TopNovel短篇集・2 Top>十年目の蒲公英・3


scene 1…

 

 

「へ……?」

 私はまじまじと目の前の人を見つめた。でも穴が開くくらい見つめても、そこには何も浮かび上がって来なかった。

「いきなり逃げるから、どうしたのかと思ってさ。追いかけてきたら……どかん、だもんな。道ばたにひとり置き去りにして、あとで彼女にえらく怒られたよ」

 あまりのことに、何も言葉が出てこない。口をあんぐりと開けたままの私。情けなさ全開だ。

「そのあと、すぐに振られた。あっちが言い寄ってきたのにさ……そんなん、ばっかだよ。挙げ句、篤郎や健一に先を越されてさ、すげー口惜しい」

 東京で働いてるって言ってた。どことまでは聞いてない。このルックスなら、都会でだってそれなりに楽しくやっているだろう。合コンとか言ったら、女の子がそろって浮き足立ちそうだ。

 

「玲香は……? そういや、京介の奴、結婚したんだって聞いたけど」

「うん……」

 

 なんか、修司ばっかがしゃべってる。一応、質問には答えた。京介、というのは私の弟の名前だ。狭い町内だから兄弟の名前だって知っている。もちろん顔なじみだし。

 やりにくいなあ、何をしゃべったらいいんだろう。もう、とっとと終わりにして帰りたい。家にも寄らずにここに来たから、そのまま電車に乗ってアパートに帰ろうかな。

 

「もうひとつ、話していい?」

 私がうんと言わないのに、修司は勝手にスコップで地面を掘り始めた。

 さくさくと軽やかな音が辺りに響いて、穴が深くなる。あの日も、家からスコップを持ちだして、男子3人が土を掘った。確か……お風呂くらいの深さだった気がする。

 

 約束の瞬間が来るかも知れないって思ったら、ちょっとだけ待ってみようかなって思えてきた。

 

「玲香を誘わなかったわけ……スゲー顔してむくれてたって、あとから恭子たちに聞いてさ。やっぱ気にしてたんだなって思ったから」

 え、いきなりその話か。

 10年以上前の話を今更蒸し返されてもなあ……何とも間の抜けた話。時間に追われる都会の生活に比べて、田舎ってどうしてこんなにのほほんとしてるんだろ。

「別に。シカトされたのが口惜しかっただけよ、ホントそれだけ」

 だいぶ、掘り進んだのかな、とか思って。私は彼の近くに寄っていた。遠目にはよく分からなかった大人の修司が、見えてくる。髪の毛も夕日のせいじゃなくて少し染めてたんだ。顎の下に剃り残しの無精髭。

「シカトしたんじゃねーよ。玲香にシカトされたら嫌だと思ったから」

「え……?」

 かちっと、スコップに何かが当たる。

私たちは、そこを覗き込んでいた。オレンジ色のプラスチックの蓋。変色もしてない。そのままのガラス瓶が出てきた。

「俺さ……玲香にやだって言われたら、二度と立ち直れねーと思って。結構純情だったんだぞ」

 

 少し色の変わった封筒。蓋を開けて確かめて。そのひとつを私に突き出してきた。汚い字で「俺の夢」と書いてある。……修司の字だ。

 いいの? と目で聞いたら、開けてみろよって顎で言い返す。こんなに傍にいて、他には誰もいないのに。何だか声が出なかった。

 

「……何、これ」

 便せんを開いて。私は絶句した。

 

 信じられない、どうしてよ、もう。こんなの、普通、小学生が書く?

 

「何って、俺の夢。隣の玲香が何を書いてるのかって、どきどきしながら書いた」

 まるで昨日のことみたいに、ずいぶん昔の話をする。

 なんか、ひとっ飛びだね、すごい時間が経ってるのに。私も修司もこの町も、全然変わってないんだよ。ふたりともすっかり垢抜けたみたいに、都会の人間ぶってるけど、全然だよ。この風景が一番似合う。

「――この夢、今も叶えたいの?」

 ああ、私ってば。どうして泣いてるんだろ、涙腺が弱くなったかなあ〜。私の泣き笑いの顔を、ちらっと見て、それから修司はわざと吐き捨てるみたいに言った。

「ひとりじゃ、叶えられねーんだよ」

 ところどころに黄色いシミの付いた便せんの真ん中。

 大きな字で「玲香がほしい!!」と書いてあった。

 

