ヒュー=リビングストンの恋愛論


 あたしは引き金を引きかけた。けど、セーヤが物凄い速さで振り向いて、胸ポケットからカードみたいなガンを出して、あたしに銃口を向けていた。一瞬のことだった。あたしは出端をくじかれて、引き金を引き損ねた。
 あたしとセーヤは、互いに銃口を向けて睨み合うことになった。
「僕も少しシューティングをかじったことがあってね。コントロールは最悪だけど、クイックドロウは得意なんです。…小型のガンだけど、殺傷力はありますよ」
「……脅しになってないよ、セーヤサン。あんたと心中なんて胸くそ悪いけど、覚悟はできてるんだから……つっ!」
 言い終わるかどうかというところで、セーヤが動いた。ガンを持っていた方の手首を蹴り上げられて、思わず一歩下がってしまう。彼がその隙を見逃すはずがなく、あっというまに両手を掴まれて床に引き倒された。女みたいに細い体をしているくせに、すごい力だった。まったく、姉さんを押し倒せるわけだよ。内心で諦めたように呟く自分がいた。
 照明がセーヤを逆光にしていて、天井がとても高く見えた。波が引くように体が冷たくなって、もう終わりだなと悟った。
「……殺してよ。負け犬になって生きてたくないよ。どうせあんたの罪にはなんない。ポリスにも正当防衛だって言えるよ?」
「どうしてそう簡単にそんなこと言えてしまうんでしょうね。お望みなら本当に殺してあげたくなりますよ」
 だってあたし、もう何も守るものはないんだもの。あたしの姉さんはもういないんだもの。
「望んでるから。殺してよ」
「お断りします」
 セーヤは、冷たく、本当に冷たく言い放った。
「イアラと約束したんです。あなた方姉妹二人ともこれから守ります、って」
「全部姉さんの為なんだ」
 あたしはなんだか、ずいぶん歪んだ顔で笑っていた。
「本気で、愛してる?」
「はい」
 セーヤは結婚式の神聖な誓いをたてるように答えた。
 それを見たらどっと疲れて、泣きたくなったけどそうするのは癪で、あたし結局最高にガキだって思い知った。
 セーヤサン、良くも悪くも、あんたが見かけ以上に強くって助かったよ、ホント。

