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…8…

 

 あっけないほど、簡単に。媛子の毎朝の弁当作りは再開した。中間テストの成績が良かったので、担当教科の先生方も驚くほど協力的になってくれる。媛子が廊下をぽてぽてと歩いていると「権藤嶺先生は、資料室にいたよ」とか教えてくれるのだ。

 全て全てが楽しい日々だった。まあ、一が相変わらず、なのはちょっと口惜しかったが……。

 

***


「おい、ルーム長」
 6限終了時。隣のクラスでの授業を終えた一(はじめ)が、1年E組――つまり、自分の担任クラスのドアから声を掛けてくる。

「これから進路指導用の印刷物を綴じるから、手伝ってくれ」

 それだけ言うと、すっといなくなってしまう。いつもながら、あまり余計なことは話さない教師だ。

 たとえるならいつも穏やかに「まあ、君たちの好きにしなさい」と言うように振る舞いながら、実は成績付けの時には容赦ないみたいな。「あの教師なら少しぐらい点数が悪くても大目に見てくれるだろう」なんて言う間違った解釈をしてしまうと、あとで大変なことになる。いつもガミガミとうるさい教師の方が人情深かったりするのは、学校の常識と言えよう。

「は〜いっ、分かりましたぁ!」
 ワンテンポ遅れて、そう返事をしたのが、他でもない媛子であった。

 

 入学式早々、あの騒ぎだ。クラス内はおろか、学年じゅう・学校じゅうが媛子の突飛な行動に度肝を抜かれていた。教師に恋する女生徒……というのは、まあ少女漫画にありがちのパターンではある。だが、実際は二次元の世界のように華やかではないし、想像するほどは楽しくも美しくもないと言うのがお決まりだ。

 だがしかし。

 媛子の場合は「面白い」のである。思いこんだら、イノシシの如く猛進するにもかかわらず、どこか方向性がずれている。しかも表から見てもそれが非常に分かりやすい。さらに、ターゲットになった相手が堅物で有名な「どこからみても垢抜けない・よく言えば素朴な」教師である。

 この学校に入学して3年目になる3年生であっても、いままでこの教師に浮いた噂があると聞いたことはない。それどころか、今年赴任して10年目になると言うベテラン教師(よーするに、一より前からいる)ですら、首をかしげるくらいだ。

 そんなわけで、この状況は周囲からすっかり「面白がられて」いた。媛子がルーム長になってしまったのもそのせいである。どう見てもクラスの舵取りをさせるには不適切な人物だったが、一との接点をより密にさせるためには、これっきゃない。部活動などでポイントを稼ぐのも手だが、残念なことに一は男子剣道部の担当である。

 もちろん、副ルーム長には頭の切れる男子が選ばれた。役員会などには常に同席して、クラスが暗礁に乗り上げないように気を配ってくれている。

 こんな風に頭を回しながらも、皆が夢中になるのは「他人の恋愛ほど、見ていて楽しいものはない」と、この現象を進学校に始終張りつめている緊張感の狭間での「娯楽」と捉えているからであった。

 

「ふふふ、先生と密室にふたりっきりだ〜v」

 媛子はバラ色光線を四方八方にまき散らしながら、帰り支度を始めた。傍らで、友人その1・きみこが大きくため息をつく。

「ふたりっきりって、単に雑用を任されただけでしょ?」

 

 中間テストが終わったところだから、5月の終わり。入学から2ヶ月。

 その頃になっても、媛子の隣にはいつでもきみこがいた。別に他に友達がいないわけではないのだが、皆、申し合わせたように必要以上近づいてこない。

 何故なら、一度「媛子エリア」に足を踏み入れたが最後「私設ファンクラブ」の会員にさせられてしまうのだ。名前を貸すくらいならいいのだが、あのTシャツの着用が義務づけられてるのが痛い。

 

「いいの〜っ! 千里の道も一歩から、でしょ? こういう地道な活動が、いずれ実を結ぶのよっ!」

 

 ……絶対に、それはあり得ない。

 

 きみこだけではなく、媛子の半径50メートル以内にいた生徒が全員そう思っていた。今では知らない人のない「お弁当大作戦」も一月以上になる。謎の宇宙空間が少しは見栄え良くなったかどうかは謎だが、まあ、一の健康状態に支障がないのだからいいのだろう。

