STAGE1 7人の勇者達


 雨の降らない六月だった。添野はシャツを肘まで捲り上げ、求人案内を片手に電話をかけていた。かけまくっていた。
「はい、広告を見て……え、もう決まっちゃったんですか?」
「年? 二十八です。……待って下さい、新大卒でないとってそんな」
「はい、二十八の男です。え? 募集は受付嬢のみ? 書いていて下さいよ、わかんないじゃないですか」
  どこも不況だ。求人案内のページを折りながら、彼は十何件目かのダイヤルを押した。その肩を、四十がらみの体格のいい男が叩く。が、生憎、添野は今忙しかった。恐ろしいことに彼は振り向かずに答えた。
「値段のわからないモノは店長に聞いてくださいよ。ぼく今取り込み中……」
「職場の電話で何してやがるお前」
  添野は一瞬のうちに石像になった。
「て、店長」
  体格のいい店長は、非常にゆっくりと添野から受話器を取り上げ、本体に置いた。やたらていねいなその動作が、添野には怖い。
「あの、これは」
 求人案内を部屋の隅に放り投げ、添野は両手を振って弁解する。しかし店長は聞かなかった。
「言い訳なんざ聞きたくねぇ」
 添野の腹に、店長の殺人パンチが入った。実際に死なないのは添野に耐性があるからだ。ふらふらしながら、彼は店長の命令を聞いた。
「ここの部屋準備しとけ。スタッフ全員集めて会議だ」
 添野は腹を押さえながらも頷いた。会議。いよいよか、と彼は思った。