◇◇◇


「なんか……落ち着かないね」

 

 何となく、気が付いたらふたりきりで部屋の中。

 大人って、どうしてこんなに短絡的なのかなって悲しくなるけど、なんか歪んだ小学生の文字を眺めていたら、面倒なことはこの際いいかな? って気になってきた。

 

 傍らに座る修司がくすっと笑う。

「昔さ〜、どっきりしたことがあったんだよな?」

 くくくっと一頻り笑って。何よぉって私が顔を覗き込んだら、ようやく滲んだ涙を指で拭いながらこっちを向いた。

「部活か何かで、小学校の帰りが遅くなってさ。女ひとりじゃ可哀想だからって、玲香を途中まで送ってやったんだけど。その時に、お前、ここの看板を見て言っただろ。『どうして、ここのホテルって、こんなにピカピカしてるんだろうね』って……『こんな田舎に誰がくるんだろうね』なんて無邪気に笑ってさ、もうっ、馬鹿馬鹿っ! って突っ込みたかった」

「えー?」

 何よぉそれ。覚えてないわよ。でもさ、ラブホの存在なんて、子供にとっては謎でしょ? こんな田舎に「ホテル」なんて変だなと思っていたのよ。

「こういう客が来るんだよ。自宅だと近所の目とかあるからなー、結構、地元の奴らがいたりして」

 自然な感じで腰に手が回る。やぁん、緊張するよ〜、いいのかなあ、こんなんで。身体がぎゅーっと固くなると、修司がまた笑う。

「うーん、食べちゃいたいくらい可愛いって、こんなことを言うんだろうな。……もう一個、告白していい? なんか今日は暴露大会だな」

 器用だな〜、しゃべりながら服を脱がせてるよ。もう、こんな風に冷静になる自分が嫌。これでも初めてなんだよ、槇原さんとはホント、キヨラカだったんだから。

「中学の頃さ。玲香に誘われて、映画行ったろ。あのとき、スゲー緊張してさ。もう頭の中、パンパンだったんだ。何せ、久々の玲香の私服は可愛いしさ、ピンクのリップなんて付けていて。もう〜、血液が身体の一部に集まるのを阻止するだけで精一杯。顔もマジに見らんなかったんだ……やりてーって思ってた」

「えっ……?」

 あ、かわいー、なんて言いながら、修司は私のブラに手を掛ける。こんなつもりなかったから、実用的な「動いてもずれない」奴だ。何しろ、体力勝負の職場だから。

「帰り道なんかも、もう気を抜くと押し倒しそうで、自分がケモノになったみたいで情けなくてさ〜家に帰ってから、なんて馬鹿な奴なんだって思ったよ。話らしい話も出来なかったし……ごめんな」

 な、何よぉ。いきなり何を言い出すのっ!? 今更、謝られたって……そんなっ……。

 

 ずりっと、身体が倒される。熱い吐息が肌にかかった。

「あんっ……、ふっ……!」

 白いシーツの上、覆い被さってくる身体。修司、真ん中のあたりにうっすらと胸毛が生えてる。そんなことが妙に恥ずかしい。修司の裸なんて、中学に入ってからはまともに見たことない。

「もう一度、誘ってくれたらなって思ってた。そしたら、少しはまともに付き合えたのに。俺さ、ホント、マジに……玲香に惚れ込んでたから」

 そう言ってる顔がすごく苦しそう。何で、そんな風に眉間に皺を寄せるの? 心配になって肩に手を伸ばす。こんもり盛り上がった筋肉がぴくぴくっと揺れて、すごい汗ばんでる。まだ何をしているわけでもないのに、どうしたのかなって思う。

「……修司?」

 今までは軽快に動いていた口元が止まって、苦しそうに息を吐く。私はどうしたらいいのか分からなくて、汗くさい胸に頬を押し当てた。すんと鼻を鳴らすと、また修司がびくびくっと反応する。

