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◆ 50.トリックスター
彼の前には一本足の丸テーブル、高さは丁度肘くらい。ポケットから取り出される赤いスカーフ、マジックの世界ではよく見る小道具が直系50センチの台に被せられた。それまでは大人しすぎるほどだったバックミュージックが、一気にボリュームを上げる。それと同時に高く掲げられた彼の右手が大きく翻り、パチンと指が鳴った。 刹那。わき起こるどよめき。 スカーフが柔らかく盛り上がり、その中から現れた一羽の白い鳩。愛らしい薄桃のくちばしに彼が愛しげに唇を寄せたとき、場内からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
もう一度最初から再生しようと操作していたリモコンを彼の手からもぎ取る。そして電源をオフにすると、目の前の男は分かりやすく落胆の表情になった。 「どうして? いいじゃない。もう一回だけ、ねえもう一回だけ見ようよ! すごいねえ、あんなに手元がアップになっちゃって! 見てるこっちがドキドキするよ」 猫のように甘える声を振り切って、私は温め直したシチューを深皿に盛りつける。気持ちは分かるけどさ、久しぶりのTV放映だったし。私だって録画した当初は何度も何度も見直したわよ。けどね、モノには限度があるの。もしかして、今夜はこのままエンドレス上映会で終わっちゃうつもり? 「はいはい、分かった分かった。じゃあ、今度は食事よ。残さないでちゃんと食べてね、約束だからね?」 そう念押しした五秒後に、もうニンジンとブロッコリーをより分け始める。ついでにかたまり肉も排除して、残ったのは煮くずれたポテトと玉ネギだけ。すでに「芋汁」と化した汁を、彼はおいしそうにすする。 「リュウ、駄目です」 いくらワックスやムースで立たせようとしても上手くいかない薄茶のくせっ毛。毛穴もシミも見当たらないミルク色の肌に、やはり色素の薄そうな茶色がかった瞳。切れ長のそれは、きちんと意志を持っているときにはとっても強気に見える要素になるけど、こんな風にしょぼくれてたら駄目ね。 「私の作ったご飯、ちゃんと食べられないなら今日はもう帰っていいよ? 今ならまだバスもあるし、歩いたってたいした距離じゃないでしょ」 悲しげに訴える視線はあえて無視する。そうやって人の気持ちを吸い寄せるのは上手いんだから。おあいにく様、その手には乗らないからね。彼の魂胆なんて、ぜーんぶ透けて見えちゃってるもの。 「えー、そんなあ……三つ葉さん、ひどいよっ! ボク、今来たばっかりじゃない。追い出さないでよー!」 しばらくはこちらの顔を窺っていた彼も、私が折れそうにないと判断したのだろう。一度はサラダの皿の端に移した固まりたちを芋汁の中に戻す。そして大きなスプーンで一気にすくうと、全部をいっぺんに口の中に押し込んだ。 「……っ、むーっ! むーっ……!」 あ、また。噛まずに丸呑みしたな? 食道に詰まらせたのか、苦しそうにじたばたしてる。やがてコップの水を飲み干して大人しくなるまでの間、私は彼が演じる情けない三流パフォーマンスの一部始終を見守っていた。もちろん、コメントなしで。 「みっ、三つ葉さんっ! 食べた、ちゃんと食べた! だからっ、もう帰れなんて言わないでくれよぅ〜!」 あー、今度は鳴き真似? 全くもう、騒々しい奴だなあ。だいたいねえ、こっちが週末でのんびりくつろいでいるときにいきなりやってきて、「おなかすいた、すいた」って……子供じゃないんだから。しかも、人があり合わせのモノで頑張って準備してるときに、彼ときたらのんびりDVD鑑賞よ。しかも、同じ20分番組を繰り返し繰り返し。メカには疎いのに、この機種の操作だけはいつの間にか完璧になっちゃったのね。 「そんなの、分からないわ。リュウがまた私の気にくわないことしたら追い出したくなっちゃうかも」 もうちょっと強気に出ても大丈夫かな? 頃合いをはかりながら操作しちゃう自分があざといなあって思っちゃう。だって彼、気を許して甘くしてるとみるみるうちに「ふにゃふにゃ」になっちゃうんだもの。空気の抜けた人形の相手をしてられるほど、こっちは暇じゃないのよ? 「三つ葉さぁ〜んっ!」 サラダもパンも完食しなくちゃ駄目だと悟ったのか、全てのお皿を空にして。それでもまだ私がそっぽ向いてるから、悲しそうに擦り寄ってくる。 「だって、だって。ボクの部屋、DVDなんてないし。観たかったんだもの、この前のステージを録画したの。三つ葉さんだったら、きっと撮ってくれてるって思ったんだ」 いや、DVDどころかビデオも、それどころかあの部屋にはTVもないでしょ? 冷蔵庫はちっちゃいのがかろうじて備え付けられているものの、中身は空っぽだし。