TopNovel短篇集・2 Top>十年目の蒲公英・1


scene 1…

 

 

「とうとう、今年ですね!」

 そんな走り書きが添えられた年賀状を受け取った、お正月。夫婦とちっちゃな女の子、そして生まれたばかりの赤ちゃんの4人の写真がミッキーマウスに縁取られてる。

 帰省して、こたつにみかんの日々。家族の年賀状を仕分けした弟が私の分を手渡してくれる。姓の変わった懐かしい名前を見たとき、ふううっとため息が漏れた。


 幼なじみって、どれくらいまでの年齢の友達を言うんだろうか。

 気が付いたら、私たちはいつでも6人で行動するようになっていた。小学生特有の「仲良しグループ」って奴。バスに乗って出かけなくちゃ行けないちょっと大きな街に出るときや、テストの前に一緒に勉強するとき。そして花火大会や秋祭り。どんど焼きなんかにも行ったかな?

 泥だらけで野山を駆けめぐり、時には足を滑らせて沼に転落したりして。まあいいやって、そのまま泳いじゃったり。今じゃそんなの考えられないけど、馬鹿みたいに楽しい日々だった。

 恭子、彩音、篤郎、健一、……そして修司。みんなで同じ中学に進んで、やっぱ仲良しだったけど、高校進学と共に何となく自然消滅した。今ではこうして、年賀状のやりとりがあるくらい。

 彼らの記憶の中には、男の子みたいなショートカットでハーフパンツで走り回っていた私しか住んでいないだろう。私の中の彼らが、イガクリ頭だったりおかっぱだったりするのと同じで。

 

「でもさあ……意外なのよねえ……」

 ぱらぱらと葉書をめくって、私はあと2枚の年賀状を取り出していた。さっきの恭子の葉書に一緒に映っていたのは篤郎、そしてこっちの彩音の隣には健一。何しろ、高校卒業後、家を出ちゃったからな。連絡を受けたときにはびっくりした。

 ――で。

 最後の一枚。もう見るからに「義理です」と言わんばかりの印刷。きっと会社の人とかに送るのと同じなんだよ。一応、こっちが送るから仕方なくと言う感じで出したんだな。だよなあ、みんなのところに出して、私だけシカトじゃちょっとねえ……それは私の方も一緒だった。


「で……どうなのさ。残ったのはふたりじゃない。このままくっついちゃえばいいのに」

 去年の秋、彩音たちの結婚式の披露宴の時。大きなおなかを抱えた恭子は私にそっと耳打ちした。同じことを彩音からも電話で言われた。みんなもう、言いたい放題なんだから。自分たちが幸せだからって、どうしてこっちにまで押しつけるのかしら。
 ちら、と向こうの新郎席を覗くと、丁度私と同じようにせっつかれてる修司がいる。隣に座っているのは恭子のだんな様になった篤郎だ。夫婦なんだから、並びにすればいいのに、席次の関係でこんな風に私たちは離れてしまった。

 向こうだって、こっちには気づいているはず。でも、絶対に顔なんて見られない。私は彼を避けていた、あの瞬間からずっと。

「ねえ、玲香ってば。聞いてるの? もう〜!」

 上手くいくはずないの、そんなの分かってるんだから。あんたたちとは違うのよ、私は私。おめでたい席だから、あからさまに変な顔は出来ないけど。私は内心、早く終わらないかな〜とか思っていたんだ。


「あらあら〜恭子ちゃんっ! 篤郎くんもっ……いいわねえ、お子さんがこんなに大きくなって……」

 お正月くらいゆっくりすればいいのに。母親は今日も白い割烹着を着込んで、せっせと働いている。娘としては手伝うべきなんだろうけど、年の瀬まで仕事でばたばたしてたんだから、こうやって実家に戻ってきたときくらいのんびりしたい。だらりんと伸びていたいんだ、猫みたいに。

「そう? 何だったら、お子さんだけ作って来ましょうか? ママがそれで満足するなら、シングル・マザーになってもいいんだけど」

 敵は一瞬、ぎょっとした顔になったが、すぐにぷいと向こうに行ってしまった。

 

 ――女・25歳。なかなか微妙な年齢。

 職場で聞いていても、結婚するピークはいくつかあるらしい。まずは芸能人でもありがちの早婚。二十歳そこそこでいきなりママになっちゃったりする、アレだ。その次がいわゆる「クリスマスケーキ」……25日を過ぎたら駄目っ! と滑り込むパターン。そのあとの山は30と35になるそうだ。

 職場には40代の独身の女性もいっぱいいるし、今のご時世、私の年齢くらいだったらほとんど独り身だわ。だから、都会に出てれば全然焦らない。なのに、田舎ってどうしてこんなにみんな早く片づくの?

