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…アル朝ノ風景…

注:出来れば「てのひらの春」も読み終えてからの方がいいかも? 肩の力を抜いてどうぞ。

 

 真夏は朝からもう暑い。南峰生まれの満鹿も1年以上をこの都で過ごしたためか、すっかりこちらの気候に身体が慣れてしまっていた。それに、何というかまとわりつくような熱気。肌をじっとりとさせる。

「…う…んっ…」
 もっと寝ていたい。面倒だから今日のお務めは休んでしまおうか? そんな気持ちが一瞬、頭をよぎり、いやいやと考え直す。ぱたん、と寝返りを打って腕を伸ばした先の空間が空っぽなのに気付いて、慌てて瞼を開ける。丁度人間ひとり分の空間がぽっかりと空いていた。

「あれ? …瑠璃さん…?」
 上体を起こして部屋を見渡す。

 ふたり寝用の寝台を置いて、衣類をしまう棚や物入れがあるだけのそれほど広くもない寝所だ。居室はどこも似たような造りになっている。多少の部屋数の変化はあっても、木造の造りも木戸があるだけの大きな窓も似ている。満鹿たちの居室にはこの部屋の他に居間兼客間がある。それから水回り。
 御館務めは基本的に賄い付きだが、所帯持ちはそれを貰う者もいれば、自分たちで作る者もいた。共に忙しく不規則な毎日なので、一緒に食事が取れる日はなるべく瑠璃の作ってくれた料理を食べるようにしていた。やはり妻の手料理とは新婚の醍醐味…自分のために腕に寄りをかけて作ってくれるだけで嬉しいのに、どうしたことか瑠璃は料理の腕も超一流だった。

 それにしても。

 まあ、新婚の醍醐味は数あれど、朝と言ったらやはり寝台の上で「おはよう」、ちゅv…とか朝の挨拶をするものじゃないのか? あ、いや…別に普通はどうだとかそんなことを言っても仕方ない。それを言い出したらキリがないことをこのしばらくの生活で悟った。
 異文化が交じり合うことにより生じる様々な問題は想像を超える。ただ会っているときは気付かなかった。一緒に暮らしてみて初めて気付く様々なことに、戸惑うばかりの毎日だ。

 まず、瑠璃はとても早起きなのだ。

 前の晩にあんなことやこんなことや、妊婦相手とはあるまじき行為を思う存分やりまくったとしても、翌朝はすっきりと目覚めてしまう。こうなってくると一度くらいけだるくしとねにうずくまる姿を見てみたいと思ってしまうが、「青の一族」に流れる血は満鹿如きの力ではどうにも出来ない。

 それから――

 そう頭を回し始めたところで辺りにやわらかな気の流れが起こり、それに続いてたすき掛け姿の瑠璃が現れた。美しい漆黒の髪は邪魔にならないように首の後ろでまとめてある。朝仕事の格好だ。

「満鹿様!? お目覚めになられたなら、すぐにお召し替えになって下さいませ。その肌着は汗になってますのですぐに洗います。脱いでくださいっ!」

 はきはきとそう言いながら、さっさと満鹿の肌着をはぎ取っていく。下の肌着の腰ひもに手をかけられたときにはさすがに仰天した。

「ままま…待ってよっ! 瑠璃さんっ…!! あの、自分で着替えるから、ちょっと待っていて」
 どうしてこんなにうろたえなくちゃならないんだ。そう思いつつも頬が熱くなる。

「そうですか? じゃあ、すぐにお持ち下さいね」
 そう言う瑠璃はもう満鹿の掛けていた重ねも抱えている。寝台の上に申し訳程度の腰巻きを付けた姿で座っている自分、情けないったらない。

