TopNovelヴィーナス・扉>シンデレラの赤い靴・クリスマス番外・3

それぞれのヴィーナス◇初代の未来(の、クリスマス番外編)
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 歩行者用信号が瞬いて、周囲の人たちが急ぎ足になる。そんな中で自然に足を止める彼、つられて立ち止まる私の腕の中で大きすぎる花束がカサカサと音を立てた。
「寒くない?」
  優しい手のひらが、私の二の腕をさすってくれる。たまらなくこそばゆくて、でもすごく嬉しくて、ちょっとだけ笑ってしまった。
「……あ、いえ。大丈夫です」
  こんなにくっついているんだもの、直接的な温度ももちろん、周りからの視線が痛くて心拍数が上がってしまう。うう、すれ違う女性たちの目が怖いよう……。

  本人はまったく気づいてないみたいだけど、彼はどこへいてもとても目立つ。文句の付けどころがないほど格好いいのはもちろん、すらりと長身でスタイルも良くて。そんな素敵な人がさらにセンス抜群のファッションで完璧な身のこなしをしているんだから、視界に入れずに通り過ぎろと言う方が無理な相談。
  もちろん、私自身も完璧な一目惚れだった。些細な会話を交わしただけの出会いのシーンがその後もずっと心に焼き付いていて、だから新人研修のあとに配属された部署で彼に再会したときにはあまりの偶然にしばらくは言葉も出なかった。
  さらに一緒に仕事をしていく中で、彼の有能さを目の当たりにしていく。物事に対する柔軟さ、そして時折見せる驚くほどの強気の姿勢。そのどれもがしっかりとした信念の上に形成されている。
  たいした自信もないのにはったりでものをいう人も世の中にはたくさんいるけど、そう言うのって最初のうちは上手くいったとしても次第にボロが出てしまうんだよね。私なんて、一年ちょっとの仕事経験しかないのに、それだけの期間でも「やっちまったぜ」的な残念な方々を何度も見てきた。
  常に結果を求められる中で、期待以上の結果を常に叩き出すって本当にすごい。私はとんでもない人の下で仕事をしているんだなって、そのたびに実感してた。
  ―― でもやっぱり、お疲れなんだろうな……。
  彼に気づかれないように、そろっと視線だけをその顔に向ける。
  さっきから、ときどき心がどこか違う場所に飛んでいるような気がしてた。もしかしたら、やり残してきた仕事とかあるんじゃないかとか、すごく不安になる。
  どこの業界も同じだと思うけど、今の時期は出版社も年末進行で滅茶苦茶にスケジュールが詰まっている頃。いくら異動で部署が変わって今は社長室付きの室長になったとは言っても、その忙しさに変わりがあるはずもない。
  だから、今夜のことを切り出されたときには本当に驚いたんだ。
「クリスマス・イヴは定時で上がれるようにするから、そのあとふたりで出掛けてみない?」
  さらりと言われて、最初はたいしたことじゃないと右から左へ通り過ぎそうになってしまったほど。
「え、でも……大丈夫なんですか?」
  彼にびっくりさせられることはたびたびだけど、今回のはさすがに冗談だろうって思った。そんなのって、絶対に無理無理。もちろんふたりきりのクリスマスディナーとか憧れても、そこはぐっと我慢しなくちゃって思ってた。
「何を言ってるの。僕が一度口にして、実際に守れなかった約束なんて今までにあった?」
  はぁ、それは確かに。
「思い切り楽しみにしてくれていていいよ、最高のイヴになるから」
  自信たっぷりにそう言いきられてしまったら、黙って頷くほかなくなる。でもホント、大丈夫なのかなあって、その後もずっと不安だったの。

