成瀬映画に登場する風景

『妻よ薔薇のやうに』(1935年)2011.7.3  NEW2018.4.1 コメントと画面写真追加


NEW2018.4.1

山田洋次監督の最新作(2018.5.25公開)のタイトルは『妻よ薔薇のように 家族はつらいよV』
タイトルはもちろん本作を意識してのものでしょう。正確には<やうに>を<ように>に変えています。
約20年前の本HP開設時にお祝いの文章を寄せていただいた(面識がありましたので私からご本人に依頼させていただきました)、
現在テレビのコメンテーターとしても大活躍の落語家・立川志らく師匠も出演(刑事役とのこと)されています。

インターネット上にアップされている予告編を観る限り<妻が家出してしまう>話のようですが、
本作は逆に夫(丸山定夫)が気難しい女流歌人の妻(伊藤智子)との東京での生活に嫌気がさし
砂金を求めて長野県に行ってしまい、娘(千葉早智子)が両親の仲を修復させようとする
話なのでまったく異なります。

タイトル名の本作を観たいという方も今後出てくるかもしれませんが、残念ながらDVD化されていません。
以前、東宝系の通販でビデオ化(レンタル禁止)されたことはあります。
第12回(1935年)キネマ旬報ベストテン第一位で、
1937(昭和12)年には『Kimiko』のタイトルでニューヨークで一般公開されています。

下記に紹介しているロケ地の画面写真を追加します。
本HPには成瀬映画のロケ地を多数紹介していますが、本作は1935(昭和10)年公開
なので、今から83年前と一番古い時代のものです。
それにしても、東京の中でも屈指の高級感溢れるお洒落な街である「青山界隈」に昭和10年当時、
自然のままの広大な原っぱがあったこと、そしてそこに映っている洋館が今も残っていることは驚くばかりです。

  

                左から 母=悦子(伊藤智子)、娘=君子(千葉早智子)、父=俊作(丸山定夫)。円タクを拾おうと映画(『或る夜の出来事』)で観たヒッチハイクの真似事をする千葉早智子。

夫(丸山定夫)から届いた手紙を受け取る妻(伊藤智子)
長野県は読み取れるがその下の住所は不明(・・・郡?)


以前スカパー日本映画専門チャンネルで放送された『妻よ薔薇のやうに』の録画DVDを観直してみたところ
いくつかロケ地に関する発見がありました。

冒頭の君子(千葉早智子)のオフィスと恋人・精二(大川平八郎)と一緒に歩くシーンは、言うまでも無く東京・丸の内ですね。

上記シーンに続いて君子と母・悦子(伊藤智子)が家で夕食をしている時に届く書留。
書留のあて先住所が画面にアップで映ります。そこには「
赤坂区青山高樹町」の地名が。
現在の住所だと、東京の港区西麻布あたりのようです。
映画の中では、君子の叔父の新吾(藤原釜足)は「渋谷のおじさん」と呼ばれているので
千葉早智子が訪ねる藤原釜足の家も渋谷あたりの設定でしょう。

君子の父・俊作(丸山定夫)が愛人のお雪(英百合子)と暮らしている田舎は、信州。
君子が父に会いに行く時に、恋人・精二に「長野からまたしばらく行ったところ」と説明します。
映画を観る限り、実際に現地へロケーションしているようですが、長野のどこかは特定できません。

さて、今回は写真ではなくリンクを貼ります。
このロケ地自体は実は7年くらい前に見つけていたのですが、今回初めてアップします。

映画の後半で、信州から君子と一緒に東京へ戻った父と母と君子の3人が東京で観劇したり、食事したりするシーン。
後ろが原っぱのような道で、母・悦子が「歩き疲れたから円タクを拾おう」と言うと、
父・俊作が「電車道まですぐぞばだから歩こうよ」と言います。
その時に君子は「最近映画で観たのよ」と言って走ってくる自動車に手でヒッチハイクの真似事をします。
(映画とは当時のフランク・キャプラ監督『或る夜の出来事』)

このやりとりで3人が画面左から右に歩くシーンの後ろの原っぱの後方に立派な洋館の建物が見えます。
これがなんと現存しています。

「ミュージアム1999ロアラブッシュ」という東京・青山(住所は渋谷4丁目)のフレンチレストランです。

ロアラブッシュのHP

詳細はHPを参照ですが、1918年(大正7年)に着工とありますのでこの映画の撮影時期1935年(昭和10年)にはすでに
建っていたことになります。
映画の中でも、特徴的な三角錐のフォルムの屋根と入り口の四角いバルコニーがはっきりと映っています。
ちなみに私はロアラブッシュで一度ランチをいただいたことがあります。

3人が歩いていた道ですが、洋館の位置から類推すると
・青山通りから青山学院大学の横(体育館)の道に入り、六本木通りの南青山7丁目までの道の途中のどこかで
当時洋館の見える場所で間違いないかと思います。
(2016.1.20記述追加 おそらく「骨董通り」ではないかと思われます)
もちろん今は原っぱだった場所には高級マンションが建っています。
君子の家の設定の住所(高樹町)もここから近いのでおそらく家から歩いてきて、電車(青山通りか?)か円タクかというシチュエーションだったのでしょう。

「キネマ旬報」の2005年8月上旬号の企画特集「100年目の成瀬巳喜男監督」の中に
成瀬巳喜男東京映画地図というイラスト入りのロケーション紹介ページがあり、
その中に『妻や薔薇のやうに』の円タクをとめる住宅地がわからないので教えてくださいとありました。
(イラスト入りで洋館の建物も描かれています)
6年経ちましたが、教えましたよ(笑)。6年の間にすでに判明していたかもしれませんが。

なお、川島雄三監督の遺作『イチかバチか』(1963)にも実業家(伴淳三郎)の邸宅としてこの洋館は登場していました。


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