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…11…

 

 

「間が悪い」と言う言葉がある。沙和乃は昔から、そんな場面に遭遇することが良くあった。

 たとえば、商店街の福引きで、前と後ろの人は特賞と二等賞を当てたのに、自分は赤玉でポケットティッシュだったり。2時間も並んで楽しみにしていた老舗のたいやきやさんで、自分のひとり前でおしまいになってしまったり。試験の直前になると熱を出す、と言うのも当てはまるかも知れない。

 だから、短大を出て就職した会社の直属の上司がたちの悪い女好きだったことも、それによって思い出したくもない過去が出来てしまったことも。挙げ句の果てにあんな男にすがってしまったことも。みんな「間が悪い」と言ってしまえばいいのかも知れない。でも、それでは何の解決にもならない。


「…一週間か…」
 口の中でぼんやりと呟いたあと、コートの襟元をぎゅっと押さえた。

 今日は風が冷たい。職場であるホテルから、歩いて10分ほどのオーダードレスの店までお使いに出た。天下の「ナカノ・ホテル」である。衣装の持ち込みにもそんなにうるさくはない。それどころかご希望のお客様にはいいショップを紹介したりしている。
 フラワーコーディネートの担当者がひな壇のお花を考えるためにドレスのデザインが知りたいと言い出した。そんなときはお客様の手を煩わすまでのこともない。ホテルの従業員が店に出向けばいいのだ。電話でも構わないと思うけど、そのへんは丁寧にしろと言うオーナー命令だった。


 昨夜はあの後。まあ、予想していたけど、すんなりと「おやすみなさい」って別れて。一夜明けてみると何だかとてもすっきりしていた。心の中に溜まっていたわだかまりが全て取っ払われて、気持ちいい。その分、鬱な部分が周五郎に移っていたら大変だと思ったが、朝一に来たメールは元気そのものだった。

 一週間だけ、と周五郎は言った。「時間がないんです」って。だから、付き合ってやることにした。陳腐な関係だと思いつつも。

 実は沙和乃は「1週間」がどこで切れるのかきちんと把握していない。水曜の午後に言われたのだから、次の週の火曜までかも知れないし、その水曜日を数えないとしたら…次の水曜日まで? どうでもいいことだと思っていたけど、やっぱり気になる。だって、次のオフは水曜日。丸一日空けられるのはその日しかない。でもそれを彼に告げるのは何かを期待してるみたいで嫌だった。

 昨夜、周五郎が泣きながら「時間がない」と言っていた気がする。その時に日にちのことも言っていたような覚えがあるが、あの精神状態で覚えているはずもない。

「ええと…」

 指を折って数えてみる。あと…今日を混ぜて、4日? それとも5日…? そして、周五郎は今日は1日、夜中までスケジュールが詰まっていると言った。まあ、そうだろう。彼はナカノのお偉いさんなのだ。とてもそんな風には思えないが、周五郎が「ナカノ」の専務だと言うことは事実だ。
 この前、あんまりにも信じられないので、休憩室にあった情報紙を手にしてしまった。ナカノ関連の施設に無料で配布されているものだ。そこには「役員紹介」のコーナーがあって、しっかりと変身前の周五郎が映っていた。

 忙しいんだと思う。ホテル勤務の社員になる前は、一応全然違う民間の会社に勤めていた。ナカノに比べたらささやかな規模だったと思うが、やはり社長や役員は会議会議で大変そうだったし。周五郎は沙和乃とのほんの少しの時間を作るために、実はかなり無理をしているのかも知れない。そう考えるのはうぬぼれかも知れないけど。

 風が一段と冷たくなってきた。戻ったらお昼の休憩になるだろうか? 今日は何かあったかいものが食べたいなあ…そう思いつつ、角を曲がる。大通りに面した明るい歩道が続く。ここまで来れば、ホテルはすぐだった。

「あ…」
 一歩踏み出した足を、思わず引っ込める。並木の影に身体を隠して、もう一度首だけ出して覗いた。

「間が悪い」と言う言葉がある。その通りだ。珍しい、外回りの仕事だったのに。


 通りの向こう側を歩いていく、どこから見ても幸せそうなカップルがいた。女性の方はしっとりと黒髪を腰まで伸ばして、しかもそれが手入れが行き届いている感じで、さらさらと風に揺れている。身につけているのはウサギのように真っ白なコートだ。そして、…彼女をエスコートしている長身の男性…。

