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scene 1…
…その後のふたり

※この作品は、600万打キリ番リクエストで書かせていただきました
本編終了後、ほどなくのふたり。初めての待ち合わせです
tomo様、誠にありがとうございました!

    

 金曜日、午後七時。

 かなり余裕を持って家を出たつもりだったけどな。途中乗り換えに手間取って、気付けば待ち合わせギリギリになっていた。地下鉄の階段を慌てて駆け上がり外に出ると、周囲の建物が天に届きそうに高い。数ヶ月ぶりにやって来た「大都会」に私はすっかり飲み込まれていた。
  丁度混雑する時間帯なのだろう、いくつかの路線が重なり合う駅周辺は春服のサラリーマンやOLでごった返している。別に交通整理をしている訳でもないのに、いくつかの流れが整然と続いているのに驚く。かなりのスピードで動いているから、一歩間違うとそのまま勢いで別の場所に運ばれてしまいそうだ。

「……ええと、噴水の前だったよな」

 メインの時計台では人が多すぎるだろうからと、そこから少し奥にある場所を指定された。説明された通りの方向を見れば、一応あれがそうなのかな。円形のコンクリートの壁に囲まれた中に申し訳程度の水が溜まっている。省エネか何か知らないけど、中央の吹き出し口から水は出ていないみたい。
  街灯の下にも人影はまばらで、その中には私の知っている姿はなさそうだ。もしかしたら、少し遅れているのかも知れない。今週は特に忙しいとか言ってたもの。
  少し離れた場所に立つと、私は携帯を開く。あの場所で人待ち顔で立っているのは、何だか気が引けた。そんなこと気にする必要もないのに、慣れない場所に連れ出されただけですっかり臆病になっている。こうしていてもつい目で追ってしまうのは、自分と同世代と思われる女性たちの姿。綺麗にカールした髪、発売したばかりのファッション誌から飛び出してきたような服装。

 ―― これでも、頑張っておしゃれしたつもりだったんだけどな……。

 上に着た薄手のコートが先シーズンからのものであるなら、中のワンピースに至っては一昨年のまだ学生だった頃に購入したものだ。もちろん当時としてはかなり奮発した一枚で、手持ちの服の中ではまあまあ見られるほうだと思う。だけど、やっぱりどこか流行遅れであることには違いない。

 彼が勤めているのは名前を聞けば誰でも「ああ、あそこ」と分かる一流企業。しかも本社勤務ともなれば、普段どんな人たちの中で働いているのかなとつい考えてしまう。特に女性―― すらりと長身でスタイル抜群、しかも流行の最先端を行く髪型と装いで全身を隙なくまとめて、しかも知的で……。確かに入社以来決まった相手はいなかったって言われたけど、どこまで本気にしていいのか分からない。
  まあそれよりなにより。私にとっては今をときめく俳優女優たちがドラマの中で繰り広げるシーンしか浮かんでこないような場所で、彼がちゃんと働いているのかどうかが疑問だけど。

 一方、私の方と言えば。

 都心への通勤に便利なベッドタウンが生活の中心。建て売り住宅がずらりと並ぶ一角にある私立幼稚園に勤務している。職場は園長以外は女性ばかり、その他に毎日顔を合わせる大人と言えば送り迎えの時にお目に掛かるママさんたち。「出会い」や「ときめき」とはおよそ無縁な毎日を送っていた。
  今日だってね、実は休日出勤の分の振り替えで三時間早く上がらせてもらったの。そしてもう、それからが大変。自転車で十分のアパートに戻ったあと、大急ぎでシャワーと着替えを済ませなくちゃならなかったのよ。だってまさか、トレーナーにGパン・スニーカーなんて格好で都心に出掛けていくわけにはいかないでしょ? 別にそうしたって構わないかもだけど、少なくとも私は嫌だった。
  あれでもないこれでもないって、何度着替えたことか。今日ぐらい時代遅れなクローゼットを嘆かわしく思ったことはないわ。そりゃ私だってね、休日にふらりと街に出ればショーウインドに飾られた服についつい吸い寄せられてしまうことはある。こういうの着てみたいなあって、実際に袖を通した自分の姿をうっとりと想像したりして。……だけど。一瞬あとにはハッと我に返ってしまうのね。
  だってなけなしのお給料を叩いて買い求めたところで、一体いつそれを着る機会があるというの。平日はアパートと幼稚園との往復のみ、ちょっと立ち寄るとしても近所のスーパーかコンビニ。休日は体力的にも精神的にも限界まで来ている身体を休めるだけで終わってしまう。

