TopNovel玻璃の花籠扉>花の祠・番外1


番外

「蛍草に宿る夜」

 

 

 …まだ夢を見ている気がする。

 しとねに入るには間がある夕べ。でも身体の周りをけだるい気が流れ、歩みを進める足元もおぼつかない。もしかしたら自分は昨日までとは違う人間になってしまったのではないか。そんな気すらしてくる。

 通い慣れた道を当たり前のように進みながら、でも今までとは全く違うのだと言うことを心に刻みつけていた。

 

 もうすっかり日が落ちて、辺りは夕闇に包まれている。日の暮れるのが遅い夏の盛りではあるが、ついっと涼やかな気が流れてきて、ホッとする。今日も一日蒸し暑かった。もっともそんなことをゆっくりと感じ取る間もなかった気がするが。

「…あ」
 もう少しで居室(いむろ)に辿り着く、その時。狭霧はふと足を止めた。林の入り口に茂った草むらが淡い光を放っていたのだ。思わず息を飲んで、見入っていた。

「綺麗…」

 ふうわり、ふわり。指の先に乗るほどの光が飛び交う。小さなせせらぎが堰き止められた水辺に蛍の里がある。毎年その幻想的な風景を見てきた。もうすっかり目に慣れた情景なのに、見るたびに新しい。美しいものに飽きることはないのだと、今更ながら思い知らされる。

 光の群衆たちは、鈴蘭のようなたっぷりした草の葉の間をすり抜ける。「蛍草」と呼ばれるその草の花は芥子粒のようでほとんど目立たない。だが、こうして夕暮れになると蛍たちが自らの光で花を咲かせてくれる。燭台の灯りですら差し障るほどの淡さ。だから、この道を行く時は、灯りを消すようにしていた。

 光の一筋が流れ、瞼の奥に残像が長く放たれていく。無数の光の帯、永遠とも思える灯火。ひとつひとつは儚いけれど、それらは命のきらめきなのだ。

 

 ――あれは、愛を語らっている姿なのだよ…。

 いつだったか、そう教えられた。その事実よりも、語られた響きの方に胸が締め付けられる。大好きな声、少し先を行く足音。そして衣からこぼれ落ちる香り。

 ぴくり、と狭霧の身体が震えた。

 

 …ああ、どうしよう…。

 未だに信じられない。本当にいいのだろうか、許されることではないはずなのに。そんなことを望んではいけないと、初めから自分に言い聞かせてきたのに。

 怖いくらい幸せ。でも…幸せでいることは申し訳なくて。いつまでも続くことではないと、自分の中で初めから諦めている気がする。

 

 …明日の朝になればその命を終える、儚い灯火のように…。

 

「ああ、駄目。早く戻らなくては」
 自分の中の悲しい想いを必死で追い払うようにかぶりを振る。

 彼女は目指した。自分が帰り着く、たったひとつのその場所を。

 

…*…*…*…*…*…


「…霧?」

 居室の戸口をそろそろと開けると、奥の寝所から声がする。いつも通りの当たり前のこと。それなのに、今夜はどうして、いちいち胸が高鳴るんだろう。狭霧は外歩きで汚れた足を上がり口の水桶で清めると、静かに奥へと進んだ。

「どこに行っていたの? いつまでも戻らないから心配したよ」

 狭霧が寝所の戸口まで足を進めて中をうかがうと、やわらかい微笑みをたたえたその人が、敷物の上でくつろいでいた。

 もうすっかり寝支度を終えて、寝着の上にしどけなく薄い衣を掛けている。殿方とは思えないほどの妖艶さを持っている人だから、燭台の光に照らし出された姿もため息が出るほど美しい。解いて垂らした髪が胸の辺りまで伸びて、その輝きが動きに合わせてキラキラと光の粒を辺りにまき散らす。

 …同じ赤髪なのに、どうしてあんなにお美しいのだろう。

 幼い頃から、狭霧はそれが不思議でたまらなかった。髪の輝きだけではない。目の前にいる若様はそのお姿の全てが他の人とは比べものにならないほど、高貴でお美しい。お側に仕えるだけで、息が止まりそうだった。

「どうしたの? まさか、余市の居室に戻ってしまったのではないだろうなと肝を冷やしたよ。また迎えに行くのは嫌だからね、こう一日に何度もあの者の前に行くのは…ああ、もちろんお前のためならばどんなことでも厭わないが。まあ、…ものには限度と言うものがあるからね」

