熱い吐息。それがふっと首筋に落ちる。普段はあまり人目にさらさない場所。そこをかき分けて、唇が辿る。何だか、先ほどまでよりももっともっと震えている気がする。唇、指先。 「…柚、綺麗だよ。本当に…綺麗だ…」 そうやって囁かれる言葉もまるで喘いでいるみたいで。苦しそうな呼吸にただならぬものを感じる。身体がふっと宙に浮いた気がして。そんなはずないのに、とても心細くて。こんなに近くで、肌を触れ合っている余市がすごく遠く感じる。これから大変なことが起こるのだろうか…? 余市の緊張がぴりぴりと肌に伝わってくる。 唇を胸元に這わせながら、余市の片方の手がするすると柚羽の身体の側面を辿る。太股の辺りまで来るとそこを何度も何度も往復して、そのしっとりした熱が柚羽のやわらかい肌に移っていくようだった。 「柚…」 「ひっ…ひゃっ…っ!! …やんっ!」 「…う…っ…!」 「そんなに怯えないで、柚。俺に全て預けて…楽にして」 辺りにはただ、余市の吐息と柚羽の堪えた声…甘いと言うより、細い悲鳴に近くて。楽にして、と言われてもそんなこと無理。余市の指だって分かっていても、耐えているのがやっと。知らず余市の腕を握る手に力がこもる。それが下の方まで伝わっていって、余市の指を押し戻す。快感と言うにはあまりに遠い異物感。 「余市…っ!」 「柚っ…そんなに締め付けないで。もうたまらなくなるよ? 耐えきれない感じで…柚、頼むよっ…大人しくして…」 狭い壁を押し広げるように、指が一度引き抜かれて、今度は2本になって。それに柚羽の身体の奥から溢れるものが絡みついていく。甘く誘うもの。 愛らしい外見からは想像も付かないほどに、柚羽はとっくに匂やかな女子(おなご)の香りを身に付けていて。それを秘めるように包んでいた衣を解いてしまえば、もう誘うばかりの存在になる。それが柚羽自身には分かっていないが、その身体を確かめている余市にとってはずるずると引き込まれてしまう沼のように思えた。 「やあっ…! 余市…、余市…、私…っ!」 「柚…っ!」 「怖いっ! 怖いの…っ! どうしたらいいのっ…余市…っ!」 「…好きだよ…柚っ…」 「柚が好きだから、全部欲しいんだ…。柚を隅々まで、俺のものにして、俺でいっぱいにしたいんだ…ね、我慢して。本当に、柚が好きなんだ、欲しいんだよ…っ!」 甘くて、切ない。形容の仕様のない吐息混じりの言葉。震えながら、柚羽を包み込む腕。柚羽よりもずっと緊張して固くなっている肩、背中。みんなみんな好き、大好き。誰よりも好き。 もっと近くに行けるのだろうか? これ以上無理なくらい、深く触れ合えるのだろうか…? 本音としてはもう限界で、これ以上は絶対に無理、と思っていた。でも、この想いを伝えるためにはもうひとつ飛び越えなければならないのだろうか? 「…いい、来て…」
震えながら、合わさる、ふたりの視線。静かに口づけられる。確かめるように、もう一度想いをお互いに流し込むように。ふたりの今までと、これからと。みんなみんな…思い浮かべて。 もう一度、柚羽を見つめた余市が…今までで一番温かく笑った。そして、静かに腰を進める…入り口に何かが当たったとき、柚羽の身体がびくんと大きく震え上がった。 「柚…」 「は…っ、はうっ…ん…っ!」 自分の中をこじ開けて、無理矢理入り込んでくるものは先ほどまでの感触とは全然違って。壁を限界まで押し広げて、さらに進もうとする。もう、これ以上動いたら、壊れちゃう。体の中が爆発しちゃう…っ! お互いに肩で息をしながら。その感覚にお互いに支配されながら…少しずつ、少しずつ埋め込まれていく。足の付け根がつれるようにじりじりして、その奥の場所がぎりぎりと音を立てて広がっていく。閉じた瞼の奥で真っ白な輝きがはじけていく。ばちばちと…脳に響いて。 「…う…、柚っ…、柚っ…!!」 「あっ…! やっ…、やあっ…!!」