押し入れもクローゼットも含めて、唖然としてしまうほどモノがない空間だったわ。しつこく誘われたから一度泊まりに行ったけど、あんな生活感のないとこは二度とゴメンだわ。窓を開けたら隣のビルの壁しか見えないし。 「まー、そりゃあ……一応ね」 実はちゃんと保存版に焼いてあるし、携帯の方にも録画保存してある。リュウにとって貴重な映像であるのと同様、私にとっても大切なものなの。だって、仮にも自分の彼氏がよ? あんなに格好良く映ってるのってたまらないじゃない。ウイッグとメイク、服装で人間あそこまで変われるものなのねえって呆れちゃうけど。 「ふふ、良かった〜っ! この頃、三つ葉さんチケット渡してもなかなか来てくれないし。もうボクのマジックなんて飽きちゃったのかなと思ってたんだ」 そのまま後ろからきゅーっと抱きつかれて。別に振り払うこともないだろうと思ってたら、そのままシャツのボタンを外し始めるの。 「駄目よ」 ぴちっと叩いたのは、彼の大事な商売道具。綺麗な手のひら、本当は触れることに未だにすごく緊張するの。だってこんなすべすべの肌に長い指、今まで出会ったことがなかったもの。 「お皿、洗って来ちゃうから待って。ついでに洗濯も―― 出してくれたら、リュウの分も一緒に洗っちゃうよ?」 じゃあ、やっぱりこれも脱がせちゃっていいね? ……そう言って私の手を振り解いた彼の指先は、TVの画面で見たそれよりももっと軽やかに輝いてた。
毎日当たり前に横切る遊歩道、通勤途中の私の前に立ちふさがったのが四つんばいの若い男。今日と同じ頭に張り付いた猫っ毛。私の足音に気付いて顔を上げた彼は、せっぱ詰まった形相で叫んだ。それが半年ほど前のこと。 「……駄目っ! これ以上、近づかないで!!!」 いきなり怒鳴られたことよりも、彼の言葉の不安定さの方が気になった。とりあえず、日本語。だけど何だか不思議なイントネーション。どこかのお国言葉ってよりは……そう、外国から来た人が片言の日本語をしゃべってるみたいだなって思った。 「え? ……何言ってるのよっ!?」 進行方向を塞がれちゃあ、こっちだって困るわ。それなりに時間には余裕を持って出てきてるけど、こんなところで油を売ってるほど暇じゃないんだから。 「あー駄目っ! 来ないでっ、こっち駄目!」 強行に立ち入ろうとしたら、彼はさらに身体を張って私の行く手を遮る。そしてほとんど涙目、というかそのまんま泣いてる目で私に訴えた。 「コンタクト、落としちゃったんだ! あれないと、仕事行けないっ。大変なんだ……!」 こんな場面に本当に遭遇するなんて、我ながら呆れちゃう。だけど、まあ……あんな目ですがられちゃったらやるっきゃないでしょう? 仕方なく私も「捜索活動」に協力参加、30分後に植え込みの根元でようやく発見した。指先にくっついたそれは海色のファッションコンタクト、いわゆる「カラコン」って代物。 「あっ、ありがとう! 本当にっ、本当にありがとうっ!!」 こっちはどんなに急いだところで完全に遅刻、それでもうれし涙にくれる彼にお礼を言われると悪い気はしなかった。 「じゃあ、私は急ぐから」 とにかく時間がないのだ。そう言ってそそくさと立ち去ろうとしたら、彼が慌てて追いかけてくる。 「あっ、……あのっ! お礼に、良かったらこれ。是非、来てください……!」 そして、指定された日時にホールに出向くと。妖艶な微笑みで私を迎えてくれたのが、長髪ウイッグと舞台メークで別人になってしまった「ベソかき男」だったのだ。
「嬉しいっ! 本当に見に来てくれたんだね……!」 終幕後。楽屋に案内されると、無邪気な笑顔が待っていた。 マジックショーなんて子供だましみたいなものなんだって思ってたのね、そのときまでは。だけど、違った。彼は本当にすごい。ほとんど無言のまま手振り身振りのみで進められるショウは、そこにいる観客全てを夢の世界にいざなっていった。もちろん私もそのひとり、全てが終わって会場が明るくなってもなかなか席を立つことが出来なかったほどだったの。 「彗星の如く現れた魅惑のマジシャン」―― 何とも胡散臭い肩書きだったが、彼は一切のプロフィールを非公開にしていた。本名も生年月日も国籍さえも、彼を真実を知る人はない。ショウを運営するスポンサーだって、確認してるのは携帯電話のナンバーのみだって聞く。 けどね。 出会ってからも、彼の人気はうなぎ登り。最初は口コミでお客が集まるだけのマジックショーだったのに、いつの間にか雑誌や各種メディアに取り上げられるようになっちゃって。あれやこれやのうちに彼の周囲が次第に騒がしくなってしまった。
誰にも内緒のふたり、私が「魅惑のマジシャン・リュウ」の恋人だなんて会社の友達も知らないよ。いろいろ騒ぎ立てられるのも面倒だし、それでいいんだ。こんな風になっちゃうと、かえっていらない詮索をされなくて良かったと思うよ……?
