TopNovel>猫と大王



       

 放課後の体育館裏。
  鬱蒼と茂った木々に空は全て覆われて、まだ陽のある時間だというのに不気味なほどに薄暗い。こんな場所、好きこのんで出入りする生徒なんて「ほとんど」いない。そう――「皆無」ではないところがミソ。どんなことにも例外があるってことよ。
「はぁんっ……、だめっ」
  可愛らしく身もだえながらも、頑としてその手の動きを抑え込む。腕時計ごと手首をぎゅうっと握りしめたら、ケンジは「ちっ」と小さく呟いてようやく束縛を解いてくれた。
  うわ、ほんの一瞬の間にブラウスの第三ボタンまで外れてる。もう片方の手もただ太股を探ってるだけかと思ったら、パンツが半分ずり下がってるじゃないのっ!
「何だよ、自分から呼び出しておいて。莉子(りこ)、お前って見かけによらず身持ちの堅い奴だな。全く……じらすのもいい加減にしろよ?」
  じろりと睨まれると、やっぱ怖い。ケンジはどことなく服装が乱れている他はこれといって特徴もない男だけど、瞳の奥の鋭さは本物だ。コイツはただのチンピラじゃない。
「えーっ、だってぇ……こんないきなりは困るよ。あたし、ケンジにとことん惚れ込んでるんだもの、やっぱりハジメテは大切にしたいの」
  斜め35度、少し涙目。栗色のカールヘアに縁取られた顔が一番可愛く見える角度だ。二重まぶたの大きな目の他は鼻も口もちっちゃめ。少し肉厚の唇はローズピンク、頬は桜色。まくれ上がった超ミニのスカートを直しながら、あたしは究極の「お願い」ポーズをした。
「けっ、……甘ったるい女だな」
  そう言いながらも彼がだいぶ心を許してくれているのは分かる。一匹狼みたいなところがカッコイイって仲間内ではかなり人気あったんだよ。それだけにこんな風にツーショットに持ち込めるまで半月も掛かった。あたし、これでもかなりのやり手だと思ってたんだけどな。ここまで手こずったのは久し振りだよ。
「ふふ、嬉しいな。こうしてケンジとふたりっきりなんて」
  休み時間とか、すぐにふらりといなくなっちゃうから探すのが大変。放課後だって目を離した隙にひとりで帰っちゃうしね。あからさまに欲情した目でべたべたと見つめられるのも苦手だけど、ここまで素っ気ないのも口惜しい。
「おいおい、あんまりくっつくなよ?」
  えへへ、もうちょっとサービスしちゃおう。可愛く腕にまとわりついてぎゅーっと胸を押しつける。これでも発育途中のCカップ、結構谷間も出来るんだよ?
「分かってんだろうな? 俺を本気にさせるとあとあと面倒だぞ。他の男にちょっかい出されたら、血を見るからな、それでもいいのか?」
  そんな風に威嚇するけど、かなり動揺してるのは分かる。ふふ、結構可愛いのね。何気ない振りしてても、耳が真っ赤になってるよ。
「えー、本気になってくれるの? や〜ん、マジで?」
  あんまりくっつきすぎたかな。ケンジはふーっと派手な溜息をついてごそごそとポケットを探る。取り出されたモノを見て、私は目を丸くした。
「うわっ、不良〜! いいの、ここって高校の敷地内じゃないのっ。見つかったら大変だよー」
  口ではそんな風に言いながらも、ライターで火をつける仕草を羨望の眼差しで見つめる。思った通り、安物のタバコね……とかは思っても言わないのがお約束。
「はぁん、センコーなんてちっとも怖くねえよ。あんな腰抜けの奴ら、俺の相手じゃないね」
  ぷはあって煙を吐き出す。かなり機嫌がいい感じ、いつもはポケットに突っ込んだままの左手が再び制服越しにあたしの身体に触れ始める。
「うーんっ、……だめ、だめってば……」
  大袈裟にのけぞって、ケンジの腕に全体重を掛けるようにもたれかかる。――その瞬間、どこからかパシャッと鋭い音が響いた。

