すぐなので置いていかれた子だと思ったらしく簡単に入れてくれた。
僕は必死に後を追った。初めて綾を護りたいと思った。
中は暗くて周りは良く見えなかった。
お化け屋敷というのに暗すぎて周りが見えず、通路すら見えない。
それでもこのまま走ればと思って走っていくが男は見つからない。
とにかく走り続けるとやがて出口についてしまった。
「あれ? お父さんはまだ来てないわよ。
さきに出てきちゃったのかな?」
さっきの係りの人がそう言ってくる。ということはまだ中にいるのかな。
僕はもう一度中に向かって走っていった。
逆走するとさっきは気づかなかったことに気づく。
ちょっと窪んだ部分があることに。そこに身を潜めばやり過ごすことが出来る。
そう思って覗き込むとそこは非常口だった。
ここから逃げたのかもと思って扉を開けようとしたら開かなかった。
ここじゃないのかと思っていたら、後ろで物音がした。
振り向くと後ろは池のような場所になっていて、その前に柳の木が立っていた。
音はその池のようなものから聞こえた。
何かが水の中に落ちるような音が。
怪しいと思って近付いて覗いてみると、池から河童が飛び出してきた。
「うわっ!」
思わず声を上げて後退ってしまった。
すると同じように驚いた男が柳の後ろから出てきた。
「あやーー!!」
僕はそう叫ぶと男に挑みかかった。
男の腕にしがみつくと、男は僕のことを殴りつけた。
絶対話さないように必死にしがみつくが、何度も殴られ力が抜けていく。
男が力いっぱい殴ると僕はそのまま池に飛ばされてしまった。
池に落ちる間、じかんがゆっくりと流れているように感じた。
泣いていた綾が男の腕に噛み付いているのが見えた。
男の力が緩み綾が男の腕から抜け出すと、僕のほうに飛びついてくるのが見える。
だが綾が僕に近付く前に、僕は池の中へと落ちて視界は薄暗い水が広がった。
その後の記憶は無い。
気がつくと僕は病院のベッドに寝ていた。
ベッドの横では綾と奈緒が泣きじゃくっていた。
父さんが言うには、僕は池に落ちて気絶していたそうだ。
体中が痣だらけで打撲しているそうだ。
男は再び綾を連れて逃げようとしたが、不審に思った係員に捕まったそうだ。
男は数年前に娘を交通事故で無くし精神を病んでいて娘を探して病院を抜け出し、
娘に似た年齢の綾を連れて行こうとしたのだった。
母さんは僕が目を覚まして良かったと抱きしめてくる。
父さんは妹を護ってやるなんてえらいぞと褒めてくれた。
僕は綾を見てずっと護ってあげなくてはとこのとき初めて思った。
あれからだいぶ経つが、俺は今でも綾を護ってあげたいと思っている。
できればずっと。もちろん、それは無理だろう。
いずれ結婚すれば家を出て行くことになるし、綾にだって好きな人が出来れば俺がいなくても平気になるだろう。
もっともその後でも綾には大変なことがあるに違いない。
言葉を話せないというのは中々自分の意思を伝えにくいからだ。
仮に好きな人が出来ても、それが障害になる可能性もある。
だから俺はその時は綾を支えてやろうと思っている。
あの事件の後も色々あったがいつでも支えてやっている。もちろんこれからも。
俺は改めて綾を支え続けることを決意した。
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続く