TopNovelおとめ☆Top>おとめ☆注意報・5

…5…

 

 風呂敷包みが宙を飛ぶ。現代の科学でも解明できないような不可解な光景を一はぼんやりと眺めていた。手を伸ばせば、それを受け止めることも可能だったのに、どういう訳か身体が硬直して、指の先がぴくりとも動かない。

 次の瞬間。

 

 ……ぐしゃ。

 

 そう、確かに。唐草模様のそれはそう叫んだ。叫んだ、訳ではないのだ、ただの崩れる音。でも彼にとっては意志を持った物体が自分で発している叫びのように聞こえていたのだ。

 

「………………」

 アニメで言うなら、見つめ合ったふたりの間を「ぴゅー」とか木枯らしが通り過ぎていくようなシチュエーション。つい先ほどまで「ファンクラブ」だとか「会長」だとかほざいていた元気娘も、この惨事に言葉を失って呆然としている。

 

 そして、二つ並んだどんぐり眼からじわわわっと何かが湧いてきて、すぐに目の淵を溢れだしてきた。

「……うっ……、うわああああああああ〜〜〜〜〜んっ!!!」

 辺りに轟く絶叫。ちょっとした声でも、半径50メートルなのだ。今の声は一体どこまで響いたのやら。

 そりゃ、ちょっとやりすぎだったと思う。もうちょっと穏便に片づける術だってあったはず。大人げなく取り乱してしまったことは反省してる。だが……、だからといってこんな風に反撃に出なくても。これじゃあ、こっちが一方的に悪いみたいじゃないか。

「ごめんなさい〜っ! 許してくださ〜いっ、悪気はないんですぅ……!!」

 

 ――これで悪気があったりしたら、悪質だ。

 

 一はそう突っ込みたいと思った。だが、彼女の方が行動が早かったのだ、一呼吸もおかないうちにくるりとこちらに背中を向けてしまう。そして、そのまま今来た道をどどどどっと走り去っていった。

「うわっ……、待てっ! ちょっと待て! 久我!!」

 慌てて引き留めてみたが、もう後の祭り。頭の上で踊るポニーテールがぐるんぐるんと回りながら遠ざかっていく。それが絵にならないのは、背中にしょっている山登り用のリュックのせいか。

 

 折しも、通学のピークの時間帯。

 一は360度の方向から、じろじろと見つめてくる視線と、それから足下に転がる風呂敷包みとともに取り残されていた。

 

***


 時間経過、昼休み。

 お弁当を広げて、クラスメイトはみんな思い思いにおしゃべりしたりしてる。そんな和やかな教室の一番奥まった窓際で、媛子ときみこが机を向かい合わせに並べて座っていた。

 

「もー、いい加減にさ、泣きやみなさいよね。とっととそれ、食べちゃわないと、午後の授業に遅れるんだからね」

 あきれ顔でチーズちくわフライを頬張るきみこの視線の先に、お弁当の包みもそのままに、えぐえぐと泣いている媛子がいる。この娘はとうとう午前中の全ての授業中、べそべそしていたのだ。

 

 新入生の一連の行事は昨日までで一段落して、今日からは時間割になぞって授業が始まっていた。ただ、初日なので、先生が自己紹介した後、必要な副読本の説明をしたり雑談をしたりして、本格的なものは少ないのだが。

 先生方が新しい生徒たちに対して少しばかりの緊張感を隠せずに、それでも必死になって笑いを取ったりしてるのに、そんなときも下を向いたまま、えぐえぐしてる。ただ、どの先生も媛子がどうしてそんな風にしているかはとっくに知っている様子で、あえて突っ込んだりしない。

 クラスメイトも同様だ。みんな一応は同情するつもりで声を掛けてみたが、涙ながらにファンクラブへの入会を勧められたので、逃げてしまった。確かに入会させられて、あの大判のノートよりも大きな顔写真パウチの会員証を持たされたら大変なことになる。それより会の活動は何なのだろう。