「え…そんな。申し訳ございませんっ…」
 狭霧は慌ててかぶりを振った。そんなことがあるわけないじゃないか、お申し付けに背くようなことが出来るわけもない。若様がこちらにおいでと仰って下されば、従うまでだ。

「御館の薬師様のところまで…貼り薬を頂きに参っておりました。先ほど、ちらと拝見した感じでは、かなり腫れが酷くなっていらっしゃるご様子ですし。もしも骨の方が酷いことになっていたらどうしようかと…」

 そこまで言うと、言葉が詰まってしまった。胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。狭霧はそれをどうにかして堪えようと、喉の奥で小さく呻いた。

「さ…おみ足をこちらにお願い致します…」

 一段低いところからそう告げると、若様はそろそろと組んでいた足を降ろし、自ら袴の帯を解いた。短めの寝着の上着から伸びた太股に、思わずどきりとしてしまう。

 程よく鍛えられた肉付きのいいそれは、都一の美貌とうたわれるこの人にふさわしいものだった。この地の者は、あまり肌を露わにした服装はしない。夏の盛りでも薄い衣にくるぶしが隠れるほどの長い袴を付ける。だからお側にお仕えしながら、狭霧は若様のその部分をまじまじと見ることがなかった。お体を清める時も、袴の裾をたくし上げる感じで。

 

 もちろん昨日の晩は一糸纏わぬ姿で抱き合った。

 己の肌にしっかりと素肌のぬくもりを感じ取っていたはず。でもそれは燭台の炎の消えた闇の中での出来事。月灯りだけが頼りだったから、漆黒の海に浮かび上がる白っぽい肢体をぼんやりと視界にとめただけだった。

 

 今更ながら、またそんなことを思いだして、頬が熱くなる。だが、次の瞬間に、甘いときめきは吹き飛んでいた。

「ああ、…おいたわしい…」
 膝のすぐ下の辺りから赤黒く色が変わっている。そして、パンパンに腫れ上がっているのだ。両方の足にそれは見られたが、とくに右の方が酷かった。

 狭霧は慌てて部屋の隅まで戻ると、湯桶を持って来た。一度拭き清めてから貼り薬を使おうと思う。だが、その患部を見るために視線を下げただけで、ぽろぽろと涙がこぼれてしまった。

「…霧?」
 いきなり泣き出したりしたから、驚いたのだろう。若様が慌てて狭霧の肩に手を添える。一度ぴくんと反応して、そのあと素直に身を寄せた。

「申し訳ございませんっ…、こんな、このような…私のせいで」

 

 この怪我は、若様が自分をあの山の奥まで追ってきたから負ったものだ。昼近いのにまだまだ晴れないもやの中、美しい立ち姿を見た時は心臓が止まるかと思った。もう二度と会わないと決めた人が、そこにいた。自分を求めて来てくれた。

 あの瞬間、確かに喜びがこみ上げたのは事実だ。多くを望まないと決めていたのに、そんな想いが吹き飛んでしまうくらい、嬉しかった。

 …でも、あのときですら。今このようにふたりきりでもう一度過ごせる夜が来るなんて、思っていなかった。

 

「何を言ってるの? 霧が泣かなくていいんだよ。俺は霧がこうして戻ってきてくれただけで、本当にそれだけでいいのだから。もう、泣かないで…顔を上げてごらん?」

「…若様っ…!」
 狭霧は涙をこぼしながら、それでも必死で目の前の人を見た。

「もう、誰がなんと言おうが、お前は俺の妻だ。分かるだろう…? もうこれだけ騒ぎ立てれば、都の隅々まで俺たちのことは知れ渡っているよ…?」

 どこまでも甘い声。今日一日の嵐のような時間をすっかりと忘れさせられてしまう。まだ自分の中にとてもこの事実を信じられない想いが根深く宿っているのは本当だ。だが、今だけは夢を見ていたいと思う。

「ああ…今日は疲れたな。でも、こんなに心地よい気分は初めてだ。真面目に働くのも悪くないね…」
 若様の腕が狭霧の背に回る。やわらかく髪を梳きながら、唄うような音色で囁いてくる。

 …さすがに、お疲れになったんだろうな…。

 狭霧はうっとりと目を閉じながら、それでも申し訳のない気持ちでいっぱいになっていった。そしてつい数刻前のやり取りを、手の取るように思いだしていたのだ。

 

