TopNovel>「春は桜」と言うけれど・2




1/2/3/4

       

   

 一世紀以上の歴史を刻む「私立・緑皇高校」。
 伝統とか格式とかにこだわりすぎた校風は、とにかく堅苦しいとしか言いようがない。昨日の入学式では校長先生もその上の理事長とか言う人もなんか別世界の生き物みたいだったし、ずらりと並んだ先生方も型抜きチョコみたいに同じ姿勢で立っていた。
  全く場違いなところに来てしまったなーとは思ったけど、今更どうなることでもないわ。これからの三年間をいかに乗り切るか、あたしの試練の日々は始まったばかりだったのよ。
 ――で、今度は「閻魔大王」……? 何で、そんな有り得ないのが存在するのかしら。早紀も冗談で言ってる訳じゃないっぽいし、本当にどうなってるの。
  地獄の閻魔様って、確か嘘をつくと舌を抜かれる怖い人よね? いや、そもそも人間じゃないか。何でも死後訪れる「冥土」って場所には、亡者の罪を裁く十人の王がいるって言われてる。その中でも一番偉くて威張っているのが「閻魔大王」。誰も彼には逆らえないんだ。
 確かにさっきの長髪男は、いかにもそれっぽい感じだったわ。てっきり応援団の勧誘かと思ったもん。「風紀委員」なんてネーミングも古き良き時代を感じる響き。今時、そんなのが残っていたなんて思わなかった。
「彼の名前は、江川衛(えがわ・まもる)。私たちよりも一年先輩の二年生なんだけど、すでに校内には彼に敵う相手は一人もいないと言われているそうよ。
  私、今年ここを卒業した従兄がいるからいろいろ聞いてるの。見てくれだけじゃなくて、腕っ節もかなりいいみたいよ? 実家は幕末から続く剣道道場を開いていて、本人も師範級の剣の使い手なんだって」
 うわー、聞くだけで漫画みたいな設定だ。そんなのって、あり得るの? 絶対胡散臭いよ。確かにあの長身から思い切り竹刀を振り下ろされたら怖いだろうなあ。だけど、それってどう考えても「噂が先走りしてる」状態としか思えないよ?
 なんか、でも面倒だな。明日からは先輩方と同じように裏門から回ろうかしら。あんなのに目を付けられたら大変だもの。

「――何、これ?」
 その後ようやく教室にたどり着いて、またびっくり。
 だって、机の上に変なものが置いてある。白い半紙が折り畳まれたそれは、大学ノートを縦に半分にしたくらいの大きさ。しかも表には今書かれたような墨文字で「呼び出し状」と大きく書かれている。それから、隅っこの方に「苑田莉子(そのだ・りこ)殿」って付け足したように添えられていた。間違いない、産まれてから15年以上使い続けてるあたしのフルネームだ。
 今時手書き、しかも墨文字。その姿はまるで「果たし状」ってやつみたい。ほら、昔の漫画とかでチンピラ同士のケンカの呼び出しに使われるの。
「ええと……『放課後、指導室まで来るように』って……」
 とりあえず教室の中を見渡してみたけど、同じような手紙を受け取っている人はいないみたい。それだけじゃない、周囲からの視線をびしばしと感じてるんだけど。いや、……気のせいじゃないみたいね。
 だって、文末にはふんぞり返ったようなでっかい文字で堂々と署名がしてあるんだよ。うん、本文よりもずっと目立ってるのってどうかと思うけど。その上、真四角のいかめしい朱印まで押されてる。
「うわーっ、これが噂に聞く『矢文』っ!? すごーい、本人の直筆かなっ。あんた、入学早々有名人になっちゃって大変だねーっ!」
 早紀の方はと言えば、何だか見るからにうきうきしてるの。隣の自分の席に腰掛けると、あたしの手からさっきの手紙を素早く取り上げた。
「えと……、何それ? で、『指導室』って、何事っ!?」
 どうも彼女はかなりの物知りっぽいから、この際さっさと聞いてしまおう。なんか、朝からとてつもなく物騒なんだけど。まさか、新手のラブレターって訳じゃないよね? だいたい、机の上に置かれていること自体がおかしい。
「うーん、これは見たとおりでしょ? こんなん、説明するまでもないじゃん。あんた、風紀委員から呼び出し食らったんだよ。結構頻繁にあるらしいよ、もっとすごくなると校内放送でお声が掛かるらしいし。まあ、ちょうど良かったんじゃない?」
 どうして、そんな風ににやけてるの? こっちは全然面白くないんだけど。むーんとふくれていたら、早紀はポケットをごそごそしてチューイングキャンディをひとつ渡してくれた。
「入学早々に風紀から呼び出しが掛かるなら、絶対服装や身だしなみのチェックだよ。心配いらないって、すぐに終わるよ」