 

「うっ、うっ、うっ……でもぉ。先生が怒った、すごく怖い顔をした。きっと私、すごく失礼だから嫌われちゃったんだ。おっ、お弁当だって、先生が喜んでくれると思ったのにっ……!」
 ぐしぐしぐしと顔を手で拭って。その時に、おなかがぐーと鳴ったらしくて、彼女はようやく弁当を開いた。

 今日は、三段弁当はやめて、二段にしたらしい。それでも、やはり量が多い。ただ、媛子はかなり大量に見える弁当をぺろりと平らげるのだ。一体どんな胃袋をしているのだろう。あれだけ食べても育たないと言うのもすごい。

「私、先生に嫌われたら、生きていけない〜っ! 彼女にしてもらえないって思っただけで、死にそうに辛いのにっ……!」
 そう言いつつ、どうして箸が動くのだ。とても絶望の淵にいる人間とは思えないような食欲だった。

「まあねえ……」

 公衆の面前で、あのパフォーマンスは目立ちすぎだと思う。そう言いたかったが、簡単に説明して分かってくれる相手じゃない。それを知っていたから、きみこは軽く返答を流していた。

「うっ、うっ……きみちゃんも、そう思うのっ? ……やっぱ?」

 しゃべるか、泣くか、食べるか。どれかひとつにして欲しい。媛子はいっぺんに三つのことをやってるから何とも落ち着かない動作だ。口の端っこからご飯粒が飛び出している。

「う〜〜〜ん……」

 きみこがそう言い終わる前に、媛子はまたごそごそと何かを取り出していた。

「じゃあっ! きみちゃんだったらどれがいいっ!? やっぱさー、隠し撮りは良くないのかな? 先生も会員証にしたこの写真が気に入らなかったのよね。でもぉ、私としては一番写りがいいのを選んだつもりなんだけど。もしかして、主観が入り過ぎちゃって、判断誤ったかしらっ……!?」

 

「……は?」
 きみこは思わずミートボールを落としそうになった。何でそっちに行くんだ、問題点はそこではない気がするが。

 

「きっと、愛が足りないのだわ。ファンクラブの会長たるもの、もっともっと精進しなくっちゃ。クラスのみんなも照れてるのかなかなか協力してくれないけどっ! でも、仲間は欲しいなあ〜。みんなで先生への愛を熱く語りたいわっ!!」

 多分、誰から見ても勘違いな方向によけいなエネルギーを傾けながら、媛子は少し元気になったらしい。箸をもう一度持ち直すと、弁当をすごい勢いで食べ始めた。

「語るって……、ちょっとぉ。あんたまだ、ゴンのことを諦めないの? あれさ、はっきり言って脈ないよ? ごくごく普通の奴だって、好きこのんで生徒に手を出そうなんて思わないと思うけど、あいつはそれよりも強力だから」

 

 それに。

 あんな風に、始終ぎゅうぎゅう押されたら、一じゃなくても辟易するだろう。何しろ恋愛というのは駆け引きが大切なのだ。思わせぶりにしながらも、あまり決定的な行動をしないようにして、相手の気を引くこともテクニックのひとつだし。

 

「ええ〜、諦めきれないもんっ!」
 媛子はウニ巻き卵をばくばくと食べながら、ぶうぶうと文句を言った。

「だってぇ……v もう先生以外は誰も見えないの、近くにいたいんだもん」

 あっという間に二段の弁当箱を空っぽにして、食後のお茶などすすっている。その目が、きらりん、と光った。

「そ、そうよっ! まずはきみちゃんを勧誘しなくちゃっ! そしたら他にも入ってくれる人がいるわ。今はキャンペーン期間中なのv 期間内に入会するとオリジナルグッズをプレゼントよっ! なんと、先生の顔写真入りのTシャツなのっ!!」

 そう言って、登山用のリュックからは次々にいろんなブツが飛び出してくる。ただ、問題のTシャツはパソコンで作ったアイロンプリントを貼り付けたような品で、前身頃にはどどんと一の顔がプリントされていた。こんなシャツ、1万円払うと言われても着たくない。