「ふ、どうしようもない奴らだ。現行犯だからな、今度こそ逃れようがないぞ。観念しろよ、坂口」
  ぎょっとしてその声の方を振り向くと。そこには闇色の髪を腰まで伸ばした男が険しい顔で立っていた。
  すらりと長身な上に背中に物差しでも入れてるみたいに姿勢がいい。気のせいか彼の周りの空気までが研ぎ澄まされているようだ。
「げっ、お前は江川っ……!」
  今までのカッコつけもどこへやら。憐れなくらい慌てふためいたケンジは、そこでようやく自分の右手に持っていたブツに気付く。今更知らない振りで地面に落としたところで、動かぬ証拠はすでに燦然と輝く一眼レフカメラの中だ。
「――御用だ」
  墨色の詰め襟学生服を乱れなく着こなした彼は、そこまできてようやく口の端でにやりと笑った。

「えーっ、停学1週間っ! うわぁ、注意一秒怪我一生って奴? 全くケンジも災難ね、よりによって相手が『閻魔』じゃねえ……」
  おいおい、さっきお弁当を全部たいらげたばっかじゃないの? デザート代わりだという「つぶつぶイチゴポッキー・春限定パッケージ」をぼりぼりかじりながら、悪友の早紀がふふんと鼻を鳴らす。どう見ても同情していると言うよりは楽しんでいるという様子だ。
  塩をたっぷり掛けられたナメクジ状態にしょぼくれてしまったケンジは、長髪男に引っ立てられてそのまま校長室行きになった。私? もちろん木の陰からひっそりとその現場を見守っていたわよ。下手に出て行って共犯になったらたまらない。ケンジのことだから、人を巻き添えにするくらい平気でしそうだし。
  その後のことはよく知らない。でも、今朝の時点で奴の停学の情報がかなり広範囲に知れ渡っていたところをみると、かなり迅速に処分が下ったんだろうな。
「まー、あんたも少しは懲りなよ? 全くさ、見ててハラハラすんのよね。どーしてこうもろくでもない男にばっか熱を上げるのかしらね? これだけ毎度痛い目を見たら、そろそろ学習効果が現れてもいいと思うんだけど……」
  ぼりぼり言いながら説教されたって、全然効果ないっていうの。まあさ分かるわよ、早紀の言いたいことも。もうすぐ学年末、ってことは入学してから早1年。あたしが言い寄った男も言い寄られた男もわんさといたけど、それがまー判で押したように同じような奴らばっかだった。
「うっさいなあ、ちょっと黙っててよ。これでも乙女な心を痛めてるんだからね」
  ケンジは今までで一番競争率が激しいターゲットだった。
  分かりやすい取り巻きとかは見当たらなかったけど、実は隠れファンが多かったのね。私がリアクションを起こし始めた途端にあとからあとから湧いてくる小バエたち。上級生のお姉様方に団体で囲まれたときにはどうしようかと思ったけど、やっとのこっさで逃げ延びた。 
  ――それが、どうよ。一時はナリを潜めていたはずの彼女たちが、今朝から俄然元気になった。嫌らしい作り笑いを浮かべながら「お気の毒にねー」なんて言われても全然嬉しくないってば。何よ、あの勝ち誇った顔。ああ、思い出しただけで胸くそ悪い……っ!
「痛い授業料だったと思って、当分は大人しくしてることね。あんた、ただですら『閻魔』に目をつけられてるんだから、派手な行動は極力慎んだほうがいいよ。彼に『御用』になったら、それこそ未来はないからね。そんときは私も縁切るから、そのつもりで」
  二度目の「ごちそうさま」をして、早紀が席を立つ。
  明るい紺色のブレザーにチェックのスカート。どこにでもあるような、ありきたりな制服。ブラウスのボタンを一番上まできちんとはめて、学年指定のネクタイをつける。あ、きちんと巻くんじゃなくて「ホックでぱっちん」って奴ね。ここまで型にはめられちゃうと、遊べるのはスカート丈くらい。さっきから偉そうなこと言ってる早紀だって、今にもパンツが見えそうだ。
「むーっ、ひどい! だったら、手にしてるそのノート返しなさいよ。ボロボロの心を抱えて必死に予習したんだからっ!」
「あははー、ゴメンゴメン」とか言いながら、早紀はさっさと自分の席に戻る。
  5限はリーダー、今日の日付に合わせて指名する先生だから下調べは欠かせない。答えに詰まったら、どどんと山盛りの課題が出るんだもの。二度被害にあったらさすがのあたしも懲りたよ。……まあね、この先はしばらく暇してるだろうから、いいんだけど。
  ――あーもう、やってられないわ。窓際の席、ぽかぽかと春の日差しが降り注いでる。先日卒業式も済んで、天井がひとつなくなった気分。1年生って何かにつけて下っ端だもんね、やりにくかったよホントに。そうだな、今度は可愛い後輩くんをゲットするのもいいかなー……。

