TopNovel>「春は桜」と言うけれど・1




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 ――紅白の横断幕。
 北風の吹き荒れる1月の終わり。よろよろと我が家に辿り着いたあたしが目にしたのは、信じられない光景だった。
  あたしの家は住宅密集地の中にあって、ちょうど角っこなのね。その道に面した二辺の生け垣を包み込むように「歳末福引き大会」の会場のような飾り付けがしてあった。
「……うっ、嘘」
 もしかして、これが噂に聞く「白昼夢」というやつだろうか。
 ああ、それもあり得る。何しろ、ここしばらくは受験勉強の追い込みで、頭の中にいろんなデータを片っ端からぎゅうぎゅう押し込んだからもう飽和状態。先週に私立入試は一通り終わったけど、まだ2月末に本命の公立受験が控えてる。推薦枠に入れなかったあたしは、もう必死だ。
  だって、そうでしょ。うちの中学って町はずれにあるから、周りは田んぼと畑ばっかり。その上、すぐそばに牛舎まであって風向きによってはとてつもなくカントリーな香りが漂ってくる。もちろん、娯楽施設なんて全くなくて健全そのもの。あ、パチンコ屋さんとバッティングセンターはあるけど、うら若き乙女には無用の長物ってやつね。
  バスに揺られて30分、あたしたちからみたらすごい「大都会」に思えるその場所に憧れの志望高校はある。駅前には映画館にデパート、ブランドのテナントがわんさと入ったショッピングモール。おしゃれなガーデンテラスの付いてるカフェも通りに面していくつもあるわ。もちろん、男女共学で制服も滅茶苦茶に可愛いの。
 ……あああ、それはこの際置いておいて。
 だから何なの、これは。何で、一般住宅にこんな飾り付けがしてあるのよっ! 一瞬、あたしの知らないうちに差し押さえで競売にでも掛けられたのかと不安になったけど、二階のベランダにはいつものように洗濯物がはためいているしなあ……。
 「あらあらっ、莉子ちゃん! お帰りなさい〜、もうこの子ったらっ!」
 横断幕のあちこちにくっついてるのは運動会の時に手に付けて踊るお花型のポンポン。それが北風に吹かれるのを呆然と眺めていたら、そのうちにママが家の中から飛び出してきた。
「あ、あの……。ママ?」
 どうしたんですか、その恥ずかしすぎるふりふりエプロンは。前からそんなの持ってたっけ? いや、少なくともあたしは見覚えないぞ。
  そんな風に考えていたら、ママはおもむろにあたしの手を取った。
「んもうっ、莉子ちゃんってばいつまでもこんなところに立ってないで! 早く早く、もうすっかり準備は整っているんですからね。ひいお祖母ちゃまもお祖母ちゃまも莉子ちゃんが帰ってくるのを今か今かとお待ちよ?」
 ――はぁ……?
 なんか、ますます話が混乱するばかり。一体、何がどうなってるの。確かに、我が家は今時珍しい4世代同居。ママのお祖母ちゃんとお母さんが同居してるのね。あたしにはお兄ちゃんがいるけど、それまではずっと家娘の家系だったのだ。
  でもさ、お祖母ちゃんたちがあたしの帰りを待っていてくれるなんていつものことでしょう……? 今更ママに言われることもないわ。
 その時のあたし、すごく難しい顔をしていたと思う。そしたらママは、それに負けないくらいぷうっとふくれた。
「莉子ちゃんっ、本当に水臭いじゃない! 何のためにクリスマスプレゼントで携帯を買ったの? そりゃ、学校では使用禁止なのは分かってる。でも、こういう緊急事態の時こそ使わなくて、いつ使うのよ……!?」
 ふたりの間を、吹き抜けていく冷たい風。こんな時もあたしのくりくりの巻き毛は頭の上で楽しげに踊っている。
「き……、緊急事態?」
 なんだそれ、訳分からない。そのことと、この横断幕とママのふりふりエプロンと何か関連があるというのだろうか。
「りーこちゃんっ!」
 とうとう業を煮やしたのか、ママはエプロンのポケットから薄水色の封筒を取り出した。すでに開封はされている。でも中身はちゃんと入っているみたい。
 
