TopNovelおとめ☆Top>おとめ☆注意報・4

…4…

 

「えええ〜っ!? 何それ〜っ! 絶対に変だよっ、やっぱゴンって、おかし〜!」

 大事な場面でトイレに行っていたきみこは、自分のいない間の一部始終を聞いて、呆れ声で叫んだ(どうもきみこは一のことを「ゴン」と命名したらしい)。まあ、普通の人間ならそうやって反応するだろう。だが、媛子は違った。

「へっ、変じゃないもんっ! すごく素敵だと思う……」

 ふたりは他のクラスメイトより少し遅れて、みんなが弁当を広げている芝生広場まで辿り着いた。水道で手を洗ってから、それぞれのランチを広げる。ぽかぽかと春爛漫。桜がちらちらと降りしきる。知らないうちに食欲が湧いてくる。それはたった今しがた、ばっさりと振られた媛子でも例外ではない。

「一生にひとりきりの女なんて、素敵よ。さすが先生よね、私、惚れ直しちゃったわっ!」

 そう言いながら媛子が広げるのは3段重ねの松花堂弁当だった。今はまだ涼しいが、これからの季節生モノはやばいと思う。とはいえ、山かけのマグロのぶつも甘エビとわさびの葉の和え物もおいしそうだ。

 たいした荷物もいらないはずなのにどうして大きな鞄で登校したのかと言う謎がようやく解けたきみこも、脇からたくさんつまみ食いをさせて貰った。

 

 一は敷地の一番奥の方で、他の先生方と話しながら食事してる。よっぽどその間に割り込んでいこうと思ったが、あの「ケバケバ家庭科教師」が隣を陣取って、お茶をついだりとかいがいしく取り持ってるのに気づいてやめた。

 全く〜、ずるいんだよぉっ! 同僚としての立場を有利につかってさ。私だって、私だって、ぼいんぼいんじゃないけど、大人の色気も足りないけど、それでも先生が大好きなのにっ! 先生も先生だ、あんな風ににこにこと笑わなくたっていいじゃない。むかつく〜〜〜っ!

 

 媛子がぷりぷりしながら弁当をがっついてると、きみこは大袈裟にため息をついた。

「な〜に言ってんのよ。そんなのあんたを諦めさせるための口から出任せに決まってんでしょ!? 健全な成人男子が『一生に一人の女』なんてっ、演歌じゃあるまいし〜〜〜〜っ!」
 そう言いつつ、媛子の保温ポットに入っていたお澄ましをすする。これも鯛でだしが取ってあり、上品な味わいだ。

 

「それが〜、違ったりするんですよねぇ……」

 がさがさがさ。その時、ふたりの背後にある茂みがありきたりなアニメ描写のように動いた。

「先輩が理想の女性を求めているのは、結構有名ですよ〜彼はロマンを追い求めてますからね」

 

 クリーム色、と言うかベージュに近いスーツを着込んだ男がひょっこり顔を出した。いきなりの第三者の出現にくつろいでいた昼食風景はがらりと様変わりする。

 

「ちっ……、ちょっとぉっ! いきなり出てこないでよっ、お吸い物こぼすとこだったでしょっ!」

 そう叫んだのは、きみこだった。くるりと振り返った勢いで、おかっぱの髪がふわんと広がる。媛子の方はそれほど驚いた様子もなく、怒りまくる友の後ろでタケノコご飯のおにぎりをぱくぱくと食べていた。

「はぁ、それはすみません。でも……おいしそうですね。きみこサンはいいなあ、こんな美味しい昼ご飯を食べてるんですか。ボクはもう、おなかがすいてすいて…」
 彼はそう言いながら、気が付くとふたりの前に座り込んでいた。

