TopNovel>「春は桜」と言うけれど・4




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「うっ、嘘っ……! 何で、そんなことを言うんですかっ! だって、だって、楓さまは本当に……!」
 大声で必死に反論したけど、彼女と来たら顔色ひとつ変えない。そして、先生の方と言えば、口から泡を飛ばしながらわめき続けるあたしをずるずると廊下の隅まで追い立てた。
 一階の階段下、数段降りたその場所は誰にも見えない死角になっている。長いこと掃除もろくにしてない場所らしくて、隅っこの方に綿ぼこりがいっぱい転がっていた。すすけた小さな窓から、かろうじて薄明かりが差し込んでいる。
「まったく……よりによってあの御方をだしに使おうとするとは。苑田さん、あなたには本当に失望しましたよ。だから先に申し上げたでしょう、すぐに白状なさいと。あれほどの大金をどこに隠したんですか、さっさと出しなさいっ……!」
 一体、何が起こったのか。とっさにはそれが分からなかった。
 あたしよりもほんのちょっとだけ背が高いだけの先生が、信じられないくらい強い力で後ろから羽交い締めにしてくる。そして、何の断りもなくいきなり制服の胸元に片手を突っ込んだ。叫び声を上げることも出来なかったのは、もう一方の手で口を塞がれていたからだ。
「くふっ……、せんっ……」
 何とも形容しがたい異臭が背後から襲いかかってくる。よく「男臭い」とか言うじゃない? それが……だんだん発酵してすえたみたいな。どっちにせよ、どうにも好ましくない感じだ。
  ブレザーの襟元から入り込んだ手は、想像も付かないほど慣れた手つきでブラのカップごと胸を揉んでる。ええ、もう「まさぐる」とかそう言うレベルじゃなくて。やめてやめて、これってそのまんま痴漢行為だよ……っ!
「ふふふ、いいですねえ。弱々しく抵抗する仕草が何とも初々しくて……思った通りあまりこういうのには慣れてないようで、たまらなく好ましいことです」
 訳の分からないことを耳元で囁かれて、もう全身は鳥肌ぼつぼつ状態。さらに首筋をだらだらと冷たい汗が流れていく。
「……おや?」
 急に先生が声色を変えたと思ったら、あっという間におぞましい束縛が解けた。このとんでもない状況からすぐにでも逃げ出さなくちゃならないはずなのに、あたしときたら全然駄目。どうしても足に力が入らない。真っ白になった床に、そのままへなへなと座り込んでしまった。
「何でしょう、これは。今、苑田さんの制服の内ポケットから出てきましたよ? ……ああ、間違いありませんね。これこそが、私の探していた封筒です」
 勝ち誇った声に、のろのろと振り向く。
 見上げた先にあったのはいやらしい笑みを浮かべたエロ親父。うん、こんなの先生じゃない。絶対に違うよ。そして奴は、封筒の紐を外すとわざとらしくそれの口を大きく広げて逆さまにした。
「いや、でも。中身が入ってないようです。どういうことですか、中身だけどこかに隠したと言うのですか。もしや、こちらの鞄にしまいましたか?」
「……え……」
 もう、ここに来るまでにどうにもならないほどに頭は混乱していた。
 身に覚えのない濡れ衣は着せられるし、頼みの綱の楓さまはあっさりとあたしを裏切ってくれる。もう、何がどうなっているんだろう。だって、楓さまは本当にあたしと一緒にいたんだよ? なのに、あんなのってないよ。
 もしかして、……楓さまって先生とグルなの!? で、何よ。そんな封筒、手にした覚えもないのに……!
 あたしの手から素早く鞄を取り上げた先生は、すぐに留め金を外してばらばらと中身を全部床にまき散らしてくれた。でも、もう抵抗する気力すら残ってない。新品のペンケースにまだちょっとしか使ってない教科書やノート。ハンカチにティッシュ、ヘアコーム。昼休みに早紀がくれたヨーグルトキャンディーの包み。その全てがもうもうと蒔き上がった埃の中で白っぽく色を変えていく。
「おやおや、……これだけ探しても見つからないとはどういうことでしょうか? ああ、もしや。同じように手癖の悪い仲間がどこかにいて、すでにそちらの方に渡してしまったと言うことですか。いけませんねえ、全くあなたのような異分子がこの学園に入り込むと本当にろくなことがありません。いやはや……担任を押しつけられた私もいい迷惑です」
 本当に、違うのに。どうして、そんな風にありもしないことをどんどん並べ立てるの?
