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ひゅうひゅうと障子戸の向こうを気が流れる。がたがたと安普請の建物が鳴る。 ここに連れてこられたのは空が紫色になった頃だった。もう辺りはとっぷりと暮れているのだろう。その時間になると、気は段々と荒くなる。秋から冬へ季節が移っていくのだ。それはもう夕にとっては関係のない世界の出来事になるのだ。 下の姉が嫁ぐのは正月明けだった。もう一度会いたかった。それはもう叶わないだろう。自分は、今夜を限りに人ではなくなるのだ。
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普段はそろばんを弾き、反物の質を確かめるという手が、夕の滑らかな肌の上をさすっていく。凍えてしまった身体にぬくもりを与えるように。決して荒々しくしたりはしない。夕が少しでもぴくっと反応したり、くすぐったそうに首をすくめると、動きが止まってしまう。そして、心配そうに緑の目がのぞき込んでくるのだ。 衣を脱がされるのは本当に恥ずかしかった。人前で肌を露わにすることなんて信じられなかったから。水浴びをするときも肌着は身につけていた。まさか、初対面の男の前に裸体を晒すことになるなんて…。 「…綺麗だよ」 知らずに花開いていた娘の身体はふっくらした双の頂を花色に染め、綺麗にくびれた下に程よい肉付きの腰があった。どれも何の作為もなく、自然に創り出されたもの…でも見るものを幻想の世界に引き込むほどの魅惑を醸し出しているのだ。
…西の女。 銀の髪と透き通った肌。滑らかなそれは男を誘い、虜にする。惑わされないぞとじっと見つめれば、碧の瞳に堕とされる。深い谷底まで。 そんな風にして、古より「西の集落の女子」はあがめ奉られ、また奇異のものとされていた。
しかし、このときの夕にはまだ、そんなことを知るよしもない。男の愛撫に恐る恐る身を委ねながら、泣き出しそうな心細さに耐えている。そんな夕を若者はさらに気遣った。 「あ…っ…」 「…若旦那様…っ!」 「そんな風に…呼ばないで」 「私は、『木根(キネ)』と言う名がある。…そう呼んで」 「木根…様?」 夕が掠れかけた声でそう呼ぶと、若者は嬉しそうに目を細めた。そして、ご褒美の様に口づけてくる。数え切れないほど繰り返されたので、夕はそれを素直に受け止められるようになっていた。自分から舌を差し入れる。すぐに若者のそれで絡み取られる。そうしていると、身体の方では滑る手がだんだん下がって、腰のくびれとその下のふくらみを行ったり来たりした。 男は再び夕の胸の頂を貪ることに熱中した。そうしながら、片手で股の辺りをさすっていく。少しずつ、内側に…中心に。 「あっ…、ううっ…!」 ぎこちなく泉の中を指でかき混ぜられた後、少しだけ湿り気を覚えた部分を貫かれる。男の方も場所を探りながらの行為で、あちこちにぶつかっては止まる。夕の方は張り裂けるような痛みに耐えることしか考えられなかった。 「くっ…っ!」 「ごめん、ごめんね…夕…っ!」 「木根様っ…、木根様ぁ…っ!」 男は注意深く自身を抜き差ししながら、時間を掛けて夕を征服していった。とてつもない痛みに何度も気を失いそうになりながら、それでも必死で広い背にしがみついた。ぬるりと汗で指が滑ると、爪を立ててすがりつく。男の背中はそれに耐えてくれた。夕の中でたかまり、のぼりつめることだけに男は神経を集中させているようだった。