  ひいお祖母ちゃんの時代から百年以上の伝統を持つ「私立・緑皇(りょくおう)学園」。
  厳めしい石造りの校舎は二度の世界大戦にも耐えて創業当時の姿を留めてるって言うから驚きよね。卒業生もあらゆる方面で活躍する有名人がてんこ盛り。それだけに在席してる生徒たちもみんなプライドの塊みたいな連中だ。
  今出てきた早紀だって見た目は普通だけど、実はお祖父さんが現役の県会議員やっててここの卒業生なんだよね。いや、それくらいそこら中にごろんごろんしてるから、今更驚かないけどさ。
  しがないサラリーマンの父親を持つあたしなんて、異端児もいいとこ。洒落のつもりで受験したのに、まさか本当に受かるとは思わなかった。だって、推薦書とかそう言うのがないと無理って言われてたし。だから、浮いてるのは当たり前。もう最初から開き直ってるから。
  手を伸ばせば届きそうなほど枝を伸ばした桜の木。ぽつぽつと見えるピンク色の蕾が日に日にふっくらと膨らんでくる。
  ケンジ、……もうこれきり戻ってこないかも知れないな。強そうなことたくさん言ってたけど、あそこまで絞られちゃプライドがずたずただろうし。……やっぱ、寂しいな。あーあ。こんな風に、センチな気分になるのも「春」のせいかしら?

 ――と。突然、ビーッと異様なブザー音が校舎内に響いた。昼休みで雑然としていた教室の中にも水を打ったように静かになって、辺りには一瞬の緊張が走る。……そして。
『――風紀委員長の江川です。緊急の呼び出しをします。1年桜組の苑田莉子(そのだ・りこ)さん、至急指導室まで来て下さい』
  凛と澄み切った声。その口調は柔らかだったが、隠しようのない威圧感が漂っている。
  短い放送が途切れたとき、教室の中にいたクラスメイトの視線は全てあたしに突き刺さった。教壇の近くの席の早紀も心配そうにこちらを見つめている。次いでひそひそとあちこちで起こる忍び声、いいよ噂したいならしなよ。それくらい、慣れっこだもん。
「……んじゃ、ちょっと行ってきますーっ!」
  ま、これくらいの視線で釘付けにされるのも悪くないわね。そんな風に自分を奮い立たせて、あたしは明るく教室をあとにした。

 だいたいさ、時代錯誤もいいとこだと思うの。
  何で、平成の世に「風紀委員」なんてレトロなネーミングが残ってるのよ。そりゃ、歴史ある学校だからある程度は仕方ないけど。しかもそれがただのお飾りじゃなくて、未だにすごい権力を持ってるって言うから驚きよ。