 

「そっ、それはそうとさ……!」

 このまま行くと、本当に私設ファンクラブの「会員番号2番」にされて、しかもあの趣味の悪いTシャツを着せられてしまう。きみこはとっさの判断で、慌てて話題を変えた。

「ゴンも馬鹿だよね〜。媛子のお弁当は最高に美味しいのに。あの大きさなら、何段あったの? すごいよね、差し入れが高級料亭から引き抜いた板前の手作りなんてさ……」

 

 あまりに気になったので聞いたのだ。媛子のお弁当は美味しい。あまりに美味しすぎる。野菜の含め煮にしてもカボチャと里芋とレンコンとにんじんとサヤエンドウが、全部違う味付け。しかも素材の味を生かしている。それを訊ねると、媛子は何ともないように教えてくれた。

 彼女の祖父や父親が色々な店で食事をして。そこで美味しいものがあると、作った板前やシェフを自宅の厨房に雇ってしまうと言うのだ。そんな馬鹿馬鹿しいことがまかり通るとは思えないが、まあ久我商事のすることなのだから、あり得ないことでもない。

 

「ほえ?」
 媛子はその言葉に、意外そうな声を上げた。

「違うよ〜、どうして秋村さん(……というのが板前さんの名前らしい)が先生へのお弁当を作るのよ?」

 もうすっかり元気が戻ったらしい。デジカメをごそごそと取り出して、また盗み撮りの準備なのか!? それにしてもそのカメラも3日前に売り出された最新モデルだし……。

「やだわ、会長としてはきちんと愛情込めて手作りしたわよっ! もっとも、包丁を握ったのもほとんど初めてだったけど……指も切らなかったわよっ、私って料理の才能があるのかもっ!!!」

 

***


 時間が少しだけ戻る。

 午前の授業が終わって、職員室は人口密度が少し上がっていた。まあ、ほとんどの教科は、それぞれに部屋がある。今ここにいるのは主に、新学期の仕事を抱えたクラス担任たちだった。

 特に1年生の担当は作成する資料も多くて大変だ。各中学から送られてきた書類はそれぞれに形式が異なったりするので、再度打ち込み直したりする。持ち出し禁止の資料も使わなければならないので、ここにいた方がはかどるのだ。

 

 一は腕組みをしたまま、机の上のブツを睨み付けていた。

 実のところ、4限目は空きだったのだ。あれこれもう67分こうしている。いや「1時間くらい」と言ってもいいのだが、一は時間には正確でありたかった。「くらい」とかで片づけたくない。これも数学教師の意地だ(あまり意味がない気がするが)。

 

 眺めていると、朝の彼女の泣き顔が思い出される。弁当くらい受け取ってやれば良かったのに。そりゃ、生徒に手を出さないのは教師の良識だ。だが、差し入れの弁当くらいなら受け取っている奴らはたくさんいるのだ。人気のある者などは、二個も三個も集まってしまったりする。

 それは分かってるのだ、それくらいは。……でも。

 

「一先生……なにしてるんですか?」

そこにやってきたのは、いつぞやの女教師だった。何しろ隣のクラスの担任で席も並びなのだ。彼女がここに来るのは当然だった。そして、その「ブツ」を見て、すぐにピンと来た様子。

「まあ、まあ〜! これですね、噂の唐草模様っ! ウチのクラスの子たちも騒いでましたよ、先生が熱烈にアタックされていたとか。なんか古くさい言い回しで笑っちゃいましたけど、そう言うのがふさわしい光景だったって……」

 

 ――やはり。噂になっているのだ。

 そうに決まっているとは思っていたが、やっぱりそうだった。いつもなら弁当の注文を取りに来てくれる事務員さんが一の前だけ素通りしたし、朝の職員会議のときは校長がこちらを見てにやにやしているし。一体何がどこまで伝わっているのか、恐怖だった。

