TopNovel未来Top>キスから、夢まで。・3


…片側の未来☆梨花編その2…
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「…あれ?」

 6年生になったある日、小学校から戻ると、玄関にナイキのすごくでっかいスクールシューズがあった。きちんと向きを揃えてはじっこに並べてある。でも27.5cmと言うサイズは小学校4年生の弟の友達のものじゃないと思う。というか、特注品かも知れないなあ。ウチのパパもかなりの長身だけど、27cmの靴を履いてる。

 リビングの方から歓声が聞こえてくる。「うきーっ!」とか、馬鹿っぽい声は間違いなく弟のものだ。

「やあ、梨花ちゃん。お邪魔してます」

 入り口からぴょこんと覗いてみると、背中を向けて座っていた人がすぐに振り向く。そうなんだ、人の気配とか察するのもすごく早い。洞察力があるというか、いつもきめ細やかに心配りをしていると言うか――、本当にここまでの人はいないと思う。

 岩男くんは私の方を向いてにっこりすると、またTVの画面に視線を戻した。

「岩男兄ちゃん〜、ねえねえ、コイツなんだよっ! コイツのせいで先に進めなくってさっ…!」

 岩男くんの隣をしっかりキープしているのが弟の樹。両手両足をバタバタさせて訴えてる。ああん、もう。見ているだけでウザいわ。それなのに、岩男くんてば、すごくやさしそうに手取り足取りアドバイスしてる。

 私は、黙ったままキッチンまで行くと、きっちりカップを温めてミルクティーをいれた。ちなみに樹にはポカリスエットだ。

「ああ、ありがとう」
 お茶の支度をしたトレイをリビングのテーブルに乗せると、岩男くんがまたすぐに振り向いて御礼を言ってくれた。

「樹くんに、帰り道でばったり会っちゃってね…」

 そう言って指さす方向を見ると、岩男くんの学校のカバンとかスポーツバッグとかが並んでいる。ああ、また拉致されたのね…岩男くんも人がいいんだからな〜。樹はゲームで倒せない中ボスとか出てくると、必ず岩男くんに聞いてる。岩男くんも普段はお家でゲームなんかしないって言うけど、こう言うのは気付くか気付かないかの違いだから、洞察力のある人はぴぴんと来たりするみたい。

「明日が実力テストだから、部活を休みにしたんだ。少し早めに戻ってきたからね」

 心地よい、音色。岩男くんの声はいつも私の心に染み通ってくる。そばにいるだけで、今までの緊張感がふっと抜けるのだ。

「へえ、西の杜は高校受験がないから楽なのかと思ったのに。結構大変なんだね…」

 そんなことはお姉ちゃんから聞いていて、全部知っていた。でもそれを言えば、会話が止まってしまう。私は頭の中の情報をくるくるとかき混ぜながら、どうやってこのやり取りを引き延ばそうか考えていた。

「そりゃあね、高等部に進学する時に、ひとクラス分、外部受験生と入れ替えに振り落とされるんだから、もうこっちとしても気が抜けないなぁ。みんなもう必死だよ? …梨花ちゃんも今に分かるよ」

「…ふうん」
 私は紅茶のカップを手にしたまま、話の流れをなぞっていた。

 

 そうなんだ、岩男くんは私が西の杜を受験するものだと思っている。ううん、岩男くんだけじゃない。学校の先生も、パパもママもお姉ちゃんも、塾の先生もそうだ。正直、受験して受かる自信はある。でも…実を言うと、ちょっと迷ってるんだ。

 パパが脱サラして始めたお店。丘の上のおしゃれな雑貨屋さん。それなりに繁盛してるんだけど、やっぱり経営は大変みたい。景気の低迷も影響してるみたいで。お姉ちゃんが私立の西の杜学園に通っている為に、ウチの家計はかなり圧迫されている。
 もちろん、それが理由で私に受験をやめさせる気はないみたい。ただ、毎晩電卓を叩きながら、ふたりが遅くまでひそひそ話してるの、聞こえちゃうんだよね。

