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「ほほう、これはたいそう風流でございますなあ……」

 翌日の宵、あらかじめ決められた時間通りに相手の男は現れた。供も連れず、ただひとりで馬を駆ってやってきたという。高い蹄の音を聞きつけてすぐに繭の兄である小瀬が飛んでいき、そのあと庭先まで繭が出迎える。慌てて整えた庭の草木もそれなりに見栄え良く仕上がって、慎ましやかながら風情のある景観となっていた。

「どうぞこちらからお上がりください」

 しばらくは興味深そうに庭を眺めていた若人に、繭が遠慮がちに声をかける。ふたりが並んだその身丈の違いを見ても、相手の者はかなり体格がよいことがわかった。とはいえ、無駄な贅肉がついている様子はなく、武芸にほどよく鍛え上げられていると言ったところか。そしてそれとは対照的にすっきりと美しく整った面差しが遠目にもうかがえた。

「おや、……君は間近で見るとたいそう可愛らしいね」

 口元に扇を当て、上流人を気取っているつもりだろうか。突然の言葉に繭が戸惑っている様子を興味深く見守っている。

 ―― なんだ、あの嫌らしい目つきは。

 美しく輝き始めた天の光に照らされたふたりの姿は御簾の内からも丸見えであった。しかし、こちらからは声を立てることすら出来ない。まずは男の方から声をかける、それが当然の礼儀である。にわかに湧いた怒りに、楸はぎりりと唇を噛みしめた。

「そっ、そのような……お戯れを」

 全く、繭も繭だ。もっときっぱりと断ればいいのに、そんな風に頬を染めて俯いたりしたら相手にいいように解釈されてしまう。

「いやいや、本心から思ったことを言ったまでだよ。こちらの館には目映いばかりの花が咲いていると聞いてきたけれど、それはただの一輪だけではなかったようだね」

 ―― いい加減にしろ。

 座した膝の上に置かれたふたつの拳は、怒りのあまり堅く握りすぎて白く色を変えている。だがそれでも、延々と続くふたりのやりとりをただ眺めている他ない。それは楸にとって初めて知る、拷問にも近い長すぎる時間であった。

「お初にお目に掛かります。入谷の領主の息子、壮司(ソウジ)と申します。姫様にはご機嫌うるわしゅう……」

 しばらくして、ようやく御簾の表にしつらえられた席に座した男であったが、こちらには型どおりの挨拶をするのみ。それからあともほとんど傍らの侍女とばかり話をしている。そして、受け答えをする繭の方もまんざらでもない様子。差し出された杯に酒を注ぐ手つきにも、花のような初々しさを感じる。

「入谷は大変豊かな土地と伺いましたが、今年の田畑の様子はいかがですか?」

 繭も昨日よりの慌ただしく短い時間の中で、相手の男に関するかなりの知識を集めた様子だ。客人をもてなす立場にあれば、たえず話の糸口を探さなくてはならない。おっとりした娘からは想像も付かぬほどの機敏な受け答えも、御簾の内にひとり取り残されたままの楸には誇らしいと言うよりむしろ腹立たしくさえ感じる。

 ―― 何だ、少しはこっちのことにも気をつかえないのか。

 相手の男もまた、堂々たる立ち振る舞いであった。かなりの情報通らしく、自らの家が治める土地のことも隅々まで承知しているらしい。表向きの政(まつりごと)は父親である館主が取り仕切っているが、実際にきめ細やかな管理を任されているのは彼のようだ。

「毎年、春と秋には山裾の社で大きな祭りがある。人もたくさん出て、たいそう賑わうよ。その夜の若い者は男も女も遅くまで楽しく踊り歌って過ごすんだ」

 その口から飛び出すのは、にわかには想像すら出来ない話ばかり。この者は明るい世界で、自分の才を思う存分に発揮して生きている。それに引き替え自分はどうだ、このような朽ち果てた館に押し込められて跡目としての教育も全く受けることが出来ないままで来てしまった。年齢もそう変わらないふたりなのに、この違いは一体どういうことだろう。

「左様にございますか、どんなに見事なことでしょう」

 繭は客人を迎える前の夕べに、念入りに髪に香油を付けていた。それが今、天の光にキラキラと眩しく輝いている。身につけている衣も、持ち合わせている中で一番品の良いものだ。

 ―― 現金な奴だ、どうして女っていうのは羽振りの良い男に容易くたなびいてしまうのだろう。

 何もかもが面白くない、こんなことをしていていったい何になると言うのだ。楸は肘置きにもたれかかり、けだるく溜息をつく。するとまるでその姿をはっきりと感じ取ったかのように、客人がこの夜初めて御簾の内へとまっすぐに眼差しを向けた。

「おやおや、深窓の姫君には退屈なばかりの話を続けてしまいましたか」

 鬼の首を取ったような物言いにはたまらなく苛立ったが、それでも無言のままで姿勢を元に戻す。

「いえ……慣れぬことに少々気後れしてしまっただけです。どうぞご心配なく」

 なるべく控えめに、感情を含まないように告げる。短いひとことを口にするだけで、どっと疲れが出た。

「ああ、それならばよろしいのです。初対面でいきなり嫌われてしまっては、悲しすぎますからね」

 それにしても、何とも美しい男だろう。切れ長の目に通った鼻筋。薄く形の良い口元。美しい赤髪は後ろでひとつにきりりと結い上げられ、長い道中を馬で駆ってきたとは思えぬほどにすっきり整っている。
  広い世の中には男子であってもここまで見目麗しい貴人がいるのか。山里の領主の息子ですらこうであるなら、遠く都に上った折にはあまりのまばゆさに目がつぶれてしまうに違いない。