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「…うっ…」 「しっかりと噛んで、細かくなったら飲み込んで」 口の中に入れられたのはかさかさした数枚の葉のようだった。言われるがままにそれを行う。すっと口の中にハッカ菓子の匂いが残った。 「音無しの葉、と言うんだって…」 「男と女のことは…子供を成すための行為だと、そう言ったよね」 夕は小さく頷いた。こんなことで子が出来るなんて、不思議だと思った。まあ、当然なのかも知れない。身体に埋め込まれて吐き出されたものは男から女へと受け継がれたもの…。 「今、飲み込んだ葉には、男の種を殺す役割があるんだ。行為を終えたら、すぐに口に含むようにね…遊女にとって子を孕むことは御法度だから…そんなことをしたら、大変なことになる…」 男の言葉に恐ろしいものを感じて、夕が震えたのが分かったのだろう。彼は白くて柔らかな身体を抱き寄せると胸に抱えた。 「くれぐれも…気を付けて。それさえ、出来れば…あとは年季が明けるのを待てば良いのだからね…」 「…年季が、明ける…?」 「そうだよ、夕が懸命にお務めして、自分に課せられた分を払い終えれば、ここから出られる。さもなくば…優しい方に身請けされるか。あ、借金を肩代わりして頂く、と言うことだけど…」
…ここから、出られる。 それが夢のような出来事だと言うことをこのときの夕が知るはずもなかった。生きていく希望がふつふつと湧いてきた。男の手で湯桶の手ぬぐいで身体を隅々まで清めて貰い、支度を終えた腕に抱かれて眠る。あの日に家を出てから、はじめて深く休むことが出来た。
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翌朝、男を送り出しけだるい身体を横たえていると、すうと背後のふすまが開いた。そこには昨晩部屋を出て行ったきりの店主が立っていた。ねぎらいの言葉とは裏腹に、その顔にはたとえようのない恐ろしいものが浮かんでいた。ぞっとして、顔を背ける。夕はさっと起きあがると、座ったまま着物の乱れを直した。 「ほう…伊坂屋の若旦那は結構好き者だねえ…遊女を清めてくれたのかい? さすが丁稚上がりは違うな…」 「…あっ…、あのっ…!?」 「湯屋の使い方を教えてやろうと思ったが、時間が空いたな…こりゃあ、いい。ぐふっ…ふふふ」 「やっ…やあっ…!」 「いっ…、やあっ…! うっ…」 「ぐふっ…普通なら、嫌々言うなと言うところだが…お前のそのよがりようは男をそそるな。あまり開けっぴろげにすぐに足を開くような女より、男は少しじらされた方が感じるんだ。…いいぞ、俺がこれから存分に可愛がってやろうな…」 「うっ…ううっ…!」 「逃げんなよ、お前は俺の買った女だ…客に出すだけじゃ足りねえくらい上玉だ。俺様が自ら可愛がってやるんだからな、お前は選ばれた女なんだよ。ほら、喜べっ! 鳴くんだ、もっとっ!!」
西の集落の女子。その貴重な生娘の身体をまんまと寝取られた店主の怒りは、そのまま夕に向かった。あの若者から信じられないほどの大金を巻き上げておきながら、それでも、悔しさには代えられなかったらしい。 店主はまだ男を知ったばかりの夕の身体の隅々までを慣れた手つきで味わい、何度も何度も突き立てた。夕が痛みに気を失いかけると、頬を打って気をやった。眠ることも許されない、休むことも出来ない。挙げ句の果てに舌と口を使って、大切な部分を執拗に貪られた。幼い夕の身体は店主の手によって、初めてのたかみに押し上げられる。夕が果てると店主は目を細めて「お前は俺の女だ」と吐き捨てた。 何度、それを繰り返されたのだろう。全てを吸い尽くされ、くたくたになったところで夕刻を迎える。それでようやく解放されたと思うと、そのまま湯屋にやられた。そこには遊女上がりだという湯殿番の老女がいて、夕の身体を隅々まで洗い上げた。無表情で愛情の欠片もなく、ただものを洗うように。 その夜は女の肌に飢えた旅の客をふたり取った。客は美しい西の女に歓喜して、大いに盛り上がったが、男に組み敷かれ、意志に関係なく突き立てられた夕にはもう感覚というものが残ってはいなかった。そんなことには構わず、ふたりの客はそれぞれに夕を心ゆくまで味わい尽くした。