 いまどき「ボク」という大人がいるのか。そんなところにつっこみたくなる。まあ、よく見れば、着ているものは年代物っぽいが、なかなかのお坊ちゃん風だ。

「あ……、いいんですか。助かります、美味しいですねえ……へえ、ご自宅に専属の調理師がいるんですか。いやぁ、すごいなあ」

 見ず知らずの男は、やけに馴れ馴れしく、媛子が差し出した取り皿を受け取ると、そこに乗せられたおかずをぱくぱくと食べる。

「実は、今日は財布を忘れちゃいまして。節約になるし、一食くらい抜かして平気かなと思ったんですけど……ダイエットは辛いですねぇ」

 そう言いつつ、おかわりを要求する。まあ、ひとりではとても食べきれない量なのでいいのだが。それにしてもよく食べる人だ。

「きみちゃんの、知り合い? この人、誰?」
 媛子はようやく気づいて、傍らの友にそう質問した。何だろ〜、学校関係者なのかな。こんな人、見たことないけど、向こうはこっちを知ってるらしい。何だろ〜?

「馬鹿ねえ、あんたどこに目を付けてんのよ。コイツはウチの高校の先生よ、入学式の時に紹介されたでしょ?」

「へ? ……そうだったっけ」

 全然、記憶がない。まあそれは当然のこと。入学式の間中、媛子の目は一だけを追いかけていたのだ。他の人間が視界に入っても、感知しないほどに。教職員の紹介の時も上の空だった。実は校長先生の顔だってよく分かってない。

「あ、これはこれは、申し遅れまして。1年A組の担任で生島と申しますっ! ちなみに担当教科は化学だったり。でも今年は1年生の担任なので、生物を教えちゃったりしま〜〜〜すっ!」

 新卒かい? と思ってしまうほど、学生気分が抜けてない。と言うか、まるで会社訪問の延長のように生徒に敬語を使っている。これではきちんと生徒指導が出来るのか、はなはだ不安である。

 彼はにこにこと愛嬌を振りまきながら、また皿を空にした。

「あ〜、そうそう。そうですよ、それでさっきの話の続きですけど! ボクは先輩――あ、権藤嶺一先生のことなんですけど〜とは、学年は違いますけど同じ大学出身で! それに、趣味も一致してるんで結構仲がいいんですよ! だから、先輩の恋愛談義はもう何度も何度も、暗記が出来るくらい聞きましたよ」
 えっへん、と胸を張る。でもこれは別に威張ることではない気もするが。

「へぇ、本当のことだったんだ。ますますゴンって、変な奴ねえ……」

 きみこはあまり興味もなさそうに、鶏のつくねを口に放り込む。一応、自分のランチケースも空にしなくては重くてかなわない。

 しかし、媛子の恋愛センサーはぴぴぴっと音を立てていた。慌てて生徒手帳を取り出すと、彼の方に身を乗り出す。片手では賄賂(?)となるゆかりのおむすびを差し出しつつ。

「趣味っ!? 共通の趣味って、……何ですかっ!」

 広げられたページには、一の身長体重にスリーサイズ。靴の大きさに頭周り、朝は何時に登校するか、今年の時間割はどうなっているか……などが事細かに書き込まれていた。放課後の予定も曜日ごとに詳細に記されている。隠し撮りした写真もプリクラのように加工してぺったり貼ってあった(しかも4つの画像のバリエーションがある)。

「えーーーーっ……?」
 彼はもったいぶるように、頭をかいた。でも片手はしっかりとゆかりおにぎりを受け取る。

「駄目ですよ、男はちょっと秘密めいていた方がいいですから……内緒です!」

 

 ――と。

「生島センセ〜、富村の奴が、池に落ちた〜っ!」
 風に乗って、声がする。向こうの方から、男子生徒が走ってくるのが見えた。その後ろをずぶぬれになったもうひとりが続く。

「おやまあ……」
 彼はしまりのない感じで立ち上がる。

「毎年、オリエンテーションで、ひとりは落ちるんですよね〜あの池に。今年はウチのクラスでしたか……浅いんですけど、着替えないとヤバいですね〜」

 そう言い残すと、すたこらさっさと去っていく。……いったい何のために現れたのか、さっぱり分からないが、そう言うキャラなのか? 「先生」と呼ばれていたから、きみこの言う通りに教師なのには違いない。

 

「なんか〜、あいつの方が池に落ちそうね。抜けてるから」
 そう言うと、きみこは残ってたお吸い物を一気に飲み干した。

 

