TopNovel花染めの指先・扉>花なんて、いらない・3


「花染めの指先」番外
…3…

 

 

「色」というものの魅力に取り憑かれてしまったのは、いつの頃からだろうか。

 その世界は奥深く、考え始めるとキリがない。たとえば「赤」ひとつを取ってもその色味は数え切れないほどあって、それぞれに趣がある。ましてやふたつ三つの色を組み合わせるに至っては、その可能性は無限と言ってもいいほど広がっていく。

  良い品が多く揃うと評判の染め絵工房には普段から趣味の良い女性たちが顧客としてたくさん集まってきて、館の女主人である叔母はその方々とのやりとりに一日の大半を費やしていた。そこで話題になるのはいつでも「いかにして自分をより美しく魅せるか」ということ。裕福な家の奥方として過ごし金に糸目を付ける必要のない彼女たちは、流行ものにも目がなくてその情報収集に余念がない。
  幼い頃より、そのような場に同席させてもらっていた私は、いつでもそんな彼女たちの華やいだおしゃべりたちを眩しく、そして興味深く聞いていた。
  叔母も上客たちを満足させようと、次から次へと工房で仕上がったばかりの反物を広げていく。新作が取り出されるたびに女性たちは我先にとそれを手にして、鏡の前で肩に広げている。そういう上品なやりとりをすぐ側にいて見守っているうちに、次第に不思議なことに気づいてしまった。

 もとは、同じひとつの反物。なのに、合わせる相手によってそれが生かされたり味気ないものになったりする。別にその方のお顔が瞬時に他のものとすり替わったわけでもないのに、美しく華やいだりひどく貧相に見えたりするのはどうしてなのだろう。
  そして、さらに奇妙なことに、顧客の皆様はその事実にあまりお気づきでないご様子なのだ。それが証拠に、明らかにお似合いにならないものを平気な顔でお選びになったりする。どうせひとつに決めるなら、あちらのお色の方が絶対にお似合いになるのに。もどかしく思いつつも、失礼になるだろうからと長いこと口には出さずその場をやり過ごしていた。
  でもそうしているうちに、次第にうち解けて話が出来るお客様も増えていく。ある日何気なく訊ねられたときに自分の考えをお伝えしたことがきっかけになり、気がつけばそのような席にはなくてはならない存在とまで言われるようになっていた。

「ありがとう、麻未。この間、あなたが選んでくれたお品がお友達の間でとても好評だったの。今度その方々もこちらにお連れするわ。そのときは是非あなたに見立てて欲しいものだわ」
 
  季節が変わるごとに幾枚もの新しい衣をお作りになる庄屋様の奥方にそう声を掛けていただいたときには、天にも昇る心地だった。

 ―― こちらは当たり前のことを申し上げたまでなのに、ここまで感謝されるなんてすごいこと。だったら、これからもお客様のお役に立てるよう、もっともっと頑張らなくては。

 同世代の仲間たちと一緒に野山を駆け回っているよりもよほど楽しい時間、彼等よりも一足早く大人になったような気がして鼻が高かった。もちろん、叔父も叔母もとても喜んでくれる。たくさんの賞賛を与えられるごとに、自分の夢にまた一歩大きく近づいた気がしていた。

「ああ、本当に麻未はいい子ね。あなたのお陰でうちの品をご贔屓にしてくださる方がどんどん増えるわ。それに言葉遣いもしっかりしていてどこに出しても恥ずかしくないんですもの、これからも大いに頼りにしていますからね」

 叔母の言葉は、決して口先ばかりのものではなかったと思いたい。あの頃の私は本当に幸せだった。それなのに、あの日を境に状況は急変。あっという間に築き上げてきたもの全てが崩れ落ちてしまうなんて、本当に人生なんてあっけないばかりだ。

 本当は、あの人たちの世話には金輪際なりたくない。でも、実家からも見捨てられてしまった娘が何の後ろ盾もなく生きていく道が、一体どこに残されているというのだろう。

 

「ま、こんな感じで上出来だろ?」

 その後。

 詳しい話は後日改めて、ってことでひとまずはお開きとなった。

 どうもね、稜を相手に慣れない立ち回りもどきをしたのが原因だったのか、叔父上は持病の腰痛が出てしまったみたいなの。本人は何食わぬ顔をしているつもりだったらしいけど、見ているこっちにはバレバレ。それでも吹き出したりせずに、神妙な顔で引き上げたあたり、私ってすごいと思うわ。