「…周」

 四車線道路を隔てて、絶対聞こえるはずないのに。口の中でその音を奏でた。今日はトレードマークの黒縁眼鏡を掛けている。でも髪型はそのままだ。スーツも何だか、前とは違うみたい。それはこの間から気付いていたけど、何となく聞けないでいた。

 自分の両目2.0の視力を恨んでしまう。しかも多少遠視が入っているから最悪だ。

 …予定があるって、デートだったんじゃないの。

 さっさと立ち去ればいいのに、ふたりの行く手を見守ってしまう。そんな沙和乃が大通りの反対側にいるなんて全く知らないのだろう、周五郎が彼女に何か話しかけている。

 …どうして?

 沙和乃の心の中に、大きな疑問符が生まれた。私はあんたの恋人なんでしょう? 1週間はそう言う関係なんでしょう…? なのに、こんな風に別の女性と腕を組んで歩いたりするの。私とだって、手を繋ぐだけだったのに。こういうのって、修羅場だよっ! 分かってるのっ!?

 自分でも馬鹿馬鹿しいと分かっている。でも怒りがこみ上げる。だったら、昨晩の自分はどうなのかと突っ込まれたらおしまいだけど。今は自分のことは棚の最上段に上げてしまって、周五郎への何とも言えない煮えたぎる想いだけが沙和乃の胸を覆っていた。

 そして…気付いたら、無意識のうちに携帯の登録ナンバーを押していた。


 耳元に呼び出し音が響く。それと同時に、大通りの向こう側で、周五郎が立ち止まって携帯を取り出すのが見えた。彼女にひとこと断りを入れてから、さっと離れる。

「…沙和乃さん? どうしたんですか、こんな時間に…」
 こんなに遠くにいるのに、映像と音声が一緒になって飛び込んでくる。彼の声には非難がましい感じはなくて、いつもの親愛に満ちた嬉しそうな態度だった。

「お仕事中でしょう? 何で、電話出来るんですか」

 …あんたこそ、何してるのよ。そう言いたくて、でも言えなかった。盗み見をしてたなんて、そんなの知られたら屈辱だ。もう、やめてやるんだ。一気に目が覚めた。1週間だからいいだろうとか、浮き足立っていた自分が情けない。考えてみれば、自分には1週間という時間だって貴重なのだ。そもそも、お坊っちゃまに付き合ってる暇なんてないんだ。

「あのね――…」

 でも。沙和乃の口から出てきたのは、考えていたのとは全然違う台詞だった。

「明日、遅番でいいことになったの。その分、夜は遅くなるんだけど…2時入りだから、お昼ご飯でもどうかなと思って…」


 どうして。どうして、そんなことを言ってしまったんだろう。周五郎の嬉しそうな声を聞きながら、自分が情けなくなった。

「…じゃ、それだけだから」

 沙和乃が話を切り上げると、大通りの向こう側の周五郎も携帯をしまう。そして、50メートルくらい後方で大人しく待っていた彼女の元に走る。ひとことふたこと交わした後、元通りに腕を組んで、歩き出した。そして、沙和乃が見つめるその前で、表が硝子張りになっている煉瓦造りの建物の中に吸い込まれていった。

 


「嬉しいなあ、沙和乃さんっ! 何だか、これってデートみたいですねっ!!」

 翌日の日曜日。平日よりも人通りが多い街並み。それをかき分けながら、いつもの待ち合わせ場所に急ぐ。ホテルの近くが良かった。それならゆっくり出来る。周五郎は先に来ていて、沙和乃を見つけるとにっこりと微笑んだ。とろけちゃいそうな嬉しそうな顔だった。