「ああ…、柚…」 「あったかくて、気持ちいいよ。柚が包み込んでくれているんだね…ほんと、最高だ」 「余市…嬉しいの?」 「嬉しいよ? …これで柚は本当に俺のものだ。もう、誰にもやらない、俺だけのものなんだから…柚は? そうじゃないの?」 「よく分からない…、だって、じんじんして、ひりひりして、とても重いの。このまま張りつめて裂けちゃいそう…どうしよう…」 「裂けるわけ、ないから平気。みんなそうなんだから…、だんだんやわらかくなって、そうしたら気持ちよくなると思うよ? でも、今日は無理だろうね…我慢できなかったら、言って。…やめるから…」 「う…、うんっ…」 そうすると余市がそれを待っていたように動き始める。そこの部分がこすれて、さらに痛みが増す。どこかが切れているのだろうか…女子が、初めての人を受け入れるときに破れる場所があると聞いたことがある。人によっては月のものみたいにたくさん出血するって。柚羽の中を隙間なく埋め尽くすものが行ったり来たりする。背筋がぞくぞくして…だんだん何が何だか分からなくなってくる。 「柚っ…! 柚っ…!!」 自分の受け入れているものが余市の全てで。余市が彼の全部で愛してくれている。私のことだけ、考えて、夢中になってくれているんだ。 そう思ったら、痛みが少し遠のいた気がした。ふっと、気が遠くなって、引き戻されて。嵐のような激しさの中にあって、確かに自分が内側から変わり始めている、そんな気がしていた。
やがて。波が引いたように、静寂が訪れる。余市の動きが止まって、ただ激しい息づかいが、天寿花の天井に響き渡る。さらっと頬を夜の気がかすめて、ちょっと身震いした。自分の上に覆い被さる余市の身体が重くて、熱くて…そして、その上を行くほど愛おしかった。 「…あの、余市…終わったの?」 柚羽の声に、上になった人が身を起こす。これだけの体格の差がある。ぐったりとのしかかったら、それこそ内臓を圧迫してしまうと言うことに気付いたらしい。けだるそうに両肘を柚羽の身体の両端に付いて、ゆっくりと胸を上げた。 「…終わったのって…? 分からなかった?」 「柚は良くなかった…? というか…あれじゃ、必死で我慢しているって感じだったね…確かに」 「う…っ…」 「ゆーず…っ」 「ごめん、大変だったよね…俺、本当に夢中で…柚のこと、全然考えられなかったと思う…」 「ううん…、だって、余市は気持ちよさそうだったから、いいよ。何だか、嬉しかった、余市が夢中になってくれて…」 「…離したくないな…このまま、一緒に連れていきたい…」 「余市…っ…」 「柚…必ず無事に戻ってくる。そうしたら、すぐに許しを貰って、居室(いむろ)を借りよう。ずっと、一緒にいられるよ…もう、離さないから。一生、俺の出来る限りの力で幸せにする、だから、待っていて…」 「うん…私、本当に余市の妻になるんだよね…本当だよね…」 「今更、取り消したって駄目だから…」 「誰にも負けないくらい、幸せになろう。たくさん子供を作って、にぎやかで温かい家を造るんだ。柚とそんな風に生きていくのが、俺のひとつだけの夢だったから。もう、他には何もいらない…」 「…うん…」
東の空が白むまでしばしまどろんで。お互いの体温を確かめ合っていた。やがて静かに揺り起こされる。重い瞼をゆっくりと開くと、切ない瞳がこちらを見ていた。気が凍えて帯になって流れる。白い朝の流れ。もう一度、しっかりと抱き合って、身体を離す。それだけで、たまらなく心細くて、胸が詰まった。 「…柚…」 「少し重いんだけど…ごめんね。俺が家を出るとき、持ってきたもの」 そしてそれを懐に収めると、再び抱き寄せられる。小袖の胸元に顔を埋めると、長い指が髪を梳いてくれた。その優しい感触が、地肌に熱を落としていく。忘れたくないと思った。髪にかかるこの吐息の熱さまで。 「行ってくるよ…なるべく、早く戻るから」 泣き濡れた頬で必死に微笑みを作る。さらさらと流れ込む金の帯が新しい夜明けを告げていた。
◆◆◆
…夜通し起きていられて、責め立てられたらどうしようかと思ったけど…。 今までお互いにそんなことは一度もなかったから。朝帰りなんて、そんな何をしてきたのか誰にでも分かる行為を経験したことはなかった。たまに春霖様のご機嫌が最悪で、雷史様とお方様の居室に泊まることはあった。でもそう言うときは前もってきちんとその旨を伝えていた。 体の中にしっかりと余市の感触が息づいて。入り口も中もじんじんしてちょっと足を動かしただけで、痛みが走る。でも、嫌じゃなかった。ずっと覚えていられたらと思った。…だって、余市のくれた痛みだから。余市の身体で心で落としてくれた甘美な痛み。それを抱えていることが誇らしくさえ思えた。