 しかし、毎日それを残さず食べて、ついでに綺麗に中を洗って返してくれる男に、何らかの変化があったとは言えない。はっきり言って、ふたりの距離はほんの1ミリだって近づいてはないのだ。彼はあくまでビジネスライク……教師としての立場を貫いていた。

 まあ、簡単に「らぶらぶ」に出来上がってしまうよりも、紆余曲折に蛇行してくれた方が観客は楽しめる。そうは言ってもこの牛歩ぶりには、呆れてしまう。あまりにも無邪気な媛子の頑張りが、だんだん可哀想に思えてきたりもするのだ。このままでは卒業するまで、何の進展もないんじゃないだろうか。

 ――いいのかなあ、あれで。

「じゃあねっ! きみちゃん、ばいば〜いっ!」

 媛子はそんなきみこを少しも気にすることもなく、鞄を手に教室を飛び出していった。

 

 ぽよんぽよんと揺れるポニーテール。歩いていても走っているみたいに見える落ち着きのなさ。そんな背中を見ながら、きみこはぽつんと呟いた。

「……なんか、重大なことを忘れている気がする」

 

***


「しっつれいしま〜すっ!」

 インクの香りの充満する会議室。中庭に面した窓は一面に深緑を覗かせてる。机と椅子がコの字に配置されている以外は何もないシンプルな空間だったが、作業するのには丁度いい。

 媛子ががらがらと引き戸を開けて中にはいると、一が印刷物の山をせっせと並べているところだった。

「ああ、来たか。じゃあな、まずは左から順に重ねていって欲しいんだ」


 見ると「2年進級時のクラス分けについて」と言う文字が見える。

 ここの高校では、毎年クラス替えがある。1年生は受験の成績順に均等に編成されるが、2年生になると受験科目により「文系・理系」に分けられる。3年では更にその中が細分化されていくのだ。


「他の奴らにも声を掛けたんだが、皆忙しくてな。部活も3年が引退し始めて、落ち着かないし」

 そんな風に言い訳する姿も可愛いなとか思ってしまう。普通の生徒よりも、ちょっとだけ親しげに口をきいてくれるのが媛子には嬉しかった。

「媛は今日、予定がないのか?」

「ええ〜っ、先生のためなら、スケジュール真っ白にしちゃいますよ〜っ!」

 思わず、ガッツポーズをしてしまう。本当に、心からそう思ってた。だって、先生のためだから。先生と少しでも一緒にいたいから、他の時間なんていらない。でも、真面目に言ったつもりなのに、失礼なことに一は吹き出した。

「……お前、物好きだなあ」
 くくくっと笑いをかみ殺しながら、印刷物の山を数えている。うわ〜、目尻の辺りに笑い皺が出来るのもいいなあ……。媛子はその次の言葉を期待したが、すぐに作業に戻ってしまってがっかりした。

 ――そこで終わりにしないでよ。

 最初は、もっと簡単なものだと思っていた。ドラマとか漫画とか見ても、そうじゃないか。「好きです」と告白すると、すぐに「実は……僕も前から君のことが」てな感じになる。そして、気づいたら、デートして、えっちして……。

 まあ、しばらく付き合っているうちに、相手がかなりの石頭だと気づいたので、ここはあまり性急なのも良くないかなと、さすがの媛子であっても悟っていた。

「でも、すごいですね〜こういうのも学校の先生の仕事なんですか?」

 一学年分の書類を綴じるのは一苦労だと思う。先生は授業をしていればいいと思っていたのに違うんだなと思う。

 まあ、媛子が3月まで在籍していたポピーでは。このような日常の印刷も全て外注していた。何しろ、それように印刷所と提携しているのだ。さらに毎日の掃除だって、専門業者が入っていた。だから、媛子は雑巾だって満足に絞ったことがない。

 掃除の時間に、バケツとモップが出てきて、みんなでがやがやと机を運んだりするのがとても新鮮だった。いちいち驚くので、きみこなどは呆れかえっている。媛子のような生活をしている人間の方が希少価値だと。そうは言っても、自分の置かれた立場が絶対なんだから、仕方ない。

「まあな、こんなの当然だよ」
 そんな風に言いながら、一はさかさかと目にもとまらぬスピードで、どんどん用紙をまとめていく。

 最初はそれを一緒に手伝っていた媛子も、すぐに音を上げホチキス止めの方を引き受けることにした。わら半紙5枚ほどなので、左上を一カ所綴じて良しにする。さらにまとめたそれを、10ずつ山にして。

 ぽかぽかと暖かい部屋の中、気が付くとうとうととしてしまいそうになる。ああ、駄目駄目っ! 無能な生徒だったら、先生に用事を頼んでもらえなくなっちゃうっ! しっかりしなくちゃっ!