「そっ…そうかしら?」

 会ったら何と言ってやろうかと思っていたのに、周五郎の顔を見たら何も浮かんでこない。今日もまた、沙和乃好みのカジュアルな装いだった。チェックの柄だけでブランド名の分かってしまうシャツ。その下にトレーナー。今日も容子の美容院に寄ってきたんだという。
 女性がデートの前に飾り立てるのは良くあることだけど、男性がここまで入れ込むのは笑える。まあ、容子の方はいじり甲斐はあるわ、お金をたくさん落としてくれるわで大喜びだろう。

「ホテルの反対側の通りに、おいしいサンドイッチのお店がオープンしたんですよ? あの界隈は古いビルを軒並み壊して、新しくなったでしょう? ほら、容子さんがチケットくれました。席もリザーブしてくれてあるそうですっ!!」

 …おいおい。

 思わず、苦笑してしまう。容子はどこまで知ってるんだろう? 沙和乃がこんな若造に構っている暇はないと言うことを知っているはずなのに。彼女だけは沙和乃の全てを知っているのに。楽しんでいるだけなのだろうか? でも、いいように遊ばれてたらこっちはたまらない。

 昨日は、あれから大変だった。いきなり早番と遅番を交換して貰わなくてはならなくて。頼み込んで頼み込んで、7人目にようやくオッケーして貰った。それも3000円のホテルのランチチケットで手を打ったのだ。とんでもない散財になってしまった。

「…ね、早く行きましょう? 急がないと時間なんて、すぐですよ」

 沙和乃が誘いかけたことがそんなに嬉しかったのか、周五郎は自然な感じで手を取ってくる。いつもとは逆にちょっと引っ張られる格好だ。まあ、若作りして髪型も変えてある。でも…知り合いでもいたら、どうしよう…!?

 空いている左手をポケットに突っ込む。携帯についていたストラップの鈴が、ちりんと一度音を立てた。

 


「…ふう、すごいボリュームだったわ…」

 小食な方ではないけど、それにしても量が多かった。でも、おいしくて無理に詰め込んだら、最後はウエストがちょっときつくなったくらい。そして、周五郎はそんな沙和乃の向かいの席で、同じ量のメニューを優雅に食べて、まだ余裕がある感じだった。
 目の前にした食事は絶対に残さないし、食べた後も綺麗だ。ふたりで食事したことなんて何度もないけど、文句も言ったことはない。出されたものをきっちりと食べる。日頃、ご馳走に慣れているはずなのに、それが意外だった。

 おなかを伸ばして隙間を作ろうと、ぐぐっと伸びをする。周五郎といると堅苦しいことなんて忘れて、のびのびしちゃうから不思議だ。おなかが一杯になったら、もう昨日のことなんてどうでも良くなっていた。

「まだ、時間がありますねえ…どうしましょうか?」

 周五郎の声に振り返る。目の前の信号を渡れば、沙和乃の職場である「ナカノホテル」の目の前だ。でも…まだ、1時間以上ある。このまま別れるのはちょっと寂しいかなと思った。夜は遅番だと上がりがいつになるか分からなくて、会える保証もない。

「そう…ねえ…」
 言いかけて、ぴたっと足が止まった。慌てて、車道の向こう側を覗く。…間違いない。

 ここは、昨日、周五郎が彼女らしき女性と歩いていたところじゃないか。彼女、何て言い方をしてはならないのかも知れない。多分…あの女性は、周五郎の婚約者。将来の伴侶となるべき人だ。遠目に見ても分かった。優雅な身のこなし、仕立てのいい服…ああいう人を「お嬢様」って言うんだろう。そして、彼女のような女性こそ、周五郎にふさわしい。

 そう考えたら、今ここにいる自分がとても不似合いな情けないモノに思えてきた。

「…沙和乃さん?」
 急にもの想いモードに入ってしまった沙和乃を、周五郎が不思議そうにのぞき込んでくる。やわらかい瞳、何故か沙和乃に会う時、彼は眼鏡を外す。仕事中はかけてるようなのに、どうしてなんだろう? だいたい「伊達眼鏡」というのも変だ。