「…柚羽様、もうお目覚めになられた方が宜しいわ。お務めの時間に遅れてしまうと大変ですわよ?」 「う…っ?」 「遠征団の御出立は朝餉のあとでしょう? 皆で見送りに出るそうだから、一緒に行きましょうよ?」 何でもないように話しかけてくる。何も聞いてこない友の真意が分からない。大体、瑠璃はどこに行っていたのだ。宴が終わって一刻…他の侍女と立ち話していたにしても、ちょっと長すぎる時間だ。自分が出た後にすぐに彼女が戻ってきたと言う証拠もない。 …でも、どうしてそんなこと、訊ねられるだろう? 瑠璃が聞いてくるまでは、自分も何も言わないことにした。こんなに親しい間柄の瑠璃に対してすら、柚羽は余市との出来事を語ることが出来なかった。彼女だったら、騒ぎ立てたりしないだろう。きっと心から喜んでくれるに違いない。…それでも、恥ずかしくて。
寝台から降りて、身支度を整える。すっと背後に回った瑠璃が柚羽の髪に手を伸ばした。 「…柚羽様…天寿花の花びらが、こんなに…」 思わず胸がどきんとした。花びらは余市が手で梳きながら、取り除いてくれたはず。でもしとねがわりの衣の下は一面がふわふわした花びらの絨毯だった。柚羽の長い髪にそれが絡みついてしまったのだ。取り損ねたものが残っていたのだろう。とても恥ずかしくて消えてしまいたかった。 「今、散ったようにきれいですわよ」 窓からの気に流れて花びらがこぼれる。さらさらと降る花吹雪。昨日の晩、余市の肩ごしに見つめた夢のような情景。全て全てが余市に繋がっていく。もう、余市と同じになってしまった気がする。今までだって、柚羽の小さな胸は余市のことでいっぱいだった。でも、それがもっともっと大きく膨らんで、胸を圧迫する。 耐えきれない痛みにそっと手を添えれば、固い包みに当たる。今、自分の部屋で、余市も出立の支度を整えながら、懐刀を胸に忍ばせているのだろうか? そう思うと胸の奥が熱くなった。
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先導に続いて歩く余市は竜王様の名代としても正装。きらびやかな金銀を散りばめた重ねに濃緑の袴、頭には冠を付けている。今までで一番立派な姿だった。
「…もう数日の猶予があればね…」 「そうしたら、柚とのこと。ちゃんとお許しを頂いて、皆に知らせられるのに。何だか口惜しいな…柚をひとり残していくのが辛いな」 そんなこと、柚羽だって同じだった。こうしてようやく想いが通じ合ったのに、すぐにこの人は遠くに行ってしまう。いつ戻るかの保証もない。それなのにたった一度抱きしめられただけで…もう別れなければならないなんて。 「無事に、戻ってきて。私のところに、戻ってきて…」
一行が柚羽の視線の先を通り抜ける。ふっと余市がこちらを向いた。そんな気がした。そして、ゆっくりと微笑みかけてくれる。柚羽も出来る限りの想いでそれに答えた。もう、それだけで充分だった。
◆◆◆
そんな中で明るい話題と言えば、柚羽たちのお仕えする南所の御主人様・沙羅様がご懐妊されたことだろう。姫君さま、若君様に続いて3人目の御子になる。亜樹様は少しけだるそうなお后様のお世話をご自分の御手でなさろうとする。相変わらずに眩しいくらいのご寵愛にお付きの侍女たちも当てられてしまうこともしばしばだ。 「小さなお母様」である柚羽はそんなわけで、目の回るような忙しさだった。余市のいない寂しさを紛らわせるにはもってこいだったとも思うが。昼は南所で、夜は雷史様の居室で、お子様の御相手に明け暮れていた。
遠征団からの知らせは余りなかった。個人に当てた文などは届くわけもなく、竜王様の御許にすら、時々の早文の使者が訪れるのみ。その詳細は耳の早い侍女仲間がすぐに届けてくれたが、遠く離れた異境の地のお務めはやはりそれほど簡単にはいかないようであった。
胸に手を当てて、余市のくれた懐刀を確かめる。妻にすると言ってくれたのだから、必ず戻ると言ってくれたのだから。自分はそれを信じて待つしかない。それしかないのだ。そう思っても、涙が溢れてしとねを濡らす。誰にも告げられない胸の痛みをもてあましていた。 一番の落胆は月のものを見たときだったかも知れない。ちょっと期待していた。もしも、余市の子を身籠もっていたなら、どんなにか幸せだろう。余市の落としてくれた命をはぐくめる自分を少しでも早く味わいたかった。秋茜様や沙羅様がお幸せそうにお過ごしになっているのを見ると、自分だってと言う気になってしまう。
西南の御館にいた頃よりもひっそりと夏が現れる。気の早い季節の花が次々に咲き誇っていく。歩き始めた雪茜様の手を引いて、花の中を歩き回った。美しい竜王様の御庭、早く背の君となった余市と並んで眺めたいなと思った。
◆◆◆