 添野の肩書きは、「むくどりスーパー深山田店」の店長補佐。字面はいいが、要は雑用係である。ヤクザ上がりと噂が立つほど狂暴な店長に、いつもこき使われている。しかし、彼が他の働き口を探す理由はそこではない。
 「むくどりスーパー深山田店」は今、存続の危機を迎えているのである。半年前、隣に大手スーパー「鷹忠」が出来て以来、営業不振が続いているのだ。「むくどりスーパーマーケットチェーン本部」は、もはやこれまでと深山田店の撤退を検討している。
 身の軽いパートの人達ほとんどは、既に他の仕事に移っていった。…添野は彼等を薄情だと言えない。皆、生活がかかっているのだ。
 そして、この状況でスタッフ全員を集めた会議。これはもう、撤退が本決まりになったとしか考えられない。
 添野はマガジンラックに求人案内を戻し、たたんで壁に立てかけてあった長テーブル2脚を開いた。ロッカールームのおまけのような談話室は、それだけで一気に狭くなってしまった。彼は備え付けのホワイトボードにクリーナーを掛け直し、パイプ椅子を人数分調達してきた。
 椅子を開いて並べているところに、木場が来た。添野の頬が思わず緩む。木場は高校生アルバイトの少女で、かわいらしい顔をしている。その上、エプロンをつけて立ち働く姿は、若い割にきびきびしていて感じがいい。
「木場ちゃん。ちょっと待ってて、すぐ皆集まると思うから」
「はい。あ、手伝いますよ」
  木場はぱっとパイプ椅子を広げはじめた。全部で7脚の椅子が、テーブルにそって二列に並んだ。そのころになって、次々とスタッフが集まってきた。
「あらあら準備させちゃって悪いわねぇ」
 と、にこにこしながら入ってきた玉岡はレジ担当である。正確な年齢は彼女自身が公表してくれない為にわからないが、五十は過ぎていると思われる。 いつでも笑顔がモットーの彼女は、「むくどりスーパー深山田店」一番の古株である。
 次に来たのは鮮魚コーナー担当の海江田。添野と同年輩の彼は、背が高く、青白い顔をしている。銀縁眼鏡が似合う顔立ちで、一流企業のエリートといった雰囲気だ。商談をまとめるのが上手く、鮮魚市場では大活躍する。
  続いて、白いコック帽を取りながら明山がやってきた。彼は焼き立てパンコーナーとお惣菜コーナーを受け持っている。こちらは体格も年齢も店長と同じぐらいだ。店長と違うのは、むやみとその腕力を行使しない点である。温厚な性格で、当然ながら料理が上手い。
  最後に、店長に連れられて赤井が入ってきた。ハタチそこそこの彼は、仕入れ担当で大型トラックの免許も持っている。子供っぽさが残る大きな目を持っていて、よく喋る。
「スィマセン、待たしちまって」
  彼が謝ると、明山が「いやいや、皆来たばっかりだよ」と答え、「ああ、大体来て四十七秒ぐらいだ」と海江田が真顔で言い、「とっとと座れ」と店長が締めくくった。
  店長、添野、玉岡、木場、海江田、明山、赤井。これで「むくどりスーパー深山田店」全従業員七人が揃った。
  店長はホワイトボードの前に出ると、二列に並んで座った部下六人を見渡した。皆、どこか寂しげで不安そうな顔をしている。店長もいつもより低い声で口火を切った。
「皆もわかっちゃいるだろうが。ウチは今、ヤバいことになってる。このままじゃ潰れる。潰れたらスタッフ全員、コレだ」
  店長は手刀で首を切るジャスチャーをしてみせた。添野がはぁ、とため息をついた。しかしその次の瞬間、店長は笑った。口の端をひん曲げて、ニヤリと。
「添野」
「うわ、はい!」
 裏返った声で返事をし、添野は椅子から立った。
「別に殴らねぇから座ってろ。……お前、このまま首になりたいか」
 添野は座り直し「いいえ」と首を振った。結局次の仕事は見つかっていないし、と彼は思った。
「玉岡サン。あんたは?」
「まさか。十年勤めた仕事ですよ」
 玉岡は即答した。彼女の脳裏に、まだローンの残っている息子のバイクが浮かんだ。
「木場チャンは?」
 木場は小首をかしげた。
「あの、私、そろそろ受験でやめなきゃ……でも出来れば最後までお勤めしたいです」
「海江田、明山、赤井。お前らは」
「なんで俺等はまとめるんですか」
 赤井が抗議した。
「いちいち聞いてくのは面倒になった。で、どうなんだ」
「やめたくないっスよ。俺、春に入ったばっかりなんだから」
「そうだね。この時期じゃ新しい仕事も見つからないし」
 赤井と明山が立て続けに答えた。海江田は腕を組んで、店長を見つめた。
「そこまでもったいをつけるってことは。何か現状打破の秘策があるってことですね」
「その通りだ」
 全員の視線が、店長に集まった。彼はおもむろにマジックペンを掴むと、ホワイトボードに力強く書いた。
 『幻のドレッシング計画2002(名称仮)』
 なんとなく、皆、黙った。
「スゲェだろ」
  店長が胸を張って言った。添野が気を取り直して頼んだ。
「……説明をお願いします」
「皆一度ぐらい見たことあんだろ、料理番組。あの、テーマ決めて対決するやつ。正月には赤飯対鯛飯とかやってた」
「あの、『ドッチかの料理ショー』のことですか」
 木場が恐る恐る言った。そうそれ、と店長はあっさり頷いた。
「その『ドッチか』の一ヶ月後の企画が、『ドレッシング対醤油』の調味料対決をやる。ウチは、ドレッシング側に全面的に協力する。あっちの業界に俺のダチがいてな。仕事回してもらった。この仕事をうまくやれば、テレビに名前が出る。出来たドレッシングは『むくどりスーパーチェーン』に販売権をくれるそうだ。
 ほんとうに上手くやれたら、撤退の話はなしにする、って本部と話つけてきた」
「あらあら」
 玉岡が目を輝かせた。
「テレビなんて、すごいじゃない店長さん」
「スゲェだろ」
 店長はが胸を張りなおして言った。「あのう」と、添野は口を挟んだ。
「全面的に協力、って実際のところ何を。ウチ、とてもじゃないけど資金提供する余裕ないですよ。……もしかして、明山さん貸し出すとか」
 明山が片手を振って否定した。
「あの番組には専属のコックがいるよ」
 店長が頷き、マジックペンを掴むと『幻のドレッシング計画2002(名称仮)』という文字の下にまた何か書き始めた。
 『最高トマト 5キロ
  至高玉ねぎ 5キロ
  最強油 3リットル 』
 どうもドレッシングの材料のようだ、と添野は思った。斜め後ろに座っている明山が「まさか」と呟いたのが気になるが。
 『新鮮サバ 3尾 』
 添野は少し混乱した。魚ってドレッシングに入れるのか?しかし彼の疑問をよそに店長は書き続ける。
 『ぴちぴちマンドラゴラ 1株 』
 何の冗談か。添野は考えはじめた。隣に座っている木場が、エッ、と息を飲んだ。店長は、まだ何か書き続けている。
 『プレアスパラギン酸DX 1ミリグラム
  ??? 1ミリグラム
                 以上!』
「ま、だいたいこれ見りゃわかるよな。ウチの仕事は材料集めだ。一週間以内にコレ全部集めて出せばいい。ちょうど七品目。一人一品目ノルマだ!」
  店長の威勢のよさに反して、部下六人は黙り込んだ。
 何ですかぴちぴちマンドラゴラって。油多すぎないですか3リットル。最高、至高って何を基準に。サバ? プレアスパラなんとかって食品添加物? 最高にわからないのが???。
「普通に無理じゃないスか、コレ」
  赤井が皆の意見をまとめて言った。店長は腕を組む。
「難しいのは重々承知だ。だがウチは食品流通のプロだ。ハナっから出来ねぇなんて言い腐って、尻はしょって逃げられるか。
 ちなみに、隣の鷹忠は醤油側に協力してる。昨日から、臨時休業とってやがるだろう。1万個に1個の黄金ダイズを探して、店中、ダイズの山にして頑張ってるんだ。
 どうだ? ここでこっちだけ逃げられねぇだろ」
 商売敵の名が出てきて、皆の顔色が変わった。最後の意地で、目が真剣になった。
「やらなきゃどのみち潰れる。無駄なあがきはしたくねぇ、って奴は今出て行け。退職手当は送ってやるから」
 席を立つものは、いなかった。

 彼らの生活をかけた戦いが今、始まった――。

                                                     


*top *information *story *diary *board *link *story *novelitte *novel *omake *give&take