  あたし、何もしてない。お金なんて、全然知らない。だけど、先生はそれを少しも信じてくれない。あたしが盗んだって決めつけてる。違うもん、そんな大金を何に使うっていうのよ。……ちょっと考えたら、分かりそうなものなのに。
「さあ、……どうしましょうか」
 大げさに首をすくめて。先生は空になったあたしの鞄を用済みとばかり足下に投げ捨てた。
「これが少しばかりの金額であれば、私の方で埋め合わせをすることも可能なのですけどねえ……さすがにここまでですとかばいようがありません。こうなったら仕方ないです、すぐに生徒指導の先生にご報告して親御さんにこちらまで来て頂きましょう。やはり警察にも通報する必要がありますね、なにしろ窃盗ですから。そのことは、校長教頭にご相談してから――」
「えっ、……ちょ、ちょっと! 何を言うんですか、やめてください……!」
 もうびっくりして、思わず大声が出ていた。
 嫌だよ、やめてよ。あたしは何もしてないのに、いきなり犯人にでっち上げられちゃうのっ!? 警察なんて、そんな物騒な。あたしを前科者にしようっていう訳っ!
  それにそれに……こんな話、ウチの家族にしたらどうなることか。みんなもうびっくりして、とんでもないことになっちゃうよ。パパの出世にも差し支えたりして……えええ、嫌っ、絶対に駄目っ!
 この閉鎖的な学園の中、唯一の味方だと信じていた先生までこんな風に言うんだ。
  もうこの世にあたしの言うことが正しいと分かってくれる人間は存在しない。このまま冤罪であっという間に有罪刑になったりするの? 独房とかにぶち込まれたりしちゃう?
 ……そんなことになったら、あたしだけじゃない。この緑皇学園に入学出来たことを自分のことのように喜んでくれた家族のみんなにも迷惑が掛かっちゃうよ。
「駄目、困りますっ! こんなことが誰かに知られたら、……あたし……」
 もう嫌だ、本当にどうしたらいいのっ!? 口惜しくて情けなくて、気が付いたらボロ泣きになっていた。
  本当に、今一番恨みたいのは「特別枠」なんて訳の分からないものを考えたどこの誰かも分からないその人だわ。もしも、あたしが例年通りの「予備選考」でさっさと選外認定を受けていたら、こんな事件にも巻き込まれることなく、希望した高校に合格して楽しいスクールライフを満喫していたはずよ。
「おやおや、……困りましたね。これでは私が苑田さんをいじめているみたいになってしまいます。ええ、本当にかわいそうだとは思いますよ。でも、規則は規則。悪いことをしたら償うのは当然です。あなたはそれだけのことをしでかしてしまったのですから……」
 大声で泣きわめきたい気持ちをかろうじて押し込める。騒ぎが大きくなって誰かがやってきたりしたら、その方が困るもの。
  何がどうなってるかは分からないけど、肝心なのは「これからどうするか」よ。お金……でも65万円なんてどこをどう探したってあたしひとりの力じゃかき集められはしない。そんなの、無理に決まってる。
「……でも、まだ全てが終わったわけではないのですよ?」
 よれよれスーツの先生が、あたしの目の前に腕を差し出す。思いがけずに優しい口調に、気付けばすがるように従っていた。
「もしも、あなたが紛失した集金額をきちんと揃えることが出来れば、そのときは何事もなかったようにして差し上げましょう。ええ、大丈夫。今のあなたなら、数日もあれば簡単に稼ぐことが出来る額ですよ」
 ……え? それって、どういうこと?
