TopNovelガラスの王様・扉>ガラスの王様・4



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 ふわっと、何かが頬をくすぐった気がした。
  次の瞬間に、手のひらに湿り気のある冷たいものを感じる。それから……自動車のエンジン音、子供たちのはしゃぎ声。様々な音が一気に耳へと流れ込んできた。
「……う、んっ……」
  奈緒はぼんやりと目を開けた。でもそこはいつもと同じ自分の部屋のベッドの上じゃない。大きく枝を広げた木の根もと、その幹に寄りかかって座っていた。
「何、今って……昼間……?」
  のろのろと、記憶を辿る。ええと、確か夢の中で、王様と尚矢と……それで……。
「えっ、尚矢っ!?」
  ハッとして、辺りを見渡す。今ここにいるはずもないのに、だって、彼は奈緒の夢の中にだけ住んでいる人だったのに。それなのに――
「……奈緒?」
  幹の反対側から、やっぱり寝ぼけている声がした。ぎょっとして、そちらを確認すると――
「えっ、えええっ!? 尚矢っ、本当に尚矢なの!?」
「そっ、そっちこそ! 本当に奈緒なんだな!?」
  もしかして、新しい夢が始まっているのだろうか。そう信じるには、自分たちを取り巻くすべてがあまりに現実過ぎる。
「どっ、……どうして……」
  尚矢は背広、奈緒は制服。夢の世界で出会っていた頃と、ぴったり同じ服装でいる。そして次の瞬間、ふたりはまたぴったり同じことを考えた。
「ええとっ、今、何時……!?」
  いつの間にかポケットに携帯が入っている。それを開いて確認して、お互いに脱力。
「何だ……今日って、日曜日だったんだっけ……」
  仕事も学校も休みの日だとわかって、ホッと胸を撫で下ろす。今はお昼過ぎ、どういうことでここまで飛んできたのかはわからないが、とにかく自分たちは戻ってきたらしい。
「尚矢って、……こっちの世界の人だったんだね」
「奈緒こそ……、本当に驚いた」
  しばらくは戻ってきた世界に身体が付いていかず、ふたりしてぼーっとしていた。そしてそのうちにお互いの手とか腕とか、そう言うところをぺたぺたと触りあってみる。くすぐったくて温かくて、何だかとても不思議な感じ。
「良かった。もう、二度と会えないかと思ってた」
  毎晩、あの夢に通い続けたのは、尚矢がいたからだ。途中からは、王様の椅子のことなんて忘れていたような気がする。ふたりして、馬鹿みたいに笑ったり怒ったり、その日の出来事をあれこれ話すのがとても楽しかった。
「うん、本当に。――夢みたいだ」
  違うよ、これは夢じゃなくて現実だよ、と言いかけて、やっぱりやめた。まだ半分、信じ切れていないこの現実。あんまり突き詰めすぎると、どこからか崩れていってしまうような不安がある。
「でも、どうしてこんなところで目覚めたんだろう。いつも通りにベッドの上でも良かったのに」
  そしたら、こんなにすぐには尚矢に会えなかったかもしれないけど、そうなったって必ず再会は果たせたと思う。ここは奈緒の家から五分も掛からない市民公園、実はふたり毎朝使っていた最寄りの駅も同じだったのだ。
「とりあえず、どこかに移動する? 軽く飯でも食おうか」
  先に立ち上がった尚矢に腕を引かれて、奈緒も立ち上がる。そしてどちらからともなく繋がれた手。それだけでたとえようのないほど幸せになれた。
「……あ……」
  そして、またふたりの視線が止まる。彼らの目の前には、大学病院の白い建物が堂々と立ちはだかっていた。

 幸い面会用の入り口は、休日でも開放されていた。受付で名簿に名前を書くと、そのまま奥へと進んでいく。そして何故か一度も道に迷うことなく、その部屋までたどり着いていた。
『マキノ・ナオト』―― カタカナで書かれたネームプレートを前に、立ち止まる。そのときにもふたりの手は繋がれたままだった。
「……あの」
  ふたりの背後から遠慮がちな声が聞こえてくる。振り向くと、優しそうな女性がそこに立っていた。奈緒の母親と同世代くらいだろうか。何となく寂しげな雰囲気が漂っている。
「どちらさまでしょうか?」
  彼女は初対面のふたりをいぶかしげに見つめている。すると、尚矢の方が先に一歩前に出て、しっかりとした口調で言った。
「俺たち、直人君の友達です。今日は彼のお見舞いに来ました」
  部屋の中央に置かれたベッドの上では、ひとりの少年が横になっていた。椅子に座っていたその姿よりはずいぶん成長している。自分よりも年上かな、という年齢に見える彼を「少年」と形容するのはちょっと失礼かも知れない。でも、その白い頬の色を見ていると、そんな言い方が一番似合っている気がした。
「もう、十年。こんな風にしているんです。本当にどこも悪いところなんてないんですよ、それなのにただずっと眠り続けていて」
  彼がまだ小学生だったある日、車と接触事故を起こしてしまった。目立った外傷はなかったものの打ちどころが悪かったのか、それ以来一度も目覚めないという。
「だけど、私は信じているんです。きっといつかこの子は戻ってくるって。そう……今でも時々、そんな夢を見るんですよ」
  大きく開かれた窓からは、爽やかな季節に芽吹いた若葉がさやさやと風になびいているのが見える。その向こうの青い空、当たり前の風景。どんなにか戻りたいと願ったのだろう、その想いがあまりにも強かったから、自分たちは導かれた。

 毎日の生活に疲れて、どうにかして人生を休みたいと誰かが願ったそのときに「王様」は夢の入り口を開く。だけど彼が行き着く先に本当の幸福がないことも「王様」はすでに知っているのだ。
「この命は、きっと王様が返してくれたものなんだね。だから、決して無駄にしては駄目なんだ」
  どんなに辛いことがあっても、もうこれ以上歩けないと思っても、それでも前を見て一歩ずつ歩きだそう。願うものはその道の先にある。どんなに遠くても必ずたどり着くことができる。

 最後にもう一度と思って見つめた彼の顔が、一瞬だけふわりとほころんだ気がした。

おわり (100520)
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