結局、昔の我が家に上がった彼女は冷蔵庫にあるあり合わせのもので簡単な夕食を作ってくれた。そんなことをさせるつもりはなかったので思いきり恐縮してしまう。すまなそうな顔になる渉に、成美が微笑んだ。 「一人分でも2人分でも同じですもの。それに一人で食べるご飯はおいしくないでしょう?」 それもそうかと思った。でも同時に彼女はいつも一人で食事を摂っているんだと言うことにも気付いてしまう。自分が妻と結婚したために成美はこの家を追われたことになる。両親と姉と共に暮らしていた思い出の家を。そう思うと何とも申し訳ない、後ろめたい気持ちになった。でも目の前の成美は楽しそうに笑っている。
「お風呂にはお湯を張っておきましたから…火の元には気を付けてくださいね」 「あの、成美ちゃん…」 「この前の…晶子のいい方、すまなかったね。余り気を落とさずにね…」 その言葉を背中で聞いていた成美がくるりと振り返る。そして、困ったような潤んだ瞳を向けて微笑んだ。 「…終わったことですから。もう、大丈夫なんです…本当に」 「お義兄さんにまで…御心配頂いて…申し訳ありません」 「…!? 成美ちゃんっ…!!」 理由はなかった。聞かれても答えられない。でも、彼女を帰せないと思った。…どうしても自分の腕に抱きしめたいと思った。
「…お…お義兄さんっ…!?」 「いやあっ! 離してっ…!!」 「…好きなんだ、成美ちゃん」
恋人だった晶子に妹だと紹介された瞬間から、心を囚われていた。気付かない振りをしていた。気付いてはいけない気がしたから。同じ職場にいた晶子とは向こうから言い寄られる形で付き合い始めた。好きか嫌いかなんて考える暇もなく関係が進んでいく。勝ち気な性格の彼女はどこまでも積極的だった。
「いやっ! …お願い、離して!! お義兄さん―…」 「……?」 「…本当に…?」 「…え…?」 「私のこと、本当に好きですか? …だったら…いいです…」 「…抱いて、下さい…」 「私も…お義兄さんが、好き…」 もう迷えない、迷えなかった。思い切りかき抱いて、胸を合わせる。柔らかな香りが鼻をくすぐった。
「ごめんなさい…」 「君が謝ることなんてないだろう…?」 「君は悪くないんだ…悪いのは俺なんだから…」 「…いいえ…いいえ…」 「もう泣かないで…泣かないと約束しないと…君を離さないよ…」
……… 片手でひねり殺せるほどの儚い身体が、それでも苦しそうに喘ぎながら、必死で求めてくる。それを全身で受け止めながら、どんどん深みに入り込んでいく自分を止められなかった。 「…何か…欲しいものはない?」 「そんな…こうして渉さんと一緒にいられるだけで、幸せ…」 「そう…絶対に叶わないものなら、欲しいものがあります」 「渉さんと一緒に街を歩きたいな…腕を組んでね。そして、ホテルのケーキバイキングに行って、おなかいっぱい食べるの…素敵でしょう? 遊園地に行って、大きな観覧車にも乗りたいな…それから、ジェットコースターにも乗るの。怖かったら、渉さんにしがみついちゃうわ…」 何も、答えられなかった。心の底に衝撃が走った。こんなに近くにいながら、彼女と自分との間を隔てる大きな溝に今更ながら気付かされる。会うのはこの部屋か、妻と子供のいる家でのみ。会って抱き合っても始終時間を気にしながら。それでもこうして会えることが幸せだと思っていた。でも、成美は普通の夢を見る娘なのだ、人並みの恋愛をして幸せな結婚をしたいと思っているに違いない。それを叶えることの出来ない自分なのに、彼女を手放すことも出来ない。 「…でも、君はケーキは2個食べるのがやっとでしょう? 走りものも乗っちゃ駄目じゃないか…」 そんな渉の必死な心に気付いているのかいないのか…ふふふ、と喉の奥で笑った成美は彼の首に腕を回した。 「だから…夢なんです、ただの。こうして会いに来てくれるだけで、本当に嬉しい。一緒にいられる時間があるんだから今のままで十分幸せなの…」
