TopNovelおとめ☆Top>おとめ☆注意報・24

…24…

 

「……おかしいなあ。どうして、通じないんだろ」

 さっきから何度目だろう。元通りに制服を着込んだ媛子が、ベッドに腰掛けて携帯をいじっている。何度も何度もリダイヤルボタンを押して、そして溜息をついた。頭の上でいつものようにポニーテールが揺れている。

「そうか。どういう訳なんだろうな」

 実は、かなり緊張していたりする。でも、年長者としてここで慌てふためいてしまえば、彼女を余計に心配させてしまう。一は努めて平静を装いながら、自分も隣に腰を下ろした。そして、媛子が操作を終えたことを確認してから自分ももう一度手元の子機をリダイヤル……出ない。

 

 何をしているのかというと。ふたりして、媛子の家に電話をしているのだ。もちろん、昨晩はきみこの家に泊まったことになってる。媛子の家族もそう信じているだろうし、そう心配もしていないだろう。

 だがしかし。

 一はぶるぶるっと武者震いをした後で、姿勢を正した。ああ、この身体に馴染まないスーツはどうだ。特別の時にしか身に付けない一張羅は、今の高校に赴任してきたときに買ったものだ。袖を通したのは数回、いつまで経っても身体に合ってない気がする。

 たった今から。彼は一生に一度の大仕事をすることになっていた。媛子の家に訪問する――どう見ても「担任教師としての家庭訪問」なのだが、それは違うのだ。

 

***


「これから、一緒に媛の家に行くぞ。他の男になど嫁に出すなと、きっぱり言ってやる」

 食事の後にそう言ったら、彼女は目玉が飛び出るくらいびっくりした顔をしていた。

「え〜っ、……だって。先生、そんなのは……」

 絶対に無理だって言う。そして、何度も聞いた「久我の家に伝わる災い」を繰り返すのだ。

 もしも、久我の家が、会社が崩壊したら。すごく大変なことだと言う。迷信で済めばいいけど、本当に起こることだから。それは先代で実証済みなんだから。この不況下に再び惨事が起こったら、今度こそ久我の家は事業は壊滅的だと。

「時代は繰り返すとか、言うでしょう? 私のせいで大変なことになったら困るもん」

 しゅんとして、うなだれる姿は可哀想で仕方ない。

 何でこんな小さな娘に、重責を背負わせるのだ。だけど、彼女は大切なことを忘れている。いつもどこか抜けてる奴だとは思っていたが、今回に限っては悠長なことを言ってはいられない。

「何言ってるんだ。よく考えてみろ、俺にもう二度と会えなくなるんだぞ。お前はそれでいいのか、俺は嫌だぞ。せっかく一生に一度の女を見つけたのに、このまま出家して死ぬまで媛を想い続けろって言うのか……? どうしても、結婚しなければならないなら、俺としろ。それでいいじゃないか」

 ああ、臭い。自分で言いながら、呆れてしまう。でも、必死だった。ここですがりつかなかったら、媛子が永遠に手に入らなくなる。

「媛、――お前も馬鹿だな。周りよりも自分のことを一番に考えるんだ。世界が崩壊したっていいじゃないか、俺は他に何もなくても、媛がいればいいぞ。……お前はそうじゃないのか。俺よりも大切なものがあるのか? ……どうなんだ!?」

 媛子の顔は、また涙でくしゃくしゃになっていた。

 Tシャツの裾を何度も持ち上げて顔を拭うので、腹の辺りとか丸見えだ。ちらちらと覗く胸のふくらみが誘ってくる気がする。あの柔らかい手触りを思い出すだけで身体が熱くなるが、今はそれどころじゃない。ああ、でもやりたい! うう、堪えなければ……!