 ……とは言われたものの。
 放課後、ようやく探し当てた「指導室」の前にはすでに20人ほどの生徒が行列を作っていた。元々が男女比2:1の学校、並んでいるのもそんな割合。ネクタイの色を確認したら、一年生はあたしひとりみたいだ。振り向いてじろじろ見られるのが嫌な感じ。
「うわー、ごめんっ。これじゃ、待ってられないや」
 一緒に付いてきてくれた早紀は、長い列を見た瞬間にそう言った。ま、今日は日本舞踊のお稽古があるって言ってたから仕方ないか。ここまで来てくれただけでもよしとしよう。
 ……と、頷きかけた瞬間。ばしっと、鋭い音が引き戸の向こうから響いてきた。それと同時に、飛び出してくる三年生の先輩。何なの、一体。どうして半泣きになってるのよっ!? あんた男でしょっ、何やってるのっ。
 そのまま風のように走り去るブレザーの背中を呆然と見送って、あたしと早紀は顔を見合わせた。
 ――その後、待つこと一時間。
 何度となく、引き戸の向こうの「ばしばし」を聞いた。まー、何か棒のようなもので床を叩いてるっぽいけど、それでも嫌なもんだよね。正直、逃げ出したかったわよ。でもそれが出来ないから仕方ない。何でもこの「呼び出し状」は絶対的な意味を持つらしくて、我が校においては校長先生の一言よりも威力があるんだって。一体どういうことなのよ、馬鹿馬鹿しい。
  早紀に振られて知り合いなんていないから孤独だったけど、前の方に並んでいる先輩方のひそひそ話は嫌でも耳に飛び込んでくる。だもん、担任の先生が「忘れないように気をつけてくださいよ」と念を押したはずだ。どのクラスに何通の「呼び出し状」が配られたのか、すでに先生方にも伝わっているみたい。
 最初は、やっぱり怯えていた。何にも知らない入学したばかりの環境で、いきなり恐怖の体験よ? これがびびらなくていられますかって言うの。
  でも、何しろ待ち時間が長すぎて。そうしているうちに、だんだん腹が据わって来るというか何というか。とうとうすぐ前の人が引き戸の向こうに消えていく頃には、もうすっかりと開き直っていた。
 だいたいさ、やり方が陰湿。これって、はっきり言って「いじめ」じゃないの? あのドスのきいた怒鳴り声は「閻魔」のものなんだろうな、朝聞いたのと似てるもの。
「――次っ!」
 そんなことを考えているうちに、目の前の引き戸が再び開く。私と目を合わせないように、男の先輩がそそくさと廊下の向こうに去っていった。
「失礼します」
 ほら、偉いでしょ。一応、腰を90度に折ったおじきをしてみた。言われたことをきちんと実行するどこまでも素直な新入生なんだからね、私は。
「……」
 んで。待つこと、30秒。
 声も掛からずにこのままどうしようかと思った。かなり足腰に来る姿勢だから、そろそろ限界。ゆっくりと背筋を伸ばしたら、やっと部屋の中を見渡すことが出来た。
 何、この部屋。普通教室の半分くらいの大きさかな? 突き当たりの窓までがとても遠く感じる。教室用の椅子や机が乱雑にいくつも置かれている向こう、古めかしく見るからに年代物のグランドピアノが鎮座する横に「閻魔」はふんぞり返って座っていた。すっごい偉そう、本当に何様のつもりなんだろうか。手には普通よりもずっと長めの竹刀が握られている。これが「ぱしぱし」の正体か。
「何だ、その目は。呼び出された理由は分かってるって感じだな。ならば、話は早い。お前に課す条件は決まっている」
 ふんと鼻で笑う、その態度のふてぶてしいこと。何よ、こっちが下手に出ればいい気になって。本当に馬鹿みたい、変な奴。
「あのう、これ地毛なんですけど? それをとやかく言われる筋合いはないと思います」
 さやさやさや。「閻魔」の向こうで柔らかく揺れる桜並木。二階の窓からでもたっぷりとお花見を楽しめるほどに大きく育った木々は一体樹齢何十年になるんだろうか。それにしても、ここまでバックに花をしょって似合わない人間も珍しい。とてつもなく暗黒色のオーラ、これでは満開の桜がかわいそうだ。
「何か証明するものが必要であれば、すぐに用意します。……それで構いませんよね?」
 鋭い眼差しで見つめられても、怖くなんてなかった。だって、こっちは悪いことをしているわけじゃないもの。不可抗力なのよ、実際。
「……紙切れ一枚で片が付くと思ってるのか。人を馬鹿にするんじゃない、いい加減にしろ」
 特に怒鳴っているとかそんな感じではなかった。でも、彼の声は静まりかえった水面に落とされたひとしずくのように、どんどん辺りに広がっていく。
  戸口のすぐそばに突っ立っていたあたしにも、その異様な緊張感がびしばしと伝わってきた。――だけど、負けないよ。
「馬鹿になんてしてません、本当のこと言ってるだけです。何ですか? 書類だけじゃ足りないなら証明写真ですか。それだっていいですよ、何十枚でも持ってきますけど」
 どうしてここまで強気に出られるのか、自分でも不思議で仕方なかった。
 でも変だもん、絶対に普通じゃないもの。理不尽なことを言って人を困らせて喜んでるんでしょ、このむっつり。あんたみたいな底意地悪い人間が牛耳ってる学校じゃ、居心地悪くて仕方ないわ。いいよ、辞めろって言うなら辞めるから。周りが言うこときくからって、いい気になってるんじゃないわよ。
「そんなものが『証明』になるとでも思ってるのか」
 つり上がった太めの眉がぴくぴくと震える。足を前に投げ出して、胸の前で手を組んだままの姿勢。「閻魔」の眼差しは、私の応戦を受けてさらにきつくなった。
「写真なんて、今時の技術ならいくらでも修正がきくだろう。そんなもので、人を誤魔化そうとしてもそうはいかないからな。俺の方で許可できる条件はふたつだけだ。そのどちらかを用意してこい、例外は断固として認めないからな」
「……え……」
 そう言うやいなや、目の前の男はおもむろに筆と紙を手にする。一体どこから出してきたんだ、そんなアイテム。そして驚くあたしに目もくれず、涼しい顔でさらさらと何かをしたため始めた。
「――衛、いいかしら?」
 その時。何の前触れもなく、がらりと背後の引き戸が開いて。振り向いたあたしは、もうちょっとで心臓が止まるかと思った。
 だって、だって。そこに立っていたのは、目の覚めるほどの和風美人。フィルター効果も何もなくて、手を伸ばすと届いちゃうくらいの場所にいるのに、ここまで完璧に整ってるってどういうこと? なめらかで白い肌、長いまつげに濡れた瞳。しっとりと流れ落ちる黒髪。向こうの「閻魔」も長髪だけど、こっちの人の方が何というか洗練されてるわよ。
 あたしと同じ制服なのに、この人が着るとすごく女らしく見えるから不思議。ネクタイの色はひとつ上の二年生であることを示していた。この人もすらりと背が高いなあ……170センチはあるんじゃない?
「あらあら、可愛い子。見かけない顔だと思ったら、今年の新入生なのね。部活、どこにするかもう決めた? まだだったら是非うちの部にいらっしゃい、大歓迎よ」
 じりじりと歩み寄られて、ついでに髪の毛とか制服とかぺたぺたと触られるからびっくり。近づくとナチュラルな花の香りがして、すごく素敵。うわー、すべすべの手。こういうのを「白魚のような」って言うのかな。さらに、爪のかたちも完璧に美しいわ。
 でも……この人って、誰?
「何やってるんだ、楓。まだこっちの話が終わってないんだぞ、邪魔するな」
 閻魔は強引にあたしから和風美人を引きはがすと、まだ墨の乾いてない半紙を鼻先に突きつけた。
「お前は、これを用意しろ。どちらかが準備できるまでは、二度と俺の前に現れるんじゃないぞ?」
 そのまま、廊下に放り出されて。呆然としているうちに、目の前でぴしゃりと引き戸が閉まった。