「あ…、え、ごめんっ! 何だか仕事が立て込んでるから、ちょっと思い出しちゃって…」

 慌てて口から出任せで、言い訳する。周五郎の眉がぴくんと反応した。

「沙和乃さん…酷いですよ。僕と会ってる時に、お仕事のこと何て、考えないで下さい…」

 拗ねたような口調がおかしい。沙和乃は思わずくすっと笑ってしまった。

「何言ってんのよ。周の会社のために頑張ってるんだから、ねぎらって欲しいくらいだわ」

 その言葉に、周五郎は一瞬ぽかんとして、次の瞬間顔を崩した。

「あ…ああ、そうですね。有能な社員さんはねぎらわなくちゃ、いけないですねえ…」
 そう言って頭をかく。ありきたりな仕草なのに、どこか品があるなと思ってしまう。それは周五郎だからなのか、彼の肩書きを生まれ育ちを知っているからなのか…それは分からないけど。それから、ぴたっと足を止めた。

「そうか、お疲れなのでしたら…ちょっと寄っていきませんか? そこの店なら座ってお茶が飲めますよ? 人目を気にすることもないし…」

 彼が指し示す方向を見て、ドキッとする。それは昨日周五郎が連れの女性と入っていった、あの店だったから。

「なっ…何のお店なの?」
 思わず聞いてしまった。実は昨夜、仕事が終わってから。つい気になって、確かめに来てしまったのだ。その時にはもうシャッターが降りていて、中の様子は全く分からなかった。

 でも、それは今も同じだった。大きな硝子張りだが、それはマジックミラーだったらしい。よくオフィスビルに使われているみたいな、中の様子が見えない奴。外からは鏡のように風景が反射する。もちろん、屋内からは外がよく見える。何だか、これだけですごく怪しげだ…いいのだろうか?

 沙和乃の不安げな表情に気付いたのだろう、周五郎が説明する。

「この辺りは不良債権をたくさん出して潰れた大手銀行の所有だった土地と建物なんです。ナカノが全て買い取りましたので、こうして新しく建て替えてます。ですから…ここはみんな僕の庭みたいなものですよ? どうぞ、遠慮なさらないで下さい…」

 すっと腕を伸ばして、ドアに手を掛ける。それを押して、沙和乃を中に誘った。

 


「…え…?」

 どんな怪しげな場所かと思ったが、そうではなかった。建物の中は日差しがさんさんと差し込む明るい空間。そこら中に生花が活けられていて清潔そうなイメージだった。深紅の絨毯、ここ、土足でいいのだろうか。でも…何やさん? 広々としたロビーでよく分からないぞ。

「こ、これはっ…専務っ!!」
 奥の方から忍者のように中年の男性が飛んできた。足音は響かないのに、ぱぱっと早業で。

「木村」
 周五郎はぴしゃっと言い放つ。

「…他にもお客様がいらっしゃるだろう? その呼び方はやめてくれ。店員も僕が来ていると知ったら、緊張するだろうし…あくまで、内密に」

「は、はあ…」
 身長こそは抜かれているが、どう見ても親子ほどの年齢差のある若い上司に、男性はぺこぺこと頭を下げている。

「この方にお席をご用意して。大切な方だから、頼んだよ?」

「は、はいっ!! …ただいまっ!」
 男性はとうとう沙和乃の方を見ることも出来ずに、ばばばっと行ってしまった。

 周五郎がふうっとため息を付いて振り返る。その視線の先の沙和乃はすっかりと呆けていた。

「あのっ…周…」

 自分のカジュアルすぎる格好がこの場の雰囲気に恐ろしく似合ってない。まあ、周五郎も「ピクニックにでも行きましょう」風の服装だからいいけど。自分たちの他にも客らしいカップルが何組かいるけど、みんなすごく高級な装いをしている。たとえば、スーツにしても生地の輝きが違うのだ。肩のラインとか本当に綺麗で。女性は昼間だけど、ドレッシーなワンピース。ちょっと飾ればカクテルドレスとして通りそうだ。

「ここ、何?」

 すると周五郎は、喉の奥でくすくすっと笑った。

「ちょっと、奥に行きましょう。そうすれば分かりますよ?」


 周五郎はずんずんと中に行ってしまう。沙和乃は場違いな雰囲気が恥ずかしくて、ほとんどカーペットの毛並みを見ながら歩いた。こんなに濃い色だったら掃除が大変だろうなあ、とか、庶民レベルに考えながら。