「あの――、瑠璃さん?」

「…はい?」

 新しい肌着を手にしたところで、おずおずと声を掛ける。戸口に向かって歩いていた瑠璃が足を止めて振り返る。一応口元は緩やかだ。それを確認してから次の言葉をかける。

「ちょっと…もう一度、ここまで来てくれる?」

 瑠璃が小さな声でくすりと笑う。こちらの言いたいことが分かったのだろう。首をすくめて一息ついてから、もう一度寝台のところまでやってきた。

「おはようございます、満鹿様」

 すっと寄り添った身体から洗濯粉の香りがする。瑠璃は洗濯魔でもあったのだ。一度身に付けたものは脱ぐなり洗ってしまう。そんなに洗ったら布地が傷みそうなものなのだが、それがどうしたことか彼女の洗い上げた衣はふんわりとしてとても心地よい。独身寮の洗い場に出していた頃とは全然違う。洗濯の干し方だってぴちっとしている。

「おはよう、瑠璃さん」
 寝台に腰掛けて振り向くような姿勢になった人を後ろからそっと抱きしめる。ゆっくりと唇を重ねた。今すぐにでも抱きしめたくなってしまう。

「はい、では食事のご用意も出来てますから。すぐにおいでになって下さいね?」
 満鹿の指に力が入ったのを察したのだろうか? 余韻を楽しんでいた瑠璃が急に真顔に戻って立ち上がった。

「瑠璃さ〜んっ…」
 名残惜しくて髪の先を引っ張ってしまう。瑠璃がくすぐったそうに首を回した。

「もう、お務めに遅れますわよ。満鹿様がきちんとして下さらないと、妻であるわたくしが笑われるのですから。しっかりして下さいませ」

 そう言いつつもその言葉の響きは甘やかでときめいてしまう。去っていく背を見ながら、次のふたりの合わせた休日はいつかなとか、ふと考えた。

 

 食卓の上にはちまちまと小さな小皿がたくさん並んでいる。瑠璃はどかんと大皿で出したりしない。そして一度の食事に6品も7品も作る。上品な量で。満鹿の田舎では朝の食事は五目粥と果物だった。しかも大鍋のまま食卓にどんと置かれて、それをおたまで皆が勝手にすくって器に盛る。
 あれを見たらどう思うだろう? 次の休暇にはかの地まで報告に行こうと考えているが、その時の彼女の戸惑いが今から心配だ。

「足りなかったら仰って下さいね。朝食はきちんと摂らないと、お昼まで保ちませんよ?」

 そう言われなくても、瑠璃の手料理だったらいつも食べ過ぎてしまう。何だか遠征から帰ってから太った気がする。この年で中年太りはないだろう、ちょっと午後の剣の稽古では頑張ろうと思ってしまう。蒸し暑い気候でも食べやすいように皿の総菜はひんやりしているものが多い。食が進むのも当然だ。
 食卓にも窓際にも小さな花器が置かれ、ゆらゆらと野の花が揺れている。塵ひとつ落ちてない部屋。もうとっくに朝の掃除も終わっているのだ。

「あの、瑠璃さん。この重ね、新しいの作ってくれたの?」
 満鹿は箸を止めずに聞いた。

 今朝、用意されていた衣は見たことのない新しいものだった。うす水に若草色の刺し文様を控えめに散らした涼しげな重ねで、生地のせいか羽織っても涼しげだ。夏のお務めはぴしっと着込むのがことのほか辛い。そう言えば少し前にそんなことを言った気がした。

「かや織りなので、肌に付く部分が少ないのですよ? これからの季節にはその様な衣も必要かと。それほど手も込んでおりませんが、当座はそれでしのいでくださいませ」
 瑠璃は特別なことをしたと言うような様子も見せず、淡々と箸を進めている。

「ううん、そんなことないよっ! 嬉しいなあ〜、瑠璃さんは本当に何をやっても上手なんだもの。ああ、こんなの着てたら、みんなに羨ましがられるぞ〜」

「…満鹿様」
 瑠璃がたしなめるように眉をひそめた。

「あまり、目立つようにはなさらないでくださいませ。…御館には青の者もたくさんおりますから…」
 そう言うと、困った笑顔になる。

 