「ああ、知ってるーっ。それって『楓さま』でしょう、やっぱり麗しい御方だった? いいなあ、私も早くお目に掛かりたいわー!」
 翌日。
 教室に入るなり、早紀が駆け寄ってきた。本当は昨日のうちに連絡が取りたかったのにとブツブツ言ってる。昨日は慌ててて、携帯のナンバーを交換してなかったから無理だったのね。
  指導室での出来事をかいつまんで話すと、彼女は胸の前で手を組んで「乙女のポーズ」を決め込む。へー、あの人、やっぱり校内では有名人だったのか。
「華道部の次期部長は楓さまで決まりだって、もっぱらの噂よ。何でもご実家はさる家元のお家柄。お身体が丈夫じゃないそうで、高校に上がる去年までは信州の別荘で静養していらっしゃったんですって。そのせいか、どこか浮世離れしているけどそこが魅力的よね。で、閻魔の彼女なんでしょ?」
 あーそうかもって、最後のところは素直に納得した。ちょっといかめしい組み合わせではあるけど、どこまでも絵になるカップルだよね。そっかー、偉そうな口を叩いてるくせに女を連れ込んで逢い引きか。いい根性してるわよね、あいつも。
「それで、……どうしたの? 無実は証明されたんでしょ、何をそんなにふてってるのよ?」
 どろーんと机に突っ伏してしまってるあたしを見て、早紀が不思議そうにコメントする。仕方ないから、見せてあげたわよ。昨日「閻魔」が突きつけてきた「条件」とやらを。