 この前はとうとう「学資ローンが…」なんて話題も出ていて、私は心臓が飛び上がるかと思った。

 普通に公立の中学に行って、公立高校に進学すれば、西の杜に通うのの何分の一で済むだろう。別に高校受験で楽をする気はないし、自分の頑張りで大学受験はどうにでもなると思う。何も西の杜にこだわる必要はないのだ。そりゃ、優秀な生徒たちの中で揉まれた方がずっと有意義だと思う。十把一絡げで成績の上と下の差が激しい公立学校では、成績のいい者がだんだん楽な方に流れてしまう傾向にあるみたい。

 でも、そんなのは本人の頑張りでクリア出来る事なんだし。きっと私だったら、出来るし。パパとママ、あまり困らせるのはどうかと思う。ここにいる「他力本願で甘えん坊」な弟・樹は西の杜向きだ。コイツは楽をさせたらどこまでも堕落していくタイプ。それに樹が受験する数年後までには、パパの経営ももうちょっと安定して、経済的にも楽になっていると思うし。

 …私が、我慢すればいいんだよね?

 でも…それは分かってるんだけど、どうしても思い切れない理由がある。

 

「梨花ちゃんは西の杜に来たら、もちろん柔道やるんだよね? 今、女子部は休部してるけど、梨花ちゃんが入れば絶対に復活するよ? それにきっと自分もやってみようって言う女子もいると思う。俺は高等部に行っちゃうけど、道場は一緒だし…、楽しみだな。一緒に頑張れるね」

 私が西の杜を受けると信じている岩男くんは、いつもこんな風に私を勇気づけてくれる。一緒に頑張ろうって…いいな、そう言うの。部活なら、これから毎日放課後会えるようになるんだ。岩男くんが小学校を卒業してしまってからの日々はすごく長かった。3歳の年の差が恨めしい、アメリカみたいに飛び級して追いつきたいと思った。

 

 …岩男くんと、一緒にいたい。同じ空気を吸って、同じ感動を味わいたい。今だって、私は道場で岩男くんにとってとても近い存在だと思う。年の差なんて感じさせないように、仲良くしてくれる。大切なことだって、私にすぐに教えてくれるんだ。

 そう…、あとちょっと、ちょっとなんだから。

 

「ねえ、岩男くん」

 樹の「岩男兄ちゃんじゃないとどうにもならない絶体絶命の大ピンチ」が無事、終結して。そうすると自分が呼び止めて家に引きずり込んだことをケロッと忘れて、彼はさっさとナップザックを取った。ゲームボーイアドバンスとケーブルを手に、これからお友達の家に行くらしい。

 その姿を見た岩男くんは、とくにムッとした様子もなくにこにこと見送って、自分も立ち上がろうとした。そんな彼を私は呼び止める。

「…何?」

 こんな時に。もしも「面倒だな〜」とかちょっとでも素振りで示されたら、私はきっと引っ込んでしまう。でも岩男くんはいつも通りの優しい笑顔で私に尋ねるから、俄然勇気が出てしまうのだ。

「あのね…、塾の宿題で分からないのがあるの。ちょっと教えてくれないかなあ…」

 岩男くんが浮かせ掛けた腰をもう一度クッションの上に戻したのを見て、私は慌てて階段を上ると二階の自分の部屋に飛び込んだ。

 

「…へええ、こんなの。本当に小学生の問題?」

 ノートを広げると、岩男くんは小さな目をぱちくりさせて私に聞いてきた。それもそのはず、私が見せたのは中学生だって普通は解けないような難しい応用問題だった。何でも超難関の有名中学の入試問題らしい。解けた人が何人もいなかったため、学校側で問題になったほどの。それを塾の先生が「こんなのが分かればすごいけど…」と話題のひとつとして出してきたのだ。

「う〜ん、困っちゃうんだ。今日提出しないといけないの…」
 私は神妙に答えると、ふうっとため息を付いた。もちろん、そんなのは嘘。でも、私は必死でその「嘘」を演じようと決意していた。

「そうかあ…」

 岩男くんが片手で鉛筆をくるくると回してる。考えてくれてるんだ。それが分かって嬉しくなる。私は席を立つと、紅茶のお代わりをいれに行った。

 

 パパとママはお店に出てる。お姉ちゃんはまだ戻ってこない。樹も遊びに行っちゃった。だから今、家には私と岩男くんふたりきり。

 こういうチャンスは絶対に逃しちゃいけないと思っていた。そのために私は密かに「岩男くんノート」を付けている。そこには自分では絶対に解けない難しい算数や数学の問題を目に付くたびに書き加えているのだ。こんな風に、岩男くんがウチに来てくれた時。または道場で練習が終わったあと少し暇そうにしてる時。偶然気付いたみたいに「教えて」と甘えるために。

