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…8…

 

 

「そ、そう…そうなの」

 他にどうやって答えればいいのだろうか。沙和乃は突如として巻き起こる疑問の叫びをぐぐぐっと飲み込んで、かろうじて言葉を押し出した。

 もう、何なのっ!?

 何を考えてるのよ、この男っ…! 女いるのに、会いに来るのか? あんな風にぼろぼろに泣いて人を引き留めておきながら、何なのっ! しゃあしゃあと…。

 落ち着け、…落ち着くんだ、自分。沙和乃は何度も深呼吸した。乾いた唇を舐める。ああ、何か言わなくちゃ、反応しなくちゃ…動揺してると思われちゃうわ。

「そう…なんだ…」

 ようやく、それだけ口にした。

 まだ、頭の中がぐるぐるしている。でも、これきしのこと、パニクるほどの幼さもないと思う。だいたい、二度三度顔を合わせただけの男だ。確かに、特別の…女とか男とかそういう関係じゃない。友達…? いや、それも違う。じゃあ? じゃあ…!?

 がくっと膝が落ちて、目の前にあったベンチに倒れるように座り込んでいた。

「…沙和乃さん…?」
 周五郎が不思議そうな顔でのぞき込んでくる。田舎のあぜ道のススキがやわらかい日差しを浴びているみたいだ。辺り一面、のほほんとしている。

「どうしました? もう疲れちゃったんですか…?」
 そう言いながら、隣りに静かに腰を下ろす。この男は身のこなしがとても品が良い。どう見ても沙和乃とは10キロ以上の体重差があると思うが、自分が座ったときよりも椅子が揺れない。小鳥がちょっと止まったような軽やかさだ。

「し…仕事が立て込んでいたのよ」

 その言葉に嘘はない。先週末はひときわ忙しかったし、ようやく訪れたせっかくの休日にこんなに早起きさせられて。挙げ句にどう見ても自分の好みとは思えない服を着せられ、…レジャー施設!? しかも東京ディズニーランドならいざ知らず、対象年齢「お子様」のアニマルパークだ。

 沙和乃はいつしか、頭を抱えてうずくまっていた。かさかさと乾いた木の葉が地を蹴って飛んでいく音が聞こえる。それをかき分けるように、いつの間にか耳に馴染んだ声が聞こえてくる。すぐに近くで。

「そうですか、…僕はまた」

 何だか、視線を感じる。頬に当てた手の甲が熱い気がするのだ。思わず、首を少し回して、指の隙間からそちらを見た。

「今の話に衝撃を受けているのかと思った」

「――へ…?」

 思わず、息が止まる。何だ? いつもと違うぞ、その語り口。

 …なっ、何っ!?

 驚いて手のひらをどけてみると、周五郎が普段通り、やわらかく微笑んでこちらを見ていた。

「僕、別にもう誰でもいいんです。沙和乃さんじゃなかったら、どの女性でも同じだから。高滝澤のお嬢様でも…他の誰でも。爺はもう、今回の縁談は絶対にまとめるんだって婚約発表の日取りまで決めてますよ」

 そう言いながら、こちらを捉えるその瞳が熱い。嘘でしょ、どうしてそんな気がするのか。レンズを取り去った瞳は大気圏を突入して、眼差しの熱を直に伝えてくる。

 もしかして、彼は今、世界中の女性に対してすごく失礼なことを言っている。それなのに、全然嫌な気がしない。それどころか、歪んだ心地よさが沙和乃を支配し始めていた。

「…僕」
 静かに立ち上がる。その辺にいる若者みたいな格好をしてるのに、身のこなしに育ちの良さを感じる。やはり、どこかが違うんだ。それくらい、庶民の沙和乃にだって分かる。

「沙和乃さんがいいんだけどな…」

 

「え…?」

 ふたりの距離が10メートル。緩やかな風に乗って、声が届く。そして、沙和乃の耳がそれを受け止めたとき、周五郎の視線はもう遙か向こうを見ていた。

「あ〜、沙和乃さんっ!! ゾウだ〜、水浴びしてますよっ!! すごいすごい〜」

 もっと突っ込んでやろうと思ったのに、沙和乃をベンチに置き去りにしたまま、周五郎が走り出す。この男、何故か足音が軽い。マラソンランナーみたいだ。どたどた、ではなくて、ささっと地面を軽く蹴るから、音もなく遠くに行ってしまうのだ。あれだけの長身、それなりに肉付きはあると思うんだけど…。

「…と、あんたっ! 待ちなさいよねっ…」

 慌てて立ち上がると、後を追う。話がいきなり変化するから、付いていけない。何なんだ、さっきのは…!?