「もう少し、どうにか出来ないの。そんな風にしていると、あっという間におばあさんになっちゃうわよ」

  ―― 学生時代の友人たちから指摘されても、一向に生活が改まることはなかった。なりたくて仕方なくて、わざわざ大学に入り直して人よりも遅れて手に入れた天職だもの。多少の犠牲を伴ったとしても、毎日が充実しているのが一番よ。
  正直、面倒ごとは二度とゴメンだったし。地雷を踏むことを恐れてびくびくと歩くんだったら、最初から何の心配もないまっさらな場所で生きた方がいいと思ったのね。

 そう、つい最近までは。自分が再び誰かのために装うことになるなんて、想像だにしていなかった。

 

 午後七時十分。

 時計台の秒針がまたぐるりと一回りしていく。相変わらず、四方八方から湧き出て流れていく人波、そこから時折聞こえる笑い声や怒鳴り声。今日は真冬が戻ってきたような夜になるって天気予報が言ってたもんな。ほんの少し立っていただけなのに、足下からじわりと冷気が伝ってきてる。ふとした拍子に耳元を通り過ぎるビル風にも凍えそうだ。

「まだ、来ないのかな」……こんなにたくさんの人間が溢れている街中で自分だけがひとりぼっちの気がしてくる。こんなことなら、どこか温かいお店の中を待ち合わせ場所にすれば良かった。このままいつまでも待たされたら、私きっと氷の彫刻になっちゃうわ。新年度を迎えた季節に、この上なく似合わない光景だ。
  訳もなく携帯を開いては、穴が空くほど確認したメール本文をまた読み返す。日付、間違ってないよな。時間、思い違いしてないよな。もしかして、急な用事が入っちゃったとか? それとも気が変わって来るのを止めちゃったとか? ……それとも。

「……あ……」

 たった十分待たされただけなのに、すっかりネガティブ思考になってしまっている自分に情けなくなっていたそのとき。今までは人気もまばらで薄暗かったその場所に、白っぽいコート姿の男性が風のように駆け込んできた。私が今立っているのは広場の隅っこにあるビルの前。大きな立て看板の影になっていて、向こうからはこっちが見えないと思う。
  息を整える間ももどかしく腕時計を確認して、それだけでは飽き足らなかったのかさらに時計台に視線を移した。そのあと、ぐるりと周囲を見渡して何かを探している。

 ―― 修司だ。

 相変わらず憎たらしいばかりの長身、春物のトレンチコートがあつらえたみたいに似合ってる。昔から田舎には似合わないほど垢抜けていた彼だけど、こうして本物の大都会の中に立っていても少しも見劣りしない。短めに切りそろえた髪も格好いいな、明るめの色に染めちゃったりしてオシャレにも気を遣ってるみたい。だよなあ、野暮ったい格好なんてしてたら、ピカピカ超高層ビルの一流企業に似合わないもの。

 待ち人が現れたのだから、すぐに駆け寄ればいいのに。どうしてもそんな気持ちになれなくて、私は相変わらず看板の影から不審者のように彼を見守っていた。
  だって、どこから見ても彼は都会の男なんだもの。あの隣に私が立ったら、きっと似合わないよ。そりゃ、故郷の蒲公英畑の真ん中だったら何でもあり。私だって何の気負いもなくいられる。だけど、今は。躊躇いの気持ちが強すぎて、最初の一歩が踏み出せない。
  やだな、何であんなにキメてくるのよ。もうちょっと普通にしてくれればいいのに……って、あれが彼の「普通」だったりするのかな? やっぱりもう一枚のワンピースにすれば良かった。あっちの方がまだ大人っぽくてこの風景に相応しかったのに。

「今度はあっちで会おうな、出来るだけ早いうちに」

 私よりも一足早く帰京する彼は、別れ際にそう言った。素直に頷いて同意したけど、果たしてそれが正しかったのかどうか分からない。せめて、もうちょっと地味な場所で待ち合わせれば良かったかな。何だかもう、自分が惨めで惨めで仕方なくなってる。

 

「―― あれ?」

 またうだうだと悩んでいたら、いつの間にか彼の姿が消えていた。ええっ、嘘!? だって、一瞬前まであそこにいたのに。一体、いつの間に消えたのよ。ち、ちょっとっ、どこ行ったの……!?