「――何これ、……嘘っ!?」
 中に入っていたのは、正真正銘の「合格通知」。それを見た瞬間に、あたしの思考回路は全てストップしていた。

「えーっ、嘘ォ! ホントっ!? 信じらんな〜いっ!」
 ようやく捕まえた悪友は、電話の向こうでいつの時代のものか分からないようなぶりっこ口調でそう叫んだあと、ケタケタと笑い出した。
「ちょっとーっ、それってひどすぎない? 笑い事じゃないでしょ、もうっ!」
 少しは真面目にしたらどうなのよ。全く、腹立つったらない。まあ、いつもコイツはこの調子だからな、今更言っても仕方ないんだけど。
「だいたいさー、誰のせいだと思ってるのよっ! あのね、みつわ。あたしはあんたがどーしてもって言うから受験したのよ? 忘れた訳じゃないでしょうねっ!」
  ――そう。
 確かに、私は先週受験をした。その名も「私立緑皇(りょくおう)高校」、何でもひいお祖母ちゃんが産まれたときにはすでにその前身である旧制中学としてその名を轟かせていたそうだ。そのころはまだ男子校だったけどね。
 だけどさ、そもそも受かるはずなんてないんだよ。あそこはすごい学校だもん。卒業生には地元に名をはせる政財界の有識者がずらりと名を連ね、一般庶民は門をくぐることすら難しいとか言われてる。ひとりで受けるのが寂しいってみつわに泣きつかれて、仕方なく一緒に「記念受験」したんだ。
  最終倍率が15倍とも20倍とも言われる超化け物高校。見るからにあたしたちと同じノリで試験会場に来ていた生徒はいっぱいいたよ。中には校庭の砂を袋に詰めてる男子もいたし、もうびっくり。あたしもこっそり購買部の脇に置いてあったストローを二本失敬して、お祖母ちゃんたちへのお土産にした。
 受験会場も教室だけじゃ足りなかったみたいで、体育館も挌技館も合宿所もフル活用だった。一般受験の合格定員は150人って聞いてたけど、当日集まった受験生の総数は何千人だったか分からない。あたしなんて体育館のど真ん中の席で、一度トイレに立ったら最後二度と戻れないような地獄のポジションだったのよ。
 ――有り得ない、絶対にそんなことがあるわけはないっ……!
 何度もそう言ったのに、ママはつんとすました顔で「そんなことはありません」って言うの。何でも、この手紙が届いたのはお昼過ぎで、ママは速攻で封筒に書かれていた電話番号に連絡を入れたそうだ。結局、信じてなかったのはママも同じなのね。
「間違いないわ、受験番号も中学名も莉子ちゃんの名前も確認したもの。もうパパにも連絡済みよ、今日は年休をいただいて戻ってくるって」
 畳敷きの居間に入って、またびっくり。もうお膳の上を埋め尽くすほどの、ご馳走ご馳走ご馳走。あたしの大好きな甘エビのお刺身は、それこそ富士山のように山盛りになっていた。お寿司があるのにお刺身もあって、さらにお赤飯もあるなんてすごすぎ。
 ――でも、やっぱ信じられない。絶対に担がれてるとしか思えないわ……!
 顔をくしゃくしゃにして泣き笑いをするキヨさん(ひいお祖母ちゃん)とミヨさん(お祖母ちゃん)を前にしても、あたしはまだ冷静にそう考えていた。
 「あははははっ、でもマジ笑えるーっ! ま、せいぜい頑張ってよ、莉子。学校は違っても、私たちはこの先もずっと親友だからねっ!」
 電話口の向こう、みつわはまだおなかを抱えて笑ってるみたい。だけど、あたしはその瞬間に全身から一気に血の気が引く音を聞いた。
「……え、ちょっと待って。あのさ、……みつわ?」
 それは、悪い冗談だよね、そうだよね? そんな風に自分に必死で言い聞かせながら、言葉を絞り出す。
「ええと、その。……みつわだってもちろん受かってるんでしょ、そうでしょ?」
 だよね、絶対にそうだよね。あたしとみつわは頭の出来はほとんど互角。業者模試の志望校判定もコピーしたみたいにいつも同じ結果が出ていた。だから全然疑ってなかったのよね、そのときまで。
 ――それなのに。彼女はあたしの期待をあっさりと突き崩す。そうそれは、まるで真冬の流氷の下を流れる海水を頭から大量にかぶったようなショックだった。
「えーっ、そんなわけないじゃん。だって、こっちも確認済みだよっ。母親の方のじいちゃんが、学校関係者から直接電話受けたらしいから。何でもうちの中学で緑皇に合格したのはたったひとりなんだって。それがまさか、あんただったとはねーっ、こりゃびっくりだわっ!」
 ……だから、笑い事じゃないって。
 そう言い返す気力は、もはや残っていなかった。嫌だそんなのっ、絶対に断りたい。……だけど。
 「あらあらあら、莉子ちゃんってば。電話終わったなら、早くいらっしゃい。制服の採寸の方が見えたわよ〜っ!」
 とっくに通話の途切れた携帯を手に廊下の隅で立ちつくしていたあたしは、弾け飛んでるママに客間へと送還される。
  そこにはあたしの理想とはほど遠いダサダサ制服のサンプルを手にしたお針子さんが満面の笑みで待ちかまえていた。