 恭子なんて、絶対30くらいまで独身だと思ってたのに。彩音だって、資産家の次男とらぶらぶだったんでしょ? 舌の根も乾かぬウチに何が起こったのよっ!  あっちのふたりは地元に残ってるから、いろいろと連絡を取るらしいわ。それに、ダンナ同士も友達と来れば、これからも楽しくやるでしょうよね。

 ……でもなあ、だからって、どうして私が修司なのよ。


 あの日、お膳立てしてやるという恭子たちを振り切って、二次会にも出ずに戻った。次の日は早出だったし、やり残した仕事もたくさんあった。

 幼稚園の先生なんて雑用ばっかり。ウチの園はそれほど「お勉強熱心」と言うわけではないけど、その分「自由保育」とか言っちゃって、気苦労が絶えない。外遊びが多いと言うことは、勤務時間内に絶えずアンテナを立てて緊張していなくちゃ行けない。子供って、いい感じで遊んでるなと思った5秒後にはとんでもないことしてくれるもん。

 でも、それは言い訳。修司になんか会いたくなかったもん。恭子や篤郎、彩音や健一には会ってもいい、だけど修司だけは嫌、絶対に。

 

 今回だって。お正月はご近所や親戚づきあいで忙しいふた夫婦に対して、多分私同様に彼も家でごろごろしているんだと思う。でも、誘い合って会ったりしない。あっちだって、そのつもりないだろうし。……携帯だって。

 

「あ〜〜〜〜っ!」

 何だ、私かと思ったのに。弟が自分の携帯に飛びついた。紛らわしいわ、同じ着メロなんて。やだなあ、こんなところが姉弟なんだわ。彼はしゃべりながら家中を移動して、身支度を整える。かなり慌ててる。

「やべ、オレちょっと出てくるわ〜」
 おいおい、上着着ないと寒いぞ〜。ここに脱ぎ捨ててあるけど、姉として取ってあげるべき?

 よっこらしょ、と起きあがって立ち上がった私の背後に、いつの間にかまた母親が立っていた。やだな、またさっきの続きかしら……と思って面倒くさそうに振り返ると、予想に反して神妙な顔してる。

「あのねえ、玲香。どうも……あの子の彼女、コレらしいのよ」

 

 母親が自分のおなかの上で手をぐるりと回すのを……私は呆然と眺めていた。

 

◇◇◇


「ねえねえ、どうする? あとは玲香の都合だけなんだけど」

 その年の3月にはいると、また恭子から電話が来た。あっちの4人は地元に残ってる。篤郎は実家の酒屋を継いでるし、健一も工務店に勤務してる。予定を立てるのは簡単な事なんだろう。

「……私、無理。いいよ、5人でやって」

 年度末は猫の手も借りたいと言うほど忙しいの。卒園式が終わったら、すぐに新年度の準備。年長組の教室は教材でごった返してるもの。嘘ではない理由を並べて、私はさっさと話を切り上げようとした。

「何言ってるのよ、電車で3時間じゃない。土曜日の夕方とか、戻ってこられないの?」

 恭子はいつになく食い下がってくる。私はうんざりした。正直、プライベートなことに気を回すほど、精神的な余裕がなかったのだ。

「まあ、いいわ。一応、3月最後の土曜日が有力候補なの。ちゃんと伝えたからねっ、分かったわねっ!」


 変わってしまったのはいつ頃なのだろうか。

 

 男子は詰め襟、女子はブレザー。中学に入る頃から、何となく周囲が変化したことに気づいていた。それに追い打ちを掛けるように、ある日、恭子が言ったのだ。

「……あのさ、私。修司とふたりで映画に行ったの」

 中学は家からかなり遠くて、登下校はおしゃべりするのにもってこいだった。今みたいに携帯電話とかなかったし、あったとしても田舎だから電波の届かないところが多い。内緒話も日常会話だった。