「こうしてようやくお目に掛かることが出来て、さらに姫君のお美しさや奥ゆかしさに惚れ直してしまいました。お噂が広まる前に、盗み出してしまわなくてはあとでひどく後悔することになりそうですね」

 天の明かりが男の背中を「選ばれし者」と言わんばかりに美しく照らし出していた。

 

◇ ◇ ◇


 近いうちに必ずまた訪問すると言い残して去っていく男は、最後までつかみ所のない不思議な雰囲気であった。対面する者を魅了するだけの深いものを持ち合わせているのは確かであるが、なかなか実態が掴めない。まるで狐にでもつままれているかのような気分である。

「―― ああ、面白くないばかりだ」

 慣れぬ大業をなし終えたあとは、女支度をすることすら面倒になってしまう。ほとんど寝装束のままで奥に籠もり、昼過ぎになっても重い身体を動かそうともしなかった。

「楸さま、お加減はいかがですか?」

 一方の繭は昨日の疲れなどどこにも見せず、いつも通りにせっせと立ち働いている。館の仕事はやってもやってもきりがない。たくさんの侍女を雇うことができないのだから、結果として小さな娘にそのすべてが回ってくることになるのだ。

「まあ、朝餉の膳もそのままで。いけませんね、きちんと召し上がらないとお疲れが取れませんよ」

 しかめっ面になる横顔も、いつになく華やいでいるように見える。彼女にとって、昨夜のことはとても楽しく目新しい出来事だったに違いない。そう思うと、楸はますます面白くなかった。

「いいじゃないか、こんな姿を別に誰に見せるわけでもないのだから。ガリガリにやせ細ったところで文句を言う者もいないだろうよ」

 実際に脱いで見せる機会もないのだから―― とは、さすがに口に出すことは出来なかったが。

 自分はただの人形なのだ、そのことを昨夜客人が滞在したほんの一刻かそこらの間に痛感させられた。ただ着飾って無駄口を叩かずにそこに座しているだけで、ほとんどの役目はこなせてしまう。今までもこれからも、己にはそんな価値しか与えられてない。

「楸さま、……またそのようなことを」

 こちらが行き場のない苛立ちに憤っていることも、繭にはすべてお見通しだと思う。幼い頃からいつでも側にいて、行動も感情もそのすべてを共にしていた。だから繭は自分のことならすべて承知してくれている。そしてまた、自分も繭のことに対してそうであると信じ切っていたのだ。

 ―― だが、そうではなかった。

 天の光の下に颯爽と現れた麗人に、繭は心を奪われてしまった。あれだけの男を間近に見れば、それも当然のことだと思う。わかっているのに、気に入らない。

「……わかりました」

 ややあって、繭は短くそう告げると目の前の膳を手にすっと立ち上がった。洗いざらした上掛けが気をはらみ、辺りに一瞬の花を咲かせる。見る気もなしに眺めていたが、少なくとも楸にはそう思えた。

「こちらはすぐに温め直して参ります。それまでに、わたくしが準備した衣にお召し替えください」

 有無を言わせぬ、強い口調だった。下々の者が主に申し上げるには、あまりに礼儀がなってないと思われるほどである。

「のんびりした田舎暮らしが染みついてしまってはあとあと困ったことになります。他所に上がられて、恥ずかしい想いをするのは楸さまご自身なのですよ? わたくしもお世話をする立場として情けなくなることでしょう」

 厳しい言葉を重ねながら、何故か繭は泣き出しそうな顔になっていた。強く噛みしめた唇が震えている。膳を持つ手も、血の気が引いて白くなっていた。

「わ、わかった。すぐに支度をするから、そのような顔をするな」

 いつ何時も女子としてのたしなみを忘れるなと言い聞かされて過ごしてきた。だが、どんなに立派な貴婦人として装ったとしても、心根がその通りにならないのだから仕方ない。

「誠……にございますか?」

 思えば、この者の母親が亡くなってからと言うもの、身の回りの一切の世話を任せてきた。本来ならば教養のある年配の侍女が手がけるべきである礼儀作法なども、繭がどこかの館で教わってきては自分に伝えてくれる。それなのに昨日のように、せっかく訪れた客人に愛想無く接していれば、それはすべてお仕えする者の失態とされてしまうのだ。
  そのことをすでに誰かにたしなめられたのだろうか、いやそのようなはずはない。それでもきっと、繭はすべてを自分の責任として小さな胸を痛めていたに違いない。

「ああ本当だ、約束する」

 勢いよくしとねから起き上がると、寝乱れた髪が肩に腕にとまとわりつく。普段は何でもない当たり前のことが、何故かとても鬱陶しく感じられた。

「……あの、楸さま」

 障子戸の前まで進んだ繭が、一度こちらを振り返る。身丈に余るほどに伸びた髪が、今日も美しくたなびいていた。

「いえ……何でもございません」

 小さく首を横に振って、彼女は再び楸に背を向ける。そして静かに開け放たれる戸の向こう、自由な世界に注ぎ込む光が満ち溢れていた。

続く(100423)

 

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