 明けて、4月。
 満開の桜並木が延々と続く駅前通りを、あたしはとぼとぼとひとり歩いていた。気が付くと、歩道に伸びた影がどろーんと猫背になっている。ああ、足取りも重い。さっきから、何十人の生徒に追い抜かされたのだろうか。今はもう、ぽよぽよと頭の上で楽しそうに踊る自分の巻き毛すら恨めしい。
 ――なんか、みんな楽しそうだよなあ……。
 春爛漫に彩られた風景、舞い散る淡色の花びら。朝の眩しい日差しの中、学校を目指して進んでいく制服たち。誰も彼もがきらきらと眩しくて、あたしひとりが別世界の人間みたいだ。
 ――あああ、帰りたい。もうやだ、こんな生活。
 入学二日目にして、すでに登校拒否予備軍になりつつあるあたし。情けないったらありゃしないけど、もしも許されることならすぐにでも違う高校に転校したい気分よ。いや、許されないからこそ、こうして学校に向かっている訳だけど。
 昨日の入学式にはパパとママだけじゃなくてキヨさんとミヨさんまでやってきて、ものすごいことになってしまった。
  まあ、そう言うのも珍しくはないみたい。他にもそういう家族はいっぱいいた。さすがに伝統校、保護者の方も相当に入れ込んでるって分かるわ。
  なんかねー、パパやママはとにかくとして、キヨさんミヨさんの勢いに押されて入学を決めてしまった感じよ。この町はママが生まれ育った場所だけど、あたしはパパが転勤族だったから中学の途中にようやく定住したばかりなの。だから、まだ地元に対する愛着とか全然ないのね。幼稚園の頃は一時的に暮らしていたとか言われても、そんなの覚えてないし。
  でも、産まれてからずーっとこの地で暮らしてきたふたりにとって、「緑皇高校」というのはその名の響きだけでも胸をときめかせる存在だったみたい。だからこそ、あの横断幕よ。もー、その後もしばらく飾られていて、とてつもなく恥ずかしかったんだから。
「あたしは、女学校に通っていたけどね。緑皇の制服が脇を通っただけで、胸がいっぱいになってしまったもんだよ。その晩は、食事ものどを通らない有様でねえ……」
 そんな風にキヨさんが言えば、ミヨさんも負けずに続ける。
「そうよ、あの頃は私ら庶民には受験資格すらなかったんだからね。どんなに入りたいと思っても無理だった。今はいい世の中になったものだわ、ああ、長生きはしてみるものだねえ……」
 すっかり娘時代にトリップして頬を染めている母娘を前にして、暴言を吐ける人間がいるなら会ってみたい。年寄りの夢を叶えるために、全てを犠牲にしたといっても過言ではないわ。
「実は高校生の頃、緑皇の人とお付き合いしたことがあるのよ。ふふふ、パパには内緒だけど」
 さらに。誰もいないところで、ママまでがとんでもないことを教えてくれた。
「傘を忘れて困っているところを助けて頂いてね、とても素敵な方だったわ。でも、あまりにご立派すぎて、ろくに話も出来ないまま気が付いたら振られていたの。でも、莉子ちゃんならそんな失敗はしないわよね」
 こんな風に外堀から固められてしまって、気が付けば身動きが取れなくなっていた。パパも職場で「お宅のお嬢さん、緑皇ですかっ!?」とあちこちから声を掛けられて、恥ずかしいけどとても嬉しいと言っている。ああ、もう。どうしようもない感じ。
 ――可愛くない制服……。駄目だわ、これ。
 頑張ってウエストを折り込んでみたけど、ブレザーのかたちがどうにもならないからそれ以上は無理みたい。歩きながらあたしとはネクタイの色が違う先輩方をチェックしてるんだけど、みんな似たり寄ったりね。昨日はどうにかやりすごした。でも、今朝駅前で憧れの制服を目にして海よりも深く落ち込んじゃったわ。あっちの高校の方が男子のレベルも高そうだし、もう青春も終わったわ。
 ――と。
「いよっ、おはよっ!」
 どすっ! と背中に突然ものすごい衝撃。
 驚いて振り返ると、そこに立っていたのはあたしと同じ深緑のネクタイを締めた女子だった。肩のところで切りそろえた髪の毛は墨で塗ったみたいに真っ黒。勝ち気そうな目がキラキラしていた。……でも、この人誰?
「は、……はあ。おはよう……ございます」
 ううう、背中が痛い。それもそのはず、この人ってもしかしなくても学校指定の鞄でどついたのね? 本革製でがっしりした造りなんだから、そんな風にされたらたまらないわ。
「あんた、みつわの友達でしょう? 苑田さん、だっけ。よろしく、私は早紀って言うの。話は聞いているわ、第三中学から唯一の入学生なんだって?」