 一、幼稚園児の卒園アルバム。修正の無きことを証明するために、最低5冊集めること。
 一、当時のクラスメイト十人分の証言。ただし、友人知人は口裏を合わせる危険があるから不可。身内も除く。

「……何、これ。ちょっと、大変じゃない? ここまで厳しくすることないよねえ……」
 さすがの早紀も、そう言って同情してくれる。でも、あたしの落ち込みはそれ以上だった。
 だってさ、あたしね。幼稚園の頃から、パパの転勤で日本全国津々浦々あっちへこっちへ流浪の民な生活をしてたのよ。クラスメイト十人なんて集められるはずもないし、卒園アルバムに至っては自分の分もどこかに埋もれて発見することが出来なかった。
 まるでそのことを知っているかのようなこの「条件」。どう考えたって、陥れられているとしか思えない。
「じゃあ、いっそのこと黒く染めちゃえば? あー、染色はいかなる場合も不可って添えてあるーっ!」
 絶対に、何か企んでいるんだよ、あいつ。そうじゃなかったら、有り得ない。だいたい、入学したてのか弱い16歳にどうしてここまで無理難題を押しつけて来るんだろう。本当に訳が分からないよ。いい加減にしてよ。
 何か意見をしたくても、会ってももらえないんじゃ話にならない。どーしたらいいのよ、全く。
 すでに思考能力も低下して、もう何も考えられない。それなのに、瞼を閉じれば奴の憎たらしい顔ばかりが浮かんでくるのはどうして?

「おやおや、どうしましたか苑田さん。浮かない顔ですね?」
 放課後、ぼーっと廊下を歩いていたら、そんな風に呼び止められた。
 どこかで聞き覚えのある声だなと振り向いたら、それもそのはず担任の先生。小柄であたしのパパよりも十歳くらい年上っぽい。もともとおとなしそうな人で、教室でも全く存在感がない。髪の毛がだいぶ寂しくなっていて、それがさらに哀愁をそそる感じ。
 そのときのあたしは、リベンジで向かった「指導室」で門前払いを食らった帰り道。かなり落ち込んでいたと思う。先生も見るに見かねて声をかけてくれたんだろう。
「うーん、それは困りましたねー。江川君は我が校では大変な権力者ですから、彼を敵に回したらもうやっていけませんよ?
  さらに他の高校に転校したくても生活面が全く評価されないことになりますから、どうにもなりませんね。今のままでは苑田さんを受け入れてくれる学校はありませんよ。ここの理事長もかなり顔が広い人ですしね……」
 ちびなあたしと並んでもあまり目線が違わない先生。慰めてるつもりなんだろうけど、どう考えても傷口に塩を擦り込んでるとしか思えない。
 もう、さらにしょぼくれちゃうよ。
 もともと来たかったわけでもない高校、入学早々あんな変人に睨まれて、どうにもならない状態に追い込まれるなんて。どんな風に噂が広まってるのかは分からないけど、クラスでもかろうじて口をきいてくれるのは早紀だけ。あとのみんなは、ものすごい嫌な目で見るの。きっと「閻魔」に睨まれたあたしと関わりを持ちたくないんだね。
  それだけじゃない、指導者の立場にあるはずの先生方までが奴には頭が上がらないってどういうこと? そんなのって絶対におかしいよ。一介の高校生に何でそんな権力があるの……?
「いやはや、……なんと言いますか。でも、ここで落ち込んでばかりでは楽しくないでしょう。私は外部の人間で、ここの卒業生ではないのであまり発言権もありません。でも、苑田さんは大切な生徒ですから放っておけませんよ。 何でも力になりますよ、だから大丈夫です。江川君だって、苑田さんが真面目な生徒だと知れば、いつかきっと分かってくれますから」
 何とも弱々しい、心許ないエールだった。でも、そのときのあたしには涙が出るほど嬉しかったのね。やっぱり捨てる神あれば拾う神あり、人間はひとりぼっちじゃないんだ。ちゃんと、あたしのことを分かってくれる人だっている。うん、「閻魔」の攻撃になんて負けないから、あたし。
 肩にそっと添えられた手。パパよりもお祖父ちゃんに近いイメージの先生。落ち込んだ心に染みこんでいく優しさに、思わずじんわりと泣けてきた。
 視界がぼんやり曇ったから、気付かなかった。そのとき、廊下の向こう側を黒い影がふわっと通り過ぎたことを。

 

つづく♪ (060317)

<< Back     Next >>

TopNovel>「春は桜」と言うけれど・2