「何言ってるのよ。あそこまで叔父上を怒らせて、一体どうするつもりだったの」

 だから、考えなしに行動する人間は困る。そういう風にする自分のことを格好いいとか思っているんだから、さらに始末に負えないわ。私まですっかり同類に見られてしまって、いい迷惑だ。

「大丈夫だよ、麻未のお陰で大事にならなくて済んだし。改めて感心させられたけど、お前ってやっぱりすごいよな。あの御館様たちが別人みたいに扱いやすくなって、楽しかった。いつもあんな風に物わかり良くいて下さると助かるんだけどな」

 なんか、調子のいいこと言ってるし。もしかして、私のご機嫌をとってるつもり? ……って、そうだ! それで、思い出したわ……! 

「そ、そうよ! あれ、何!? 悪いけど私、あんたと将来の約束なんてした覚え、全くないんだけどっ!」

 まあ、勢いに押されて私も話を合わせちゃったけど。あれって、ヤバイんじゃないの?

「……じゃあ、あのまま話が進んだ方が良かった?」

 思わせぶりに顔をのぞき込まれたから、慌ててそっぽを向いたわ。何よ、コイツ。人の足下を見るなんて、ほんっと性格悪い。

「そ、それは……困るわ」

 実際のところね、私だってとっくに分かってるの。凱はどんなことをしても絶対に戻ってこない。あんな風にのぼせ上がってしまった男はもうおしまいね。付ける薬もないって言うのはこのことよ。だから、あとはもう勝手にすれば? って感じ。
  でも、だからといって、すぐに「次に行きましょう」って言うのもどうよ? しかも婚約者に捨てられた者同士が傷を舐め合いましょうって、趣味悪すぎ。あんまりにも馬鹿馬鹿しくて付き合ってられないわ。相手の男はそれに同意したのかしらね? だったら、後ろからはり倒してやりたいわ。

「だろ? だったら、ここはひとつ、俺の提案に乗ってみない? 絶対に悪いようにはならないよ」

 そう告げた稜の瞳には、今までに感じたことがない程の強い自信が宿っていた。

「前から考えていたんだ、こんな屋敷にいつまで留まっていても何も始まらない。この先も凱の身代わりとして上の奴らのいいなりになっていくなんて、まっぴらだ。だから、一日も早く逃げ出してやろうと思ってね。そのためには、どうしても麻未の協力が必要なんだ」

 そう言えば、コイツは昨日もそんなことを言っていた気がする。何ともまあ、いい加減なことをほざくもんだと感心してしまうわ。もともと、私たちは厄介者なのよ。親の実家とはいえ、他人の家に半ば強引に居候してきた身で、大きな口が叩けるわけないじゃない。それって、身の程知らずもいいとこ。ほんっと、馬鹿じゃないの……?

 頭の中ではごちゃごちゃ文句を言ったものの、それを口に出すこと自体が面倒くさい。だから、ちらっと眼差しだけで非難したら、どういうわけか稜の方はとても嬉しそうに反応する。

「でも、このまま体のいい厄介払いじゃ面白くない。どうせなら、今まで俺のことを馬鹿にしてきた奴らの鼻をあかしてやりたいんだ。このやり方、麻未も絶対に気に入ると思うよ? それは俺が保証する」

 全くもって、どこまでも訳の分からない男ね。だいたい、私は軽々しい性格って言うのが好きじゃないの。男子たるもの、無駄な口は叩かずにやるべきことをしっかりとこなしてこそ一人前だと思うのね。ようするに凱のような人が最高。―― そうなると、コイツは一生半人前で終わるってことかしら?

