TopNovelおとめ☆Top>おとめ☆注意報・19

…19…

 

 部屋の電気ばかりか、窓のすぐ傍にある街灯も消えている。ついでに周辺の灯りという灯りが見えない。俗に言う「停電」と言う奴だ。

 昔見たアニメの再放送で、やたらと暗闇に弱い人間が出てきた気がする。普段は気障っちく振る舞っているのだが、暗いところに入れられると小さなガキのように泣き出すのだ。子供心にも情けない奴だと思ったが、こうして実際にその現場に置かれてみるとかなりの恐怖感がある。

 媛子の方は(一応)女の子であるし、さらに怖いのではないか。そう思って訊ねると、あっけらかんとした答えが戻ってきた。

「えええ〜っ、大丈夫ですよ! ウチね、省エネのために、寝るときは部屋を真っ暗にすることにしてるんです。お祖父様なんて『夜更かしは電気代の無駄だ』って、9時就寝なんですよ」

 久我商事の発展にはこんな裏事情があったのか。選挙資金を捻出するために、豪邸では省エネに努めていたとは! さすが金持ちの考えることは違う。いや、金持ちだからこそ、締めるところはきっちりと締めているのかも。

 まさか夜の警備は提灯を持って……とかないだろうなとすら勘ぐってしまう。

 

 突然外界から遮断されて、大の男の一ですら冷や汗をかいた。だが、媛子はそうでもないらしい。朝になれば明るくなるからとか言って、さっさと手探りで取り出した布団に入ってしまった。出来れば違う部屋で休みたいところだが、布団を敷けるのはここだけだ。あとは狭い通路のような台所と、水回り。廊下に布団を持っていく方法もあるが、それではトイレのドアが開かなくなってしまう。

「新婚さんごっこ」――この言葉を聞いたときは、心臓が胸板を突き破って、飛び出してくるかと思った。真っ暗闇で、若い(自分も一応、20代だし)男女が外に出ることも出来ない狭い部屋に閉じこめられているのだ。確かに自分たちは教師と生徒である。だが、それはあくまでも「学校」と言う領域の中での出来事であり、こう言う状況ではいかんともしがたい。

 心理学では「吊り橋効果」というのがある。『人はある心理的興奮状態に陥っているとき何かの感情に帰属しようとする習性がある』――普段は何ともない相手でも、たとえばぐらぐら揺れる安定の悪い吊り橋の上では特別の存在だと思えてくるのだ。自分の身が危険に晒された時など、興奮状態に陥った時の方が平常時よりも恋愛感情が芽生えやすいということらしい。

 

 もしかして。今のこの状況はまさにそれではないか。ここは吊り橋ではないが、建物も強風にぐらぐらと揺れてるし。

 ――いや、自分たちはあくまでも「教師と生徒」だ。「高校教師」なんてドラマや映画は嘘っぱちだ。あんな風に恋愛関係に陥ることがそうあってたまるものか……! あ、そんな強がりを言ったところで、実際はかなり耳にするのであるが。どちらにせよ、周りは周り、自分は自分だ。

 

「えへへ、先生に晩ご飯を作ってあげるのも『お嫁さん』だよね〜。お風呂で背中を流してあげられないのは残念だけど、風邪ひきだからしかたないか」

 あくまでも明るく。何も分かってないんだか、挑発してるのか全く読めない。だが、ここで「お風呂タイム」の映像なんて思い浮かべてしまった日には大変なことになる。駄目駄目っ! それだけは駄目だっ!

