STAGE2 VS最高トマト


 会議の後半は、各自がどの材料集めを担当するかを決めるのに使われた。基本は一人一品目ノルマということだったが、添野はプレアスパラギン酸DXを受け持たされた上、店長から直々にハンディカムビデオを渡された。
「これは」
「言っただろ、テレビだって。材料集めの様子も撮らなきゃならねぇんだってさ。ま、参考用で放映されることはない、ってことだから気楽にな」
 そして店長は、添野と赤井以外のスタッフを持ち場に戻らせた。「鷹忠が休んでやがる今こそ刈り入れ時。言っとくがウチは材料集め週間中も営業するからな。きりきり働けよ」 とのことだった。
「んで、お前等は今からトマト狩りに行け。期限は今日中」
 店長は赤井と添野にそう命じた。添野は反射的に壁時計を見た。午後二時。赤井が口を尖らせた。
「そんな無理」
 店長に睨まれたため、添野ほど耐性のない赤井は黙った。
「最高とはいえトマトだぞ。一週間しかないのにちんたら時間かけてられるかよ。トラックでパッと行ってサッと帰ってこい」
 店長は付箋の挟まった地図帳を投げてよこした。そして、まだ何か言いかける添野と赤井をひとまとめにして、駐車場に通じる窓から放り出した。「ああ、忘れるところだった」と、ハンディカムビデオも放り出す。添野が慌ててそれを受け止めた。
「じゃ、頑張ってこいよ」
 部下の言い分も聞かず、店長は窓を閉めた。ぴしゃり、と。

 トラックに揺られて三時間。添野と赤井は、自殺で有名な某樹海に来ていた。既に辺りは薄暗く、風が出てきたのか木々がざわざわと鳴っている。添野は車内にいるにも関らず、妙な肌寒さを感じていた。
「あー、だめだコレ」
 細く舗装もされていない道を、しつこく辿って進んでいたのだが、赤井はとうとうトラックを止めた。頑丈そうな木の枝が、行く手に低く張り出している。車高の高いトラックは、まず間違いなくひっかかる。
「添野さん、進めないっスよ。こっから先は歩くしか」
「ああ、なんだか嫌な感じだなぁ」
添野はため息をついた。

 さかのぼること数十分。
 樹海へ向かって伸びている道路をトラックで進んでいると、虫かごに網を携えた小学生の集団が、向かいから歩いてくるのに出会った。
 すかさず赤井は車を止め、情報収集にと彼らに声をかけた。添野もとりあえずビデオを回しはじめる。
 昆虫採集に来ていた子供らしい。
『おじさん達、今から森入るの? 暗くなっちゃうよ』
 一番年上らしい少女が、髪を撫で付けながら言った。ビデオを気にしているようだ。
『添野さんはともかく、俺はまだおじさんって年でもないんだけど。なぁ、君達ここいらの子?』
 添野につっこむ隙を与えず、赤井は少女に質問した。
『まあね。ねぇ、いい人生相談の先生教えてあげようか?』
『は?』
『人生、いろいろあるだろうけどね? 最近シューショク難らしいしさ。けど、いっぺん死んだ気になって頑張って・・・・・・』
『イヤ、今回そういうのじゃないんだけど。・・・・・・「最高トマト」ってのを探しに来たんだけど、知ってるかい?』
 添野が少女の言葉をさえぎって尋ねると、今度は後ろに控えていた小さい子供が口々に喋りだした。
『ああ、アレ』
『うん、アレおいしいよ』
『お母さんがケチャップにしたよ。でもちょっと生で食べる気にはなれないよ』
『ちょっと入ればウヨウヨいるよ』
『ウヨウヨ?』
 ちいさな子供の言葉に、添野と赤井は少し笑った。
 しかし、一番年上らしい少女が大真面目に言い切った。
『ほんとにウヨウヨ。行けばわかるよ』
 大の男二人の笑みは、中途半端にこわばった。