 ふたりのことは、瑠璃の実家がある一族に一応認めて貰った。でも自分が歓迎されない人間であることは雰囲気で察することが出来た。苦虫を噛みつぶしたような瑠璃の父親。白い顔をした母親。戸惑いの表情を隠せない兄弟たち。

 規律正しい「北の集落」そこに属する青の一族。瑠璃の実家はその一族の分家筋に当たる家柄だった。瑠璃が同じ分家の頭領に嫁ぐのは、生まれ落ちたときから決められていたことなのだ。多産で知られていた瑠璃の家は頭領の跡取りを生むお役目を申しつかった。驚いたことにその頭領にはその時もはや妻がいた。しかし瑠璃が年頃になる頃にはもはや子を産めぬ身体になる。そうなったら、瑠璃が後添えに入るのだ。
 聞いただけで頭に血が昇ってしまうほどの許されぬ話であるが、それを当たり前のことにしてしまうのが血族の恐ろしさなのかも知れない。瑠璃はいつでもがんじがらめの規律の中に生きていた。

 それを覆すことが出来たのは、畏れ多くも竜王様の一の侍従である多岐様の書状があったから。北の集落の長の意見であれば従うしかないだろう。
 満鹿たちもまさかそこまでしていただけるとは思っても見なかったが、瑠璃の実家に出向く朝、次期竜王の亜樹様を介して、それはふたりに渡された。その裏に、他でもない遠征団の団長であった余市の計らいがあったらしいと後から知った。彼が多岐様に直に申し上げてくれたらしい。

 そんな過程があるふたりだ。この先だってどうなるか分からない。瑠璃はそう言いたいのだろう。

 

「大丈夫だよ、瑠璃さん。俺、この頃は落ち着いてきたって皆に言われるんだよ? …父親の貫禄だって」

「まあ…」
 明るい夫の言葉に瑠璃が呆れたように微笑む。


 食卓を囲むふたりの耳に、竜王様のお目覚めを告げる拍子木の音が聞こえてくる。そろそろ出仕の時間だ。満鹿は外回りの侍従として、瑠璃は南所の侍女として、結婚前と変わらぬお務めに出る。瑠璃が空になった皿を流しに運んで、あっと言う間に洗い上げた。

 

 眩しいほどの手つきで綺麗に亜麻色の髪が結い上げられる。襟元の崩れもなおして貰って、袴帯の位置も改めて貰い…まるで子供のようだ。

「…さ、参りましょうか?」
 夫の身支度に満足したのだろう、瑠璃はにっこりと微笑んだ。

 

 ささやかな庭先には洗濯物が揺れている。さっき脱いだばかりの肌着ももちろん掛かっている。瑠璃はもしかすると全てに置いて普通の人の2倍は身体を動かしているのではないか? 彼女がだらしなく休んでいるところを見たことがない。眩しい光に照らされた空間にも雑草ひとつ生えてない。

「おはよう、満鹿っ!」
 隣りの居室の戸が開いて、中から声がした。続いてバタバタと走り回る音。

「やだ〜ちょっと待ってよ〜。あれ? 懐紙が見つからない〜どうしよう〜」

「…おはよう、余市…と、柚羽さん?」

 戸口から見える部屋の中が何だかガチャガチャしている。脱いだ衣とかがそのまま椅子の背に掛けられていたりして。その上、今日は洗濯もしていないらしい。物干し竿は棒のままだ。

「あ、満鹿様っ、瑠璃様っ…おはようございますっ!!」
 ゴム鞠が弾むように戸口から転げ出てくる娘。色目は多少異なるがふたりとも同じ赤毛。余市の同郷の者だとは聞いていたが、こうしてふたりが所帯を持ってしまったことが未だに信じられない。身丈の差だってどれくらいあるのやら。

 それなのに余市ときたら、まあ、とろけそうな笑顔でその姿を見つめてる。

「柚、もう髪が乱れてる…ほら、ちゃんと着物は前を合わせて…」
 ああ、もう幸せそうに。知ってるぞ、この間も自分の休みと柚羽の休みを合わせてくれと、南所の侍女長、多奈様に申し上げたそうじゃないか。そんなコトするから「めろめろ余市」とか陰口を叩かれるんだ。