 岩男くんの中で。私の存在はあくまでもお姉ちゃんの妹。それは分かっている。もしも私がお姉ちゃんの妹でなかったら、きっと岩男くんはここまで構ってくれないと思う。でも…それでもいいんだ、今は。

 

***   ***   ***


 私は知ってる。もしかすると、岩男くんも知ってるかも知れない。中3になった今年は、同じクラスだって言ってたし。

 お姉ちゃんは西の杜に進学してからも、モテモテ。ううん、中学生になってからの方が、男子たちの態度があからさまになってきたような気がする。

 小学校の頃は「みんなの菜花ちゃん」と言った感じで、周りの男の子たちは取り巻きみたいにたむろっていた。それが…中学生になると変わってくるんだ。何て言うのかな…だんだん、独り占めがしたくなって来るみたい。ええと、独占欲って言うんだっけ。

 そのせいか、男の子たちのアプローチの方法も変化する。電話してきたり、直接家に来たりするのが…ひとりずつになったんだ。

 今日も、実はお姉ちゃんは部活仲間だという男の子と映画を見に行ってる。もちろん、ふたりで。これって傍目から見たら、デートだと思われても仕方ないと思う。ただ、そんな風にお姉ちゃんとふたりきりで出かける男の子は決まっていない。私が知ってるだけでも数人いる。お姉ちゃんに聞いてみても「単なる友達」という答えが返ってくる。

 お姉ちゃんを誘ってくる男子たちも、あの手この手で趣向を変えてくる。お姉ちゃんが見たがっていた映画の特別観賞券、行きたがっていたテーマパークの期間限定のアトラクション。そう言うのをちらつかせて誘ってくるんだ。もちろん、お金持ちの子供が通う私立学校だから、親のコネがきくんだよね。かのディズニーランドだって、出資企業に勤めていれば、色々とおいしい思いが出来るらしいし。
 最初はお姉ちゃんもそんな誘いには乗らなかった。…だって。お姉ちゃんが大好きな人は、誘ってくれる男の子たちの中にはいないから。お姉ちゃんと同じクラスにいても声もかけてきてくれない、こちらから話しかけるとあからさまに嫌な顔をしてそそくさと行ってしまう…そんな男の子がお姉ちゃんは大好きだった。

 そう…、お姉ちゃんが好きなのは岩男くんなんだ。そんなの、分かってる。お姉ちゃんは小さな頃から、まだ幼稚園の頃から、取り巻きの男の子たちよりも岩男くんが好きだった。

 

 岩男くんは大人しい性格だったから、勢い込んだ取り巻きたちに気後れして、あまりウチには遊びに来なくなった。たまに今日みたいに樹に誘われて家に上がることもある。でもそんなときもお姉ちゃんが帰ると分かると、そそくさと引き上げちゃうんだ。

「岩男くん…来てたの?」
 そんな日は。戻るなり、お姉ちゃんが悲しそうな顔をする。飲み終わった紅茶のカップ、さっきまで座っていたクッション。なのに、岩男くんだけが消えている。しゅううんとうなだれた姿は見るからに哀愁をそそる。

 普通は「そんなことないよ、元気出してっ!!」って、言ってあげるところなんだろうな。でも、私は言わない。だって、うなだれているだけで周りがどうにかしてくれると思ったら大間違いだもん。お姉ちゃんは他の男子にもちやほやされて、それで実は岩男くんが一番好きなんて…虫が良すぎるよ。そんなの許せない。

 

 許せないのは、お姉ちゃんだけじゃない。実は岩男くんのことも許せない。だって…岩男くんもお姉ちゃんばかり見てる。あんなにちゃらちゃらして、他の男の子と出かけたりするお姉ちゃんを、それでも好きなんだ。どうしてなんだろう、そんなのってひどいと思う。

 ――お姉ちゃんには、たくさんいるんだよ? 他にも相手。お姉ちゃんだったら、普通の男の子で大丈夫。でもっ…私は岩男くんがいい。岩男くんじゃなくちゃ、駄目。

 岩男くんみたいな男の子はなかなかいない。心のちょっとした隙間にもちゃんと気付いてくれる。パパもママも素通りしちゃうようなそんな気持ちも、岩男くんならするっとすくい取ってくれる。