「ま、これだけ入れば十分っスよね。降りて探しましょう、最高トマト」
 赤井は仕入れに使う野菜ケースを足元から出し、懐中電灯を片手にトラックを降りた。
 添野も気を取り直して、ビデオのスイッチを入れ、赤井に続く。
 生温かい風が、ぞぞっと二人の背中を撫でた。
「ぱっぱと済ませて帰ろう、赤井」
「・・・・・・ハイ」
 とりあえず、道路から森の方へ入り込む。
 似たような形の木や下草がずっと奥まで生い茂っているのを、添野がビデオに収めていると、
「迷ったらシャレにならないっスよね、ここ」
 赤井が懐中電灯をつけて言った。添野も同感、と首を振る。
 懐中電灯と、十数メートルおきに立っている道路灯を頼りに歩きながら、2人は喋った。無言になると怖いので、とにかく喋る。
「道路沿いに行こう。確かトマトは日当たりのいい場所を好むから、森の奥に生えてるってことはないだろうし。・・・・・・しかし、トマト5キロとなると、いくつになるんだ?」
「大体、1コ100グラムから150グラムってところっスから・・・・・・多くて50コ、少なくとも30コ以上ってとこっスか」
「そんなにあるかなぁ・・・・・・子供達の『ウヨウヨ』を信じたいところだね」
「ウヨウヨねぇ」
 赤井は口元を緩めた。
「ってか、虫じゃあるまいし、ウヨウヨは変っスよね、添野さん」
 ああ、まあそのへんは子供の言うことだから。
 添野がそう答えようとした矢先に、赤井が、「あ、トマト」と言った。
「添野さん、あれトマトじゃないスか」
「え? あ、本当だ」
 赤井が指差す先は、次の道路灯の根元辺りだった。白っぽい光の中に、真っ赤な物体が転がっている。
 添野が近寄って拾い上げると、それはかなり大ぶりのトマトだった。表面はつやつやで、色も鮮やか。傷一つない。ただ・・・・・・
「ヘタまで真っ赤」
「そスね」
 そのトマトには、緑色の部分がなかった。実が真っ赤に熟れているのはともかく、ヘタの部分まで赤く色づいている。しかもなんだか触感も変なヘタだ。ぶにょぶにょしていて、肉厚で、例えばイソギンチャクの触手を触ったらこんな感じだろうなという・・・・・・。
「でも、なんでこんなところに1コだけ落ちてんスかね? って、あれ? 添野さん?」
「うん?」
 添野がヘタをいじりながら生返事をすると、赤井は道路の少し先を懐中電灯で照らして見せた。
「トマト、もう1コあるっスよ」
 ヘタを下にした状態で、もう一つトマトが落ちていた。
「俺らより前にトマト狩りに来た人が、落としていったのかも知れないっスねぇ」
 言いながら、赤井はそれを拾って、持参の野菜ケースに放り込んだ。
「ま、近くに自生してることは確かだろ。ちょっとそのへんの藪、照らしてみて・・・・・・痛っ!」
 トマトのヘタを触っている指先に鋭い痛みを感じて、添野は悲鳴を上げた。
「どしたんスか・・・・・・!」
 振り向いた赤井が、目を見開く。
「なんか、なんていうか、ヘタの中心にトゲがあるみたいでさ。刺さったみたいでトマトから離れないんだよ指先」
 添野が顔をしかめながらトマトを剥がそうとする。
赤井は首を横に振る。
「て、いうか、添野さん・・・・・・足元」
「え?」
 添野は下を見た。
 トマトがヘタを下にした状態で、落ちていた。
「あれ、さっきあったっけコレ」
「絶対なかったっスよ」
 こころなしか青ざめた顔で答える赤井。その足元に添野は赤い物体を見つける。
「・・・・・・そっちにもトマト」
 彼が指差すと、赤井はそれを認めて「うわぁ!」と飛び退いた。飛び退いた足が着地したそこで、ぐちゃっと湿った音がした。
 トマトを踏んづけて潰していた。
 血のように真っ赤な汁が飛んで、ズボンにしみをつけている。
「うわ、気持ち悪! ってか添野さん、変っスよ。ほら、あっちにもこっちにも!」
 赤井が懐中電灯を振り回すようにして、道路の所々に光を当てる。いつのまにか、トマトが道路中にごろごろしていた。
「ウヨウヨいる」
 添野は呟いた。
「シャレになんないっスよ! どゆことっスか」
「ぼくに聞かれても。とにかく、プラスに考えよう。探す手間が省けた。片っ端から収穫しよう」
「マジっスか」
「・・・・・・マジ。でもその前に、ちょっと明かり貸してくれ」
 赤井は恐る恐る添野に近づいた。添野の指先には、トマトがまだぶらさがっている。
「取れないんだよコレ。薄暗くてどうなってんのかわかんないし」
「ホントにトゲなんスか・・・・・・?」
 光を添野の手元に当てる。ヘタの中心のへこんだ所に、添野の右手の人差し指がくっついてしまっていた。赤い肉厚のヘタが、ぷるぷるしているのが不気味だ。