「ふうん」
 なんか、意外な気もしたけど、それほど驚きもしなかった。制服を着ただけで何が変わったわけでもないけど。中学にはいると周りが急に大人びてきた。少女雑誌でしか聞いたことのなかった色恋沙汰。クラスメイトから、恋愛の相談を受けたときはどうしようかと思ったし。

「それで? 面白かったの?」

 あまり素っ気ないのも申し訳ないので、一応聞いてみる。恭子はふふっと鼻を鳴らして、くすぐったそうに首をすくめた。

「うんっ、修司って結構紳士よね。私、ちょっとときめいちゃった。ジュースとかちゃんとふたり分運んでくれるの。それにね……」

 恭子の話は延々と続いた。適当に相づちを打ちながら、何となく変わっていく自分たちを思った。


 その半月後くらいだろうか。今度は彩音からも同じことを言われた。

「ごめん、玲香と行こうと思ってたやつ、先に見ちゃった」

 みんなそれぞれに自分たちの部活に入っていた。篤郎と健一はサッカーで、修司はバスケ。彩音は吹奏楽で、恭子がバレーボール、私はテニスだった。下校の時間もまちまちで、適当に時間が合ったときに一緒に帰った。男子の部活は女子よりも長いから、ほとんど会うこともなくなった。

 今度は、私はおなかの中で、ちょっとだけむかついていた。話を聞けば、恭子の時も彩音の時も修司は自分が誘ったって言うじゃない。どうして、あのふたりなの? 私のことは誘わないの? 別にそんなのは個人の自由なんだけど、何となく面白くなかった。

 小学校の頃は何でも身長順でやる。整列するときもそうだし、教室の机も。今でこそ、背が低い方になっちゃったけど、私、昔は後ろの方だったのよね。成長が止まっているうちに、みんながどんどん追い越していった感じで。だから、6年生ぐらいまでは学年でも大きい方だったし、同じくすらっと長身だった修司とは何かとペアを組む機会が多かった。

 家は一番離れていたんだけど、何となく気があったから、よくふたりでおしゃべりしたりして。学校の裏の空き地でどろどろになるまで遊んだ。正直、6人の中では修司と私、一番仲が良かったと思っていたんだ。だから……そんな私よりも、恭子や彩音を誘う修司に「裏切り」みたいなものを感じてしまった。

「次は、玲香の番なんじゃない?」

 多分、そう言ってフォローしたくなるほど、私はムッとしていたんだろう。楽しそうに報告していた彩音が、急に神妙な顔になって言った。

「……別に、いいわよ。修司なんて」

 精一杯の強がりだった。どうしてそんな風に拗ねてしまうのか、自分でも分からない。でも、そんな風にしながら、いつか修司が声を掛けてくれたらいいなとか思っていた。


 でも、いくら待っても、あいつからは何もない。

 たまに、下校の時、遙か向こうに学ランの背中を見つけることがある。ああ、修司だ、間違いない。いかり肩で上に引っ張られたようにますます身長が伸びて。肩掛けの鞄がゆらゆらして。修司って、クラスの女子の間でも人気があった。素っ気ない感じが乙女心をくすぐるらしい。私から見れば、ただの鈍感だと思うけど。

 同じ早さで歩く、私たち。一定の間隔を保って、それ以上は近づくこともない。それが私たちの距離。こんな風に一生歩いていくんだと思った。

 ――いいのかな、これで。

 きっと、私は嫉妬してたんだ。女の子3人いつも一緒で、仲良しだった私たち。なのに、私だけが恭子と彩音に遅れを取っている。なんか許せない。修司にも思い切りむかついていた。そんな風にあからさまに無視しなくたって。そう思ったら、足が勝手に走り出していた。足音に気づいた彼が立ち止まって振り返る。

 だったら、それみよがしに、篤郎や健一でも良かったのに。何故か、私は自分から修司を誘っていた。

「ねえ、映画行かない? 来週から新しいの始まるでしょ?」

 断られたらどうしようかと思った。何も思い当たらないけど、もしかしたら私は何かとんでもない失敗をして、修司を怒らせてしまったのかも知れない。クラスが違うこともあるけど、修司と私には交流が途絶えていた。篤郎や健一が廊下とかで親しげに話しかけてくるのに、修司はぷいっと無視する。だから、きっと何かあるんだなとか思っていた。