 

「差し入れ弁当なんて、なんか青春だなあ……でも、私の方がきっと上手に作れますよ? でも、こういうのって、いまどきの子は親に作らせたりするんですよね。授業でも包丁も上手く握れない子とかいるし、男の子の方が上手だったりするんですから。あら、しみてますよ?」

 そう言いながら、彼女はお節介にも包みを解き出す。ネイルの指がきらきらと蛍光灯に輝いた。

「ふふふ、私も参考にして、明日から先生にお弁当作っちゃおうかしら? ……ええと」

 

 彼女の手がそこで止まった。そして、風呂敷を握りしめたまま、一の方を向き直る。憐れんだような、何とも言えない視線で。

 

「なんか、この中全体がビル解体現場みたいなんですけど? ……どうするんです、これ」

 

***


「何だ〜、先生は放課後出張なんだ。せっかく探し回ったのに」

 放課後。媛子は夕焼けに染まる昇降口からとぼとぼと出てきた。

 

 体育と芸術の午後の授業を終えて職員室をのぞきに行くと、もぬけの殻。慌てて、部活動が行われている格技館まで行ってしまった。
 そこで、いきなり剣道部の勧誘にあってしまい、それを振り切るのが大変だった。縁もゆかりもないのだが、何故か媛子と同じ「久我」という3年生が主将で、その人が一のことを教えてくれた。

 

「でもっ、剣道着を着た男子ってかっこいいなあ……」

 何しろ、幼稚園から女の園にいたのだ。実を言うと、肉親以外の男性とは数えるほどしか接してない。成り行きではあったが、こうして共学校に来て、驚きの連続だった。

「先生の剣道着姿、見てみたいなあ〜っ!」

 またいつでもおいで、と言ってくれた。優しそうな主将だ。嬉しい。ついでに、昨日先生が口説いていた小田巻くんというクラスメイトも練習に参加していたのをしっかりチェック。これからは彼からも「先生情報」が引き出せる。

 デジカメを首からぶら下げて、媛子は携帯を手にした。迎えの車を呼ばなくちゃならないのだ。あの運転手、多分この辺りをぐるぐると回っているに違いない。

 

――と、その時……。

 

「うぎゃっ!?」

 いきなり。目の前の茂みがごそごそと動き出した。一体なんなのかと思ったら、そこから出てきたのは媛子にとって一番、誰よりも意外な人物だった。

「先生……」

 

 朝と同じスーツ姿。いまいち似合わないネクタイ。彼は、少し憮然とした顔でこちらを見た。

 その瞬間、媛子の心臓がびくんと跳ね上がる。朝のホームルームのときもちらっとしか見られなかった。この人が怒っている顔は嫌い。心がしぼんで来ちゃう。「大好き」って言いたかっただけなのに、どうして上手くいかないの? 気持ちがまっすぐに伝わらないのは悲しいよ。

 

「あのぉ……、先生、朝は……」

 おずおずと。そう言いかけた媛子の前に、あの唐草模様が差し出された。

「あのな、久我。先生は、恥ずかしがり屋なんだ。出来れば、あんな人通りの多いところでは呼び止めないで欲しいな」

 

「は……?」

 意外な言葉に、思わず俯いていた視線を上げていた。てっきりまた何か注意されると思っていたのに。つぶやくようなその声は少しも怒っていなかった。

 

「あとな、弁当は……こんなに大袈裟なのは困るんだが。次からはこの半分でいいからな」

 視界を遮るくらい大きな包みが手渡される。あまりに軽いそれに、どきんとする。

「一応、洗っておいたから。じゃあな、ごちそうさま」

 

 車を出してくれる先生が、道の方で呼んでいる。一は車を持っていないので、相乗りかタクシーになることが多い。普段は徒歩10分の下宿だし。

 

 大きな背中が見えなくなるまで、媛子は校庭の真ん中にぼーっと立ちつくしていた。


つづく♪(031205)

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