宴の明るいさざめきが響いてくる。南所の外れの侍女の寮。そこまで客座のざわめきが届くのだ。客座での催しの時にこんなところにひとりでいることなどなかったから、初めて聞く音だった。 遠征団の一行を迎えに出ることも、そして、宴の給仕をすることも、出来っこなかった。今日という今日は、もしも竜王様直々の御命令であっても従えなかったと思う。 柚羽は朝餉の後、気分が悪いと言って、そのまま部屋に引き上げてしまった。実際、立っていることも、お務めを行うことも出来ない感じだった。頭がぐらぐらして、足元がふらつく。こうして寝台に横たわっていても、頭痛がして、頭は割れてしまいそうだ。 あのさざめきの中に余市がいる。一番竜王様のお側の席で皆の歓迎を受けている。そして、今日はわざわざ、その西の集落の村長(むらおさ)様まで同行した言う。竜王様にこのたびの遠征団の派遣の御礼を告げるために上がられたのだ。もちろん、たくさんの供と貢ぎ物を携えて。それだけでも遠征団に勝るとも劣らない行列だったという。そう言う噂をドアの向こうの渡りを歩く侍女たちのやりとりで聞いていた。 「この所、柚羽様は本当にお忙しかったんですもの…きっと疲れが出たのですわ。今日は目の回るような忙しさですもの、これ以上体調を崩したら大変ですわ…ごゆっくりなさって?」 余市のいた遠征団が派遣された先の西の集落の民は、色素が少ないのか白い肌に銀の髪だ。中には小民族だが、光の加減によって、目の赤く見える種族もあるという。滑らかな肌は珠のようで、男たちの憧れの的。遊女小屋などにその血を引く者がいれば、ひっきりなしに声がかかると聞いたことがあった。浅ましいことだと思う。そんな見てくれで、女子を買うなんて。 …でも。どうせ、買うなら美しい女子がいいだろう。そして、どうせ娶るなら、美しい妻が。余市は、もうその女子を抱いたのだろうか? こんなに急な話では婚礼の宴などあるわけもない。でも、結婚の意を固めた男女が婚礼の前に床を同じくすることなど良くあること。そして、それを家人の同意の元に行うこともある。「足入れの床
」と呼ばれ、家人の計らいで、寝所を供にするのだ。 …幼馴染みとして。同郷出身で長年慣れ親しんだ者として、彼を心から祝わなくてはならないのかも知れない。おめでとうと言って、微笑めばいいのか? 余市だって、少しくらいは自分との約束を気にかけていてくれると思う。胸を痛めているのだとしたら、それを取り払ってあげなければならない。 でも。どうして、そんなことが出来るだろう? 宴の後、余市は西の集落に行ってしまうのだろうか? その様に竜王様においとまを願っているのかも知れない。そうだとしたら? もう時間はない、きちんとお別れしなくちゃ…!!
朝からどれくらい泣いたか分からない。余市がまさか、他の女子を妻にするなんて、絶対に想像できなかった。彼が今回の遠征で立派な働きをすれば、こういう状況もあるのだと言うことをどうして気付かなかったのだろう。優れた働きをした者に自分の娘を与えて褒美とすることなど、良くあることだ。…それなのに。 抱きしめられて。痛みと共に余市を受け入れて。たった一度のその行為で、すっかり妻の座が約束されたと信じていた。彼が戻れば、一緒に暮らせると、ずっと一緒にいられると疑わなかった。あの夜の出来事を後悔する気はない。本当に、幸せだったから。でも、その後の絶望を抱えて、自分はどこへ行けばいいのだろうか?
「…村に。帰ろうかな…」 うつぶせになって、しとねに顔を押しつけたまま、そう呟く。山間の何もない村で、何もなかった頃のように暮らせないだろうか。余市のことも、西南の御館での暮らしも、こうして過ごした都の暮らしも。みんなみんななかったことにして。そうすれば、いつか…余市のことも忘れることが出来るだろうか? 余市のいない、彼の噂も届かない。そんな場所に行ってしまいたい。 窓の外はすっかり闇になっている。遠征団が御館の表についたのは夕暮れのことだった。すぐに一行は客座に通されて、宴が始まる。それがどれくらい続いているのだろうか。今日は時を告げる拍子木も鳴らさない。全てが無礼講になっているようだ。館全体がお祭りムードに満ちあふれている。 宴は夜通しなのだろうか…? そして、今は…いつ?