  ――江川衛(えがわ・まもる)。

 彼は生徒たちの中では「閻魔」って呼ばれてる。代々警察庁何とかの家系だとか家は剣道道場を開いてるとか、そゆうのもあるらしいけど。彼自身も「剣道三段」とからしいけど。だからってねえ、……どうなんだろ。
  そう、彼こそが昨日の放課後にあたしの恋人・ケンジを「御用」した張本人。威圧感のある長身に、これまた驚きの長髪。しかも真っ黒でキューティクル艶々って言うのがどうよ? きっと顕微鏡で拡大しても枝毛はひとつも見つからないわ。
  その上この男、何故か学ランを着てるの。ウチの制服って男女ともにブレザーなのにね。何でも、今のデザインになる前はそうだったと言うことで標準服として特別に許可されているそうなんだけど……だけど変だよね、絶対。最初に見たときは応援団の人かと思っちゃった。
  あたしよりひとつ先輩で、現在2年生。
  もう入学したときにはすごい目立ってた。何でもそれまでは全く機能していなかった「風紀委員会」をひとりきりで建て直したとか。すでに伝説の人になってたもん。3年生の先輩だって、彼には頭が上がらない。それどころか、他校にまでその噂は広まっているらしいよ。街角ですれ違った金髪男たちが、彼に深々と頭を下げていたのを遠目に見たことあるし。
  ま、ねー。剣道の腕前だって現役の警察官をばったばったと倒しちゃうほどだってから、やっぱ逆らわないのが一番よね。
「閻魔」の住み処は特別棟の2階奥の「指導室」。
  生徒指導室って言うのは職員室の隣にあって、そっちは先生方が使う部屋。だから「閻魔」は普通教室の半分ほどのスペースをほとんど私物化してるってことよね。もともとは不要品を詰め込んだ「資料室」だったそうだから、学校側も黙認してるみたい。自力で掃除したって噂もあるしね。
「……あら」
  引き戸の前まで辿り着いて。はああっと大きく深呼吸をしたら、タイミング良く中からがらりと開いた。出てきたのはあたしもよく知っている人だ。艶やかな黒髪に切れ長の目、大和撫子を絵に描いたような女性。
「莉子ちゃん、ご苦労様。衛が中で待ってるわよ、何だかとても機嫌が悪いみたいだけど」
  くすくすっと鈴が転がるように笑うこの人のことが、あたしは大嫌い。だって、普通に嫌だよ。何もかもがあたしと正反対なの。こっちはくりくりの栗毛なのに、瞳の色だって茶色っぽいのに。肌だって「色白だね」って言われるけど、あたしのはバタ臭い感じ。こんな風に陶磁器のような白さって憧れるよ。
「こんにちは、楓先輩」
  つんと唇を尖らせたままで、それでもどうにか「先輩」に敬意を払う。
  この人は学内で密かに「楓さま」って呼ばれてるんだよ。華道部の部長で、生徒会の副会長。もちろんさるお家元のお嬢様というお墨付き。――そして、彼女こそが「閻魔」の恋人だと言われている。
  まあ、それも納得だなって思うよ。あの「閻魔」が自分の相手を選ぶとしたら、絶対にこういうイメージだもの。ふたりが並んだところなんて「世界の蘭展」のようにまばゆくて直視出来ないけどね。
「まあまあ、こちらもご立腹ね。ふふ、莉子ちゃん、暇になったならまた華道部にも顔を出してね。楽しみに待ってるわ」
  あたしの牽制なんて何とも思っていないみたい。穏やかな口調でそう言うと、楓さまはモデルのような綺麗な足取りで廊下を去っていった。
「失礼しまーす……」
  がらがらがら。年代物の引き戸はとにかく建て付けが悪い。校舎の外装こそは創立当初からのものだけど、内装には何度か手直しが入ったって聞いている。だとしても、一体何十年前なんだろう、それ。今時こんなのあまりお目にかかれないよ。
「遅いぞ、呼び出しからすでに4分35秒も経過した。お前の教室からだったら、3分で来られるはずだろう?」
  窓際の椅子で腕組みしているのが「閻魔」。吹き込む風にさらさらとなびく長髪がたまらなく嫌みだ。あたしのような巻き毛じゃこうはいかないだろうと言わんばかりなんだもの。
「何よ、大王のコンパスを基準に考えられちゃ困るわ。ところで用件は何? 早くしないと予鈴が鳴っちゃうでしょ」
  楓さまも嫌いだけど、目の前にいる「閻魔」はもっと嫌い。だいたい何よ、いつも上から見下ろすような眼差しでさ。そんなに自分が偉いの? 勘違いもいいとこだわ。
 昨日からのイライラを全部詰め込んだ目で睨み付けてやったのに、「閻魔」ときたら全く堪えてない。それどころか、ふふんと鼻で笑ったりするんだからさらに腹が立つ。
「……何よっ!」