「なあ、見てくれよっ! 余市〜、瑠璃さんが新しい衣を仕立ててくれたんだ。すごいだろ〜」

 一応はたしなめられたけど、余市にくらいいいだろう。だって、自慢せずにはおれないようなすばらしさなのだ。衣も素晴らしいが、それを仕立ててくれた瑠璃も素晴らしい。余市なんて、去年と同じ夏衣だ。

「へえ、綺麗な色。それに、涼しげだね…」
 余市も美しいものが結構好きだ。いい物にはきちんとした評価をしてくれる。

「ふふん、いいだろっ!」
 衣で張り合っても仕方ないのだが、ついつい胸を張ってしまった。

 すると、後ろからぐいっと衣を引かれる。振り向くと、憮然とした表情で瑠璃が睨んでいた。美人が睨むと滅茶苦茶怖い。いいじゃないか〜余市の前くらい、はしゃがせてくれよぉ〜。

 満鹿の心の叫びを聞いたのか聞かないのか、とにかく瑠璃は衣を掴んだ手をほどくと、すすっと柚羽の元に歩み寄った。

「柚羽様、おはようございます。今朝も素敵な髪ですね…やはり、器用なだんな様を持たれるとこんなに美しくして頂けて。全く羨ましい限りですわ…ねえ…」
 そう言いつつ、ちらっとこちらを振り返り、挑発的な笑みを見せる。

 な、何なんだっ!? どういうことなんだ? まあ、衣の自慢をして、妻の自慢をすると言うことは、イコール柚羽を卑下することになってしまうかも知れない。だってさ〜本当のことじゃないか!? 何だって瑠璃は柚羽のことになるとムキになるんだろう…!?

「そーなんだ、何しろ柚の髪は本当に美しくて、どんな風にしようかと毎朝悩んじゃってさ〜。今日の、どう? ちょっとこの辺の巻きを工夫してみたんだけど…」
 余市は自分のことが誉められたと嬉しくなったらしい、いつになく饒舌に解説を始める。

「まあ、素敵。ここの紐の合わせ方もいいですわ…柚羽様、本当にお美しいですわよ。後ろじゃご本人は良く見えませんものね…」

「ああん、大丈夫? 派手じゃない? 平気かなあ…」
 柚羽は恥ずかしそうにかぶりを振る。

 この娘も人より目立つことを良しとしない。大体、今、御館の侍従の中で一番人気の夫を持ってしまったのだ。侍女仲間からの攻撃もすごいらしい。それも余市が務めのときにあくびをひとつしただけで「淫乱なヘビ女」とか言われるそうなんだからどうにもならない。

 そんな会話を和やかに交わしながら、3人はずんずんと進んでいく。物干し台の前に満鹿はひとり取り残されていた。

「おい〜? 置いていかないでくれよ〜!?」

 慌てて追いかける。やっと瑠璃の隣りに陣取ると、誰にも見えない仕草で彼女が満鹿の手の甲をきゅっとつねった。

「…って!!」

「どうしたんだ、満鹿? 石にでも躓いたか?」
 余市が不思議そうに振り向く。

「…何でもない…」
 ふてくされて手の甲をさすると、瑠璃がにっこりと見上げてきた。

「今日も1日、頑張ってくださいませ。…お父様」

 前を行くふたりに聞こえないように背伸びして耳元に囁いてくる。思わずぽーっとしてしまうと、彼女はさっと身を離した。

 

 御館への道は夏草が両脇に生え揃い、さやさやと揺れている。この道がずっと続いている気がする、どこまでもどこまでも穏やかに続いている気がする。

 眩しすぎる光も自分へのエールの気がして、満鹿はすっと背筋を伸ばした。

了(20021114)

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追記>>「てのひら」と「氷華」合同の「らぶえっちキャラへの質問」があります♪
多少、本編のシリアスタッチが崩れてもいいやと思う方は、どうぞお楽しみくださいね!

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