………
「ハッピーバースディー、成美。ご所望のケーキと…こっちはプレゼント。受け取って」 「これは、おまけ」
「あと、渉さんが好きなビーフシチューも作ったの…たくさんあるから、食べてくださいね…」 「…おいおい」 「今日は…この料理を平らげさせるためだけに呼んだのかい? まさか…君を味わう暇がないんじゃないだろうね?」 実際、成美の手料理はおいしかった。それはいつも家に来て料理してくれているので知っていた。妻の作るものとは全く違っている。まあ、妻も料理については妹と張り合う気もないらしく、成美が来てくれると助かるわ、と笑っていた。でも、今夜の食卓は今までに見た中で一番豪華だった。洒落たレストランでゆったりと食事をすることも叶わない、そんな切ない想いを抱いた彼女の必死の夢の実現だったのかも知れない。 こうして顔を合わせてしまえばすぐにでも抱きたくなる。でもはやる気持ちを抑えながら、彼女の心づくしをゆっくりと味わった。成美はそんな渉をほとんど手も動かさないままで、ずっと見つめていた。柔らかい微笑みをたたえて。その表情がこの世のものとは思えず、淡く美しいのがちょっと気にかかる。何もかもが彼女の中に包み込まれて行くようだ。
「これ、半分返して貰わないといけないんだ、…」 純白の布張りの小さなケースを開けたときの、成美の顔はもう泣き出しそうだった。口元を両手で覆う。その左手をそっと取るとケースから出したリングを薬指に通した。すっとはめられたシンプルなリングが細い指を更に美しく見せた。 「渉さん…」 「俺の方は…いつもしているわけにはいかないけど…今日は、君の手で付けてくれる?」 成美はケースに残されていたペアリングの片割れを恐る恐る手にする。そして息を飲んで一瞬手を止めてから、涙に濡れた瞳をこちらに向けた。それを微笑んで迎える。もう一度、視線を戻した彼女はそっと渉の差し出した手を取るとするするとサイズの合ったリングを所定の場所に収めた。 「これは、ずっと持ってる。成美と俺は、繋がっているんだよ…」 泣き崩れそうな身体をしっかりと抱きとめる。しばらく渉の胸で嗚咽を上げていた彼女は、やがて消えそうな声で言った。 「…今日は…帰らないで…ずっと、側にいて」 渉の背筋をぞくぞくしたものが這い上がっていく。思わず成美の背中に回した腕に力がこもる。それが沸き立つ喜びであるとやがて気付いた。
「大丈夫だから…力を抜いて…」 そこからが本当の二人きりの時間だった。彼女の身体を気にしながら、ゆっくりと動き出す。しかし途中からはそんな気遣いも出来なくなってしまう。苦しそうな喘ぎを耳にしながら、更に激しく責め立てて行く。自分しか感じられない女に変えてしまいたい。自分だけを見ていて欲しい。妻帯者でありながら、今組み敷いている人の実の姉を妻に持ちながら…それでも、それなのに彼女を独占したいのだ。何とも自分勝手な許されない思考だった。 「成美…成美…っ…!」 「…う…ううんっ…!」
のぼりつめると息を整え、また抱き合った。夜明けまでの時間も短く感じられるほどの激しい夜だった。空が白む頃、ようやくうとうとと眠りにつく。一眠りして、目覚めると自分を見上げる瞳と視線が合った。 「…起きていたのか?」 「…だって、寝てしまうのはもったいないわ。せっかくずっと一緒にいられるのに…」 たまらずにその口元に自分の唇を重ねた。そのまま、もう一度愛し合った。疲れ切っているはずの細い身体がそれでも必死でしがみついて求めてくる。それに応えたくて、更に動きを激しくしていく。自分の中にある全ての欲求は彼女に向いていて、そして、自分の全ては彼女に与えていた。 「好き…大好き…。離さないで、お願い…もっと、愛して…」 「…これ以上、したら…君の身体が壊れてしまうよ…いいの…?」 「いいわ…だったら、壊して。バラバラにしちゃって…!」
………
「じゃあ、また」 「行ってらっしゃい、お義兄さん…」 |