 涙と埃でぼろぼろになった顔のままぼんやりとしているあたしに、先生は普段通りの優しい笑顔に戻って言った。
「私の知り合いに、とても良い方がいらっしゃいます。ええ、ちょうどこのようにね……ちょっと子供っぽいお嬢さんがたまらなくお好きだと仰る方がね。そう言うお店をご紹介します、さあ今からすぐに参りましょう。ほらほら、何を呆けているんですか。みなさん紳士な方ばかりですから、初めてだって何も心配することはないんですよ?」
 何なの、その品定めをするようないやらしい視線は。
 先生はあたしの片腕をしっかりと握りしめたまま、舌なめずりをしながらこちらを見る。何というか……すごく、好ましくない状況なんですけどっ。
「ああ、そんな風に震えてるとますます美味しそうですよ。でもここはご遠慮させていただかなくてはなりませんね、やはり『初物』はかなりの高値が付きますから。ここは思い切り羽振りのいい方にあてがいましょう。ふふふ、楽しみですねえ。あなたのような顔立ちだと、今流行りのメイド服なども似合いそうです。とびきり可愛らしいのを見繕って差し上げましょうね……」
 やめて、やめてっ! 何、冗談を言ってるのっ!?
 先生って、清き正しき聖職者でしょっ。明日を担う若者たちに正しき道を教えるのが仕事よね、そうでしょっ!?
「ちょっ……、やだっ! 離してっ……!」
 でも、想像を超えたあまりのおぞましさに、あたしの身体はすでに身動きも取れなくなってる。先生はそんなこともすでに承知の上なんだろう、瞳の奥が妖しく光った。
「この頃、あまり良い娘がいないと『あの御方』もたいそうご立腹でね……ここで少し点数を稼がないと私の首が危ないんですよ。ええ、本当に皆さんは無理なご注文ばかりなさるから困ります。
  未成年の売春行為は法律で禁じられておりますからね、このことはとにかく内密にお願いしますよ。いえ、辛いのは最初だけで、すぐに慣れますって。お金をもらって気持ちよくなれるなんて最高だと皆さん仰いますよ――」

 ――刹那。
 背後から、一瞬の閃光が走った。パシャッと小さな音がして、その後にさらにふたつみっつ。
「ようやく尻尾を出したか、このタヌキ親父が。クラス担任の立場を利用して、教え子を自らの手で風俗業にスカウトとは何事だ?」
 片手には年代物の一眼レフカメラ。夕日に輝く長髪に、一寸の乱れもない学生服。金色のボタンがキラキラと眩しい光を放っていた。
「こっ、……これは江川君っ! いや、違うんだっ。この通り、ここにいる私のクラスの苑田さんは困った生徒でね。今もここで指導していただけで……ほ、ほらっ! これは持ち物検査だっ、見れば分かるだろう……!」
 先生はあたしの腕を乱暴に振りほどくと、こそこそとその場を後にしようとした。が、彼の行く手には「閻魔」が立ち塞がっていて、どうにもならない。
「あら……持ち物検査ですの? 一体何をお探しで……、もしかしてこちらかしら。先生、ご自分の鞄の中にしまわれたのを忘れました? あら、それに何かしらこの通帳は――同窓会会長名義の振り込みがこんなにたくさん……」
 そして、またひとり。
 まるで賛美歌の歌声のような澄んだ響きが辺りに広がり、無骨な男の傍らに大輪の花がしっとりと現れた。その手には、さっき先生が手にしていたのと同じ紐どめの封筒が。
「いけませんわ、先生。そんな風にして可愛い生徒さんを欺いては。最初からお金はご自分がお持ちだったのでしょう、聞いた話では先生は学生時代にマジック同好会に在籍していたとか。かなりの腕前であったそうですね、これくらいのトリックは朝飯前なのでしょう」
 ――何これ。もしかして、びっくりカメラ……!?
 ぼんやりとそのやりとりを見守っていた埃まみれのあたしは、やがて楓さまのにこやかな微笑みに辿り着いた。
「莉子ちゃん、スカートの裾。後ろの右端の辺り……確認してちょうだい」
 言われるがままにめくってみれば、そこには指の先くらいの大きさの小型マイクがくっついていた。えええ、知らないっ! 何よこれ、いつ付けたのっ……!?