***


「そうか〜、お弁当かぁ……」
 戻り道。今度は坂を下りながら、媛子はぼそっとつぶやいた。

「先生も、コンビニのお弁当だったね。ひとり暮らしだから、自分で作れないのかなあ……」

 そこまで言いかけて、はた、と何かに気づいた様子だ。一瞬のうちにぱあっと顔が輝いていく。

「そっか〜、どうして思いつかなかったんだろっ! 男をくらりとさせるにはまず愛情手作り弁当よねっ! やたっ、明日から私、頑張っちゃおうかなっ!」

「あんたねぇ〜」
 きみこがつかさず突っ込む。大きく目を見開いて、呆れているのがよく分かる。

「全然脈なし、って感じなのに、まだ懲りてないの? 男なんて、地球上にはふたりにひとりいるんだよ? あんなのもうやめて、他に行きなよ〜」

 すると。媛子は急に立ち止まる。そして、いきなり目をうるうると潤ませて、きみこに訴えた。

「やだっ!! だって、先生とらぶらぶしたいんだもんっ! こんなくらいで諦めたら、今までの苦労が水の泡じゃないっ! 恋人もセフレも駄目なら、いいもんっ! 私はファンクラブを作って名誉会長になるっ!! そしてっ、草葉の陰から先生を見つめているのっ!」

 ……おいおい「草葉の陰」って、まだ死んでないだろう。だいたい「今までの苦労」ってまだ入学4日目だぞ〜とか突っ込むのはやめておこう。

「まあねえ……、あばたもえくぼって言うし、こういうのは個人の勝手だと思うんだけどさ」

 全く付いていけません、と言う顔をきみこがしているのにも構わず、媛子はあっという間に元気を取り戻していた。るんるんとスキップをしながら、先を急ぐ。その背中ですっかり空になった弁当のお重がガタガタと揺れた。

 

***


「先生〜っ! おはようございますっ!!!」

 ――昨日と全く同じ光景が繰り返される。あれだけはっきりと拒絶したのだから、頭のいい生徒なら分かりそうなものだ。やはりコイツは頭のネジがすっ飛んでいるに違いないと一は思った。

 

『俺はな、一生に一度の女でいいんだ。運命の女性と結婚して、一人の嫁さんだけを愛すると決めている。だから、悪いがお前のありがたい誘いにも乗れないんだ。……残念だがな』

 

 我ながら、なんと的確な返事だと思った。この台詞は意に添わない求愛をされたときの常套句として学生の頃から考えていたモノだが、昨日初めて発動した。一生使わなかったら情けないと思っていたので、心の隅ではちょっとだけ嬉しかった。

 

 久我媛子――相変わらず量の少ないぽよぽよ頭の後ろでポニーテールが揺れている。飼い主を見つけて走ってくる子犬の如く、転がるほどのスピードだ。繰り返し言うようだが、犬が苦手な一はそれだけで内心震え上がっていた。

 しかし――不可解なのはそれだけではない。何だろう、あの登山用みたいに大きなリュックは。昨日まではまあ、普通よりは大きめだったけど、どうにか高校生の普通の格好にマッチするモノだった。だが今朝は……山岳救助隊にでも志願するのでは? と誰もが誤解しそうな大きさだ(まあ、学生服を着た救助隊はいないが)。

 媛子は校門からまっすぐに走ってきて、一の目の前まで来ると、ぴたっと足を止めた。

「おはようございますっ! ねええ、見てみてっ! 見てくださいっ、すごいでしょうっ!!」

 ばばん、と目の前に差し出されたブツを見て一は仰天した。何しろばびーんとB6版の大きさに引き伸ばされた自分の顔が色とりどりの花と金銀の星に囲まれている。そして大きな手書きの文字で「はじめちゃんLOVE」と添えられていた。

「なっ、ななな……!? 何なんだ、これは!」

 一はその異様な物体(一枚の紙状のモノだったが)から顔を背けるように思い切りのけぞった。まあ、もしも彼以外の人間が同じような光景に遭遇しても、やはりそうしただろう。