…*…*…*…*…*…


「…何と、仰いました?」

 上がり間からひとつ奥に入った客間。目の前の若様の顔を一段低いところから仰ぎ見て、狭霧の父・余市はようやくそれだけを口にした。

 


 その日。狭霧の家族が暮らしている居室は早朝から慌ただしかった。いきなり両親の寝所に、旅装束に身を包んだ狭霧が立ったのだ。まだ朝靄で屋内の気も霞む中、向かい合ったふたりの顔色が変わるのを狭霧はとても遠いもののように眺めていた。

「何故…そのような…」
 西南の集落の大臣・邇桜様の御館に侍女としてお仕えする…そのことが何を示しているのか、狭霧の両親には分かりすぎていたらしい。とんでもない事実を突き付けられても何ら反論することもなく、静かにうなだれた。

 誰が好きこのんで手塩にかけて育ててきた娘を、こともあろうにあんなところに差しだすのだろうか? よほど金や名誉に目のくらんだ者でなければ考えられないことだ。
 邇桜様やそのご子息はこの海底国をもっても右に出る者がいないと言われているほどの好色家であった。御館にお仕えした侍女や下女はおろか、領地を視察すれば招かれた家で目に付いた娘を食い物にする。その扱いは遊女ですらされないようなひどいものだった。

 もちろん、狭霧であってもそのことは重々承知していた。でも…初めにその話を聞いた時、何となくそれが自分に与えられた唯一の道のような気がしてしまった。

 

 …もしかしたら、こうするしかないのかも知れない。

 

 狭霧の胸にあったのは若様への恋心だけ。そしてそれが叶うことはないと、幼き頃より両親からきつく諌められてきていた。想ったところで報われることはない、分不相応と言うものだ。そう言われれば頷くしかない。あちらは代々続く名家、こちらの父と言えば、もとはその家の下男なのだ。しっかりした実家もない。

 お側にいたところで、一生自分の願うような奇跡は起こらないのだ。

 気がついたら、和乃の言葉に頷いていた。そして、元はと言えば彼女の親が娘の余りの浮き名に呆れ果てて持ってきた話を、肩代わりして受けることになっていたのだ。

 …西南の御館にいれば、いつか若様のお噂も聞こえるだろう。時々はそのお姿も拝することが叶うかも知れない。それくらいが自分には丁度いいのだ。
 だが、どうしてこのまま何も言わずに消えることが出来るだろう。一度でいい、お情けが頂ければ…そう願い続けた。若様も西南のお里に戻られると仰る。だったら、その前に…でも、お声は掛からない。

 寝所に忍んでいったのは、もうそれしか方法がないと考えたからだ。こうしていたずらに時間が過ぎていけば、出仕の朝が来てしまう。その前に、どうにかして想いを遂げたい。遊び女のように扱われて、本当に情けなかった。でも…それでも、お側に行きたかった。その時はもう少しのところで自分だとばれてしまう。

 お人が変わられたように怒りを露わにする若様に震え上がったが、それでも…自分の中にはこの人をお慕いする心しかないのだと知った。

 

 …もう、二度とお目にかかれないと諦めていたのに。

 最後の夜。弟の余志が、若様からの文をこっそりと渡してくれた。二度と怒りは解けないと思っていたのに、青い美しい花に結ばれた薄紙には、どうしても今夜会いたいとしたためられていた。

 そのやわらかい文字を眺めていたら、泣きたくなった。どんなに罵倒されてもいい、もう一度会いたい。どんなお声でもいいから、聞きたい…このまま、二度とお目にかかれないなんて、やっぱり嫌。

 本当は胸が砕けるほど恐ろしかった。二度とお顔を拝することの叶わないほどのことをしてしまった自分がのこのこと若様の居室を再び訪れるなどと。そんなことが果たして許されることなのか。

 でも…、最後には会いたい気持ちが勝っていた。

 


「狭霧を…お前の娘を俺の妻にしたい、と申したのだ」

 結婚の承諾を貰いに来ているのに、その家の主よりも高いところから話をする。それだけで、なにやらちぐはぐな感じがする。やはり、許されないことなのだと、部屋の一番下座で小さくなっていた狭霧は思っていた。父・余市は今や竜王様の御館の表の侍従長、ただ人の出世としては最高の地位にある。だが、生まれや育ちはそれ以前に人を分けてしまうのだ。