  戸口を入ったところで仁王立ちになったままあたしが叫ぶと、彼はやはり涼しそうな表情でゆっくりと足を組み替えた。そして、どこまでも偉そうに顎で促す。
「座れ」
  まあ、そう言うなら座って差し上げましょうよと、すぐ側にあったパイプ椅子をずるずると引きずってきて腰を下ろす。もともとギリギリ丈のスカートだから、膝をきちんとくっつけないとヤバイ感じ。いや、別に挑発してる訳じゃないからね、絶対。
「そんなに遠くては話が出来ないだろう、もっと近くまで来い」
  仕方ないから一度立ち上がって、ずんずんと「閻魔」の近くに寄る。ここまで来れば満足でしょうと、膝がくっつくくらいの場所まで椅子を引きずった。もうこうなったら、ヤケだ。
「……これで宜しいでしょうか?」
  正直、彼の真顔を真正面から見るのは怖い。こんな風に呼び出されるのも慣れっこになったはずだけど、それでも出来ればあまりお近づきになりたくないなーと思っちゃう。
「何だ、この腰巻きみたいなスカート丈は。膝小僧が隠れるくらいが規定だと言ってるだろうが」
  膝をぐりぐりっと押しつけてやったら、そんな風に切り返してくる。
  ふーんだ、そんな規定を守ってるのは全校女子生徒の中でも楓さまただひとりだよ。先生方だってさ、口ではあれこれうるさいこと言ってるけど内心はにやけてるんだよ、絶対。
「髪も相変わらずだな、いくら何でも目立ちすぎるだろう。ひとつにまとめるなり何なり出来ないのか」
  ――自分だって伸ばしたままにしてるくせに。そんな気持ちを込めて、あたしは「閻魔」を睨んだ。
「……地毛だもん、別に染めてるわけでもパーマを当ててるわけでもないわ」
  そりゃあさ、誤解されるのはしょっちゅうだけど。やっぱ口惜しいから、スカートをぎゅーっと握りしめた。
「ビューラーだって使ってないし、マスカラだってつけてない。リップだって、透明の艶だけのだよっ。ひどいよ、そんな目で見ることないじゃない……!」
 あたしは顔立ちからしてハーフっぽい。普通に日本人顔の両親から生まれたのに、どうしてなんだろう。小さい頃からことあるごとにあれこれ噂された。母親の連れ子だとか本当の父親はアメリカ人だとか。浮気して出来た子だとか言うのもあったっけ。
  きつめのカールの髪だって、生まれたまんまなの。自分の好きでこんなにしてる訳じゃない、不可抗力なんだから。黒く染めたりストパーかけてもいいけど、そもそもこの顔に似合わないのよ。仮装行列みたいに格好悪くなっちゃう。
  宿題に予習復習を真面目にやったって、定期テストでそこそこの成績を取ってたって、周りは全然認めてくれない。ちゃらちゃらしてる奴だって、すぐに決めつけられる。
「――何だ、今日はえらく突っかかるな」
  涼しい表情は全く崩さないまま、「閻魔」はぽつりとそう言った。組んでいた腕を解いて、髪をかき上げる。長い指、骨張っていて意外にも男っぽい。
「大王だって、……滅茶苦茶に意地悪だよ」
  癪だから、必死で堪えようと思ったけど限界。思わず溢れそうになったものを必死で我慢したら、頬骨の辺りがひくひくいった。
「こっ、怖かったんだから。あのまま出て来てくれなかったら、あたし絶対にアイツに犯られていたよ? ちゃんと、連絡したのに、たっ、大切なときに助けに来てくれないなんてサイテー……」
  そこで始めて、彼の表情がふっと緩む。そして、大きな手のひらがふわっとあたしの頭に乗っかった。
「ご苦労だったな。今回もお手柄だったぞ、莉子」
  くしゃくしゃって、ペットを可愛がるみたいな手つきで撫で回しながら。彼は空いた方の手で学ランのボタンをひとつひとつ外した。
「アイツはかなり手強かったからな。何しろ警察の上層部に親戚がいて、外でやった不祥事はこっちが証拠を押さえても全てもみ消されてしまう。だからどうしても学園の中で尻尾を掴む必要があったんだよ。でもこれでようやく片が付いた、これで一安心だ」
  ふわり、と私の身体が持ち上げられる。脇の下に腕を回して抱き上げられて、気が付くとあたしは彼の膝を跨いでいた。
「苛ついてたのはこっちも同じだ。長々といちゃつきやがって、なかなか本題に入らないんだからな。俺はタバコを出させろとは言ったが、あそこまでサービスしろとは言ってないぞ。……ったく、この尻軽猫が」
  まだそんな意地悪いことを言う。でも、目が笑ってるよ。きりっとした顔もとってもりりしいけど、やっぱりこんなふうにあたしにだけ特別に見せてくれる笑顔が好き。
「今日はたっぷりご褒美をやるからな。……覚悟しておけよ」
  耳元にかかる熱い息。かすれる声で囁かれて、あたしの身体からゆっくりと力が抜けていった。