 実のところ、昨日はちょっと言い過ぎたかなと思っていたのだ。

 相手はつい先日まで義務教育を受けていた人間なのだ。少しぐらい常識のないことをほざいても年長者として、指導者として、広い心で受け止めなければならなかったのかも知れない。それを、あまりの勢いに、ついマジになってしまった。ぼろぼろと涙をこぼされたときには、罪悪感でいっぱいになった。

 あの後、帰りのホームルームの時間もこの生徒に少し元気がないようで気がかりであった。やはり、1年間担任として預かった大切な生徒だ。あまり冷たくあしらいたくない。

 

 だが。

 

 何なんだ、これは。だいたい、こんなにすぐに立ち直るか? 昨日の朝もあんなに不機嫌そうに対応したのに、全然分かってないじゃないか!!!

「えっ、へへへへ〜!」

 媛子は少しオヤジ臭く笑った。そして、また半径50メートルに轟きそうな大声を上げる。

「私っ! 先生のファンクラブを作ったんですっ! 昨日、そこら辺を歩いてる先輩方にリサーチしたら、先生のはまだないって。だから、私設で作って、自分が会長になりましたっ、これはその会員証なんですっ!」

 ……はあ。人を隠し撮りして、ご丁寧にパウチして、ゴテゴテに飾り立てて。

「私設だったら、本人の許可はいらないんですよね〜、だから勝手に活動します。当面の目標は信者を増やすことかなっ!」

 

「――そ、そうか……まあ、頑張ってくれ。俺は先に行くからな」

 信者って何なんだ、新興宗教かよっ! 突っ込みたかった、ものすごく突っ込みたかった。だけどこんな公衆の面前でこれ以上の騒ぎは慎みたい。

 

「まっ、待ってくださいっ!! まだ話は終わってないですっ!!」

 がしっ! ちんまい身体が、堂々の体格の一をがぶりよつで制した。ぎゅうぎゅうと引っ張られた拍子に、この春新調したばかりのスーツの袖がぴきぴきと嫌な音を立てた。これ以上やりあうと、大切な上着が分解する。そう思ったら、従うしかなかった。

「ええと……あの、職員室までお届けするのはちょっと恥ずかしかったのでっ……ここでお渡ししますね」

 そう言って、彼女が登山用リュックから取り出したのは、まるで行商のおばあさんが担いでいるみたいな風呂敷包みだった。それはちょっとオーバーかも知れないが、当たらずも遠からず。抱え持った身体がぐらぐらしてる。

「お弁当ですっ! もらってくださいっ!!」

 風呂敷包みに隠れて、どんな顔をしているのかはこちらから見えない。でも、彼女はとても元気のいい声でそう言った。

「……弁当?」

 そうとはにわかには信じられない包みを前に、一は呆然とした。いや、愕然と言った方がいいかも。

「ファンクラブの会長と致しましては、先生の健康管理は大切だと思いましてっ! はいっ、たくさん食べてくださいね、食べ盛りなんですからっ!」

 

 ――どんな顔をしているかは分からない、だけど……と一は思った。

 正直、簡単に考えていたのかも知れない。恋人にしてくれと言われて突き放し、それが駄目ならセックスフレンド(!)にしてくれと言う申し出も丁重に断った。きっぱり言えば分かる相手かと思ったが、そうでもないらしい。彼女は自分のいいように物事を脳内変換してしまう。

 この生徒は教師である自分にとって、単なる商品だ。だから、好意を寄せられても困る。期待をさせたらかえって傷つける結果になるんじゃないだろうか。

 

「申し訳ないけど」
 何だか彼女に対しては断りの言葉ばかりをかけている。だが、仕方ないのだ。

「それは受け取れないから、お前の方で処分してくれ。……悪いな」

 

 ……がしゃんっ!!

 

 目の前を唐草模様の包みが落ちていった。そして、それは受け取る人のいないまま、一と媛子の間に横倒しになって崩れた。


つづく♪(031128)

<<Back     Next >>


Novelおとめ☆Top>おとめ☆注意報・4