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木根の揺れる身体の下で、透き通った肌が熱くうねる。色づいた部分に愛しい人の頭を掴んで押し当てる。それも本能的な行為だった。促されるままに、男は夕の胸に咲いた花をついばむ。じんと、暖かいものがそこから広がって、やがては夕の身体全てを支配した。 「あっ…、ああんっ…! もうっ…、駄目っ…! うっ、ふっ……!」 「ああっ…夕っ…!!」 そのまま抱き合ってしとねに倒れ込む。大きく肩で息をしながら、心音を伝え合う。どくどくと胸を打つ鼓動がひとつになって、このままふたりでどこか知らない土地まで飛んでいけるのではないか。 「木根様…」 夕は自分の胸に浮かんだ幻想をもっともっと鮮やかに描き出したくて、震える瞼を閉じる。しばらく見たことのないすみれ色の空が脳裏に蘇ってきた。 籠の鳥はいつでも、籠の中で夢を見る。自分の背に純白の羽が生える日を…本当に鳥になってしまえる日を。そして、ただひとりの御方とどこまでも飛んでいける日を…。 夕は優しい匂いがもっと嗅ぎたくて、男の汗ばんだ胸にそっと顔を埋めた。
………
初めて男に身体を開き、客を悦ばせた日から10日ほど過ぎた頃。渡りですれ違った先輩の遊女に呼ばれ、部屋に招き入れられた。年上の彼女は湯屋で夕のことを耳にした、と言った。
…何も語らないが、ただ客を取るたびにべそべそと泣きながらやってくる。若い女子が男を怖がり、それを無理矢理に手込めにすることが閨の醍醐味のひとつであるとは言うが、あのままでは娘の心が壊れてしまう。
あの無表情な湯殿番がそんなことを告げるなんて驚いたが、それくらい夕はやつれていたのだろう。姐さんは客から差し入れられた餅菓子を夕の前に差し出しながら、親密な笑みを浮かべた。 「あんた、初めの日、伊坂屋の旦那に抱かれたんだって?」 「え…」 「あいつ、いい男だよね? 垣根の間から何回か見たことがある。あんな堅物が出来心を起こすなんざおもわなんだが…あんたも災難だね、間が悪いよ」 そう言うと、傍らのキセルを取り、長い端を燭台の炎に近づける。今は昼のはずで、日もまだ脳天の辺りにあるのだが、この建物はどこも薄暗く、一日中燭台を使う。 「あのね」 ふう、とふかすと、まあるい煙がゆらゆらと立ち上る。漂いながら消えていくそれを夕はおぼろな瞳で眺めていた。 「初見の客はどうでもいいような、でも金持ちの商人かお役人様にするのが普通だ。払う金もべらぼうに高いからね。最初にあんないい男に抱かれれば、あんたみたいな娘子が情を移しても不思議じゃない」 こと、と灰を落とす。夕の家でも痩せた土地でタバコの葉を栽培していたが、こんな風に使われているのだと初めて知った。 「もう…あの男は来ないよ。だから早く忘れるんだね」 その言葉に、ハッとして向き直る。瞳の真剣さが伝わったのだろう、姐さんは困ったようにまた喉の奥で嗤った。 「あいつは坊っちゃまじゃない、そう言ってなかったかい? それに…ゆくゆくは店のお嬢様と祝言を挙げることになっているんだ。若旦那と言っても番頭上がりの婿養子、女を囲える身分じゃない。だいたい、あいつの給金では何年かかったって、あんたの夜を買えるとは思えないけどね…」 夕は胸の中がちりちりと痛むのを感じていた。そんなのは分かっていた、彼は若旦那様同然の身分の御方、奥方になる方も決まっている。…でも、本当に? もうお会いできないのか?
それでも。あの御方にもう一度お目にかかれるなら、耐えようと思った。その日が来るのを指折り数えて待ったが、幾日過ぎても男は訪れない。
胸を突いて溢れ出るもの。 夕は頼りない両手で顔を覆うと、音もなく泣きじゃくった。姐さんはそんな夕を傍らで眺めながら、つやつや光るその赤い口元はキセルの味を愉しんでいた。
Novel Index>扉>暮れぬ宵・明けぬ夢・4
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