 一は布団をずるずるっと引き上げて、頭まで被った。ああ、早く朝よ来いっ! どうでもいいから、夜が明けてこの暗闇を一掃して欲しい。しかし、薄っぺらいタオルケットは、媛子ののほほんとしたおしゃべりを通してしまう。

「じゃあ、次は朝のヒトコマだね? 明日は私、ちゃんと早起きして、先生にとびきりの朝ご飯を作ってあげる! 早く起きてくれないと、おはようのちゅーをしちゃうかもよ」

 

 ……ごそごそ。

 サイドテーブルに手を伸ばして、目覚まし時計のスイッチをオンにしたのは言うまでもない。生徒に手を出すのも、出されるのも御免被りたい。指が何故か震えているのは、暗闇による恐怖のせいだとなんども自分に言い聞かせた。

 

***


 風が止まない、雨足もまた強くなる。――そして、眠れない。そりゃそうだ、今日は一日中眠っていたのだから、もう睡眠は足りすぎるほど足りている。それでもどうにか眠ろうとすると、さらに緊張で目が冴えてくる様な気がした。

「う〜っ……?」

 むっくり、と背後で気配がする。何だ、何なんだ! いきなり起きるなっ、起きると死ぬぞ! ……あ、いや。そんなことはないが、お願いだから眠っていてくれ……! とにかく、一は寝たふりをした。自分は寝てるんだと思いこんだ。

「先生、喉が渇いた。何か、飲んでいい?」

 おいおい、寝ている人間にものを訊ねないでくれ。そうは思うが、これでいきなり揺り起こされたりしたら、その方がヤバイと思う。何しろ、暗がりで身体と身体がくっつくのだから。それがたとえ背中と手のひらであったとしても、避けたい現状だった。

「……冷蔵庫の中にアクエリアスがあっただろう? ついでに俺のも頼む」

 

 気づけば喉がカラカラだ。どうしてこんなにひからびているんだ、自分は。確かに発熱して、今はだいぶ汗をかいているからそのせいかもしれない。一は腹に力を入れて、起きあがった。

「あれ……?」
 布団をどけてみて、初めて気づいた。外が明るい。……街灯が点いてるぞ! だが、部屋の中は相変わらず真っ暗。と言うことは建物へ続く電線が切断されたままなのかも知れない。まあ、ただの暗がりよりは少しいいか。と言ってもそれほど事態が好転したとも思えないが。

 水玉模様がうっすらと映る。何だかなあ、この状況。どうにかならないものか。せめて部屋の電気だけでも点いてくれないか。

「わあ、冷蔵庫も真っ暗。外のは点いてるのに、ここには電気、来ないね〜」
 わざわざ状況確認をしつつ、媛子が手探りでペットボトルから注いでいる。夕食を作ってくれたのだから、その時に食器の位置は確認できたのかも知れない。一応月明かり程度の明るさはある。

 

「はい、先生。お待たせしました」

 ことん。サイドテーブルにコップが置かれて。一はようやく媛子の方を振り向いた。

 ……あ、あれ? 何だかいつもとイメージが……。妙に違和感を覚えて、次の瞬間に気づく。そうか、寝るために髪を下ろしているんだ。一気に3歳は大人びた気がする、いや、そう思うのは暗がりのせいか?

 窓に向かって背を向けているので、こちらの顔色は真っ黒だろう。そうは思うけど、何だか落ち着かない。コップを持つ手がまたじんわりと汗ばんだ。

「……えへへっ……」

 何が可笑しいんだか、知らないが。媛子が笑う。床に座り込んでこちらを見ているから、その表情は見える。何か……何か、いつもと違う。髪型だけのせいだろうか?

「先生も、病気になったりするんだねえ。驚いちゃった。頑丈そうだから、いつも元気なのかと思ったのに。私、颯爽としてる先生しか知らないわ」

 半分知らない人間になったみたいな媛子が、一を見上げる。外の街灯が反射して、少女漫画のように目がキラキラしてる。くるんくるんと肩に付いた髪がところどころ乱れているのも、何とも妖しげだ。また、思考が変な方向に行ってしまいそうな気がする。

 

 ――なんか、自分はどこかがおかしくなっている。今日の朝から? ……いや違う、もっと前からだ。

 

「あっ、あのだな。媛……今気づいたのだが」

 とりあえず、頭にふっと浮かんだ疑問で思考の回路を修正しようと試みた。このままでは夜通し眠れない。だが、ただ朝を待っているのも疲れる。当たり前の教師と生徒であるならば、何となくおしゃべりをするくらいいいのではないか? ああ、その方が自然な気がする。

