◆ 09.もったいぶらないで
カレンダーをめくって、生まれたての季節がこの街にも舞い降りてきた。とはいえ、やっぱり三月の初めって急に真冬に逆戻りしたみたいな日もあるよね。今朝も玄関の外に出てから、慌ててマフラーを取りに戻ったもの。 「くるみ、お待たせ」 だいぶ日がのびてきたんだなーって思う。遠くから手を振る臣くんの顔がとてもクリアに見えた。夕日のスポットライトを全身に浴びてるから、実際とはかなり色味が違うと思うけど。だって、お酒を飲み過ぎたお父さんみたいに真っ赤な頬をしてるんだもの。絶対に、有り得ない。 「臣くん、お疲れ様ーっ。毎日大変だね」 いつもながらの涼しい笑顔。全然「大変そう」には見えないけど、とりあえずねぎらいの言葉をかける。臣くんはスーパーマンだから、普通の人の二倍や三倍の仕事は当たり前みたいに片づけちゃうんだ。だから、生徒会の仲間からも先生方からも頼りにされて、さらに雑用が回ってくる。少しぐらい断ればいいと思うのに、人情味が厚いというか何というか。 「そんなことないよ、忙しいのはみんな一緒だからね」 さあ帰ろうって、いつも通りに私の頭に手を乗せた。ぽんぽんって弾みを付けて三度、「いいこいいこ」してから歩き出す。思わずあくびが出ちゃうほど昔から変わらない、帰り道のワン・シーンだ。 「もうね、独り身にはあの『儀式』を見るだけで辛いって言われてるよ。何であれだけ想われていて気付かなかったのか、その謎を解明したらノーベル賞候補になれると思うんだけどな」 この前、和沙ちゃんにしみじみとそう言われた。私がずっとずっと臣くんの「気持ち」を知らなかったのは、とてつもなく鈍感なんだって。そうかなあ、そんなことはないと思うけど。私にとっては臣くんの全てが、どこまでも自然で滞りない。何しろ一緒にいる時間が長かったし、家族よりもむしろ近いかなと思うくらいに。 「これからは、あんまり先輩のこと『我慢』させちゃ駄目だよ? あまり抑え付けすぎて、ある日突然爆発したら大変だもんね。……ちょっと、見てみたい気もするけどー!」 それはあまりにも悪趣味でしょって、隣の穂積ちゃんが眉をひそめる。お弁当の時間の会話が、ひらりと頭に蘇ってきた。 ――だけどさー、実際のところはどうなのかしら? 斜め前を行く臣くんは、一ヶ月前とも一年前とも十年前ともあまり変化がないように思える。とりあえず半月前のバレンタイン・デーを一区切りに、生まれ変わった私たち。多分……そう、なんだよな。やっぱり、ここまで変わりばえがないと不安になってくる。 「どうしたの、くるみ。急がないとバスが出るよ」 前触れもなく振り向くから、それだけで心拍数が上がっちゃう。思わず足まで止まってしまった私を、臣くんは不思議そうに眺めていた。
別にさ、今までのんびりしていた分を早送りして前に進もうとしている訳じゃないよ。 ただ……、何というかなあ。周りの人たちがどう思おうと、肝心の本人同士がこうなんだもの。今のままでも十分だし、私としては破局しかけた(?)ふたりの仲が修復できただけで良かったかなと思ってる。でも、さ。あまりせっつかれると、やっぱり心配になるじゃない。あの「感動の朝」は幻だったんじゃないかなとか。 「ねえ、臣くん」 バスを降りて、少し歩くと細道に入る。緩やかな坂道を少し歩けば、住宅街の一角に私たちの家が並んで現れるんだ。 「私たちって、どうしていつも一緒なの? 朝も夕方も、ずっとずっと一緒でいて飽きたりしない?」 自分でも、なんとまあ回りくどいいい方なのかしらと情けなくなったわ。だけど、仕方ないんだもの。どうして、臣くん相手に直球勝負が出来る? だって、私の心の中の私の知らない部分まで、全部分かっちゃう人なんだよ。何かそういうのって、滅茶苦茶口惜しいし。少しでも困らせてあげようとか思うと、逆にやりこめられちゃうのね。 頼りない逆襲に、臣くんはおやおやと振り返る。かちっとした学生服の肩先がいつも通りに凛々しくて、そう言うところがたまらなく格好いいなと思う。 「どうして飽きるのかな、そんなはずないでしょう……?」 微笑んだ口元を少しも歪ませることなく、例えようのない綺麗な目で臣くんが私を見つめる。それだけでもうドキドキが止まらなくなって、目をそらさずにいるのが本当に大変なの。 「だって、僕たちは恋人同士なんだよ? いつも一緒にいるのは当たり前のことなんじゃないかな」 ――ぎゃっ、そう来たか。 普通の人が言えば「何、コイツ格好つけてんの!?」と寒々しくなっちゃうと思う。でも、臣くんだけは別。さらりとすごいことを言われて、私の心拍数はさらに上がってしまう。 だけど。……だけど、今日はそれに屈してはいけないのよっ……! 「そんな風にいうけどさーっ」 ぷいっと横を向いてしまう私って、最高にイケテない彼女だと思う。だけどだけど、負けるもんかっ。このまま臣くんのペースに巻き込まれては、いつまで経っても何も変わらないのよ。 「コイビト、コイビトって。