「残念だな、いくら取り繕ったところでお前の悪事は全てお見通しだ。この分だとかなりの余罪があるらしいし、そこはこれからゆっくりとお聞かせ願おうか。……さあ理事長がお待ちだ、行くぞ」
 手のひらの中の小型レコーダーを水戸黄門の印籠の如く掲げて。どこまでもふてぶてしく偉そうな「閻魔」は、顎でうなだれた先生を促した。

「大丈夫? ……本当に災難だったわね、莉子ちゃん」
 後に残ったのは、あたしと楓さま。優しく慈悲深い眼差しで包み込まれても、全然嬉しくなんかなかった。
 むすっとふくれたままのあたしの脇をすり抜けて、楓さまはずんずんと階段下の奥まで進んでいく。そして校則通りの丈のスカートが床に着くのも構わずに身をかがめると、散らかったままだったあたしの鞄の中身をひとつひとつ丁寧に拾い上げてくれた。
「今井先生ね、こちらに赴任してきてからずっと不穏な行動が多かったの。それでも表面上はあの通り温厚そのものだし、ずいぶんと長い間上手に立ち回っていたものだと感心するわ。どうもご本人も、ずいぶん風俗に入れ込んでいるようだし……莉子ちゃんもいいカモだと思われたのね」
「ほら、行きましょうよ」と言われても、どうして素直に従える? 何か、やっぱりこの人は嫌。何考えてるのか、さっぱり分からない。
「……はめられたんだ。あたしも、先生も。楓さま、先生が最初から何を企んでいるのか分かってたんでしょう? もしかして、あのときも最初からマイクを仕込むためにあたしを張ってたんですね。そういうのって、ひどすぎますっ……!」
 口惜しい、本当に口惜しい。「閻魔」と楓さま、ふたりしてあたしをいいように使っていたんだね。一体いつから? もうやだ、何も信じられない……っ!
「あらまあ、困ったわね」
 全然困ってなんかないのに、そんな風に言う。もう二度と、この人には騙されないんだから。一瞬でも期待したあたしが馬鹿だった。結局は「閻魔」の仲間なんだし、こんな風に人のことおちょくって楽しむなんて趣味悪すぎ。
「そんなに拗ねたら、可愛いお顔が台無しでしょ。ねえ、制服もすっかり汚れちゃったし、これから部室に来ない? とびきりの美味しいお茶をご馳走するわ、髪の毛もくしゃくしゃだから綺麗に直してあげる。そんなでおうちに戻ったら、ご家族の方が驚かれるわよ」
 窓の外はもうすっかり葉桜になってしまってるのに。楓さまが歩いたその風景だけ、満開の花吹雪が見える気がした。
  ……美人って、本当に憎たらしいほど何でも出来ちゃうんだ。
 あまりにお約束な展開に呆然としているうちに、楓さまはあたしの制服の綿ぼこりを綺麗さっぱり払って、新品で箱から出したときよりもぴっちり整えてくれた。ブラウスと、下は借り物のジャージ。何か格好悪いけど、そんな姿でお茶をすする。
  華道部の部室で出されるんだから、もしかしてお抹茶だったりするのかなーって思ったけど、出てきたのは香り高い特上のアールグレイだった。カップとソーサーのセットも何やらものすごく高そう。傍らに置かれたティーポット、これ手を滑らせたらどうするの?