時を告げるものが拍子木しかないこの地で、柚羽は時間の推移も分からす横になっていた。自分の頬の下のしとねはもう、どうにもならないくらい濡れていて、朝に着替えたままの小袖の袖口もしっとりと重い。どれだけ泣いたら、気が晴れるのがそれを知りたかった。 涙がまた思い出したように溢れ出てくる。一頻り泣いて泣いて、そしてハナをすすり上げて、目元を拭う。乱れた重ねをたぐり寄せて肩までかけ直す。この地ではいつも上にまとっている重ねが休むときの掛け布団になるのだ。
そして。また静寂が部屋に戻ったとき。戸口で、ことりと音がした。 「…瑠璃様?」 「…柚?」 「あの、どうしたの? 柚…どうして、迎えてくれなかったの? 俺、柚が一番に迎えてくれるって、そう信じていたのに。瑠璃さんが、柚の具合が悪いって教えてくれて。…それで、驚いて…あの」 本当なら、侍女の部屋に男が足を踏み入れるのは禁とされている。その様なことが見つかったら、地下牢にぶち込まれても文句は言えない。女子の寝所にそうやすやすと男が忍び込めるようになっていたら、治安が乱れてしまう。この地では男女のことは合意の元に行われなくてはならない。そのために、それようの一夜宿も用意されているのだ。 余市だってそのことくらい知っている。だから、こうして初めて訪れた女子の部屋に足を踏み入れることを躊躇しているのだろう。でも柚羽が言葉を発せずに背を向けて横たわったままの状況ではどうにもならない。やがて彼は観念したように、扉を閉めて、念のためのかんぬきをしたあとで、こちらに向かって進んできた。 その一連の行為を柚羽はじっとそばだてた耳で聞いていた。でも、何と言って迎え入れていいものか、言葉を見つけることが出来ない。自分の心の収拾がつかないのだ。そんな中でいきなり来られても…それに、どういうことなのか、余市は自分が出迎えなかったことをなじるようなことを言う。あんな状況で、どうしてそれが出来るというのだろう…? 「柚、俺…柚に会えることだけを信じて、ここに戻ってきたんだよ? ねえ、顔を見せて。そんなに具合が悪いの…まさか」 「起きあがれないほど、具合が悪いって…あの、まさか。そうなの…? 柚…もしかして…」 「…柚…!?」 「ちっ、違うわよっ…そんなんじゃないっ!! 赤さんなんかじゃないんだから…気にしないでっ! もう、宴に戻ってちょうだいっ!! 出ていってっ…!!」 情けない、そんな風に軽々しく思われてしまったなんて。ひどい、いくら長年の付き合いだからと言って、そんな簡単に行くわけないじゃないのっ!? きっと声は聞こえているんだろうけど、そんなのもう構っていられなかった。涙がぼろぼろとこぼれてくる。柚羽は声を上げて泣きじゃくった。こみ上げる嗚咽が苦しくて苦しくて息が上がる。肩が大きく震えた。 「…柚…?」 「どうしたの? 本当に…おかしいよ、今日の柚。どうして、俺のこと、ちゃんと迎えてくれないの? …何で? こんなに待たせたから、気が変わっちゃった?」 ぎし、と寝台が音を立てる。壁にくっつくようにうずくまっている柚羽の傍に余市が近づいてきたのだ。懐かしい香りがする。もうたまらなかった。自分のものじゃないって、そう分かっているのに…それでも、たまらなくて…。どうして、こんな風に何でもないように振る舞えるのか、分からない。余市のすることが、行動が柚羽には理解できなかった。 「そんなことないだろ? 柚は俺の妻になってくれるんだよね? …柚? そうじゃないの…?」 「何でっ!! そんなこと言うのよっ!!」 「余市は、素敵な方を妻に頂いたんでしょう!? 分かってるんだからっ! …もう、知ってるんだからっ!! 今更、しらばっくれなくていいわよっ…私、恨んだりなんか、しないんだからっ…」 「…え…?」 「…何? それ…」 どこまでしらばっくれるつもりなんだ、と情けなくなった。後から聞かされるくらいなら、今、この場所ではっきりさせて欲しいのが分からないのだろうか? 余市って、そんなに思慮の浅い男だったのか? 