「ねえ、みんなっ!! 大変なお知らせが来たわよっ!! 遠征団のご一行が本日の夕暮れにお戻りになるんですってっ!!」 ええっ! と一同から何とも言えないどよめきが起こる。その時侍女の居所には20人近い女子がいた。王族の皆様の御支度を済ませて、ようやく自分たちも膳を囲んでいた。でも皆、もう箸も止まっている。その視線は頬を紅潮させた先の侍女に集中していた。 「きゃあ、皆様ご無事かしら? …余市様は? ご立派なお働きだったのでしょうねっ!!」 「それにしても早くない? 早文の使者と1日も違わずにご到着なんて…」 「じゃあ、今夜は宴になるの!?」 気の早い侍女たちが彼女の周りを取り囲んで口々に言う。柚羽は瑠璃と部屋の隅の方で膳を囲んでいた。その箸はやはり止まっていたが、他の皆のように大声ではしゃぐことは出来ないでいた。実感がないというか…信じられない感じで。待ち望んでいた帰還なのに…余りに急ですぐに受け止められない。 柚羽は耳の神経だけを向こうに向けて黙っていた。 「何でもね、団長である余市様の優れたご采配で、どうにか双方が和解なさったんですって!! 村長様がそのことにいたく感激して、馬を出してくれたそうよ? 皆、それに乗って戻るの。あちらでも盛大な宴をして下さると言うのを、断って急ぎお戻りになるんですってっ!」 「まあ、すごいわねっ! 余市様、御出立の前にはとうとう女子をお選びにならなかったわ。これはお戻りになったら、先手で行くしかないわねっ!! どんなにご出世なさるかしら、いきなり表の侍従長になられたらどうしましょうっ!!」 「あらあ、それは駄目なのよ?」 柚羽は、まさか自分のことが知れたのかと思って、胸の鼓動が収まらなかった。そりゃ、余市が戻ったら、皆が知ることになるだろう。でも、余市のいないこの状況でその話題になったら、どうしたらいいんだ。身の縮まる思いだった。 でも、次の言葉を聞いたとき、柚羽はもう、立っていられないほどの衝撃を受けることになる。 「早文の使者が竜王様に申し上げたそうよ? 村長様は余市様をとても気にいられて、ご自分のご息女をお与えになったんですってっ! 村長様には男君がいらっしゃらなくて、余市様には村長の地位を継いで頂きたいと仰せになったとかっ!」 「ええっ! 嘘っ!! 余市様、もうお戻りにならないのっ!」 「ううん、そう言うわけにはいかないでしょう? 今回のことを竜王様にご報告申し上げなくちゃ。でももしかしたら輿にでも乗せて、奥方様を同行なさっているかも。村長様のご息女はそれはお美しい御方なんですって。その方が、余市様をひとめで見初められたそうよ? まあ、そりゃそうでしょう…あの余市様ですものっ!」 興奮にも落胆にも取れるため息が一同から漏れ出る。 「まあ、余市様…そんな遠い御方になってしまわれるのね…悲しいわ」 「ええ、でも――」 「村長様ともなれば、側女(そばめ)を囲える御身分よ? 今からでも遅くないわっ! そうお願いしてみるのもいいかもっ!! 一緒に西の集落に連れていって頂けるかも…」 「そうかぁ…村長様の側女と言うのも悪くないわねっ…!」
柚羽は。もう、何が何だか分からなかった。…どうして? そんなはずないじゃない? …余市は私の夫になる人よ、そう約束したんだからっ! 遠征から戻ったら、きちんと妻に娶るお許しを得てくれるって、ずっと一緒にいてくれるってっ!! …それを、それを…どうしてっ!?
青ざめたまま俯いた柚羽を瑠璃の視線が心配そうに見つめている。そんなふたりの耳に、別の侍女が呟く声が聞こえてきた。 「…ねえ、でも。本当に余市様はそんな外れに行ってしまわれるの? そのお話をお断りになることはないの?」 「ばっかねえ〜、あなた、今更。何、言ってるのよっ!」 「村長様のお申し出を断る者がどこにいるのよ? 大体、大きな村をまとめる家に婿に入れるって言う快挙をみすみす逃す人間がいるって思う? そんなことして、もしもあちらがご立腹されたら、切り殺されたって文句言えないわよ?」 「…あ…」
それくらい、柚羽にも分かっていた。西南にあって、大臣様の御命令に従わない者はいない。秋茜様だって雷史様の元に嫁ぎ、そして亜樹様の若君様の乳母となったのは皆、大臣様のお言葉だった。重臣の妻とはいえ、従わないで済むはずもなかったのだ。
「…柚羽様?」
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