 …岩男くんじゃないと、やだ。

 

 だから、待つことにした。私はその日まで、お姉ちゃんの妹として待つことに決めたんだ。今に、お姉ちゃんはきっと、たくさんいる取り巻きの男の子の誰かとおつき合いすることになると思う。そうなれば、岩男くんだって、お姉ちゃんを諦めてくれるはず。その時に、彼の隣に収まるのが私。

 去年も、一昨年も。

 お姉ちゃんは岩男くんへのチョコレートを用意した。でも渡せなかったんだって。わんわん泣きながら、部屋でヤケ食いしてた。その姿を見ていても、慰める気にもなれなかった。早く諦めてくれればいいのに…って、そればっかり考えて。

 そしたら、岩男くんの方も。

 毎年お姉ちゃんにお誕生日のプレゼントを買ってるんだよ。そんなに高価なものじゃない。透き通った花模様の薄紙とか、ため息が出そうに綺麗な絵はがきとか。どれも手のひらに乗るくらいの品物なのに、とても心がこもっている。それを…岩男くんがずっとカバンに入れて持ち歩いていたのも、知ってた。いつか渡そうと思っていたんだろうね。

 

 …でもさ、どうしてなのよ。

 どうして、お姉ちゃんなの? 岩男くんがお姉ちゃんしか見てないの、気に入らない。私の方が、ずっとそばにいるじゃない。たくさんおしゃべりしてるし、岩男くんのこと知ってる。…なのに。

 お姉ちゃんは、私よりも早く岩男くんに出会った。ただそれだけじゃない。そのほかは、きっと私の方が優位に立ってる。きっと、もうちょっとで、手が届くほどに。

 そこまで、頑張らなくちゃ。

 

***   ***   ***


「…あ、そうか!」

 岩男くんが、突然叫ぶ。すごく嬉しそうに。

「ほら、ここ。ここにこっちの数値を当てはめて…うんうん、出来た!」

「あ――…、ほんとだ」

 知恵の輪を外すように、岩男くんは難しい数式をいくつも組み合わせて問題を解いていく。その鮮やかさにはいつもながら感服する。でも…それと同時に、何とも言えない寂しさが胸に吹き込んでくるのも事実で。

「すごいっ! どうもありがとうっ。そうか〜、そうだね。この方法は思いつかなかったよ」

 思い切りはしゃぎながら、もうひとりの自分がこの状況を冷たく見つめているのを感じていた。

 

***   ***   ***


 私の持ち駒が減っていく。また、集めなくちゃ。

 岩男くんを繋ぎ止める術を。難しくて自分では解けない問題、ひとりの力じゃ解決出来ないような悩み、悔しさ。そう言うものを持ってる時だけ、岩男くんはそばに来てくれる。だから、私も岩男くんの力になりたい。私がして貰ったのと同じくらい、それ以上に岩男くんにとって、なくてはならない存在になりたい。

 …同じ夢を追いかけるような、そんな人になれたら。

 まずは岩男くんがこっちを見てくれなくちゃ。お姉ちゃんを諦めて、私の方を向いてくれなくちゃ。そうしないと始まらない。

 彼氏までも、お姉ちゃんのお下がりなんて。本当はそんなの嫌だった。でも仕方ないじゃない、岩男くんが最初にお姉ちゃんを好きになっちゃったんだから。どうして、お姉ちゃんなの? 確かにお姉ちゃんはすごく可愛いよ。ふわふわしていて、とてもあたたかくて。でも、それだけじゃないでしょう? ただ、その場を和ますだけの存在なだけで、どうして岩男くんを支えられるの?