 

 しゃかしゃか、がしゃぼん、しゃかしゃか、がしゃぼん、とやっていたら、あっという間に夕暮れになっていた。

 

「……ああ、もう今日はこれでいい。明日にでも、続きをやるから。また、頼むかも知れないがその時はよろしくな」

 そう言うと、一はスーツのポケットをごそごそして、何かを取り出し媛子の手のひらに置いた。

「お茶の時間にもらったんだが、お礼がそんなものしかなくてすまないな」

 イチゴ味のあめ玉がみっつ。媛子のぷにぷにの手のひらの上で転がる。それを眺めていたら、何だか急に思い出した。

「――先生は、どうして一生に一度の女性って決めてるんですか? そんなで楽しいんですか?」

 別に挑発するつもりとかじゃない。

 でも……ちょっと聞いてみたかった。あめ玉にだって、いろんな味があるように、女の人にだっていろんな人がいるはずだ。それなのに、どうして一度きりでいいと思うんだろう。他を選ばないんだろう。

 不思議で不思議で仕方ない。

「う〜ん」
 一はくるりと首を回す。こきこきっと音を立てて、大きく伸びをした。

「俺は器用じゃないからな。ひとつに決めた方がいいんだよ」

 手のひらをさしだして、ひとついりませんか? と聞くと、首を横に振った。

 ……なんか、やだ。何でもないことなんだけど、突き放された気がする。最初から脈はないとはっきり言われた。お弁当を受け取ってもらえるようになって、「媛」なんて親しげに名前を呼ばれるようになっても、自分たちは単なる教師と生徒だ。それ以上の何ものでもない。

「決めるって……どうして分かるんですか? そんなの」

 真っ赤な着色料の色。口に含むと作りもののイチゴの香り。だけど、本物のイチゴじゃなくても、イチゴの飴。そうじゃないって、言う人はいない。

「先生のものって、印でも付いてるんですか? そうじゃなかったら、見過ごしてしまうかも知れないでしょう?」

 最初から、対象外だって言われた。……確かに、そうなのかも知れない、当たってるかも知れない。でも――どうしてそんなこと、すぐに分かるんだろう。

 一はゆっくりと媛子の方に視線を向けた。そこに浮かんでいたのは、やはりあくまでも「教師」として「生徒」を見つめる親愛の色。口元がかすかにほころぶ。

「ははは、……媛には参るなあ」

 適当に、その場を切り抜ける。そんな言葉はいらない。教師という立場で、きちんと指導するように接してくれても嬉しくない。……でも、この関係を拒否したら、それこそふたりの接点はなくなってしまう。

 すごくすごく、口惜しい。でも「好き」な気持ちがあると、いろんな感情を押し込めてしまえる。

「でも、分かるんじゃないかな?」
 ぐるりと室内を改めて、窓の鍵を確認しながら、一が言う。

「一生に一度の女性に出会ったら、きっと分かるんだよ。その人と、ずっと一緒にいたいって思うはずだから。どうしても離れられないって、思うはずだから」

「……」
 夕日に照らされたから? それとも、そうじゃなくて……? 赤く染まった輪郭を媛子はぼんやりと見つめていた。

 

 はっきりと、お前は違うって言われて。完全に駄目なのに、それでも好きだなと思う。いくら想っても絶対に振り向いてくれないって分かっていても、傍にいたいと思う。

 けど……そんな自分は彼にとっては不要なもの。

 