「おい」

 思わず携帯を握りしめたら、今度はすぐ背後で声がした。すごく低い声、ぎょっとして後ろ向きのまま身をすくませる。そしてさらに、肩をぐいっと掴まれて。

「何隠れてるんだよ、いい加減にしろよな」

 強引に向き直らせられて、それでも彼の顔を見ることが出来ない。遠目には白っぽく見えたコートは、実際はアイボリーだった。

 ……見つかっちゃったんだ。

 上手く身を潜めているつもりだったんだけどな、何だか口惜しい気持ちと嬉しい気持ちが胸の中でごっちゃになって、もうぐちゃぐちゃ。そしてそれより、彼の視線が私に向いてるのが耐えられなかった。

「べ、別に。隠れていたわけじゃないわよ、私だって今来たところだったんだから」

 そんな風に言い訳しても、これだけ冷え切ってたらバレバレだな。仕方なくそろそろと顔を上げたら、彼の複雑そうな表情とぶつかった。

「な、何だよ……ちょっと遅れたくらいで。そんな風にへそ曲げられたら、こっちも素直に謝れなくなるだろ? 全く、これだから玲香は―― 」

 もっと怒るのかなと覚悟したのに、予想を裏切って彼はふっと顔を崩す。

「……ま、そう言うところが可愛いんだけど」

 目線をしっかり合わせたまま、そんな風に言うんだよ。もう、こっちは顔が真っ赤になっちゃって俯くしかないじゃない。

「か……可愛くなんかないよ。心にもないこと、言わないで」

 本当は嬉しいくせに、馬鹿な私。素直になれないのは昔も今も同じ。どうしようもないひがみ根性で全てを台無しにしちゃうんだ。そう言う性格、直さなくちゃって思うのに、どうして上手くいかないんだろう。

「なーに拗ねてんだか。で、これからどうする? まずは飯でも食いに行く? それとも手っ取り早くふたりきりになれる場所でも……」

 突然、がっと肩を抱き寄せるんだもの、慌てて振り払っていた。

「なっ、……ななな、いきなり何言い出すのよっ! 馬鹿っ、修司の馬鹿!」

 もう、突然のフェイントで一歩リードしたつもり? だとしたら、全然見当違いだから。もう、もう、何なのよっ! 信じられない……!

「ふーん、図星だったか。玲香も好きだなあ、そんなに期待されちゃこっちも頑張るしかないか」

 だからーっ、違うんだってばっ! せっかくスタイル決めても、中身がスケベオヤジじゃ興ざめだよ? もう、丸のまんま修司で。だから、……ちょっとホッとしたかな。

「……勝手に言ってれば?」

 実を言うとね、田舎からは私たちの仲に勘付いたみんなが「その先、どうなった?」「進展は?」としつこく聞いてくるから困っちゃってるの。全然分かってないんだよなー、いくら「東京で働いてる」って言ってもね、ここまで生活空間が異なったら偶然すれ違う機会もないわよ。年度初めはどこも忙しくて、私たちもお互いの予定がなかなか合わせられなかった。こうして顔を合わせるの、ほとんど一月ぶりだよ。

 ……なのに。

 進展どころか、後退しているような雰囲気の私たち。一応、想いは通じ合ったんだよね? アレがそうだったって言っていいよね? でもこのまま忙しさの中に紛れたら、また離ればなれになっちゃうんじゃないかなあって不安になったりする。

「ま、やっぱとりあえずは飯にしていい? 俺、今日早く抜けるために昼飯抜きで頑張ったんだからな。がっつり精を付けさせてもらえないと夜頑張れないぞ。……と、言うことで」

 人があれこれ考えてるって言うのに、全くもうお気楽なんだから。―― って思っていたら、突然目の前に差し出される手のひら。

「ほら、ちゃんと繋いでないとはぐれるぞ」

 重ねた手はとっても熱くて、私の凍えた指先にぬくもりが広がっていく。本当に、すごく急いで駆けつけてくれたんだなって、そう思ったらやっぱり嬉しい。修司、私に会いたかったんだよね、私が修司に会いたかったのと同じくらいに。

「じゃ、行くか。店はこっちで勝手に決めていい?」

 修司に手を引かれていたら、人波にも上手に乗ることが出来た。自分ひとりじゃ絶対に無理なことが難なくクリア出来てしまうんだものね、やっぱりふたりってすごい。ぐらぐらに不安定だった気持ちまでがすっとあるべき場所に戻れる気がする。相変わらず先っとばしでこっちの都合なんてお構いなしだけど、よくよく考えればそれが修司なんだよね。

「……ちょっと、格好良かったよ」

 わざと小さな声で聞こえないように呟いたのに、修司の耳はすぐにぴくりと反応する。

 コートが背中の後ろではためいて、まるで王子様のマントみたいだった。……って、そんな風に言ったら引かれるかな? 職業病だよなー、普段は「お姫様ごっこ」がトレンディーな女の子たちと付き合ってるから。

「玲香こそ、そんな服着てくるとは思わなかったぞ。あんまり待たせるのは危険だな、他の男に持って行かれたら大変だ」

 赤くなった頬を見られたくなくて、思わず俯いてしまう。そんな私たちの頭上には作り物の星空。どこまでも続いていく、無数の光たち。

「そんなはずないでしょ、修司を待ってたのに」

 絡めた指に向こう側から力がこもって、何だかとってもドキドキした。

了(080529)
ちょこっと、あとがき(別窓)>>


 

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