「お前は――いつから俺を知っているんだ?」

 先ほどの媛子の口調で、何か不思議だなと感じた。それまで、自分は媛子と入学式の日に出会ったのだと信じていた。それまでは全く接点がなかったのだから。だが違う、そうではない。今までの媛子の行動から察するに、彼女はまるで自分がいるから今の高校に入学したみたいだ。

 聖ポピー女学院は、幼稚部から短大までの一貫教育をしている学校だ。どんなに成績が悪くても、それなりのものを渡せば進級・進学が出来るだけに、生徒の学力は残念ながら底辺を這っていると聞いている。お茶やお花、日本舞踊に英会話までが普通の授業カリキュラムに組み込まれ、俗に言う「花嫁学校」さながら。まるで戦前のままの感じだ。
 教科会などで一緒になるポピーの教員は、あんなところにいると頭がふやけてくるとか言っている。まあこの就職難に親のコネがあったとは言え、聖職に就けたのだ。愚痴を言っても、辞める気はないようだが。

 うぬぼれかと思う。そんな話は出来すぎている。だが、いままで自分たちの周りにはそんな「普通じゃ考えられない」状況がたくさんあった。

 

 聞いていいのだろうか、でも聞いてみたい。こんな風にふたりで、何の邪魔も入らないで語り合えるなんて、次はいつになるか分からない。

 

 媛子は一がいきなりそんな風に切り出したので、しばらくきょとんとした表情でこちらを見ていた。でもやがて。ふっと、顔を崩す。

「う〜んと……そうねえ、一年くらい前かな。夏休みの前だったと思う」

 小首をかしげて。ああ、だから。そんな可愛く見える仕草は今はやめて欲しい。

 出来ればそういうのは、ざわざわと人がたくさんいるところにしてくれないか。ふたりっきりだと……だと、何だか違うんだ。まあ、彼女の次の台詞に、もやもやと湧いてきた未知なる感覚は吹っ飛んでしまったが。

「私ねえ……15歳の誕生日に真倉様と婚約したのよ。正式に、結納って奴。だから、ああ、そうか〜このまま真倉様の妻になるのねとか思っていたんだ。
 だって、ポピーには女の先生しかいないし。……ああ、ポピーではシスターって言うんだよ、先生のこと。たまに男の非常勤の先生も来るんだけど、もうよぼよぼのお爺ちゃんだけなの。男の人なんて、お祖父様とお父様、そしてお兄様方。あとは親戚の人たちくらいとしか話をしたこともなかったわ。
 そんなもんだろうなと、思っていたんだけど……」

 ――じゅ、15歳の誕生日に婚約っ!? そんな時代錯誤なことがあっていいものか。いや、婚約者がいると言うことは、確かにいつか婚約した事実があるのだが、一としてはそれはせめてこの春あたり、中学を卒業してからなのかと思っていた。

 どうでもいいが、あまりに変だ。やはり金持ちの名家の考えることは分からない。

「あら、久我のお家では女の子は15歳で必ず婚約するのが決まりなんだよ。でも、前はもっと早かったの。時代の流れとかでだんだん遅くなったけど……江戸時代とかは3歳とか5歳でお輿入れとかあったらしいよ?」

 そっ、それは、江戸時代って……お武家様か!? あ、一般庶民だって結婚は早かったと聞いているが……そもそも、久我家と言うのは、どんな家柄だったのだろう。まあ地元の名家なんて昔からそれなりの格式があったんだろうが。話を聞くと長くなりそうなので、その辺は訊ねるのをやめようと一は思った。

「そ、そうか。それで?」

 話の流れが変だ。何で婚約が先なのか。何だか媛子の行動はいつもちぐはぐな気がする。恋人になってくれと突撃したと思ったら、セフレ発言をしたり。いきなり弁当攻撃を始めたり。恋人なんかに出来ない、恋愛感情なんて抱けないと繰り返して突き放したのに、全然めげない。力の加減が分からずに、苛めたみたいな感じになってしまったのもそのせいだ。

「真倉様ってね、すごくおしゃれで話もすっきりしていて、どこから見ても完璧なんだけど、何だかこの人が将来の自分の夫なんだと思うとピンと来なくて。まあ、あの人と結婚するのはずっと前から家同士で決まっていたし、それでいいと思っていたんだけど。小説とか、そう言うのに出てくる恋愛と違うんだもん。どきどきしないの、少しも」