「ああっ! 駄目だ俺っ……止まれないかもっ……!」

 ゴメンな、玲香――という声が、聞こえたのか空耳だったのか。とにかく、修司がまともな感情を持っていたのはそこまでだったと思う。

 


「ひゃっ……! ふぅんっ、はぁん……っ!」

 指のあとがくっきりと残るくらい、体中をはい回る大きな手のひら。もう全身が修司の所有物になっちゃったみたいに、表から裏から、好き放題にされてる。なんか、もう、どうしよう。初めてなんだから、いたわってとか、そんな風に甘えてる暇もないよ〜っ! 修司って……あのっ、鬼畜? なんかすごいんだけど。

「やめっ……、あっ、あのっ……!」
 あまりの圧迫感に、払いのけようとしたら、反対にシーツに縫い止められてしまった。拒否権というものがないのだろうか。修司、大人なんだよね? 中学生じゃないよね……? なんか……あの……っ!

 会話もなくなった。何か話したくても、言葉にならない。

 修司に至っては、まるで呻くように喉を鳴らして、私の身体に吸い付くしか能がないみたい。壁に響き渡る嬌声、悲鳴にも似た女の声。自分の中からこんな風に声が出るなんて、全然知らなかった。

 

 物静かで、やわらかで、でもしっかりしていた修司。

 田舎っぽい男子の中では際だっていた。最初は恭子も彩音も彼に夢中だったんだ。ううん、クラスの女子は全部そうだったかも。私……心のどこかで、いつでも修司に特別扱いされたいって思ってた。

 だから、辛かったんだよ。修司が私だけ誘ってくれないの、優しくしてくれないのが。他の女子には出来ることがどうして出来ないのよと首根っこ掴んで問いただしたかった。私……修司の「特別」になりたかったんだと思う。

 

「どんな女と付き合っても、玲香を思い出しちまうんだ。そうすっとね、もう駄目。どんな奴でも、玲香とは違うから。会えなくなってからも、ずっと玲香ばっか探していた」

 

 ――そんなこと。どうして今更言うんだろう。

 やだな……でも、なんかこうして修司のすぐ傍にいると、10年なんて時間はあっという間だなとか思えてくる。こんな風になる日を、きっと私は待っていた。土の中で大人になるのを待っている蝉の幼虫みたいに、膝を抱えて、ひとりぼっちで待ってたんだ。

 あの日……あの原っぱを飛び立った蒲公英の綿毛。ふわりふわりと旅をして、こうして舞い戻ってきた。お互いに昔のままじゃないけど……いいんだよね。姿かたちは変わっても、こうして同じ気持ちがあれば。

 

 熱くて固いものが、私の入り口に押し当てられて。ふっと、呻いた彼がずいっと腰を進めてきた。

「うぐっ……! いたっ……!」
 とてつもない痛みに、思わず叫んでいた。

 動く腰をぎゅうっと押さえつけられて、身体の中を徐々に押し広げられるように、何かが入ってくる。内蔵をえぐられる不快感に、鳥肌が立った。

「うっわ〜、すげーっ! ちょっと最高かもっ!!」

 限界値に達してる私をいたわるよりも、彼は自分の喜びを叫ぶのに必死だった。

 なんか……ホント、想像していた大人の世界とは、かけ離れた感じで。処女喪失という、なかなかにして感動的な瞬間を、私は非常に冷静に受け止めていた。

「……子供みたい」

 声を出すのも、苦しい状態だったけど、思わずそう呟いていた。あまりにしらっとした自分の声が情けないけど……だって、修司、はしゃぎすぎ。

「いいだろ」

 そう言いながら、すごく手慣れたキスをする。導かれて、舌が絡まって。その行為に夢中になっているうちに、止まっていた彼が急に動き出した。

「今は子供に戻った気分だよっ、一番欲しかったものが手に入れば、こんなにいいことないだろっ!? ああっ、……いいっ……!」

 オコサマ相手の職場にいる私でも、思わず引いてしまうような感じ。一方的に、彼を受け止める感じで、私は我慢の限界が来るまで必死に耐えた。苦痛……って程じゃないけど、ホント、いっぱいいっぱいで。盛り上がる修司の下で、身体がくねる。

 身体の内側をさすられて、えぐられて。そんなことを繰り返しながら、彼の起こす波の中にいつしか漂っていた。

 どこまで行けば、いいのか行方も知らないまま、彼につかまって。

 