 もう会えぬと思っていた娘が舞い戻って、両親は腰を抜かさんばかりに驚いた。だが、嬉しかったのだろう、あの大人しくいつも冷静な父が、今夜は隣人を招いて酒宴を催そうとまではしゃいでいた。

 …しかし。

 狭霧と共に居室を訪れた若様のお姿を拝した途端に、父はふっと顔を曇らせた。察しのいい人だ、もう全てを感じ取っていたのだろう。

 若様は静かな口調で、事実を述べる。ここに来る前に、竜王・亜樹様の元に行き、書状をしたためて頂いた。間違って自分の妻が邇桜様の元に出仕する届けが出てしまったことを、撤廃して貰うための一番有効な手段であったのだ。あの竜王様も初めは何事かと信じがたいご様子だったと聞いた。
 さらに西南に馴染みの深い官僚を何人も訪ね、口添えをしてくれるように約束した。都に名を轟かせる傲慢な風流人が人が変わったようにひれ伏す姿に、誰もが呆れる前に驚いてつい承諾していたと言うからすごい。

 

 その話を聞いて、父はすっと俯く。その姿を見た時、狭霧の胸はぎゅっと締め付けられた。

 …それが出来るなら、父だってやっていた。それなのに、生まれや育ちのせいで諦めざるを得なかった。どんなにか苦しんだだろう。それは全部自分が追い込んだ事なのだ。そう思うと、申し訳なくて仕方なかった。

 …私が、若様を好きになったりしたから、父上をこんなにも悲しませてしまうのだ。

 

「…狭霧…」

 押し殺した声が、地を這うように自分の名を呼んだ。びくんと身体を震わせて、狭霧が面を上げる。だが、自分を呼んだ父は、頭を垂れたままの姿勢だった。果たしてどんな表情をしてるのかもうかがうことが出来ない。

「お前は、それでいいのか…?」

 

 泣いても泣いてもまだ枯れることのない涙が、またどっと溢れてくる。大好きな父、誰よりも雄々しくて立派だと思っていた父の背中がとても小さく見えた。

 

「…はい…」
 かすれる声で、でも狭霧はしっかりと告げた。

「私は…若様のお側に参ります」

 

…*…*…*…*…*…


「全く、お前の父にはしてやられたよな…」
 おみ足の手当をしていると、若様が思い出したように言う。

 狭霧が顔を上げて、その表情を見つめると、視線の先の人は少し頬を染めて照れ笑いをしていた。

「まさか、あんなことを言い出すとは思わなかった。あれって、やっぱり俺に対する嫌がらせだよな…全くこれからのことを考えると頭が痛いよ」

 その言葉に刺はなかったが、それでも恐縮してしまう。何故なら…狭霧の父・余市は若様の話を一通り聞いたあと、いきなりこんな提案をしたのだ。

 

「奥の侍従長様のもとにお出で下さい。あの御方は西南の大臣家とも親交が深い。きっと有力なお口添えが頂けると思いますよ?」

 言葉遣いは丁寧だったが、その内容はすごかった。何しろ、奥の侍従長と言えば…他の誰でもない、狭霧との縁談を進めていた男の父親になる人だ。もともとあちらからの強い要望で話を持ちかけられたという、もしも狭霧が他の男と縁づくことを告げられたら、どんな顔をするだろう。

「あちらは長刀の名手でいらっしゃいますから…お手合わせ願っても宜しいかと…」

 その言葉に目眩を起こして倒れそうになったのは狭霧の方だった。もともと「好敵手」とも言えるように何かとぶつかっていた若様と父であったが、それはこれからますますすごいことになりそうだ。ふたりの間に挟まれて、自分は耐えられるのだろうか? ちょっと自信がない。

 

「本当に…何と申し上げたら宜しいのかと…」

 自分のせいで若様はしなくてもいい苦労をしている。いや、これからもそれは続いていくのだ。西南のお里に戻られれば、何不自由なくお過ごしになれるのに、こちらに残ることを選ばれた。もうお父上の雷史様には書状を送ったという。その内容は跡取りとして西南にあるお屋敷や御領地を受け継ぐことを辞退するものだった。

「また…、そんなふうに悲しい顔をしないで。俺は霧の泣き顔はもうたくさんだよ?」

 