「うええええっ……んっ! 先生が好きなのっ、先生がいいの〜っ! でもっ……」

 婚約者は媛子の祖父や親戚が選んだ由緒正しい家柄の跡取り息子。結婚するのだって、もうずっと8年も9年も前から決まっている。今更、相手を変えるなんて絶対に無理だと言う。

「馬鹿だな、媛。そんな奴に俺が負けると思うか? ……大丈夫だ、心配するな」

 身体を密着させると、その後の保証がないので、ここはぐっと堪えて頭を撫でてやる。愛おしくて仕方ない。どうして今まで、こうせずに過ごしてこられたのか、不思議で仕方ないほどだ。

 

 ――媛子が自分の前からいなくなってしまう。

 

 その事実を突きつけられて、初めて自分が抱いていた感情を理解することが出来た。いつの間にか媛子の姿を探していた自分。いつまで経っても姿を見せないことに苛立って、ついあんな風に辛く当たってしまった。そして、試合中に。背中に感じた視線にどんなに勇気づけられたか。

 媛子の存在がどんなに大きくなっていたか、ようやく気づいた。

「教師だから」「生徒だから」と無理矢理に枠にはめて考えていた。でも、そんなことをしていたら、媛子が手の届かない存在になる。それだけは嫌だった。早まった行為だったとは思うが後悔はしていない、断言できる。

 だが、「大丈夫だ」と言い切るのも難しいことだ。媛子から聞いた驚くべき事実。昨日の朝、何が起こったのか。「真倉」という婚約者は、なかなかの食わせ物だと見た。そう簡単に諦めるとは思えない。

 やはりここは……直接に、媛子の家族に直談判するしかない。多分、免職になるんだろうとは思うが、そんなことどうでもいい。彼女を失うことに比べたら、何とささやかなことか。

 

***


「だいたい、他のとこには掛かるのよ? さっき、きみちゃんとは話が出来たじゃない。なのにウチだけ、どうしたんだろう。ずっと呼び出し音が鳴りっぱなし。受話器が外れていたら、それはすぐに分かるはずだもんな……」

 そうなのだ。電波がどうのとかそう言う問題ではない。

 他の場所には通じるのに、媛子の自宅にだけ連絡が付かない。普通の家なら留守にしていると言うこともあり得るが、彼女の家はたくさんの使用人がいる。それに、両親や祖父母の携帯にも、別居している兄たちの携帯にも掛からないとはどうしたことか。
 媛子の友人であるきみこには連絡が付いたので、彼女にも試して貰ったが、やはり通じないらしい。

「佐伯は圏外になってるし……どうしたんだろ。向こうから連絡して、迎えに来てくれてもいいくらいなのに」

 ふううっと大きく溜息をつく。シャワーを浴びて、元の通りに制服を着込めば、目の前にいるのは「久我媛子」という当たり前の女子高生だ。だが、一の目にはもはやそれだけの存在として映らない。ちょっとした仕草までが、愛らしくて仕方ない。思わず、顔がにやけてしまうのを必死で堪える。この状況でヘラヘラしていたら、変な奴だ。

 やっと見つけた存在だ。彼女がいるから、頑張れる。どんなことでも出来る。誰かのために張り切れる自分になれるなんて、幸せだ。ここは、とことんやるしかない。

「まっ、仕方ないだろう。こうなったら直接乗り込むしかないな。……じゃあ、ちょっと待ってろ。大家さんに車を借りてこよう」

 表に出てからタクシーを拾ってもいいのだが、自分で運転した方が早そうだ。一は自家用車は所持していないが、車が必要なときはこの部屋の大家さんがマイカーを貸してくれることになっている。さっと立ち上がると、玄関の方向に、数歩、歩き出した。

 

 ――ピンポーン!

 その時、いきなり呼び鈴が鳴った。誰だろう、大家さんかなとか思ってドアノブに手を掛けると、外側から軽いノックの音が聞こえた。

「おはようございます、媛子様。お迎えに上がりましたよ? ……だいぶ探しましたが、こちらにいらっしゃるんでしょう……?」

 

 背後で、ぎゃあっ! と悲鳴が上がる。

 振り向くと、全速力でドタバタと走ってきた媛子がドアをぎゅうっと押さえた。そして、必死の面持ちで叫ぶ。

 