「三つ葉さんっ、……三つ葉さんっ!!」 その朝、彼が私の部屋のドアを叩いたのはまだ夜も明けきらない頃だった。 「ねえっ、開けて! 開けてってば、頼むよ……!!」 そんな大声で叫ばれなくても、私はとっくに起きていた。ううん、実際には一晩中起きてた―― 眠れなかったんだ。このまま居留守を使うことも出来たけど、ずっと騒がれたら近所迷惑になっちゃうし……で、仕方なくドアを開けたのね。 「あっ、あのっ……! あのっ、あのねっ、三つ葉さんっ! ……あのっ……!」 脱いだ靴が三足でいっぱいになってしまう玄関。そこに突っ立ったままで、彼はどうにか自分の意志を伝えようと試みてるみたいだった。でも言葉が、言葉が全然出てこない。 「―― なあに? こんな朝早くから、驚くじゃない」 慌てふためいてる彼に対して、私は自分でも驚くくらい冷静だった。さっきまであんなに揺れていた気持ちも、すごく穏やかになっている。 「私に何か言いたいことあるの? だったら、さっさと言えば?」 怒ってるわけじゃない、かといって会いに来てくれたことを喜んでいるわけでもない。どこまでも無機質な私の声が、そう広くない部屋中に響いた。 「あっ、あの……その。その、……嘘だから」 彼は一体、どんな私を想像してここまで来たんだろう。全くまとまっていない気持ちをどうにか引っ張り出すようにそこまで言って、手にしていたしわくちゃの雑誌を突き出す。この表紙、知ってる。そこのテーブルの上に乗ってるのと同じだわ。発売日が今日なのに、こんなにぼろぼろにしないよ、普通。 「わざわざそんなこと言いに来たの? 話が済んだらもういいでしょ、帰って。リュウは人気者なんだから、どこで誰に見られてるか分からないよ。朝ご飯くらいごちそうしたいけど、今は無理。私まで巻き込まれたら迷惑だし、もうここにも来ないでね」 「……え、でも……」 わずかばかりの段差で、私たちの目線はほとんど一緒だった。信じられないよって顔のリュウが、目の前にいる。大好きな綺麗な瞳、舞台メイクなんてしてなくても完璧に整った顔立ちだと思ってた。そして、舞台に立った彼よりも、私ひとりに微笑みかけてくれるそのときが好きだった。 「素敵な彼女じゃない、どうぞお幸せに」 ちがう、って言い掛けた唇が凍り付く。泣き虫なはずの彼が、一粒の涙もこぼさずに部屋を出て行った。
写真情報誌の記事は、笑っちゃうくらいありきたりのツーショットだった。 多分、周りには他のスタッフや仲間たちがたくさんいたんだろうに、さもふたりきりの密会のように撮られている。リュウのお相手として紹介されてたのは、今人気沸騰中の女性タレント。元はファッション誌のモデルだったのが、今ではドラマからバラエティーまで手広くこなしてる。もちろんすっごい美人だけど教養もあって色気に走ってないことから、幅広い層からの人気を集めてるんだ。 「……同じ年なのにねえ、こんなに違うんだもんな」 私が短大を出て、就職難のご時世にようやく派遣で仕事に就いた頃。彼女はもう、ファッション雑誌のグラビアを可憐に彩っていた。そしてさらに五年、同じ仕事をただ繰り返していた私と「お茶の間アイドル」になってしまった彼女。そもそものスタート地点が違うと言えばそこまでだけど……でもねえ。 ふたりが映ってるショット、すごくお似合いだった。自分でも不思議なくらい嫉妬とかそう言う気持ちが湧いてこなくて、ただただ「素敵だなー」とかね。きっとね、その前からずっと、いつの頃からかはわからないけど考えていたんだと思う。どうして、私がリュウの側にいるのかなって。あの偶然がなかったら、出会わなかったのに。いつでも終わりになることは出来たのにって。 どうしてリュウが私に会いに来てくれるのか、別に他の人でもいいのにって考え始めたりして。一度そういうの思いついちゃうと、もう駄目なのね。一緒にいるのは楽しくても、きっと終わりがくるって考えるようになってた。だから、そうなったときに嫌な最後にはしたくないって。楽しかった思い出がずっとずっと残るような別れ方がしたいなって思った。 しばらくして、私の誕生日があってね。 いつもなら友達たちがパーティーをしてくれるんだけど、今年に限ってみんなの予定が合わなくて。だからひとりぼっちでその日を迎えることになっちゃったんだ。別に普段はどうでもいいけど、そう言う日ってひとりが辛くない? だから、リュウを誘ったの。理由なんて言わないで、ただ「ご飯食べに来ない?」って。 「リュウ、大好きっ!」 思わずそんな言葉まで飛び出しちゃった。彼、すごく驚いた顔してたわ。だけど、……その後すごくすごく嬉しそうな笑顔になって、そして言ってくれたの。「ボクも、ボクも三つ葉さんのことが大好きです」……って。 「今夜は帰らないでね」 そう言ったら、リュウはその晩本当に帰らなかった。私のこと、とても大切な宝物みたいに抱きしめてくれて、たくさんたくさん、数え切れないほど「大好き」と言ってくれた。