 不思議だな。あんなに腹立っていたのに。花の香りでいっぱいの落ち着いた部室で温かいお茶を頂いていると、ぷりぷりしてた気分もすっかりしぼんでいた。今頃、先生はどうしているんだろう。あのお弁当箱みたいに四角い顔をした厳めしい理事長にぎゅうぎゅう絞られているのかな。
 ――と。不意に、ノックの音。
「あら」
 楓さまはそれを待っていたかのようにすっと立ち上がると、ゆっくりと進んでいって引き戸を開ける。
「早かったのね、どうぞ入って。衛も紅茶でいいかしら?」
 ……あ、やば。もうちょっとで、カップを手から滑り落としそうになっちゃったよ。
 え、えええっ!? 何でっ、何でコイツが来るのっ? やだよう、今日はもうたくさんだからっ! そう言いたかったけど、声になるはずもなく。「閻魔」は進められるままにあたしのはす向かいの席に座った。
 相変わらず偉そう、長すぎる足を組んでわざとらしくそっぽ向いてる。
「それで良かったのか、俺には洋菓子のことなどよく分からん」
 むっつりした表情のまま、口にしたのはその一言だけ。楓さまが差し出した紅茶も、だんまりのまま飲んでる。美味しいのか美味しくないのか、それくらいはっきりしなさいよねって感じ。
「あらあ、美味しそう。……でも、いいの? 衛の分がないじゃない」
 流しの辺りでお皿を並べていた楓さまが、そんな風に言いながら振り向いた。
「わ、春月堂のデラックス・ミルフィーユっ!」
 ごめん、思わず叫んじゃった。
 だってだって、これってすごく美味しいんだよ。「春月堂」ってね、この界隈でも老舗中の老舗。和菓子も洋菓子も滅茶苦茶に美味しいの。そんな中でもこのミルフィーユ、生クリームと手作りのカスタードクリームのハーモニーが絶妙で一口食べただけで夢心地になれること請け合いよ。
  でもねえ、何しろ1日10個の数量限定で。何時行っても売り切れなのね。そう言えば、このまえ食べたのは一年も前。みつわの家に遊びに行ったときだったっけ。そのときも数がなくて、みつわと半分こしたんだったわ。
「ふふふ、喜んで頂けて嬉しいわ。やっぱり、莉子ちゃんにはこんなイチゴのケーキがぴったりね。どうぞどうぞ、今日は衛のおごりだから。もしも良かったら、私の分も食べてちょうだい」
 えええーっ、いいのっ? いいの、いいのっ!? うっわー、嘘みたいっ! モノで釣られちゃいけないって分かってるけど、でも駄目。嬉しすぎて、顔がにやけちゃうっ……!
「いっただきまーすっ!!」
 大きな丸ごとのイチゴ、最初に頬張って。あまりのおいしさに、頭の芯からとろけそうになる。ひゃあ、幸せっ! ケーキのイチゴって酸っぱくて見栄えばっかりだとか思うでしょ。でもね、春月堂のは違うんだよ。クリームにしっとり絡む濃厚な甘み、「あまおう」かしらこれ。
「……じゃあ、俺はもう行くぞ。まだ片づけなければならん仕事が山のようにある、気楽な女子供のように油を売ってるわけにはいかないんだからな」
 そうは言っても、紅茶はしっかりと飲み干してある。本当に楓さまも物好きよね、こんな仏頂面の彼氏なんて全然楽しくないじゃない。その上、性格も最悪でさ。
「あ、……そうだ」
 え、あたしの心のつぶやきが見えない電波で伝わったのかな。そんなタイミングで、引き戸に手を掛けた「閻魔」が振り向く。
「お前の『条件』、免除してやるから有り難く思え。今回は世話になったしな、……だがこの先何かしでかしたらまた仕置きをするぞ。それをしっかり肝に銘じておけ」
 それだけ言い終えると、面倒くさそうに戸を開く。「閻魔」の身長だと、頭すれすれの窮屈な高さ。少し猫背になる仕草が可愛いなと思った。いや、口には出さないけど。そんなこと思ったってばれたら、またどやされるに決まってるし。
「あらあら、莉子ちゃん。口の周りがクリームでいっぱい。……お茶のお代わりもたくさんあるから、どうぞゆっくりしていってね」
 湯気の向こうに柔らかい笑顔、差し出される蒸しタオル。
 ……よく考えたら、楓さまとこうしてふたりっきりっていうのもかなり場違いな気がするけど。目の前に鎮座する一個半のミルフィーユを見たら、その違和感もどうでもよくなっていく。
 
 頃は、春。若葉の萌ゆる季節。
 もしかすると、この高校生活も捨てたもんじゃないのかなって、心の隅でちょこっとだけ思った。

 

ひとまず、おしまい♪ (060428)

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