 ぜいぜい言いながら、沙和乃が追いつくと、周五郎はもう柵に手を掛けて乗り出してのぞき込んでいた。

「へえ〜コンクリートの上にいるゾウなんて初めてです。視察でアフリカとインドに行ったときは背中に乗ったりしましたけど…」

 ――おいおい。

 何か違うぞ、何かが。

「見て下さいっ! あっちはキリンです〜うわ、美人ですよ〜!」

 どういうことか、いつもゾウの隣にはキリンがいる。入り口付近の動物園の法則。やはり人気の顔で引きつける魂胆か。全く商魂たくましい。

 このパークも本当はもっと目玉になるような動物を仕入れたかったらしい。でも国際保護法とかの認可がなかなか難しく、断念したらしい。パンダやコアラは無理だとしても、ラッコくらいは置きたかったと館長が地元の広報で言っていた。

「あのねえ…」
 沙和乃は、さっきの会話に今更突っ込むのはやめようと思った。それにあまりこだわっているのも気にしているようでみっともないし。

「美人って…。ここにオス・3歳って書いてあるけど…?」

「ええええ、どう見ても女性顔なのに…キリンって奥が深いですねえ…」

 キリンはみんな、この顔だろうが〜〜〜〜〜。

 そんな沙和乃の心の叫びも聞こえず。周五郎は大袈裟にのけぞって、驚きを全身で表現している。コイツ、本当にナカノの専務? もしかして、影武者がいて、通常の業務はそいつが全てをやっているんじゃないだろうか…。

 沙和乃は。だんだん身体の緊張が抜けてくるのを感じていた。木の陰にはストーカーのようにカメラのシャッターを押すシンジさんがいる。その一眼レフのレンズに映るペアルックのカップル。アップを撮らなけりゃ、それなりに見えるのだろうか。

 暖かな冬の日差しが照らし出す園内は人通りもまばらで、流れる風も心地よいくらいだ。ホント、動物園なんていつ来ただろう? 小学生の頃以来かな? 何を今更とか思っていたが、それでも子供に戻って楽しむのも悪くないかも知れない。隣にいるのは「ほとんど子供」な男だし。濃淡の布で作られたモスグリーンのスニーカー。羽が付いてるのかと思うくらい身軽に動く。


「――あんたって…」

 檻の向こうからこちらをのぞき込んでくるピューマと目を合わせ、「この猫、育ちすぎですね」と感心して呟く。その冗談を言っているようには思えない真面目な声にクラクラしてくる。ゴリラに「ウォー」とやられて、「ひぃ〜」っと身を縮めているし。

「実はものすごい、いい学校出たりしてるんでしょ?」

「あ、はい〜でも、高校からは海外に出ちゃったんですよね」

 一瞬、どこかで聞いた話だと思った。そうだ、この間の御曹司っ! あいつも「アメリカの大学」とか言ってたっけ。でも、周五郎のはどう見ても格が違いそうだ。沙和乃もその辺は余り詳しくないが、一応耳にしたことのある大学名。そこで「博士号」まで取って、戻ってきたのが、20歳っ!? 何だか異次元の話みたいだ。

 ということはこの男の頭はちゃんと脳細胞が詰まっているのかなあ。難しい方程式も解けるのか!?

「わ、フラミンゴだ!! 一本足で立つんですよね? そうですよねっ!!」

 ぴょんぴょんとした足取り、順路に従って進んでいく。軽やかなステップにはきっとフラミンゴも驚くだろう。でも、何でこんなに浮かれているんだ?