「指の影になっちゃってて、どうなってるかわかんないっスよ。ちょっと無理にでも引き剥がすしか」
 赤井はそうアドバイスした。しかし、あくまでトマトには触れようとしない。添野は空いている左手でトマトを引っつかむと、回転をかけながらもぎとった。
「痛って!」
 引き剥がした指先から、血が滲んでいた。傷が、まるでハンコ注射をしたような具合でついている。
「たいした傷じゃないっスけど・・・・・・なんでこんなことに」
 赤井は、添野の左手に握られている剥がしたトマトの方に光を当てた。色艶のいい大きなトマトだ。ヘタがぷるぷるしていて、その中央には、
「添野さん捨ててくださいそれ!」
 その中央にあるものの正体を見て、赤井は叫んだ。
「危ないってかそれ絶対トマトじゃないっス!」
 尋常でないその声の様子に驚き、添野もトマトを放り出した。地面に叩きつけられ、トマトは半分潰れて広がる。
「トマトじゃないって?」
「歯が」
「葉?」
「歯! ヘタの中心に小さな口がついてて、針先みたいな小さな歯がその中にずらっと並んでたんスよ、添野さんそれに噛みつかれたんスよ、すげぇ気持ち悪! トラック戻りましょう、絶対ココおかしいっス!」
「落ち着けよ赤井。んなことあるわけないだろう、何か見間違えたに決まって・・・・・・あ」
 添野は、とあるものを見て言葉を切った。赤井が片手にぶら下げている野菜ケース。さっきその中に放り込んでおいたトマトが、ゆっくりと這い出てきていた。
 ヘタがカタツムリの足のようにケースの側面に吸い付き、少しずつ伸び縮みしながら這い、動いている。
「トマトじゃないな確かに」
 それを指差すと、赤井は悲鳴をあげてケースを放り出した。プラスチック製の軽いケースは、地面に当たってワンバウンドし、横倒しになった。
 トマトがその中からゆうゆうと這い出してくる。ケースに守られた為か、無傷だ。よく見れば、道路上のトマトは全てゆっくりと動いている。道路脇の藪からも、ひとつ、またひとつとトマトが這い出してきて、道路はどんどんトマトだらけになっていった。
「逃げましょう添野さん。これじゃホラーっス」
「いや不気味だけど、トマトじゃホラーとしちゃかわいらしすぎないか」
「なんでこんな時に変に冷静なんスか」
「この世で一番危険なのは、凶暴な上司とリストラだと思ってるんだよ、ぼくは。だからこう状況が現実離れしてくると逆に平気なんだよな。ほら、夢だとわかってたら崖から飛び降りてもライオンと戦っても恐怖感はないだろ。それと同じ」
「これは現実っス!」
「だったら余計にさ。生活かかってんだぞ。最高トマト5キロ持って帰らないと、確実に店長にブン殴られる上に無職への道まっしぐらだ。トマトよりそっちの方が怖い」
 添野はそう言い切ると、野菜ケースを拾い上げ、地面を這っていたトマトをひっつかんで放り込んだ。
「でも危ないっスって! 噛み付くんスよ、毒持ってるかも」
「大丈夫だって。ここ来る時に会った子供が『お母さんがケチャップにした』とか言ってたろ。少なくとも食用だ」
「でも」
 なおも言い募ろうとする赤井を、添野は横目で見た。ぽそっと言った。
「意気地なし」
「・・・・・・」
「意気地なーし意気地なーしいーくじーなしー」
 歌った。歌いながらもうひとつトマトを拾い、ケースに放り込む。這い出してこようとするのをつまみあげ、放り込み直す。
 赤井は額に手を当てて、
「わかったっスよ! 取ればいいんスよね取れば!」
 ヤケクソでトマトを捕まえはじめた。

「遅かったじゃねぇか」
 夜十時過ぎになってやっと帰ってきた部下二人に、店長がかけた第一声がこれだった。
 添野と赤井は疲れた笑みを見せて語り始める。
「いえ、もう大豊作っスよ」
「うんうん。色艶いいし、大ぶりだし、傷ないし。本当に最高トマトですよ。なにより鮮度がいいよね、もうぷるぷる動くぐらい」
「そうっスよね。生食より加工した方がいいみたいっスから、ドレッシング向きだし。ただちょっと調理は気ぃつけた方がいいっスよ、けっこう『トゲ』が鋭いんで」
 傷ついた指先を店長の目の前に出す二人。ああそりゃご苦労、と気のない返事をする店長。
「んで、豊作ってからには規定量とれたんだろうな」
「はいそれはもう。『ウヨウヨ』いましたから」
 添野の言葉に、店長はカカカと笑った。
「虫じゃねぇんだから、ウヨウヨはねぇだろウヨウヨは」
 赤井はニヒルな笑みを浮かべ、傍らの野菜ケースを叩いた。
「見ればわかるっスよ、見れば」
 
 ケースにみっちり詰め込まれた赤い物体が、ウヨッと蠢いた。

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