あのときの気持ちをいつまでも大切にしたい。私の、私だけのリュウがずっと心に残ればいい。国民的なスターになってしまったリュウは、もう私とは関わりのない遠い人。私じゃなくても、リュウのいいところを知ってる人はたくさんいる。だから、もう平気でしょう……? リュウのためにご飯を作るのは大変だったんだよ。だって、リュウは本当においしいものしか食べないから。有機栽培の野菜に、自然放牧のお肉。お米だってパンだって、それはそれは気を遣った。それでも私が注意しないと、緑の葉っぱばかりを食べて終わりにしちゃう。本当に駄々っ子で手が掛かるばっかりだった。 空っぽだった、全部空っぽだった。
本当に久しぶりに、その声を聞いた気がする。最初は空耳かと思った、それくらい現実に思えなかったんだ。 「……」 残業した帰り道、時間は十時を回っていたと思う。初めて出会った通勤路、駅から歩いて五分くらいのその場所に彼は立っていた。あの朝別れてから、ひと月? それとも三月? 寂しさを紛らわそうと必死になってたら、自分の中の時間感覚もおかしくなってる。 「これ、渡そうと思って待ってた。部屋には行っちゃ駄目って、言われたから……」 もしかしたら、彼がここに来たのは今夜が初めてじゃないのかも知れない。少し端の曲がった洋封筒を手にしたとき、何故だがそんな気がした。ご大層に蝋の封緘までしてある。すっごい凝ったことをするんだなあとか思ってた。 「……その。ステージ、見に来て欲しいんだ。―― 最後だから」 驚いて見上げたその輪郭が、ひどくやつれていた。 「帰ろうと思って、師匠のところに。ボクのパパみたいな人なんだ、マジックのこともその人に教わった。約束は守らなくちゃ駄目だものね、事務所と契約した分が終わったらおしまいにしようって決めてた。もうこれ以上は駄目、ボクが空っぽになっちゃう」 初めて聞く話だった。もっともっと訊ねなければならないことがある気がするのに、どうしても言葉が浮かばない。 「帰るって、どこへ?」 ようやく私が言葉を発したのがそんなに嬉しかったのかな。彼は今まで見た中で一番綺麗な笑顔になった。 「アメリカ、ロサンジェルス。とっても素敵な街なんだ、あの空の色を三つ葉さんにも見せたいな」
リュウのマジックは今時のハイテクっぽい技巧はひとつもない。よく言えば古典的、悪く言えば使い古されたネタばかり。それでも、彼の手に掛かれば全てが夢の時間になる。 「最後だから」と彼は言った。でも各種メディアにはそんな情報はない。私を舞台に呼ぶために口から出任せを言ったのだろうか。でも……それでも、今夜だけは会いに来なくてはと思った。 ステッキから花束が飛び出して、客席から歓声が上がる。それに応えるのは満面の微笑み。その視線が、私を捜しているような気がして胸が高鳴る。そんな、……そんなはずないのに。リュウだって、今夜のチケットは私への「お礼」の気持ちなんだよ。ただそれだけなんだから。 「ミナサン、オテモトノカードヲ、ゴランクダサイ」 にわかに客席がどよめく。それもそのはず、普段は無言のままで演じ続けるリュウがいきなり観客に呼びかけたのだから。片言の柔らかい響きが、そのまま胸に染みこんでいく。もしかしたらこの声を聞くのも「最後」になるのかな? ああ寂しいな、私は明日からちゃんと生きていけるかな……? 「ボクハ、イチマイノカードニメッセージヲカキコミマシタ。ヨークミテクダサイ、カカレテアルノハドチラノカードデスカ?」 波のようなさざめきが続く。暗い場内で皆は自分の手にした入場券代わりのカードをじっと見つめたり透かしてみたり。中には息を吹きかけて変化をうかがっている人もいた。 私もひとりだけぼんやりとしているわけにも行かず、とりあえず白い紙切れを見つめている。何も浮かんでくるはずはない、そんなの分かってる。でも、……やっぱりこのまま離ればなれになってしまうのは嫌だ。もう一度、きちんとリュウの心と向かい合いたい。
やっぱり好き、もう逃げたくない。リュウが好き、一番好き……!