「せっ、先生! 絶対に開けちゃ駄目!! ――この声っ、真倉様っ!!!」

「――えっ……!?」

 一瞬、何を言われてるのか分からなかった。そして、すぐに悟る。え? でもどうして……? 媛子の婚約者だという男が、何故ここまでやってくるんだ。

 ふたりで顔を見合わせて口をぱくぱくとしていると、ドアの向こうで「ふふふっ……」と不気味な笑い声がした。

「やはり、そちらには権藤嶺先生もおられるんですね? いやあ、どういうことでしょう。仮にも教師という身分にある方が、自分の部屋に女子生徒を連れ込んで。……まあ、宜しいでしょう。媛子様をこちらにお渡し願えれば、このことは内密にしても構いませんよ。私は心の広い人間ですからね……ふふふ」

 安普請の建物のせいか、ドアの隙間から響いてくる声がはっきりと聞き取れる。媛子の顔がさああっと青ざめた。

「さっ、真倉様っ!! 何を仰るんですか!」

「おお……、愛しの君よ。早くお出でなさい。昨日から衣装係が待っているんですよ? どんなに探したことか、嵐の中、私は何度も絶望を感じていたのですから。さ、……もう恐怖はおしまいです。早くなさい」

 ――不気味だ。どこまでも、不気味である。この演技がかった台詞も声色も、どうにかして欲しい。

「ばっ、馬鹿なっ! お前なんかに媛を渡せるか、おいっ!」

 

 ……ばんっ! と、思わずドアを開けてしまった。

 するとそこには、身長こそは一よりも少し低いが、すっきりとした姿の男が立っていた。憎たらしいが、スーツの質も全然違う。こっちは一張羅を着てるというのに、それが量販店の「まとめて1万円」のように思えてくる。磨き込まれた靴までがピカピカとして、ブローのしっかりと掛かった髪には寸分の乱れもない。

「なっ……」

 

 一が次の言葉を発する前に、媛子が体当たりでドアを閉めた。

「やだっ、先生っ! 駄目だよ、開けちゃっ!」
 世にもおぞましい光景を見た後のように、媛子の目は恐怖の色に血走っていた。

「あっ……、ああ、ごめん」

 こっちとしても、実はかなり怖かった。蝋人形のようにのっぺりした頬が少しも緩むことなく、こっちを見据えた目がアンドロイドの様だった。確かに恐怖の対象である。

「ふっふっふっ……権藤嶺先生。媛子様を何と言って脅迫したのかは知りませんが、こちらとしてもいい迷惑です。婚約者を奪われては黙っているわけにはいきませんよ? このまま籠城ですか、それも宜しいでしょう。でも、こちらは法的措置に出させて頂きますよ……?」

 ああ、目の前をドアで遮断しても、まだあの顔が脳裏に焼き付いている。媛子はドアにしがみついて、がたがたと震えている。でも、何があってもここをどかないという真剣な形相だ。一はごくりとつばを飲んだ。

「そうですね……、権藤嶺先生。あなたにはどれくらいの罪状があるでしょう。まず、未成年者略取(誘拐)、婦女暴行、児童福祉法違反がつくでしょう。脅された事実があれば、さらに恐喝罪も加算されますね? こちらには有能な弁護士をいくらでも揃えられますから、このほかにいくらでもでっち上げて差し上げますよ。
 さらに、一般人ならいざ知らず、あなたは県の教育委員会が採用した公立高校の教員です。さあ……教師の不祥事とは喜ばしくないですねぇ。必要以上に騒ぎ立てられますし、マスコミも飛びついてくるでしょうね。
 早くここをお開けなさい、そうすれば許して差し上げますよ……?」

 その気になれば、蹴り飛ばせるようなドアだ。媛子はもう泣き出しそうな顔をしている。向こう側でえんえんと語っている男の声もその話の内容も、かなり恐ろしかった。だが、どんなことがあっても媛子は渡せない。だいたい、あんな変な奴だと知ったからには尚更だ。

 

 一は媛子の片腕をそっと掴んだ。そして、彼女の口元に指を当てる。絶対にしゃべるなよ、と首を横に振った。それからそろりそろりとドアから離れる。まだ演説は続いているが、そんなのは構ったこっちゃない。