「媛は、『商品』だから、最初から駄目。まあ、……3年経ったら、どうなるか知れないけどな」

 さあ、帰ろうと、鍵を持つ。その広い背中に続きながら、媛子はわざとおどけて言った。

「先生の、意地悪っ! 上手いこと言って、期待させないで下さいっ! ……そ〜んなこと言って、3年後にはもう素敵な人とらぶらぶしてるんでしょっ! 信じられな〜〜〜いっ!」

 あはははは、と明るく揺れる背中。思わず、ばしばしっと張り手してしまった。でも、びくともしない。逞しくてがっしりして、頼りがいのある背中。この人の全てを全部隠さずに示している場所。

 こっちの手のひらの方が、じーんとしびれてしまう。そして、心まで震えてくる。

 

 ――3年後じゃ、絶対に無理なんだよ。今じゃなくちゃ、駄目なのに。

 

***


 渡り廊下は、両脇の窓から夕日に照らされて真っ赤な道になっていた。そこを抜けて職員室に戻りながら、一は自分の心がちくりと痛むのを感じていた。

 

 ――やっぱ、……ちょっと可哀想だったか。

 

 最後は泣き出しそうな目をしていた。自分の一挙一動で、彼女の心が塗り替えられる。それはびっくりするぐらい分かりやすくて、当たり前の大人の生活に慣れてしまった一にはどっきりとさせられることも多い。

『決めるって……どうして分かるんですか? そんなの』

 運命の女性はひとりだけど言ったら、こんな風にきり返された。

 大人への階段を上りかけた年代は、どこまでも純粋な心を失っていない。人は打算なしで生きていけると信じている。仕事だから、いつも高校生と接している。そんな一でも、時々、心臓をぎゅっと握られるようにはっとさせられることがあるのだ。

 

 もしも……お前がその相手だよ、なんて言ったら。一体どんな顔をするのだろう……?

 

 ふざけたこと、していいはずはない。ただ、どうだろうと想像してみたくなる。自分のことをよく知りもしないで、恋だ愛だと簡単に告げる危なっかしさ。あの生徒もあと数年経てば、普通に大人になっていくんだろうか? 何だか、それはちょっともったいない気もする。

 ……ま、その前に。いつまであんな風にまとわりついてくれるか、謎だがな。

 

***


「おおお、先生! 聞きましたよっ、会議室でいいコトしてたんですって!?」

 職員室の一番奥の席までようやく辿り着くと、いきなり話しかけられてた。

 副担任の文芸部顧問だ。17時15分までの就業時間を潰すために、だらだらと過ごしていたらしい。だったら、印刷物をまとめる仕事を一緒に手伝ってくれよと言いたいところだが、年長者にそんなこと言えない。それに、もし頼んだとしても「実は持病の腰痛が……」とか言って、逃げられてしまうに決まっている。

「いいコトですから、今度からは先生もご一緒にいかがですか?」
 一応、話を振ってみたが、予想通り「あははは」と笑って誤魔化されてしまった。

 職員室の椅子は三分の一くらい埋まっていたが、幸い誰も一たちの会話は聞いていない。このところ、興味本位にあれこれと詮索されることが多かったので、たったこれだけのことでホッとしてしまう。何だか、無駄に疲れることばかりだ。

「いやぁ、いいですなあ……青春ですなあ。ふふふ」

 本当に面白そうに何度も頷いている。

 どうでもいいが、こっちはこのあとも仕事は立て込んでいる。何も生徒に配布する印刷物をまとめることだけが。一の仕事ではないのだ。だが、まだ終業時間までには間がある。しばらくはこのおしゃべりに付き合わなくてはならないだろう。

 ふう、とため息をついたとき。相手の教師が嬉しそうにこちらに身を乗り出してきた。

「でもねえ、やはり彼女もお嬢様だったんですな……とてもそうは見えませんけど。ああやって、馬鹿みたいにはしゃいでいるのにも、それなりの理由があったなんてねえ」

 

 何を、言い出す気なんだ、この人は。

 少し眉をひそめてしまう。こういう思わせぶりないい方は好きではないが、相手はこんな風にばかり話したがる。もしかしたら――お互いに「コイツはあまり親しみを持てない」と思っているのかも知れない。

 

「ちょっと、小耳に挟んだんですが……もうご存じですか?」

 不気味なほどに大きく見開かれた目が、先ほどまでとはまた違う色をして一を見つめていた。


つづく♪(031226)

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