「あのさ…あんたの会社にはここよりももっともっと立派な施設がいくらでもあるんでしょ?」

 ナカノは総合企業だが、とくにレジャー部門に精通している。ホテル業界はもちろんのこと、遊園地や動物園などの施設だってたくさんあるはずだ。今更、珍しいこともないのに。

「ええ、伊豆の方にこの10倍くらいのがありますね。そこに今年中にコアラを呼ぶ運びになってます」

 また、さらっとすごいことを答えてくる。コアラを呼ぶって…おいでおいでしたら、走ってくるのか? 犬じゃあるまいし。

「今、急ピッチで『コアラの森』を建設中なんですよ。この前見に行きましたが、それはそれは見事でした」

「…そ、そう」
 ええ? 『檻』でなくて『森』…? 一体何が始まるんだ。そんなのを作るのに、どれくらいのお金が動くんだろう…多分「億」のレベル。「兆」…じゃないだろうなあ、それじゃ国家予算になってしまう。ま、どっちにせよ、そんな会社の中枢の人間が、こんなところでのほほんとしていていいのだろうか?

 フラミンゴが水浴びをしている柵の前まで辿り着いて。彼はふと、遠くを見て足を止めた。

 …何を見ているんだろう…何しろ、身長の差が10センチ以上違う。沙和乃は背伸びして、視線の方向を確かめる。真冬なのにソフトクリームのショップが出ていた。まあ、お天気はいいし、食べられないことはない。他にもテイクアウトの軽食の店が軒を連ねていた。

「…食べたいの?」

「えっ…でも」
 半開きの口でボーっとしているのだから間違いないだろう。一応、聞いてみると悲しそうに下を向いてしまう。

「僕…お金が…あの、今日は無理矢理出てきたから、爺も口をきいてくれなくて」
 学習能力がないのか、またカードしか持っていないらしい。容子の店までは車を出して貰ったようだ。

「大丈夫よ」
 沙和乃は周五郎のそんな姿を眺めながら、ちょっと胸を張った。

「今日の飲食代は全額、モデル料替わりに負担してくれるんだって。どんどん食べちゃお!」

 自慢げにかざす、水色のフリーパス・カード。企業の上層部の人間が視察の時に使う奴だ。それを機械に通すと経費で落ちるようになっているんだって。IT革命だ。実は、帰りにショップでイルカのぬいぐるみを買おうかと思っている。前からあれを抱き枕にしてみたかったんだ。9800円もするんだけど、それくらいは大丈夫だろうか?

 


「…これ、全部食べるんですか?」
 ソフトクリームを受け取りながら、周五郎がまた呆然としている。いつもボーっとしているが、まあ、この態度は「呆然」なんだろう。

 テイクアウトショップのある一角には、パラソル付きのテーブルがたくさん設置されている。ここでお弁当を広げたり、買った物を食べたりするのだ。そう言うための広場。ハトやカラスが木の上からこっちを見ているのがちょっと怖い。

 落ち葉がひとつふたつ落ちたテーブルの上に、抱え持ってきたものをどさどさと並べる。アメリカンドックにポップコーンにフライドポテト。焼きそばにたこ焼き、ホットドック。発泡スチロールのカップに入った豚汁とかもあったけど、それはやめて「落としたてのブレンドコーヒー」にした。

「焼きおにぎりもあったよ。足りなかったら、買ってくるわ」

「ええっ!? …そんな、いいですよ〜」
 周五郎はすだれに落ちた前髪を揺らしながら、かぶりを振った。根元のところで短く切られたてっぺんの髪がふわふわとしている。そして、恐る恐る、と言った感じで、ソフトクリームに舌を伸ばした。

「うわ、おいしいですねえ…」
 一口食べると、目をきらきらと輝かせる。

「そうよ、ここのソフトクリームは農場直営の奴なのよ。ひとつ400円もするんだけど、いつも休日には行列が出来るほどの人気なの。TVでやってて、チェックしてたんだ」

「へえ…どんなシェフが作っているんだろう…その人、ウチに来てくれないかなあ…そうしたら、毎日こんなにおいしいのが食べられるんだなあ」

 24歳の「立派な紳士」が頬を赤らめる。言ってる台詞もちょっと変だ。

「スプーンを使わないでアイスクリームを食べるなんて、新鮮です。やみつきになりそうですよ」

 のろのろのろ。億の金を動かす人間が、なにみみっちいことをしているんだろう…?