「せ、先生っ! ……どうするの? これじゃあ、外に出られないよっ!」

 媛子が小声で囁く。カーテンを掴んだ一は振り向くとにっこり微笑んだ。

「ドアが駄目なら、窓だ。警察でも呼ばれたら面倒だからな。その前に、逃げるぞ?」

 

 ――がらり。窓を開ける。すると、そこには眩しい風景……じゃなくて。

 

「ほーっ、ほっほっほっ……! おはようございます、権藤嶺先生。あちらには先客がいらっしゃったので、ここで待たせて頂きましたが……いつまでも開けてくださらないので、ちょっと疲れましたよ」

「ぎゃあっ! ――校長っ!!!」

 一は思わず、ばばばっと飛び退いていた。

 

 何がどうしたんだ、どうしていきなり校長がっ!

 しかもここは二階で、しかも普通のベランダではない。ただ、布団がどうにか干せるように作ってある腰高窓の外の手すりだ。どうやってここまで登ってきたんだ、この人はっ!!

 

「あ〜、久我先輩っ! それに小田巻くんっ! ……うわ〜、剣道部のみんながいる〜っ!」

 媛子が、窓から下に手を振ってる。一にとっては校長は恐怖の存在だが、彼女にとってはそうではないのだ。悠長なものである。

「校長先生〜、重いですからそんなにぐらぐらしないようにお願いします! 後2年で退職なんでしょ〜っ? 無理しないでくださいよ!」

 下から泣き出しそうな久我元主将の叫び声がしてくる。何故か借り出された剣道部員が、校長の登ってきているはしごを必死で支えているのだ。

「ほほほ、権藤嶺先生。とりあえずは、下に降りましょう。あちらの方に気づかれないうちにね」

 

***


「で……何故、校長がこちらに?」

 まあ、状況はどうであれ、好意を有り難く受け取った。大家さんの庭の植え込みに降り立って、一は改めて訊ねていた。

 おかしな話である、いきなり媛子の婚約者が乗り込んでくるのも予想外だったが、窓の外に待機していた校長はもっと怖い。

「ほほほ、そりゃあ決まってますよ。権藤嶺先生が、きっとはしごを必要としていると思いましてね。だから、こうしてご用意したのではありませんか。よもや、あのまま飛び降りるおつもりで? ……いやあ、青春ですなあ……」

 にこにこにこ。満面の笑みを浮かべながら、一と媛子を見つめる。もう、こっちは生きた心地がしない。一体、どういうつもりなんだ。

「時に久我さん。昨晩は、権藤嶺先生のお世話をしっかり出来ましたか?」

「は……はい。どうにか」

 媛子は間の抜けた声でそう答えてから、一の顔を見上げる。そうか、そうだろう。校長はふたりが一晩を共にしたのをとっくに知っている。あの、電話の時にすでに分かっていたのだ。

 

 もしや、……もしやである。

 この人までが、あの蝋人形――もとい、媛子の婚約者の仲間なのだろうか。こんな風に時間稼ぎをしているうちに、背後からサスペンス劇場のエンティングのように警察がばばばっとやって来たりして――。

 

 だが、そんな一の緊張も吹き飛ばすような、穏やかな表情。とてもじゃないが、倍以上人生を生きている人間の心内はなんてそうやすやすとは読みとれない。校長は眩しそうに改めてふたりを見つめた。

「ああ、それにしても懐かしいことです。久しぶりに、私も昔を思い出しましたよ……青春とはやはり素晴らしいものですねえ」

「は……?」

 どこか遠くを見つめる少年のような瞳。白髪の小柄な校長は、すっかりと自分の世界に入り込んでいる。何が何だか分からなくて、一はまた聞き返していた。

 

 すっきりと晴れ渡った青空を仰いで、校長はゆっくりと話し出す。

「久我さんを見ていると、どうしても繭子(まゆこ)さんと被りましてね。……まあ、繭子さんの方がずっと美人だしおしとやかな淑女でしたが。やはり良く似ていますね」


つづく♪(040326)

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