ヒュー=リビングストンの恋愛論


 姉さんが鏡台の前で細い銀鎖のネックレスをつけて、「ねぇ、ヒュー。どうかしら」と振り向いた。あたしはちょっと横目で見ただけでたまらなくなって、顔を背けてしまった。
「似合わない」
 姉さんは少し悲しげにあたしを見ると、
「…そう、かしら」
と鏡に向き直って自分の姿を確かめた。それは確かに純銀のネックレスで、トップには涙型の上品な水晶が収まっている美しいものだった。けれど、姉さんには似合わない。姉さんはとても美しい人なのだ。そんなちょっと上等なだけのネックレスなんて安っぽすぎる。…それを伝えるのはあたしのどうしようもなく無愛想な口では無理だろうから、言わないけれど。
「姉さん、あたしもう仕事だから」
 逃げるようにそのワンルームアパートから外に出たら、空はぞっとするような秋晴れだった。なんて無神経。その遠くて冷たい青色は、あたしの大嫌いな人間の瞳の色だった。

 セーヤ=ヨシズミ。暗い色の髪に不釣り合いな青い瞳。細身の長身、割合整った顔。いつもスタイリッシュなダークスーツを着こなしている。雑誌いわく、「時代の先端を駆ける若手事業家」。人いわく、「良いご縁よ、捕まえときなさい」。姉さんいわく、「とても紳士的な方よ。このあいだ夕食に招待してくださったの、一緒に行きましょうね」。あたしの心の声いわく、「いやみなまでに非の打ち所のない、無理にあらを探すならとてもかんに障る目をした、姉さんに安っぽすぎるネックレスをプレゼントした、あたしの大嫌いな男」。
 ぞっとする。姉さんが熱っぽくあの男の話をするとき、思わず叫び出しそうになってしまう。 「姉さん、目を覚ましてよ。退屈しのぎに遊ばれてるだけじゃない。どこの誰が、二親なくして借金だらけで、女だてらに朝晩働いている貧乏人の娘を相手に本気で恋をするというの?」と。

 あたしの仕事は女学校の門衛だ。育ちの良いお嬢さんだけが通う学校で、姉さんもあたしもシニアスクールの途中までは通っていた。そのコネクションというか、学校側の同情というかで、とにかくあたしは二年前にここに就職した。その時にあたしは髪を野良猫みたいにつんつんした形に切って、一人称を「わたし」から「あたし」に変えた。そうでもしなければこの閉鎖的な花園で、襲い来る惨めさをはねのけられなかった。
 門衛は全部で七人いて、毎日一人ずつローテーションを組んで休んでいる。丁度一週間に一度休める計算になる。毎週始めにみんなでトランプゲームをして、勝った者から休む曜日を選ぶことができる。びりになった者はその週の食事当番をすることになる。あたしがここで働いていて救われるのは、同僚がこんなふうに、遊び心のあるとても気持ちの良い人達だからだ。他人相手だから、安らげることがあるんだと身に染みる。
 今日は裏門の警備担当で、ジンジャーとペアを組む日だった。彼はあたしより一つか二つ年上で、赤毛だ。ジンジャーというのは赤毛の人によく使われるあだ名だから、もしかしたら本名じゃないのかもしれない。つやつやのチョコレートみたいな瞳をしていて、ちょっと軽はずみだけどさっぱりした物の言い方をする。彼は恐ろしく不機嫌な顔をしてガンの手入れをしていたあたしを見かねたのか、少し遅れて詰所に入るなりこう言った。
「おいおい、ヒュー。学生さんがびびって正門にまわっちまってるぜ。美人の姉さんと喧嘩でもしたか?」
 つけくわえると、この男は勘がいい。ただそれに見合う思慮深さに欠ける。それは時に、人の心にある地雷をもろに踏んでしまうことになる。あたしは無言でガンの照準をジンジャーの鼻先に定めた。
「おっと。落ち着けよ、姉に負けずべっぴんさんのヒュー=リビングストン。今日もワイルドで最高だぜ」
「下手なお世辞って最高に大嫌い」
 あたしは引き金を引いてみせた。かちんと乾いた音がして、もちろん弾は出なかった。ジンジャーは大袈裟に息を吐いて、テーブルに腰掛けた。
「ずいぶんおかんむりだな。姉さんが朝帰りでもしたか?」
「馬鹿言わないで。そんなことになってたら今頃あんたじゃなくて相手の男にガン突きつけてるわ」
 ジンジャーは「ま、そうだろうな」と言って、あたしの頭をかきまわすように撫でた。髪がくしゃくしゃ音をたてた。ジンジャーの軽口で少し気分がましになったあたしは、ガンにさっと油をひいてホルスターに収めた。
 昼過ぎ、サンドイッチを齧りながらあたしはジンジャーに今朝のことで愚痴を言っていた。
「あんまりに魂胆がみえみえで、頭にくるのよ。ちょっと値の張るものだから姉さんも困ってるし」
「何?プレゼントにつられてデートの約束でもとりつけられたか」
「ううん。なんにも見返りは求めてないらしいよ。一応。…でもさ、姉さんのことだから絶対気にして、何頼まれても断れなくなっちゃうと思うんだ」
「一緒に寝ろって言われたら寝るようになるってことか?そんな安い女じゃないだろ」
地雷すれすれをスキップして通りすぎるジンジャー。悪気がないから聞き流すことにする。
「当たり前でしょ。…けどさ、姉さんもまんざらじゃないみたいだから」
「そうだな。セーヤ=ヨシズミ、だっけ。相手。言っとくがかなりチャンスなんだぜ。うまくいけば急成長企業の社長夫人にその妹」
「嫌だ。考えただけで虫酸が走る」
 今の稼ぎじゃきりきりの生活になってるけど、やっていけないわけじゃない。あたしと姉さんの暮らしにどんな干渉だってしてほしくない。
 そんなあたしの心中を知ってか知らずか、彼は少し空気を吐き出した。
「ま、最終的に当人達の問題だからな。お前がそんなに気にすることないんじゃねぇ?」
 一般論をありがとう、ジンジャー。

                                             


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