 「疲れちゃった」
 セーヤからも逃げ出して、あたしはぼろくずみたいな気分で公園のベンチに寝転がっていた。姉さんを守るんだって戦っている気になってたけど、あたしの敵は本当はどこにもいなくて、ただ無意味に暴走していただけだった。ひどい自己嫌悪で吐き気がした。情けなくって泣けもしなかった。家にも帰る気がしないし、一晩ここで過ごそうかって本気で考えはじめた時に人の声が降ってきた。
「ヒュー?なにしてんだこんなところで」
 ジンジャーだった。なんでこんなにタイミングが最高な奴なんだろう。
「あ、また愛しの姉さんと何か……」
「黙ってよ」
 今は地雷を踏まないで。あたしの心も耐え切れなくて粉微塵になっちゃいそうだから。
 ジンジャーは、「ん」とくぐもった返事をして、あたしの前にしゃがんで視線を合わせてきた。そして、ビニールの買い物袋を持ち上げてみせた。
「腹減ってねぇ?」
「……減った」
「俺の夜食なんだが。後で代金請求してやるから心置きなく食え」
 貰ったミルクと菓子パンは甘くて美味しかった。胃の中で幸せな泡をたてながらふちふち溶けていく感覚が気持ち良かった。少し体があったまったら、凍り付いていた脳みそも溶け出したのか、涙が溢れて仕方なかった。
「ジンジャー、助けて、お願い。寂しいよ、どうしていいかわかんないよ、どうしようもなくなっちゃったよ、もう消えちゃいたいよ……」
 自分でも言っていることが支離滅裂で、まして事情を知らない彼にはわけがわからなかったと思う。それでもあたしはその時、彼に何かを求めていた。
「ヒュー、なんにも泣くことないだろ。な?」
 何も知らないなりに、ジンジャーはそう言いながらあたしを抱き起こして、背中をさすってくれた。あたしはそれでもしつこく彼の腕の中でぐすぐす言っていた。ずいぶん長い間、しゃくりあげながら彼の優しさに甘えていた。泣き疲れて体の力が抜けた頃に、彼はあたしの背中を軽く叩いた。
「落着いたか?」
 あたしは返事をしなかった。ジンジャーはいったん体から離して、あたしの顔をじっと見つめてから、前より強く抱きしめた。
「ジンジャー……?」
「そんな顔すんなよ。どうしていいかわかんなくなっちまう」
 そのままベンチに押し倒されて、キスされた。あんまり乱暴で、あんまりいきなりで、頭が真っ白になってしまった。普段のあたしだったら、ここで暴れて噛みついて顔殴りつけて思いっきり怒鳴って立ち去るんだろうけど、もう疲れすぎていた。逃げ回りすぎてもいたし、もう動けない。どうしてこんな展開になってるんだろ。神様、あたしとんでもなく馬鹿だったけど、それはこんな仕打ちされなきゃいけないほど罪なことなんでしょうかね。
「嫌だよ。あんたにまでこんなことされたら、あたしホントに男嫌いになっちゃうよ」
 半分諦めて呟いたら、ジンジャーの手が止まった。正気に戻ったのか、ぱっとあたしを離して、頭を抱えてしまった。物凄く気まずい沈黙の後で、彼は言った。
「悪かった。忘れてくれ」
「人を押し倒しといてずいぶん都合のいい話」
 あたしはゆっくりと体を起こした。押さえつけられた肩や手首がみしみし鳴った。
「……男ってみんなそうなの?我慢できなかったら相手の気持ちなんか二の次で、力で押さえつけて乱暴するの?」
 ああ、やつあたりだわ、これ。
 ジンジャーは顔を上げて、もう一度「悪かった」と答えた。なんだか泣き出しそうな顔。はは、なんだかかわいそうになってきちゃった。もういいよ、思わせぶりなことしたあたしも悪いんだから。思ったけど口に出すのはやめておいた。
「……ずっと好きだった」
「は?」
「お前が学生の頃からだよ。始めはすげえ美人がいるって噂になってて。俺もキョーミあって見てたら、その妹って奴が来る時も帰る時もぴったりついてまわってて、ガード固いなぁ、って思ってた。そのうちその妹、……お前の方ばっかり気になるようになったけど」
「……惚れてくれてるんだったらなんで、明らかにべこべこにへこんでる時に追い討ちかけるようなことすんのよ。結局そういうもんなわけ?」
「……悪かった」
「そればっかり。謝らないでよ、情けなくなるから。どうせなら開き直ってもっぺん押し倒すぐらいできないの?」
「むちゃくちゃ言うな、お前」
 ジンジャーがちょっとだけ顔を崩した。あたしもつられて笑いそうになってしまった。泣いた烏がもう笑った、って思われるのは悔しいから、顔の筋肉強ばらせて頑張ったけど。
「疲れてんのよ。……もう寝たい」
「ここで寝るなよ。凍死するぞ」
「やだ。寝る。……死なないようにあっためてよ」
「……おい」
 あたしの爆弾発言に、彼は困ったみたいだった。あたしはそれがおかしくって、彼の腕の中にもぐりこんだ。
「気持ちいい。……朝まで抱いててね」
「どういうつもりだよ。俺から手ぇ出したら嫌がるくせに」
「ん。だからさ、手は出さないでよ。子供にするみたいにただ抱いてるだけで。そうしてくれたらあたし、男嫌いにならなくてすみそうだ」
 ジンジャーの胸が少し上下して、溜め息ついたのがわかった。そっと抱き締めなおしてくれたその腕に安心して、あたしは目を閉じた。次に目が覚める時に、綺麗な朝焼けが見れたらいいなって思って眠った。

 ヒュー=リビングストン、十八の秋。
 彼女の恋愛論はこのあたりから始まる。

                                                 【終】
                                               


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