 聞いてみたら彼女はクラスも一緒だよって言う。勢いに押されて気付いたら連れだって歩いてた。みつわの知り合いってどんな? って聞いたら「日本舞踊で一緒」とか言われてまたびっくり。その上、お祖父さん同士が知り合いって、ふたりとも県議会議員だって言うんだもの。何なの、知らなかったよ。みつわって、実はお嬢様だったんだね。
「苑田さんのこと、よろしくって言われてるし。でもすぐ分かったよ、みつわが言ってた特徴にぴったりだったから。でも、大丈夫? 地毛だとは聞いてるけど、ヤバくないかな〜。届けとか出した方がいいっぽいよ、担任に聞いてみようよ」
 彼女があたしの髪のことを言ってるのはすぐに分かった。そうだなー、それは自分でも考えてた。中学の頃まではあまり気にならなかったし、周りでもこっそり染めてる子とかいたんだけど。これだけ真っ黒でまっすぐな髪の毛ばっかの中では、あたしの栗色くるくるカールは目立ちすぎる。
  悪いことをしている訳じゃなくても、あまりに周囲からはみ出ていたらそれはそれで居心地が悪い。やっぱ、早いとこどうにかしなくちゃ駄目なんだろうな。
「うん、あとで一緒にお願いできる?」
 良かったー、何だかホッとした。みつわもいいとこあるじゃない。やっぱ、親友のままでいてあげようかな……そんな風に思っていたら。ふと、目の前の不思議な光景に気が付いた。
「あれ、……ちょっとおかしくない?」
 思わず口に出してしまったら、隣の彼女も「ふむ?」って顔をする。だって、あと20メートルくらいで学校の正門があるんだよ。それなのに、ほとんどの生徒がその手前で脇道に曲がっていく。確か、その先には裏門があるはず。でも、正門からの方が昇降口にはずっと近いよね?
「何だろ……、ああそうか。分かった分かった」
 ほとんどの生徒に埋もれてしまうあたしに対して、彼女は頭ひとつ分も背が高い。背伸びして向こうを確認すると、こちらを振り返ってにやりと笑った。
「平気、平気。面白そうだから、行ってみようよ」
 軽快な彼女の足取りに引っ張られるように後に続く。正門の前にはどどんと大きな桜の木が並んで二本。はらはらと舞い散る花びらの向こうに黒い人影がちらりと見えた。
「おっ、おはようございますっ!」
「おはようございますっ!」
 前を歩いていたのは、あたしたちと同じ新入生の男子だった。彼らは桜の木のところまでくると、腰を90度に折って礼をしていく。体育会系のような異様な光景にびっくりしていると、早紀は「早く行こうよ」ってあたしを促した。
「おはようございま〜す!」
 彼女が先にぺこりと頭を下げる。よく通る伸びやかな声だった。もしかして、カラオケとか上手だったりするのかなとちょっと思う。そして次の瞬間、彼女の前の黒い影がゆらっと動いた。
「どうした、そっちの新入り! 挨拶がないぞ!」
 一体、何事かと思ったわよ。最初は自分に対する言葉とも分からなかった。で、顔を上げてまた唖然。……な、何よ、この人は……!?
  風になびく長髪は腰まで届いて、しかもキラキラつやつやの輝き。
  くっきりとした目鼻立ちの日本男児を絵に描いたような顔立ちに、見上げるほどの長身。
 しかも……しかも、どうして学ランを着てるのっ!? うちの制服って、男子もブレザーでしょうが……!
「挨拶はどうしたと聞いている。お前はそれくらいの礼も知らないのか」
 思わずじっくりと観察していたら、さらにきつい声が飛んできた。しかもこめかみの辺りに青筋まで立ってる。……うわ、漫画じゃないんだからやめようよっ、怖すぎだよ!
「おっ、……はよう、ございます……」
 早紀に肘でがんがんと突かれて、ようやく口の中でもごもごとそう言った。しかし、相手はふんと顎を少し揺らしただけ。すぐに次の生徒に視線を移していた。
 「なっ、……何あれ……?」
 ほら行こうよ、って腕を捕まれて。ずるずると引きずられながら、あたしは聞いた。だって、本当に驚いたんだもの。今時、あんなのいないって。時代錯誤もいいとこじゃない。それに威張りくさって、変なの。頭、おかしいんじゃないの?
「え、……まさか知らないの? マジで?」
 それなのに、振り返った早紀はそんなあたしの発言の方に驚いてる。目をぱちくりさせて、本気で信じられない表情だ。
「あれ、ウチの学校の元締めらしいよ? ――風紀委員長でさ、何でも『閻魔大王』って呼ばれてるって」

 

つづく♪ (060310)

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