「ああ、…もう。垂れてる垂れてるっ…上からばっかりじゃなくて、フチの方も食べなさいよね。そんなにちまちま食べてたら、真夏だったら今頃どろどろになってるんだから」

 慌てて、ペーパーお手ふきを差し出す。何しろ、いつものことだが、1度に口に入れる量が少ないのだ。沙和乃がひとつ食べ終わっても、まだ4合目くらいをぐずぐずしている。

「楽しいですね〜動物園。こんなに楽しいところなんて、思いませんでした」
 半分に取り分けた焼きそばを、また、ちまちまとつつきつつ、周五郎が言う。言ってることは十分にギャグなんだけど、目の色が真剣なので怖い。

「珍しくもないでしょ、今更。何言ってんのよ…」
 感動の響きを打ち砕くように反論する。ぱくっとたこ焼きを口に放り込んだ。あ、これは結構イケるかも。ここのテイクアウトは全体的においしいわ。

「だ、…だって」

 消えそうな声でそう言いながら、辺りを見渡す。人気もまばらな平日の施設。木の陰で、まだシンジさんが張っている。彼もソフトクリームを舐めていた。

「仕事以外でこんなところに来たの、初めてなんですっ。もう楽しくて…それにそれに。沙和乃さんがいるし」

「…は!?」

 な、何を言ってるんだ? 冗談か!? この男は瞳を輝かせながら、冗談を言うのか!?

「だって、僕。子供の頃から、ずっと机に向かっていて。学業以外にも企業経営者になるためのたくさんの知識を身につけなくちゃ行けなかったんです。それに、長期休業には海外に出て、短期留学を…語学の修練は現地で、と言う方針だったんですよね。先ほどお話ししたとおり、高校からはアメリカでしたし。それが…当たり前だと思っていたんですが…沙和乃さんの話を聞くと違うみたいですね」

「そ、そう…」
 何と言って受け答えしたらいいのやら、リアクションに困ってしまう。

「で、でもあんた、親がいるでしょ? その親御さんとどっかに行ったりしなかったの…?」

 そうよ、そうだよ。皇族の方々だって、忙しい公務の間を縫って軽井沢とか葉山とかに行ってるじゃないか。内閣総理大臣だって、余暇を楽しんでテニスをしてるぞ。

「え…でも」
 周五郎が途中で口ごもりながら言う。

「僕の父上と母上は…小さい頃に飛行機の事故で亡くなってるんです。だから僕は、ほとんど、お祖父様に育てて頂いたようなもので…」

「は…はあ…」

 な、何なんだ。この絵に描いた餅のような、ありきたりの展開は。

「け、結婚を急いでいるのも…祖父を早く安心させたいからなんです。でも、なかなかこれと言った方に巡り会えなくて。どのお嬢様も素晴らしい方ばかりなのですが、一生を過ごす相手とはどうしても思えなくて…そんな風に考えるなと爺にも何度も叱られましたが――」

 

「あっ、あのねっ!?」
 沙和乃は話がとんでもない方向に行きそうなことに気付いて、慌てて遮った。

「ここのチーズポテトもおいしいのよ、買ってきてあげるっ…!」

 このまま、話を続けさせては駄目だと思った。いつの間にか、男のペースに巻き込まれてしまう。どうにかして振り切らなければならない。なよっちい、くせに妙に押しが強いのはどういうことなんだろう。

「ま、待ってくださいっ…!」
 周五郎も負けじと食い下がる。ええい、ここで呑まれてなるものかっ! こんな若造には負けないぞっ!!

「あ――あのね。今日1日なんだもん、楽しくやろうよ…私もさ、腹を決めて今日はあんたに合わせるからさ。そんな湿っぽいことは…」

 思い切り、明るく言ったつもりだったが。

 途中で言葉が途切れてしまう。喉がぐっと詰まって、次の言葉が出てこなくなった。この場の空気にもはや呑まれてしまったのかも知れない。

 見ると。

 周五郎が安っぽい椅子に座ったまま俯いて、ふるふるしている。あ、そうか「今日1日」とか、また禁句を言ってしまったんだ。だから、泣くんだ。沙和乃はそう思った。

 でも。今回の彼はちょっと違った。涙を今にも溢れさせそうに目のフチに溜めて。でもこぼすことなく、静かに顔を上げた。

「時間がないんです…」

 …は?