目の前が涙でかすんで、次の瞬間に何も見えなくなった。そして再び目を開けたとき―― 信じられないことが起こっていた。 「―― え……?」 膝の上に、温かいものが乗っている。軽くて、小さく震えていて。白い固まりに見えたそれは、よくよく眺めると片手に乗るほどの小さなウサギだった。 「ミツバサン?」 舞台の上から彼が私の名を呼ぶ。目が開けられないほど眩しいのは私自身にスポットライトが当たっているからだ。周囲の観客たちもこれをマジックの続きと思っているのだろう、幸運を当てた私に羨望の眼差しが集まる。やだな、こんなに注目されて。あまりに恥ずかしくて溶け出してしまいそうだ。 「ソレハボクノキモチデス、ウケトッテクダサイ」 そ、そんなことを言われても……どうしたらいいんだろう。ちゃんと事前の申し合わせもしてない、彼には彼の考えがあるのだろうけど、もしも私の反応ひとつでショウが滅茶苦茶になってしまったら大変。ああ、どうしたらいいの、何をしたら正しいの……っ!? 「……ミツバサン……?」 カチンカチンに硬直したままでいたら、もう一度名前を呼ばれた。舞台の上から私を見つめる不安げな瞳。そんな目をしないでよ、私まで泣きたくなっちゃうじゃない。ああん、どうしろというのよっ。 もう一度、膝の上のウサギを見る。いきなりこんな場所に連れてこられてびっくりしてるんだろう。一体いつどこから出したのよ、こんなもの。それが分からないから「マジック」なんだろうけど、やっぱり変だよ。つぶらな瞳が私を見上げる。揺れる口元、まるで「寂しいよ」って言ってるみたい。うん、寂しかった。私だって、とっても寂しかったよ。 「……リュウ……!」 心許ない小さなぬくもりをそっと抱きしめた。それはリュウの心であり、そして私の心だと思った。だって、そうだよ。出会ったときから、何だか特別だったふたり。いくらリュウが世間で騒がれるような存在になったからって、それが何を変えるわけでもなかったんだ。
―― そしたら。 再び、目の前が白くはじけた。今度はもっと大きく。そして次の瞬間、またも信じられない光景が私を包んでいた。 「……え? えええっ!?」 突然頭上から紙吹雪、さながら真冬の豪雪地帯のようにあとからあとから降り注ぐ。このままじゃ私、雪だるまみたいに真っ白になっちゃうよ。そう思って自分自身を見たら、何と何と……何とっ!? 「―― ミナサン」 慌てふためく私にではなく、リュウは会場のお客さんたちをぐるりと見渡しながらゆっくりと話しかける。 「ボクノハナヨメガミツカリマシタ、コレカラフタリデタビニデマス。ソレデハサヨウナラ、マタアウヒマデ」 割れんばかりの拍手、そしてそれを上回るどよめき。 呆然と立ちすくむ私は、いつの間にか純白のウエディングドレス姿になっていた。いくら何でもこれはないだろう、そう思いたいのに舞台の上のリュウは悠然と微笑んでいる。
会場が暗転する、その一瞬前。 彼は小さなウサギをその手に抱きしめながら、にこやかに私を手招きした。 おわり。 (070709)
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お題提供◇小鳥様(サイト・楽園の小鳥) ひさびさにゴーッと一気書き。半日で原稿用紙30枚は、私としてはかなりのハイペースです(笑) |