「知ってるの、私。余市が西の集落の村長様の…ご息女様を妻に頂いたこと。余市が西の集落に行ってしまうこともみんな。だから、もういい、宴に戻って。私のことなんて、気にしないで…っ!!」 余市が。息を飲んだのが分かった。それから、大きくため息を付く。色々なものを吐き出していくように。そして、柚羽の身体に上からやわらかく抱きついてきた。 「…や、何するのっ! …やめてっ!!」 「…柚…」 「柚は…俺が、村長様のご息女様を妻にした方が、良かったの?」 耳が熱い。吐息が触れただけで、ぞくぞくする。身体が待ち望んでいたものを受け入れるように疼いていく。それが口惜しい。 「…そんなのっ! 当たり前じゃないのっ。余市は、将来の村長様になるんだわ。同郷の者としてそんな栄誉を受けたことを喜ばしく思っているわよっ…」 出来るだけ、突っぱねるように冷たく言い放つ。なのに、余市は柚羽の身体に腕を回す。強い力でだんだん抱きすくめられていく。逞しい腕の中ではあまりにも小さな柚羽の身体。もう、震えが止まらない。 柚羽の言葉を黙って聞いていた余市が、また、ひとつため息を付いた。 「…俺、嫌だな。そんなの、嫌だよ? 俺の妻は柚なんだから、柚以外の妻はいらない。柚は…そうじゃないんだ、ひどいじゃないかっ…!」 身体が抱き起こされて、後ろからぎゅっと抱きすくめられた。熱い吐息が首筋を流れる。どういうことなのか分からず、柚羽の心は動転していた。 「…え、だって。早文の使いの方が…」 「…やっぱり」 「ここに戻ってきたら、その話で持ちきりなんだから。本当にどうしようかと思ったよ? でも、柚は分かってくれてると思ったから、気にもとめてなかった。だって、そうでしょう? 約束したんだから、一緒に暮らすって。一生離れないって…そうでしょう? だから、柚がそんなこと気にしてるなんて思わなかったよ?」 「え…だって…。そんな、村長様のお申し出を…」 「いくら村長様のお申し出だって、駄目なものは駄目だもの。きちんとお断りしたよ?」 「……」 余市の腕に力がこもる。 「俺には、都に残してきた大切な妻がいますって。妻を悲しませることは出来ませんって…そうでしょう? 俺の妻は柚なんだから。いくら目がくらむ金塊を積まれようと、そっちになびいたりしない。柚のことだけしか想えないから…」 「そんなことっ! …許されることじゃあないでしょう? 余市…っ!?」 後ろから首筋を辿られる。唇で、舌で。味わうように…懐かしい息づかい。 「柚、身分のある御方のみんながみんな、西南の大臣様みたいな横暴な方じゃないよ? きちんと話せば分かってくださる方もいらっしゃる。村長様はきちんと承知してくださった。もしもご立腹なさったとしても、刃を向けられても…俺は頷くつもりはなかったけど。柚を妻に出来ないなら、生きていても仕方ないから。それくらいの気持ちでいたよ…?」 「…そ…そんな…」 「…柚?」 「ただいま、柚。待たせたね…」 「…う…っ!!」 「…会いたかったの、余市。寂しかったの…っ! 余市がいなくて、ずっとずっと身体が半分、どこかに行っちゃったみたいだったわ。すごく、会いたかったのっ…もう、どこにも行かないでっ、離さないで…!!」 「…柚…」 涙がとまるまで、ずっと優しく抱いていてくれた。髪を梳く長い指。温かく心の中まで入り込むもの…大好きな、大好きな人。ずっと、こうされたかった。こんな風に抱きしめて欲しかった。その日が来ることだけ、願っていた。 「いいの? 私でいいの? …私と一緒になったって、村長様にはなれないよ? 一生、竜王様の侍従で…それでいいの…?」 耳元をくすぐるくすくす笑い。それから、腕が緩められて、胸の中、そっと顔を持ち上げられた。涙にまみれたそれが恥ずかしくて俯こうとするのに。余市のてのひらが両方から柚羽の頬を包み込む。 「柚が、いいんだよ? 柚だけが、俺の妻だ…」 そっと唇が重なる。そのぬくもりが懐かしくて、愛おしくて。