 だんだん乙女の悩める告白みたいになってきた。媛子の口から語られるのは何だか不思議な気もするが、いわゆる「マリッジブルー」というのによく似ている。同僚の先生が、婚約者がそれに陥ってだいぶ苦労していた。結婚が決まると急に精神的に不安定になるってやつだ。

「あの朝も、佐伯の車を降りてね。ぼーっと歩いていたのよ。一応期末テストの期間中だったけど、別にテストなんて受けても受けなくても、高等科には上がれるし。席に着いていればいい感じだったから。銀杏並木がまだ緑色でね、かさかさって風が吹いてた。

 そしたら――先生がね、向こうから走ってきたの」

 えへへへっ、とまた笑う。とても嬉しそうだ。いつの間にか彼女のコップは空になってる。でも話は続いた。

「でねでね、幼稚園くらいの女の子がいきなり先生の目の前で転んだのよ、べちゃっと。だから、先生は慌てて抱き起こしてあげたのよね……顔に似合わず優しい人だなと思っていたら、その子、先生の顔見てもっと泣くの。先生がすごく困った顔していて、子供のお母さんにすみませんでした、なんて謝ってるんだよ? 何か変なの〜って、思っていたらいなくなっていたわ」

 ――なんだそれは。良く覚えてないぞ。

 そうだったっけ、そんなことは結構あるので覚えていない。自分は子供が嫌いではないが、子供には好かれない。学生時代にボランティアで幼児施設に行ったときも、わんわん泣かれて辟易した。職員の方が申し訳なく思ったらしく、わざとピンク色の可愛らしいエプロンを貸してくれたが、役に立たなかった。
 小学校の先生になってみたいと思った時期もあったが、そう言うこともあって断念したのだ。

 初対面、と言うか、初めて見た自分の姿がそんなだったとは。何だか情けない限りだ。それで、どうして今に結びつくんだ。

「何だか面白い人だなと思ってね、それからも時々見かけたから、そうか毎朝ここを通るんだって気づいて。佐伯に早めに送ってもらうようにして、毎朝先生が学園の前を通り過ぎるのを見るのが日課になったの。隣の高校の先生だって、すぐに分かったわ」

 ――パンダか、俺は。一は初めて知る事実に冷や汗をかいていた。確かに毎朝のようにポピーの前を通って学校に通っていた。始業時間は同じなのだから、毎朝眺められても不思議はないが……でも、そんなことってあるのだろうか。良く飽きなかったものだ。

 とにかく媛子は。その後も一が高校へ仕事に行く姿を眺めていた。普通はただ通り過ぎるのだが、小さな子供がぶつかってくることもあれば、往生したお年寄りを道案内することもある。同僚の先生と楽しく語らっているときも、顔見知りらしい生徒に声を掛けられていることもあった。

「たまにね……出張か何かで、先生が朝、来ないことがあるの。そうすると、すごくつまんないなって、会いたいなって思うんだよ。変でしょ? ただ、朝、フェンス越しに眺めるだけなのにね。先生に会えないと一日が始まらないの。会いたいな、会いたいなって思うの。……気が付いたら、先生のことばかり考えてた」

「は、はぁ……そうなのか」

 何かピンと来ない。そんなことってあるのだろうか。まあ、良く聞く話である。こちらはただの生徒だと思って接していたのに、あっちは恋愛感情を持っていて、いきなり告白されて驚いたとか。そう言う場合、こちらの無意識の行為が、相手には大きな意味を持ってしまうこともある。
 ただ、それは直接相手と面識がある場合がほとんどじゃないだろうか。見ず知らずの人間を遠目に見てるだけでは、そんなのただの「興味」でしかない。