 クローク付きの広いエントランスロビーを抜けて、そのあとはゆったりとした通路。両側に飾り窓があって、調度品や生花が置かれている。少し歩くとまたドアが。今度は周五郎が手を掛けるまもなく、静かに左右に開いた。自動ドアかと思ったが、よくよく見るときちんと内側から人間が開けていた。

「いらっしゃいませ」
 先ほどの男性ではないが、やはり素敵なスーツを着た中年の男性が出迎えてくれる。

「周五郎様、お席のご準備、整っております…ランチはもうお済みですか? 宜しければ、何か作らせましょうか…?」

 そこはどう見てもナカノホテルの200人級のお客様に用いられる大広間の広さだった。あの狭いビルの中にどうしてこんなに広々とした場所があるんだ。いくつかのコーナーになっていて、それが目障りじゃない柱や大降りの花瓶などで仕切られている。

 案内されるままに、沙和乃は奥の喫茶コーナーに入っていった。ボーイさんに椅子を引かれて、ドキドキしてしまう。たかが喫茶室じゃないのか? どうなってるの、これ…。

「…で、なんなのよ?」
 丸テーブルの向こう側に座った周五郎に尋ねる。その声が、何だか泣き出しそうだった。

 柱越しに向こうを見る。腰の高さほどのショーケースがゆったりと配置され、数人の客がそこを覗いていた。制服姿の女性店員が、にこやかに対応している。天井からはゴージャスなシャンデリア。穏やかに流れる質の良い音楽…沙和乃の普段の生活からはかけ離れた感じだが、それでも何となくケースの中身が分かってきた。

「…分かりました? 会員制の宝飾店です。決められたIDカードを携帯した方しか入れないんですよ」

「は…はあ、そうなの…」

 運ばれてきたコーヒーとプチケーキもとてもおいしくて、あんなにおなかが一杯だったのに入ってしまう。それにそれに、こんな場所で、緊張することもなくくつろいでいる周五郎が信じられない。

「会員制…」
 そうか、会員なんてすごい人なんだろうな…。と言うことは、取り扱っている商品も最高級で。宝石自体にあまり縁がないが、こんなお店になどもう二度と来られないかと思う。ヨーロッパのお城のような内装が女性好みでおかしい。こういう場所はいつも女性に合わせて設計デザインがされるから。

 ちょっと、覗いてみたいなあ。でも…冷やかしなんて良くないだろうし。もちろん、自腹が切れるお値段なんて付いてるわけないし…。

「…沙和乃さん?」
 お客と店員のやりとりをぼんやりと眺めていると、周五郎が声を掛けてくる。

「あの、僕にひとつ、プレゼントさせて頂けませんか? …ふたりの思い出に」

「は…?」
 口をあんぐり開けて、聞き返してしまった。ああ、こんな高級な店の中でだらしない。まあ、服装からしてもだらしないんだけど、致し方ない。

「そ、そんなっ! …悪いわ、出来るわけないでしょうっ…! 周に余計なお金を使わせるわけにはいかないわっ!!」

 ああん、もうっ!! 何を言い出すんだ、いい加減にしろよ。場違いなところで、とんでもないことを言われるとクラクラしてしまう。沙和乃はバッグを手にすると立ち上がった。

「わ、私はもう行くからっ! ごちそうさま、…じゃあ…」

「沙和乃さん?」

 数歩歩いて。その声に立ち止まる。そっと振り返ると、周五郎が椅子に掛けたままでにっこりと微笑んでいた。

「な、なによっ!」

「…時間、まだあるでしょう? 恋人だったら、付き合って下さい。専務が女性連れで来て、店を覗かずに帰ったなんて、店員に言いふらされたら嫌です。…見るだけで、構いませんから」

 

 もしかして。

 ものすごく、間違ったことをしてるのかも知れない。…でも。

「じ、じゃあ、ホント。見るだけよっ、それでいいのねっ!?」

 ――やはり、好奇心には勝てなかった。私は渋々なのよ、本当は見たくないのよ、と言う顔を作って見つめると、周五郎はいつも通り、嬉しそうに微笑んでいた。





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