 大阪にいる岩男くんのお父さん。岩男くんのお母さんが亡くなったあと、あっちで単身赴任をしていて、そして新しい奥さんと結婚した。だから、岩男くんには義理のお母さんと、弟や妹がいる。長いお休みにはあっちに泊まりに行ったりするけど、複雑な感情はあるみたい。自分の中ではやっぱり産んでくれたお母さんが一番いい。でも、お父さんにとっては、新しい奥さんが大切なんだから。

 戻ってきた岩男くんは、いつも暗くなるまで道場でひとりで自主トレしてる。すごく辛そうで。まるで自分を痛めつけることで、心の中から毒々しいものを吐き出そうとしてるみたいだった。岩男くんは…多分、本当は、一生お父さんには再婚して欲しくなかったんだ。でも、そんなこと言えない。それは岩男くんのお父さんの人生なんだから。

 …心では分かっていても、どうしても許せないことってある。

 もしも、岩男くんが、私の方を向いてくれたら。特別な存在として私を認めてくれたら。その時は私も自分の全てで岩男くんの苦しみや悲しみに立ち向かっていきたいと思う。

 そばに行きたい、誰よりも何よりも。岩男くんの心の隣に、行きたい。

 

***   ***   ***


 ――それなのに、どうして?

 岩男くんとお姉ちゃんがつきあい始めた。ある朝、岩男くんが恥ずかしそうにお姉ちゃんをお迎えに来たって、あとから聞いた。私はその時、陸上の早朝練習があって、もう家を出ていたから。グラウンドまで走ってきた樹の叫びを聞いて、目の前が真っ暗になった。

 ひどい、ひどすぎるっ。岩男くんだけは、信じていたのに。岩男くんは私のことを分かってくれる。だからきっと…いつか、私の存在を特別に思ってくれる日が来る。

 

 …どうして? どうして岩男くんまでがみんなと同じなの? お姉ちゃんの方がいいって言うの?

 そりゃ、お姉ちゃんは可愛いよ。見た目はもちろん、性格だってすごく可愛い。普通、あれだけ男の子からちやほやされれば、女子からの反発は受けると思う。過激なのになると、女子トイレに呼び出されるとか。
 でも、そんなのもなかったんだよね。お姉ちゃんにはちゃんと女の子の友達もいて、いつでもクラスの人気者で。どうしてそんな風になれるのか、すごく不思議だった。

 私には真似出来ない。

 これでも、小学校の高学年になるとちょっとは男の子たちの目にとまるようになったみたい。知らない中学生とかに声をかけられたりもした。でも…そんなの見向きもしなかったけど。綺麗だねって、挨拶みたいに言われてた。お人形みたい、って。それでも、違うんだよ。お姉ちゃんみたいになれない。みんなの真ん中でにこにこ笑っていられない。

 もちろん、クラスでは委員長。児童会長だってやった。でも…なんて言うのかな、クラスのみんなは私を仲間はずれにはしなかったけど、そんなに親しげに話しかけてもくれなかった。とりあえずひとりぼっちになることはなかったけれど、何だか寂しかった。

 お姉ちゃんに出来て、どうして私には出来ないのだろう。頑張っても頑張っても、お姉ちゃんにはなれない。

 

 辛かった。口惜しかった。

 西の杜なんて、受けられるはずもなかった。お姉ちゃんと岩男くんが仲良くしてるところなんて、絶対に見たくない。パパもママもびっくりして考え直すようにと言ってくれたけど、私の気持ちは揺らがなかった。岩男くんのいないところに行きたかった…そして、お姉ちゃんのいないところに。私が私になれるところに。

 

***   ***   ***


 …それなのに。

「槇原さんって…『Apricot Green』の槇原さんでしょ?」

 中学に入って、一番先にかけられたのはそんな言葉だった。パパのお店は口コミでだいぶ広まっていて、知る人ぞ知る地元の名所みたいになっていた。
 私のパパはTVタレント顔負けに格好良くて、本当にモデルのお仕事もしてるし。

 いつの間にか、私はクラスメイトのおしゃべりの中心にいて。どうしようと思ってると、ひとりの子が思いだしたようにこう言った。

「槇原さんのお姉さんって…西の杜学園のミスなんでしょ? すごいよねえ、だもん槇原さんもこんなに綺麗なわけだわ」

 そうすると、他の男の子も言う。

「ああ、知ってる。ファンクラブがあるんだって? ウチの兄貴、会員なんだよっ!」

 

 ――気の休まる場所なんて、ないんだ。私はどこに行っても、お姉ちゃんの妹なんだ。

 槇原梨花って名前もなくなればいいのに。どうせ、名前なんてなくたって同じ。「槇原菜花の妹」でいいじゃない。

 

 たったひとつの希望の消えた私には、もう何も残っていなかった。


 

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