臣くんはオウムみたいに同じことを繰り返すけどっ、そんなのただの言葉だけの説明でしょ? 私、全然そんな感じしないもの」 確かに、臣くんはすごく優しいと思う。私のこと、とても大切にしてくれてるし、我が儘だって全部聞いてくれちゃうし。だから、本当に……申し分がないほどの彼氏だと思うわけ。 こんな風にね、大切な彼女を不安がらせるのは問題だと思うの。本当に本当に「恋人同士」なんだとしたら、全く変わらないふたりで居続けるのは不自然よ。男だったらしゃきっと行って欲しいと思うのは、私だけ……? 「そうか、……それは困ったね」 あ、全然困ってないのにそんな風に言って。もうっ、分かっているんだから。そんな風に優しく笑って、また私をやりこめようとしてるんでしょ? 「くるみがそんなに情熱的だったとは、嬉しい誤算だね? どうしようか、ホワイト・デーはまだ先だけど、僕としてはくるみにあまりおへそを曲げられては悲しくなってしまうな。くるみがそのつもりなら、僕はもう自分を止めないからね。くるみのためなら、どんなに怖いオオカミにだって変身できるんだよ……?」 それでいいの、って。微笑んだ瞳の奥がこの上なくアヤシゲに光る。するりと腰に回る腕。魔法を掛けられたみたいに身体が動かなくなるのはどうして? 「えっ……、ちょっとっ! ……臣く……」 くらりと、軽く目眩を覚える。狭い細道、人通りもなくてふたりっきり。このまますぐそばには薄暗い公園がおあつらえ向きにあったりして。もしかしてっ、私って。すごく状況をわきまえない発言をしてたりする……っ!? 「ホンモノの恋人同士になりたいなんて、くるみも可愛いことを言うね? うーん、いきなりだから何も考えてないなあ。……でも、こういうのって考えることもないのか。本能で突き進めばいいって言うしね?」 ――えっ、……えええっ!? 顎に掛かる長い指。ふ、振り払いたくても、身体がぴくりとも動かないっ……! ふわーっと、近寄ってくる綺麗な顔。鼻先に息がっ、……息がっ……!!! 「――おっと」 このままあと、ファースト・キスまであと0コンマ5秒……ってところで。臣くんはいきなり身体をはがした。そして、きょろきょろと辺りを見回すの。 「……そう言えば。毎日これくらいの時間がお隣のゼニガメの散歩なんだったっけ。知り合いに見られるのはさすがに恥ずかしいねえ、少し場所を変えよう」 ゼニガメって言っても、ホンモノの亀じゃないよ? 臣くんのお隣の家、すなわちウチの二軒隣りの家で飼ってる犬の名前だ。うわー、あそこのおばさんってすごいおしゃべりなんだよね? しかも1ミリぽっちのことを10メートルにも誇張して吹聴して回るから大変なの。 そのまますたすたと、さらに公園の奥に歩いていく臣くん。しっかりと腕を取られたままの私は、それに従うしかない。えー、もういいよ、やめにしようよっ! 私が言いすぎたから、いきなり必死にコイビトしなくてもいいからっ!! お願いだから、いつもの臣くんに戻ってっ。もっと、……もっとゆっくりがいいよ、私。 「あれ、……しまった」 一番奥まった場所まで来て、臣くんはやれやれと振り返る。今にも泣き出しそうな私の顔をはっきり見ているのに、どうしてそんなに涼しい笑顔なの? 「この辺りは確かキャサリンのお散歩コースだよね? さっきから、あちらの茂みでがさがさと音がしてる。今にご主人が迎えに来るかな……?」 ええと、キャサリンと言うのは私の家のお隣の猫の名前だ。と言うことは臣くんの二軒隣り。ようするに、今の時間ってペットのお散歩のラッシュアワーなのね。耳を澄ますと、向こうの茂みから小さな鈴の音が聞こえてくる。あれ、きっとキャサリンの首輪に付いているやつだ。 「……と言うことで、残念だね。いいかな、くるみ」 臣くんは今までの発言も全て忘れたように、私の頭にぽんぽんと手のひらを置く。ようやくいつもの臣くんに戻ってくれて、私はもう緊張が解けてへなへなの状態。さあ帰ろうって手を引かれて、公園を出て行く。ふたりの長い影。 「僕がいつもこの時間を選んで帰るの、どうしてか分かった? ……これでも必死に耐えているんだからね」 坂道を上がりながら、臣くんはこっそりと私の耳元に囁く。驚いて見上げた視線の先、柔らかい笑顔がいつも通りに私を包んでいた。 おしまい♪ (060612)
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お題提供◇宣芳まゆり様(サイト・Silent Moon) ----------------- お久しぶりーに、「金平糖*days」のふたりを書いてみました。 >かわいくって,ちょっと甘えたで,……な感じのお話を,お願いします ……とのことでしたが、それっぽい雰囲気になっているでしょうか。らぶらぶあまあまへの道は果てしなく遠いような気がします。いつか思い切りべったりなのが書きたいなとは思っているのですけどね(苦笑)。 |