ああ、余市だ、帰ってきてくれたんだ、と実感した。でも、首筋に顔を埋めた人が、次の瞬間、とんでもないことを言い出す。 「ああ…、柚、もう待ちきれない。ここで、このまましていい?」 「…へ?」 「ちょっと、駄目っ! こんなところでっ! …瑠璃様が戻ってきたらどうするのっ…やあっ!」 「大丈夫、瑠璃さんにはちゃんと了解貰ったから…」 「…それに…」 「瑠璃様だって、今夜は戻ってこられないから…」 「…え?」 柚羽はびっくりして余市を見た。細くなった目、優しく揺れている瞳。何かを含んでいる。…どういうこと? 「何? 瑠璃様が…どうして…ねえ、余市っ?」 「余市――」 「柚、もう、黙って。…俺のこと、見て…」 たどたどしく。柚羽の手が余市の小袖を引く。袴の中から裾を引きだして、前を開け、そっと肩から落としていく。でも、その途中で、柚羽の手は動きを止めた。 「…余市!?」 青ざめた柚羽の視線の先。それがどこに向いているか、余市には分かっているようだった。小袖を握りしめたまま震えている腕を優しく取って、にっこりと微笑みかける。でも柚羽にはとてもそれに応える余裕はなかった。自分の上体から小袖が落ちていることも、だから何もまとっていない姿でいることも気に留めていられない。神様に縁取られたやわらかな曲線が小刻みに震えている。 「柚…そんな顔、しないで」 「だって、余市…」 「…怖い?」 その言葉には大きくかぶりを振った。そう言う訳じゃない、でも――。 余市の左の肩に。ざっくりと切り込まれた痕があった。確かに遠征に出る前にはなかったはずの。もう患部は塞がって乾いていたが、それでも盛り上がったその場所は牡丹色に変わって、抜糸した糸の跡も生々しく残っていた。 「…痛そう…」 余市は喉の奥でくすっと笑って、柚羽を見つめた。 「もう痛くないよ? 押したりぶつけたりすれば痛いけどね。普通にしてたら平気」 「そうなの?」 余市は柚羽をそっと抱き寄せると、腕の中にしっかりと包んだ。そして、長い髪を梳いていく。慣れた手つきで。そうされると柚羽はどんどん落ち着いていく。いつもそうだった。余市が髪に触れてくれると穏やかな気持ちになれる。 「暴動を起こしたある村人の陣に行ってね、説得しようと思ったんだ。大勢で行くと牽制するみたいになって良くないかなと思って、ほんの少人数で武装もしないで。そしたら、殺気立った兵にいきなり切り込まれて」 「傷も深かったし、何よりあまり良くない剣だったから。化膿して、高熱が3,4日引かなかった。後になって聞いた話だと、一時はかなり危ない状況だったんだって」 柚羽は思わず息を飲んだ。それからきゅっと余市にしがみつく。 「…ごめんなさい」 「うん? どうして謝るの?」 「だって…」 「余市、こんな大変な目に遭ってたのに。私は何にも出来なくて…戻ってきてくれたのに、ちゃんとお出迎えもしないで」 「柚…」 「もう、駄目かなって思った。熱が下がらなくて、朦朧として。このまま楽になってしまいたいって、何度か思ったよ? …でも、そう思うたびに脳裏に柚が浮かんできて…柚が、泣くから」 「…え?」 「私、泣いてなんかいなかったわ」 …寂しかったけど、切なかったけど。泣いちゃ駄目だと思った。都に残された者は皆、同じ気持ちを抱えて待っているのだ。自分だけが泣き言を言っては駄目だから。我慢しなくちゃと思った。夜中にふと目覚めて天の輝きの彼方を見るとき。あの向こうに余市がいるのかも知れないと思った。そう思うと、胸が詰まって、ほんのちょっと涙がこぼれたりした。そう言うときは慌てて拭ってたし。 ちょっとむくれて、俯く。余市が微かに笑った。 「俺、柚が泣くのは苦手だから。柚を泣かすようなことは出来ないなって思った。傷の痛みも乗り越えれば柚に会えると思ったから。柚がいるから、頑張れたんだ。柚が…俺の妻になってくれたから」 「…余市…」 「実は、足にも…あったりして」 「…え?」 現れた逞しい太股の丁度真ん中に、ざっくりと深い刺し傷があった。 