「うん、……いいけど」

 

 冬休みの初日、部活を休んで。バスに乗って出かけた。これで、恭子や彩音に並んだんだ。妙な達成感が私の中にあって。

 ……でも、あんまり楽しくなかったんだな。修司、ずーっとつまらなそうにしていた。妙に落ち着きがないし、時計を見てそわそわしたり。話しかけても上の空だし、心ここにあらずだった。

 年末の人混み。映画館を出たところで、どっと押されて、私はたくさんの人の中に入り込んでしまった。慌てて修司を探す。だけど、彼の広い背中はずっと遠くて、それにこちらを気遣って振り向いてくれることもなくずんずんと進んでいく。

 その瞬間、気づいた。――もうやめようって。

 何をやめるのか、自分でも分からなかったけど。もう駄目なんだなって、絶対無理なんだなって思った。修司との思い出の全てが、そこで途切れたみたい。私の子供時代もそこで終わった。

 

 

 卒業式、それぞれの進路。みんな、バラバラになることが決まった。

 久しぶりに小学校の裏山に6人で集まって、私たちはすっかり小さくなってしまった懐かしい校舎を見下ろしていた。

「……今、掘ってみる?」
 そう切り出したのは、高専に行くことになった健一だった。

「大人になってからなんでしょ? 今の私たち、まだ子供じゃないの」
 ぷうっとふくれた彩音は、その頃、大学生と付き合っていた。私たちの中では一番早熟で、もう彼氏は3人目。少し色っぽいし、甘え上手だった。

「そうねえ、もっと……なんて言うか。全部忘れた頃がいいな」
 バレーボールの推薦で、商業高校に入った恭子。いつもながらの仕切屋でそんな風に言い切った。

「忘れた頃……ねえ」
 腕組みしながら、考えてる篤郎。だんだん、お父さんそっくりになってくる。酒屋の仕事を手伝ってると、時々間違われるんだって。恭子と同じ商業に、一般受験で受かっていた。

 みんなが、うーんと悩んでいるとき。その輪から少し離れたところに立っていた修司がぽつんと言った。

「……10年後」

 残りの5人が見守る中。彼はゆっくりとこちらに歩いてきて、ある地点で足を止めた。そこには大きな岩が置かれていて、その周りにぐるりと小さな石が取り囲んでいる。

「キリがいいだろ? 覚えやすくてさ。その頃にはみんな進路がきっちりと決まってるだろうし、夢が叶ったか見極めるのにいいんじゃない?」

 15歳の私たちは、その言葉に顔を見合わせた。大人って言うから20歳の成人式とかでいいのかなと思っていたのに。10年後なんて、とても意外だった。

「うん……いいかもね、10年後。私たち、どんな風に変わってるんだろ」

「別離」という場面に感傷的になっていた私は、修司のそんな考えが何だか嬉しかった。

 ようやく未来への鍵を渡されたようなそんな気持ち。一度きり、あの日映画に行ってから、前よりももっと疎遠になってしまった私たちだったけど、その瞬間だけもう一度、昔に戻れた気がした。

「ふふ、10年後か〜」
 恭子が楽しそうに笑う。

「玲香なんて、子供が3人くらいいたりしてね。何となく、6人の中で一番先に結婚しそうよ。そんな気がする」

 どっと、笑いが起こる。私たちの前に、未来への遙かな道が拓けていた。

 

◇◇◇


 修司との決定的な別れは、その後、もう一度あった。

 

 私も学習能力がないなと思う。どうして、あのとき修司の家に行ったんだろ。高校2年の春、他校の男子生徒からいきなり手紙をもらった。今までに経験のなかった「ラブレター」というものだ。どうも通学のバスで一緒になるらしいけど、私には面識ないし、どうしていいのか分からない。修司の高校の制服だったから、何となく……相談したくなったんだ。

 夕暮れの街並み。山際のひなびた田舎町。住宅街の一角で、彼が戻ってくるのを待っていた。

 聞き慣れた懐かしい声がして、振り返る。そこには――私の知らない女の子を連れ立った、修司が立っていた。


 

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