 若様の腕が狭霧を抱きすくめる。薄い寝着の上から逞しい胸板がはっきりと感じ取れて、軽い目眩を覚える。そのまますがりつくと、若様は狭霧の耳元に唇を寄せて囁いた。

「これから、お前には存分に愉しませてもらうから。…覚悟は出来ているのだろうね?」

 こう言うことには迷いがない。若様は慣れた手つきで狭霧の腰に手を回すと、あっという間に袴の結び目を解いてしまった。

「えっ…、駄目ですっ! お怪我なさっているのですから、今夜はっ…!」

 必死の抵抗を見せてみたが、狭霧如きの力は容易にねじ伏せられる。気付けばしとねの上に仰向けに横たえられていた。

「何言ってるの、そんなこと許されることじゃないでしょう…? 狭霧はもう俺に他に通って欲しくないと言うのだから、これからは頑張って満足させてもらわないとね――」

 有無を言わせぬ手のひらが、するすると肌着の下に入り込む。狭霧は泣き出したくなる気持ちで、いやいやと首を振った。

「あんっ…、駄目っ…! 若様っ…そんなっ…!」

 もがけばもがくほど、深みにはまっていく。もう抜けることの出来ない迷宮に入り込んでしまった。この人に抱かれてしまったら、もう…他の夢など見られないのかも知れない。

「もう、こんなになっている。狭霧が駄目って言うのはその可愛らしい口だけだね。…悪い口は塞いでしまおうね…」

 ふわっと覆い被さってくる。燭台に照らされた空間に薄ものが舞い上がった。くっきりと視界に映る逞しい肩のライン。口づけられて、舌を差し込まれた。ほんのりと酒の香りがする。自分がいない時に、用意してあったものを嗜んでいたのだろう。口にしたことのない香りはそれだけで酔いを運んでくる。

「昨日の晩はどんな気持ちでいたの? …今宵限りと思って身を任せてくれたなら、許せないな。どうして俺を捨てて行けるの? そんなに霧は薄情な女子だったの…?」

「あっ…、あぁんっ…! …やぁっ…!」

 胸に吸い付かれただけで、身体が跳ね上がる。どうしてなんだろう、ちょっとした仕草で、燃え上がっていく。身体が熱くて熱くて、どうしたら冷めるのか分からない。このままでは焼け落ちてしまいそうだ。

 つい昨日までは知らなかった疼きが身体中を支配する。熱を帯びて気が狂いそうになっている場所を、若様の指が辿っていく。

「いい子だ、霧。…昨日は夢中だったからね。今日はお前を思う存分満足させてやろう。そうすれば二度と俺の前から消えようなどと馬鹿なことを考えなくなるだろうからね…」

 妖しく光る濃緑の瞳。双の輝きに縫い止められたら、もうどこにも行けない。ううん、このまま永遠に囚われたままでいたい。

「あんっ、…うっ、ううっ…!」

 

 どこがどうなっているのだろう、ひときわ大きな波が来て、一気に飲み込まれていた。足の裏がすくい取られて、どこまでも堕ちていく。何かにすがりつきたくても、勢いに逆らう術はなくて。

「やぁっ…! 若様っ…、壊れてしまいます、やめてくださいっ、お願いしますっ…!」

 腰から下が砕けていく。身体がバラバラになってしまう。泣きながら懇願するのに、若様は涼しい声で跳ね返してくる。

「駄目だ…、許さない。今宵はお前を味わい尽くすからな。昨晩は初めてだから可哀想だと少し控えめにしてしまった、だから逃げられたんだからな…」

 そう言いながらも、動きが止まらない。一番敏感な部分を繰り返しせめ立てられて、狭霧の身体は何度も爆発を起こした。

 


 やわらかな檻、そこに閉じこめられて。明くることのない夢が繰り返される。

 それでも愛されていることを肌で感じ取り、もっともっとと求めてしまう自分がいる。心の一番深い部分に、こんな場所があったなんて。それを知らずに今まで生きていたなんて。

 

「若様っ…、若様っ…! …あぁあっ…!」

 

 その瞬間、辺り一面に蛍が飛び交う幻影を見た。絶えず輝きを放ちながら、愛を語らう。その灯火に全ての想いを込めて。密やかにだけどどこまでも熱く、夜は終わらない。

 

 儚い光が、やがて永遠に瞼に宿る星になった。

了(030926)



 

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