「ふうん、そう。じゃあ、あんたの話とやらを詳しく教えてもらいましょうか」

 ……まあいいわ、退屈しのぎになるんなら。こんなところでいつまで腐ってても、始まらないしね。この男と付き合ってたら、真面目に物事を考えるのがだんだん馬鹿らしくなってきたわ。

「うん、―― 実はね。岡谷の宿所まで出て、ここの工房で仕上がった反物を売る店を構えようと思うんだ。もう詳しい構想まで全てが決まっているから、叔父上を説得するには十分だ。だから、麻未も一緒に来ない? 岡谷はとても賑やかな場所だし、きっと楽しいよ」

 

 人間、努力だけではどうすることも出来ないものがあるということは、先の一年に嫌と言うほど思い知らされてきた。

 元はといえば、全て凱のとんでもない思いつきから始まったこと。
  幼い頃から自発的に染め絵の工房に出入りをして職人たちからその技術を学んでいた彼は、そのころすでに一通りのことを身につけており、館主であり工房の責任者であった叔父も「そろそろ独り立ちをさせても良いのではないか」との考えを折に触れほのめかしていた。
  それなのに、一体何が気に入らないのやら。凱はどこから聞きつけてきたのか、職業訓練校に通いたいと言い出した。しかもそれは人の足で二日も三日もかかるほどの遠い場所。もっと近い場所にも似たような場所はあるのだが、凱はどうしても自分が選んだそこでなくては駄目だという。
  正直、私だって周囲の皆と一緒になって彼のことを引き留めたかった。だけど「もっと高い技術を学んでみたい」という凱の願いを叶えてあげたくなったのね。それが、将来の妻としての役目だとも思ったから。
  だから、叔父夫婦を必死に説き伏せたのも私。とにかくなかなか折れてくださらなかったから、最後には私も一緒に入校して彼を見守ることになった。 

 でも、実際に訓練校での毎日が始まってみると、戸惑いの連続。何しろ、私はそれまで一度も絵筆を握ったことがないし、そうしようと思ったことすらなかった。そりゃ、美しいもの綺麗なものは大好きだけど、それはあくまでも鑑賞する側として。自分で生み出すことなんて、考えたこともなかった。
  だから私にとって次々と出される課題を仕上げることは厄介ごとのほかのなにものでもない。とりあえずは体裁だけ繕ってみるものの、戻されてくる作品への評価は散々たるもの。次第に投げやりな気持ちになりつつも周囲を見れば、ほとんどの者たちが自分と似たようなありさまで安心した。

 技の世界というものは時として残酷だ。皆に等しく時間を与えながら、その仕上がりには素人目に見てもはっきりと違いが出てしまう。ましてやその道の熟練である老師たちには作品をちらと見ただけでその作り手の持つ資質、その後どこまで伸びていくことが出来るのかさえも判断が出来てしまうのだろう。
  もちろん凱は、あまたの候補生の中でも抜きんでている存在だった。老師たちからも目を掛けられ、課題にもたくさんの修正を加えられる。面白いことに、誰が見ても隙がないと思われる作品の方が多くの問題点を指摘されるのだ。私を初め箸にも棒にもかからないような輩のそれには、簡単な講評がついているのみ。

 まあ、それでも誇らしかったわよ。凱は私のものだもの、彼が褒められれば私だって嬉しいわ。でも……結局のところ、それが何だったんだろう。

 

 思い返してみれば、何とも無駄なばかりの日々を過ごしたものだ。しかも、その努力も虚しく、結果として凱までも失ってしまったではないか。私にだって、生かせる才はある。でもあの場所では、とうとうそれを発揮する機会もなく終えてしまった。
  一体何を恨めばいいのだろう。凱を夢中にさせるだけの何も持ち合わせていなかった自分が愚かだったと言うことなの。でも、それって私の責任? 絶対にそうじゃないと思う。

 今だって、綺麗さっぱり過去と決別できた訳じゃない。二度と戻ってくることもないと分かっている男を恨みつつ、自分の思い通りにことを進めてくれなかった周囲の者たちに苛立ちつつ、行き場のない心を抱えたままで腐りきっていた。

 ―― でも、いつまでもこんな場所に留まっていても始まらない。

 あとひと月もすれば、あの女と凱の祝言が盛大に執り行われることとなる。そんな席にどんな顔をして参列できる? もちろん従姉妹として招かれて当然の立場にいるけれど、どうにか理由を付けて断りたいと思っていたところだ。そして、それは稜にとっても同じこと。あの者にだって、長年降り積もった様々な想いがあるはずだ。

 だから、私たちはそうなる前にこの場所を脱出する。でもそれは、ただ逃げ出すだけじゃない。自分たちが自分たちらしく生きるための、新たなる戦場を求めて旅立つのだ。

 

<< 戻る       次へ >>

 TopNovel花染めの指先・扉>花なんて、いらない・3