「ええと……ここは?」
  到着したのは、ごくごく普通のシティーホテルっぽい建物の前だった。
  てっきり、有名ホテルのレストランでクリスマスディナーとかそういうシチュエーションを考えていたから、これにはちょっと肩すかし。
  ……いえいえ、どんな場所でも彼と一緒なら最高にハッピーなんだけど。
「ほら、早く入ろう。こんな場所にいつまでも立っていても、寒いだけだからね」
  外装のシンプルさからは想像も付かないほど、入り口を一歩中に入ったそこはゴージャスな空間だった。うーん、何というか……思い切り趣味に走ってる? でも、これってどこかで見覚えがあるような気がするのは、気のせいかなあ。
  フロントでキーカードを受け取った彼と共にエレベータへ。ガラス張りになっていて、いきなり目の前にパノラマの夜景が現れる。
「わあ……すごい眺めですね」
  ちょっと力の抜けたコメントになってしまったのは許して欲しい。知らなかった、ここって少し高台にあるんだね。だから、地階でも感激しちゃうくらい見晴らしがいい。
「うん。でも、これくらいのことで驚いてもらっては困るんだけどね」
  そんな風に言いつつも、彼は満足げな微笑み。次第に遠ざかっていく地上を見下ろしながら、私たちは空中に浮き上がっていく。気のせいなんだろうけど、ものすごい遠い場所まで飛ばされていくような気がした。 そして、たどり着いたのは――
「……え、これって……」
  ドアを開けてくれた彼に「先にどうぞ」って促されて、中に一歩足を踏み入れて呆然。
「ふふ、驚いた?」
  これはもう、完全に想像の域を超えていた。え、何で? どうしてこんなことが……
「しっ、信じられないっ……! これって、どうなっちゃってるんですか……!?」
  六月の初めに訪れた新婚旅行先、最初の晩に泊まったのはフィレンツェの歴史あるホテル。その夜に部屋のドアを開けたときの感動が、そのまま目の前に再現されている。
「うん、僕も仕上がりを見たときにはさすがに驚いたな。でもここまで完璧になるなんて、やはりプロの仕事は違うね」
  何でも映画セットなどを手がける会社が副業でやっているホテルなのだとか。宿泊客の希望どおりに室内を改装して迎えてくれるなんて、いったいどんな趣向なんだろう。
「ほら、バスルームだって、あの夜と同じになっているよ」
  さらにドアをひとつ開けると、お湯をたっぷりと満たした足つきのバスタブには一面深紅のバラの花びらが浮かんでいた。
「だけど、ここを使うのはあとでだよ。さあ、……おいで」
  入り口からは死角になっている窓際に置かれたキングサイズのベッド。カバーの上では一輪のバラがお出迎え。
「思い出すね、未来。あの夜の色々なこと。君はとても素敵だった、……だけど今夜は、さらに最高の姿を見せて欲しいな」
  もこもこの上着もまだ着込んだままの私、そこでようやく、ハッと我に返る。
「えっ、……えええっ!? そんなっ、そんなのって、絶対に無理です……!」
  待って、嘘でしょ、何言っているのっ!? あの夜って、間違いなくあの夜のことだよね? そんなの絶対にできないから! だいたいっ、私は今、こんなタヌキみたいなおなかになってるのに……!
「ほらほら、今更何を言ってるの?」
  そう言うと彼は、後ずさりをした私のうしろに素早く回り込む。
「この前の検診でも経過良好と言われたでしょう、だから心配することなんてないって。さあ、一枚ずつゆっくり脱がせてあげようね」
「でっ、でもっ……」
  部屋の中は理想的に暖められていて、もちろん服を全部脱いでもまったく寒くないと思う。だけど、それとこれとは話が別ってことで。
「今更、何を恥ずかしがっているの。それとも、僕のプレゼントが気に入らない?」
  決してそんな訳ではない。正直なところは「嬉しい」よりも「びっくり」の方が上回っている感じだけど、こんなすごい贈り物はあとにも先にも今回一度きりのような気がする。
「た、貴昭さんっ……」
  あっという間に一糸まとわぬ姿に。なんかもうそれだけで、心は六月のフィレンツェに飛んでいくような気がする。
「じゃあ、ここに腰掛けて。足を大きく広げてご覧?」
  腰の後ろに枕をふたつ置いて支えにしても、おなかがつっかえてしまう。それにしてもこのポーズ、産婦人科の診察台みたいなんだけど……
「ひっ、ひゃあんっ……!」
  まるで私の心の中を見透かしたみたいに、彼はいきなり触診を開始。指を強引に差し込まれて、私の腰が大きく揺れた。
「駄目だよ、そんなに可愛い声を出しては。反則技で誘ってくるのが、未来の悪い癖だね」
  私の中をかき混ぜる指の動きはそのままに、彼は伸び上がって唇を重ねる。何度も触れ合いながら、次第に深く。その一方で空いている方の手は首筋から胸元へとたどり着く。
「……はぁんっ……」
  解放された口元から漏れる吐息。すでに頭の中はぼんやりとかすんで、正常な思考ができなくなってる。
「いいよ、もっと感じて。今夜は全部僕に任せてくれればいいからね……」
  耳元に掛かる熱い息、さらに首筋へ、胸元へと伝っていく。先端を強くついばまれて、敏感になっている部分にじんと痛みが走った。でもそれは決して、不快な感触ではない。むしろ、自分ひとりではどうにもならない感情を、もっともっと激しく、ついには突き崩して欲しいと思う。
「あはっ……、たっ、貴昭さぁん……っ!」
  お産って、障子の桟も見えなくなるほどに朦朧とするものなんだと聞いたことがある。だけどまだ迎えていないその瞬間を、私は難なく飛び越えることができるような気がしていた。
  ほら、だって。今も、部屋の片隅にあるクリスマスツリーのイルミネーションがぼんやりとかすんでみんな同じ色になっている。あの夜と同じ壁紙も調度品も、激しすぎる快楽の波の中ですべてひとつの色に戻ってしまう。
「僕が欲しいんだね? いいよ、たくさんあげる。全部、残らず、僕は未来のものだからね」
  それは、私の台詞。私のすべては彼のもの、彼がいるから生きていける。
「わっ、私もっ……私も、貴昭さんのものです……!」
  信じられない幸福の中で、一気に高い場所まで突き上げられる。最初の瞬間を迎えたあと、ややあってから私は人間の呼吸を取り戻していた。
「さあ、未来。次はあの鏡の前がいいな。愛し合っている僕たちの姿を、永遠に記憶の壁に刻みつけよう」
  そのあとはバスルームで、そして窓際で。心はすでに長い夜への期待に大きく支配されていた。こんな風になれる私じゃなかったはずなのに、彼は到底手に届かないとても遠い存在だと諦めていたのに。……でも、今更もう、後戻りなんて無理。神様の気まぐれがくれた偶然だったとしても、私は「今」をしっかりと受け止めたい。
「え、でも……そんな、恥ずかしいです……」
  その言葉を微笑みでかわして、彼は私をさらに導いていく。永遠に終わらない、恋人たちの夜の海へと。

おしまい☆(101226)
ちょこっと、あとがき(別窓) >>


 

2010年12月26日更新

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