 それなのに。媛子は自分に何を感じたのだろう。残念ながら、外見で人に好かれる自信はない。今までの人生でもそう言うパターンはなかった。

「どうしたら、先生の側に行けるかなってずっと考えたの。そしたら、真倉様がそんなに好きならそこの高校を受けてみればいいのにって。そんなこと言い出す方なんて思っていなかったから驚いたけど、そんなことが本当になったらすごいなって思ったわ。
 でも、絶対に受かるわけないって、担任の先生にも、家族にも言われてね。諦めたくなかったから、家庭教師を3人くらい雇って。必死に勉強したんだよ。いっぱいいっぱい、毎晩頭が溢れてくるくらい、詰め込んで、でも朝になると忘れているからまた詰め込んで。
 どうして私はこんなに馬鹿なんだろうって、口惜しかったけど。でも、負けなかったよ。だからギリギリでも合格できたとき、とっても嬉しかったんだ。あんなに頑張ったの、生まれて初めて」

 一は思わず息を呑んだ。実のところ、媛子の受験の時の成績はあまり芳しくない。良くもまあ受かったなと思う感じだ。だが、それは彼女にしてみれば、必死の結果だったのだ。

「嬉しかったな、先生のクラスになれて。先生とお話しできて。これがみんな、私の頑張った結果なんだなって思ったら、すごく……すごく、嬉しくて。ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃったかも、……ごめんなさい。でも、すごく楽しかった。本当にありがとうございます」

 そこまで言うと。媛子はちょこんと頭を下げた。

 ふわっと垂らしたままの髪が舞い上がって、滑らかに頬の上に落ちていく。何故か、――何故か。遠い気がして。そんなはずないのに、どんどん遠ざかる気がして、思わず手を伸ばしそうになった。

 

「そんなこと……、俺の方こそ。媛には世話になったよ、弁当も……うまくなったな。今夜の鯖の味噌煮なんて、料理屋で食べてるのかと思ったぞ。お前、よく俺の好みが分かるな? 前から不思議に思っていたんだが……」

 寸前のところで、空気を掴んでグーの形を作る。意味のないその握り拳を膝の上に戻したとき、媛子が顔を上げた。

「えへへ、だって。リサーチしたもん!」

 さっきの一瞬の湿っぽさを吹き飛ばすように、彼女はまた笑顔になった。リサーチ……? 一が何事かと思っていると、自慢げに胸を張る。

「他の先生方がね、色々教えてくれるの。先生の行きつけの飲み屋さんとか、定食屋さんとか。学校の帰りにそう言うところに回って、先生のこと色々聞いたんだ。先生が良く頼むお料理とか、その作り方とか、全部覚えたもん。今日のお味噌も、定食屋さんの自家製のを分けて貰ったの。だから、先生の好きな味に出来たんだよ?」

 媛子は制服のポケットから、生徒手帳を取り出した。そこには彼女の丸っこい女の子文字で、びっちりと一に関する情報が書き込まれていた。飲み過ぎで二日酔い、なんて記述まである。その横に丸で囲んで、少しあっさり目のメニューで! とか書いてある。

「そっ……そうか」

 まさか、こんなことまでしていたとは知らなかった。確かに料理の腕も上達していたが、それだけではなかったのだ。予習復習だけでも普通の生徒の何倍も大変な中、良くもまあここまで頑張ったものだと思う。自分のために、ここまでしてくれるんだ。そう思うと、熱いものがこみ上げてくる。

「また、お前の弁当を食わせてくれ。……楽しみに待ってるからな」

 

 そこまで言うのが、やっとだった。これ以上、言ってはいけない。自分に出来るのはここまでだ。ふわふわと柔らかい存在だからこそ、どうやって扱ったらいいのか分からない。手放せない、でも乱暴に扱ったら壊れてしまう。媛子が自分に影響を与えているのは知っている。それによって、自分が変わり始めていることも。

 ――だからこそ、守らなくては。

 媛子は一の言葉に応えるように、嬉しそうに笑った。それだけで、胸がいっぱいになるほど幸せな気分になる。ちょっとした働きかけで、こんな風に喜んでくれるんだ。それだけで、十分じゃないか。

 

 だが。その次の媛子の言葉に、一は凍り付いた。

「ごめん、先生。終わりなんだ。もう……お弁当は作れないの」


つづく♪(040312)

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