「あっ、……あんっ、だめっ……! ……そんな風にしたらっ……」
  腕にまとわりついてるだけのブラウス、中途半端にたくし上げられた下着。むき出しの部分が彼の太股で擦られて、みっともないほどにどろどろになっていた。
  さっきからずっと「閻魔」は胸やおなか、首筋をねっとりとせめ立てている。あたしの弱いところなんて、もう全部お見通し。理性なんてとっくに吹き飛んで、自分が今どうしているのかも分からない。
「大王……だめっ、あの……ズボンが……」
  私の格好とは反対に、彼はまだほとんど服を乱していない。上着だけは脱いだけど、ワイシャツの襟元だってきちんとしてる。それを引っ張りながら身もだえるあたしを余裕の微笑みで見つめて。そしてさらに、足の動きを速くした。
 だって、……これはヤバイよ。何か恥ずかしいくらい濡れちゃってるんだもん、彼のズボン。シミの部分がどんどん広がっていくのが、視覚でしっかりと確認出来る。
「大丈夫だ、気にするな。替えズボンくらいは用意してある。こっちは、あとで楓に洗ってもらうから」
  思わず目をむいた私の表情を楽しむみたいに、彼は喉の奥で笑う。布地で乱暴にこすり合わせられるのって、すごく変な感じなの。何かもう、気が狂っちゃいそう。
「だっ、大王っ……、お願い。もう、無理っ。これ以上、我慢出来ない……!」
  中途半端にじらされた部分が、内側から溶け出している。その熱さを先ほどからずっと感じ取っていた彼は、ズボンのチャックだけ開けて素早く自分のモノを取り出すと準備を整えた。
「……すごいだろう」
  自信たっぷりにそう言うこと言うのって、どうかと思う。
  知らないもん、そんなの。あたし、大王のしか見たことないから。巷では遊び人とか散々な評判だけど、あたしはこれでも本当に真面目一直線なんだからね。
「あっ、……はぁん……っ」
  お尻を一度持ち上げられて、そのまま一気に貫かれる。ビーンと頭の上まで突き抜ける快感に気が遠くなりそう。それなのに、彼はここまで来てもまだ余裕なの。ゆっくりと腰を動かしながら、あたしの中を味わっている。
「そんなに気持ちいいのか。お前の中、ぎゅうぎゅう締め付けてくるぞ」
  返事なんて出来る状態じゃないから、もう必死でこくこくと頷いた。大王が嬉しそうに口づけてくる。ねっとりと熱い舌があたしの口内を暴れ回って、何もかも吸い上げようとする。繋がった部分もさらにじわんとして、マジで鳥肌モノに気持ちいい。
「本当に……お前って奴は……」
  え、何? って、聞き返す間もなかった。
 大王は椅子に座った姿勢のままで、下からずんずんと何度も突き上げてくる。あたしの腰を大きな手のひらがしっかりと支えて、どこにも逃げることが出来ない。うわぁ、どうしようっ。このままだと裂けちゃうっ、身体が真っ二つに割れちゃいそう……!
「だっ、大王っ! ふわっ、ふわんっ……、あっ、ああ……っん!」
  たぷたぷと揺れる胸に、大王が音を立てて吸い付いてくる。いいよ、もう。どこまでも好きにして。飼い慣らされてるなって自分でも思うけど、でも好きなんだもん、気持ちよすぎるんだもん。
「あんっ、あっ……、もっ、……ぎゃうっ……!」
  弓なりになるあたしを追いかけるように、大王の動きもどんどん速くなる。揺らめく黒い一房を必死に指に巻き取って、どうにかして離れずに済むようにと持ちこたえる。
「……莉子っ……!」
  ばんばんって、頭の中でいくつもの爆発が起こる。
  一気に脳細胞が破壊されて頭の中は真っ白。身体の感覚も全部吹き飛んで、あたしはそのまま大王の胸に崩れ落ちた。