「…ちょっと、情けないんだ、これは石矢。まさか、俺が敵の矢を受けるなんてね…あんまり公にしたくないんだけど」 「ひどい…どうして? どうして、余市がこんな目に遭わなくちゃいけないの? 余市に傷を付けた人は? ちゃんと罰を受けたの?」 柚羽の問いかけに、余市が静かに首を横に振った。 「命を落とした兵もいれば、深い傷を負って、一緒に戻ってこられなかった兵もいる。反乱軍の方にも多数の負傷者がいるんだ。みんなお互い様だから…」 「…だって…」 早文の使いの話でも、遠征団が到着した後に表の渡りを歩く侍女たちの語らいからも、柚羽はかの地での余市の行動を聞き及んでいた。 「余市は一度も弓を引かなかったって。剣も鞘から出さなかったって。どこまでも話し合いで解決しようって、頑張ったんでしょう? それなのに、どうして? どうして、それを分かってくれない人がいたの…?」 「仕方ないでしょう?」 「みんな、必死だったんだ。村長様の陣も、暴動を起こした民の陣も、もちろん遠征団のみんなも。竜王様の元、腕のいい者を集めたんだから、力で押し込めればいいって意見も強かった。でも、嫌だったんだ…力で力を封じ込めても、そんなの何の解決にもならないでしょう? きれい事だって言われたけど、どうにか和解して欲しかったんだ…そのために時間がかかってしまったけどね。柚、本当に待たせてごめんね…」 「ううん…ううん、そんなことないっ!」
「余市…」 「…柚?」 「どうしたの…柚…?」 「そんな…言わないで、恥ずかしいから…」 「だって…まさか、もう…」 そこが、もう溢れるばかりに潤っていて。じゅわじゅわと湧いてくるくらいに満たされていて…熱い想いが余市の指に絡みついていく。こんな感覚は以前はなかったし、余市も知らないはずだ。天寿花の下で、余市のものになったとき。頼りない潤いしかなかったから、柚羽の中はこすれてとても痛かった。 「や…だって、分からないの。余市のこと考えると、自然にこんな風になるの…あの夜のことを考えるとひとりでに身体が熱くなって、体の中から何かが溢れて来ちゃって…もう、自分で止められなくて。夜、寝台に休んでも眠れなかったの。身体が…どうしたらいいのか分からないほど…もう…」 余市の腕に抱かれていた自分を思い出す。熱い吐息と絶え間ない波と、それから自分の名前を呼ぶ余市の声と。恥ずかしくてどうしたらいいのか分からなくて、それでもとても満たされていて。 「柚――」 「もう、いい? こんなになって待っていてくれたなんて…もう嬉しいよ。柚、本当に俺を待っていてくれたんだね」 「…う、余市…余市っ…!!」 「柚…大丈夫?」 「好きだよ、柚…っ!」 そうっと動き始める。最初は探るように浅く。でもそれじゃ、物足りない気がしていつの間にか柚羽は自分から腰をくねらせていた。余市がくすりと笑って、うなじに口づける。そして、だんだん勢いを増してきた。 「あ…んっ! 余市っ! あっ…、あんっ!」 「柚…柚っ…、俺の、俺の柚…!!」 こんなにも余市を待っていたんだと思う。余市もこんなにも自分を求めていてくれたんだと思う。繰り返される波が愛を告げる。一番大好きな人の一番大好きな想いを乗せて。 「柚っ…! ああっ、…柚ぅ…!!」
繋がり合ったまま、胸を合わせて。しばらくは激しい呼吸を繰り返す。どくどくと大きな響きで、お互いの心臓が命の音を刻んでいく。しっとりと絡みついた身体の熱さがこの上なく愛おしいと思った。自分はもう余市のもので、余市ももう自分だけのもの。もう離せない、一番深いところで絡み合った心。誰にもほどけはしない。 「ゆーず…」 「…おかえりなさい、余市…」 「ただいま、柚…」 けだるい感覚に引きずり込まれる。もう、何も憂うこともない。あるのは安らかな心だけ、静かなぬくもりだけ。生まれて初めて味わう幸福に柚羽はしっとりと抱き取られていった。
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