◇◇◇


 たくさんたくさん、名前を呼ばれた。会えなかった日々の寂しさを埋めるみたいに。

 私たちはこうして、ずっとすれ違う運命にあったのかな? もしも今日、修司があそこで待っていてくれなかったら、私があの場所に行かなかったら、まだ……きっと出会えないままだったんだ。

 

「……玲香……」
 フルマラソンを完走したみたいに疲れ切った声で、それでも私を包み込む。手のひらまで湿っていて、身体がまだ熱い。

 えっちするためだけの部屋。時間いくらって決まっている場所で、私たちは余韻に浸っていた。なんか変、こんな風にして何が変わるんだろう。ただ、……ちょっとだけ、見えてきた気がする。

「俺がどれくらい、玲香が欲しかったか、分かった?」

 いきなりそんなことを聞いてくる。やだなあ、もうちょっとムードのある台詞が言えないのかしら? ムッとして睨み付けたら、照れ笑いする。頬が真っ赤だ。

「10年か……長かったな」

 急にしんみりするから、私もちょっと悲しくなった。何で、ここまですれ違ったんだろう。私たち、もっと簡単に幸せになれたはずなのに。ここまでひねくれちゃうと、もう修正がきかないかも。

 

 それより……これから、どうしよう。いきなりこんな風になっちゃって、考えがまとまらない。まさか、すんなり上手くいくなんて、そんな夢みたいなことがあるわけないし。今、こんなことしちゃってるのも、10年越しの約束が見せた魔法かも知れないなとか。

 私……この先、どうすればいいんだろう。

 

「――あ、そうだ」
 私の髪を梳いていた、修司の手が止まる。そして、ふっと思い出したように、サイドテーブルを見た。

「玲香の……あのときの夢って何だったの? さっき『見ちゃ駄目』って、隠しただろ?」

 

 うわ……やっぱ、これを聞かれたか。

 そうよね、修司のを見せてくれたんだもん。私のも、っていうのが当然かも。でも、――どうしよう。

 

「何? 俺が読んじゃ駄目なこととか書いてある? ヤバイの!?」

 泣き出しそうな顔になった私に、修司が慌てる。ふたりの動きにあわせてベッドがきしんで、弾んだスプリングに身体が浮き上がった。水面をゆらゆらしてる落ち葉のように、頼りない私たち。

「別に……ヤバイってこともないんだけど」

 私がもごもごと口の中でしゃべるのを、修司が神妙な面持ちで見守る。

 しっかりは覚えてない、でも多分私の記憶は当たってると思う。こんな時に彼にそれを見せるのは、ちょっとやだなとか思った。

「叶うかどうか、分からない夢だから……どうしよう」

「え……?」

 

 私が逆に問いかけたので、修司が驚いた顔になる。これを見たら、きっともっとびっくりするわ。その先になんて言われるか、すごく不安なんだよ。どうして私、もっと当たり障りのないことを書かなかったんだろ。本気で叶う夢だとでも思っていたのかしら。

 ぎゅっと、唇を噛みしめて。私は白い封筒を彼に差し出した。

 

「……?」

 黙ったまんま、それを受け取って中を改めてる。まつげが長いなあとか関係ないことを考えていた。やがて、緊張した面持ちが急にふっと崩れる。そして、嬉しそうに私を見た。

「何だ、こんなこと」

 修司は腕を伸ばすと、そのまま裸の私をぎゅっと抱きしめた。

「すぐにでも叶えてあげられるけど……昔の玲香じゃなくて、今の玲香もそれでオッケーなの?」

 

 あたたかい心臓の音。すぐ近くでしてる。

 大人になるのも悪くないかも、こんな風にしてみんな変わっていくのかな。都会で背伸びして、頑張ってるつもりだった。でも……私が私らしく生きるためには、この町じゃなくちゃ駄目なんだ。

 ぱさりと床に落ちた便せん。少し震えた昔の私の文字。

 

 ――修司のお嫁さんに、なれますように――

 

 ふわふわと時を越えて。お互いの本当が、ようやく手のひらに舞い降りてきた。

了(031218)


 

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