  ふわっと意識が浮き上がる。頬に当たる熱さにぼんやりと目を開けると、窓の外はもう夕焼け空だった。
「あらあ、子猫ちゃん。かなりお疲れのご様子ね。駄目じゃないの、衛。可愛がるにも程度ってものがあるでしょう。午後の授業はとっくに終わったわよ?」
  聞き覚えのある声。
  ハッとして振り向くと、そこにいたのは絵になるカップル。机に向かってパソコン叩いてる大王の隣には、いつ入ってきたのか清楚な美少女が立っていた。
「あら、起きたのね。莉子ちゃん、本当にお疲れ様。午後の授業は風紀委員の残務処理に駆り出されて止むを得ず欠席、ってことで先生方に話をつけてきたわ。ほら、そろそろ起きて。服をきちんと直してちょうだい」
  知らないうちに眠りこけていたみたい。長いすの上に横たわったあたしの上には、大王の匂いがする毛布が掛けられていた。

「……そんなに同情してくれるなら、たまには楓が大王の相手をしてよ。あたしひとりに押しつけるから、こんなことになるんじゃないの」
  あたしの言葉に、彼女は大きく目を見開いて反応する。一瞬の間を置いて、くすくすと声を立てて笑った。
「嫌だ……、悪いけど私はどこまでもノーマルなの。リバとかじゃないから……」
  何とも妖しい微笑みを浮かべて、彼女はゆっくりとこちらまで歩いてくる。そして、綺麗な指であたしの輪郭を柔らかく包み込んだ。まるで、とんでもなく大切なものを扱うみたいに。
「莉子ちゃんの相手だったら、いつでもしてあげるんだけど……? どう? いっそのこと乗り換えてみるのもいいんじゃないかしら。私たち、きっとお似合いだと思うわ」
「おっ、おいっ! 何やってんだ、楓! ふざけるのもいい加減にしろ、殺されたいかっ……!」
  次の瞬間、ばばばっとものすごいスピードでふたりの間に割り込んできた大王が、ぎりぎりと楓を締め上げてる。
  うわあ、美少女の危機っ! でもこういうアングルも悪くないわねえ……。そう思ってると、やられっぱなしかと思えた彼女の表情がふっと色を変えた。
「あはは、やっぱ衛には敵わないな。はいはい、邪魔者は退散しますよ。まったく、やってられないぜ」
  軽い仕草で束縛を振り払い、楓は小型冷蔵庫のドアを開ける。入っていたミネラルウォーターを取り出して一気に半分くらい飲み干すと、こちらを振り向いて「にっ」と笑う。
「言っとくけどね、莉子ちゃん。君に熱を上げてるのは衛だけじゃないから。バレンタインのお返し、楽しみにしててよ。君のハートがとろけるくらい、思い切り愛を込めちゃうから〜!」
  どかっと足を組んで座ると、標準丈のスカートでもちょっとヤバイ。いくら細身の体型だからって、誤魔化せるには限界があると思うんだけど。
  ……そう、もう分かったよね? ここにいる「美少女」楓さまは実は男。さらに言えば、大王の従兄弟だって言う。この秘密を知ってるのは、学園内ではこの部屋にいる3人だけ。
  同い年のふたりは、長い間腐敗しきっていた緑皇学園を建て直すという重大な使命を持って入学してきたのだと言う。どちらかが女装することはお祖父さんの提案だったみたいよ。どうもじゃんけんで役割を決めたらしいけど。まー、大王だったら、これほどは上手く化けられなかったと思うわ。まず身長からして無理ね。
  3年生の卒業で生徒数も減ってる今は、ちょっと一休みの感じかな。また来月新入生を迎えたら、あたしたちの仕事はとにかく忙しくなる。本当に後から後から手を替え品を替え、色んな輩が出てくるんだもんね、キリないよ。だけどやりがいがあるって言うのも事実。こんなに充実した高校生活、なかなか送れないと思うし。
「なあ、衛。やっぱ、莉子ちゃんしばらくこっちに貸してよ? あの生徒会長、なかなか手強くてさ。絶対に裏があると思うんだけど、俺だと警戒しきっててボロが出ないんだ。ここはかわゆい莉子ちゃんの力がないとね〜」
「駄目だ、絶対に断る。断固して、拒否っ!」
  大王はきっぱりとそう言うと、あたしを毛布ごとぎゅーっと抱きしめた。
「生徒会長よりも誰よりも、俺にとってはお前が一番怪しいぞ! 莉子は俺のものだからな、絶対に誰にも渡さんっ!」
  ……あのー、大王。言ってることとやってることが全然違いますけど。あたしを毎度のようにおとりに使って危ない橋を渡らせてるのはどこのどなた?
  何だかなー、このままでいいのかなって時々思うわよ。これじゃあいつまで経っても日陰の身だし、損な役回りだなって考えちゃうわ。
「あ〜あ、やだねえ。全くどこまでワンマンな『閻魔大王』なんだか。莉子ちゃん、構うことないよ。悲しくなったらいつでもこの胸に飛び込んでお出で、お兄さんがとびきり優しくしてあげるからね〜」
ひらひらと手を振って引き戸の向こうに消えていく楓さま。私を抱きしめる青筋立った大王の腕にさらに力がこもった。

  頃は早春、桜の季節まであと少し。

 

おしまい♪ (060223)
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