 何なんだ、この余命いくばくもない、と言いそうな表情は。もしかして、この男、不治の病に冒されているとかそう言うのなのか!? いや、違うと思うぞ。どこから見てもすっきりと健康体だ。

「僕、分かってます。沙和乃さんが振り向いてくれないことは…ですから、もう少しだけ時間を下さい。今日1日じゃ、嫌です。僕はおじいさんになって、死ぬときになって、人生を後悔したくないんです…!」

 ずずずっと、ハナをすすって。それから、まっすぐにこちらを見た。その瞳があんまりに綺麗に輝いて、すうっと吸い込まれそうになる。まるで、悠久の時を地下に埋まっていた魅惑の宝石みたいだ。

「なななな…何よっ! 何が言いたいのよっ!?」
 別に押さえつけられているわけでも何でもない。それなのに身体が動かない。指先も動かせなくなっているのだ。

 

「一週間だけ、一緒にいてくれませんか?」

 

 …え? 何言ってるのよ、コイツはっ!?

 沙和乃の顔色が変わるのが分かったのだろう、周五郎が慌てて訂正する。

「あ…もちろん、恋人になってくれとかそう言うのじゃないんです。ただ、この楽しい時間をもう少し過ごしてみたい。沙和乃さんと一緒にいると本当に幸せなんです…。も、もちろんっ! お仕事の邪魔はしませんよっ! それはお約束します。…その上で、空いた時間に会って頂いたり、その、電話したりメールしたりして…」

「馬鹿、そんな…」
 慌てて、言葉を遮る。本当にしゃべり出すと流暢な奴だ。ストップかけるのも大変だ。

「そんな、会ってくれなんて。時間ないわよ、定休は来週の水曜までないし。あんたのスケジュールには合わせられないわ」

 仕事は信用問題だ、穴をあけるわけにはいかない。シフトの調整は1週間前では無理なのだ。1ヶ月以上前に全て決められてしまう。それを守るというのが仕事上の契約だ。ましてや、明日からのスケジュールはもう詰まりっぱなし。プライベートに回す暇だって、ないくらいだ。

 突っぱねるのに、周五郎は懲りない。まだまだ、がしっと食い下がってくる。

「仕事が上がった後はどうですか? …もちろん、僕にだって仕事があります。普通の日はスケジュールが詰まってます。でも沙和乃さんのご都合で、アフターの予定はキャンセルしても構わないんです」

「…無理、だってば!」

 周五郎の声は悲痛な色を見せていて、出来ることなら頷いてあげたかった。一生のお願いだと言われれば、聞いてあげたくなる。年下の男なんて情けないだけかと思っていたが、こんな風に慕われるのも悪くないと思う。…やっぱり、呑まれてる!?

「私、夜も駄目なの。一応、土日は空けてるんだけど…ウィークデーは…夜も駄目」
 そう告げながら、胸がひりひりする。心臓に張り付いた言葉が一枚ずつ無理矢理に剥がされて行く。ああ、こんな風にして、胸は痛むのだと初めて知った。

 虚ろな視線で、目の前の人をたどりながら。理由まで言わなくちゃいけないのかなと一瞬考える。でも、周五郎はそれを訊ねなかった。

「…5分でも10分でもいいんです。それでいいんです…沙和乃さんが、僕のことを見つめて下さる時間があるなら、会いに行きますっ!」

 思わず、息を飲んでいた自分がいた。

 …本当、だろうか?

 沙和乃は自分の心が、ぐらっと動くのを感じていた。この男は本気でそんなことを言っているのだろうか…? でも、でも…本当に、本当にそうなのか? それでいいのか。

「…友達で、いいのね…?」

「は…、はいっ!!」
 沙和乃の口から出た思いがけない肯定的な言葉に、周五郎が飛びつく。

「よ、呼ばれれば…どこにでも行きますっ!! 五分以内に駆けつけて見せますっ! 沙和乃さんが呼んでくだされば、どこにでも行きますっ!!」

 …それは。JAFのロードサービスよりも早いぞ、本気なのだろうか。でも周五郎は冗談で言ってるわけではない。きらきらの瞳がそう告げている。

 それに、1週間経てば、この関係は途切れるのだ。もうだらだらと続くこともなくて…。そう思えば、いいのかも知れない。沙和乃はにっこりと微笑んで頷いた。

「…そう、分かった。本当に、1週間ね…?」


 ――商談、成立…? かくして。ふたりの奇妙な関係が、もうしばらく継続されることになったのだった。





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