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49.ルームメイト


 辺りを満たす温かい春の気。柔らかな天からの光に照らし出されたその場所は、竜王様の御館への大通りであった。

  普段から人通りの多いことで知られているが、今の時期は特に往来の混雑が激しい。何故なら春は年に一度の大がかりな配置転換、それに伴う人事異動が執り行われ、各地から新しく配置につく者とお役目を終えて故郷に戻る者が一気に入り乱れることになるのだ。
  ことにこの大通りは各種土産物屋や宿屋などが軒を連ね、熱心に品物を選ぶ者や物珍しいからただ覗いている者まで人足が途絶えることなく方々の軒に溢れかえっている。

「……まあ、騒々しいこと」

 胸の内だけに留まらず思わず口をついて出てしまったぼやきであったが、幸い周囲に彼女の言葉を気にとめる者はなかった。人が多いだけならまだいい、それくらいは故郷の祭りなどでもよく見かける光景だ。しかし、決定的にそことこことが違うことは―― この地にはあまたの土地から集まった様々な人種が入り乱れていると言うことだろう。
  瑠璃が育った北の地は、黒髪に黒い瞳で白い肌を持つ民ばかりが住まっている。他の人種との交わりを極端に嫌い、同種族の中のみ縁づくことを繰り返し過ごしてきた。我らこそが気高い民族だと教えられ、それを彼女自身も疑うことを知らずに来た。まさか、このような状況に置かれることになるとは思っても見なかったから。

 艶やかな黒髪はすでに腰に届くほど。もちろん、毎日の手入れは欠かさない。こうして都に上がることが決まった暁には、集落の皆から餞別として使い切れないほどの香油を贈られた。
  都で竜王様の御館にお仕えすると言うことは、何人にとってもこの上ない幸運であると言われている。ましてや、瑠璃の実家は「北の集落」青の一族の中でも分家筋になる家柄。そうなればとても都に上がれるような身分ではなく、このような巡り合わせは奇跡とも言えよう。

 ―― でも、そのようなこと。少しも嬉しくはないわ。

 すぐ脇を、同じ年頃の女子たちが頬をバラ色に染めながら隣を過ぎていく。キラキラと星を瞬かせた瞳、これからの出仕の日々に彼女たちは特別の希望を抱いているのだ。それは瑠璃から見れば、とんでもなく浅はかなこと。どうして竜王様の御許に出仕する身の上でありながら、未来の伴侶捜しにうつつを抜かせるというのだ。とんでもない不届き者としか言いようがない。
  そう言う気持ちでいると、女子だけでなく若い男たちまでもが卑しい者のように思えてくる。彼らはどこかに好みの女子がいないかと、あちらこちらを物色して回っているのではあるまいか。いや、「好みの者」を探すならまだいい。後腐れのないその場限りの付き合いを出来る軽い相手を探している場合もあるかも知れない。
  甘い言葉で女子をその気にさせて楽しんだ後、いよいよ帰郷という話になり「実は里には親の決めた相手が」などと逃げ出す男も多いと聞かされている。出仕している殿方の全てが全てそのような心づもりでいるとは信じたくないが、用心に越したことはないと古からの戒めの話なのであろう。

 金色の髪の女子が過ぎていく。真っ直ぐではなく少し癖の入った巻き髪。あれは「南峰の集落」の民の特徴で、あまりに髪質が柔らかいためどんなに伸ばそうとしても上手くいかないのだと聞く。男子の中にもそう言うわけで巻きの強い髪の者が多く、それが彼らの悩みの種だと言われていた。
  その後には濃いめの茶色の髪。この種族は、西南の集落の中でも西の方、様々な民が行き交う街道沿いの集落に多い。他民族との結婚を繰り返した結果、辿り着いたのがどこの者とも区別の付かない彼らのような姿であり、そのような理由から「北の集落」の民には特に嫌悪されていた。
  瑠璃自身は彼らを側に見たからと言って毛嫌いするほどのことはないと感じていたが、とはいえかの者たちの肩を持ち頭の固い里の年寄りたちの気持ちをなだめる気にもなれない。話をされれば黙って聞くだけであった。
  銀色の髪は「西の集落」の民、そしてもっとも多くひときわ目を引くのが朱色の髪を持つ褐色の肌をした「西南の民」であった。血の気が多く何かというと諍いを起こすというのが定説で、その形相から「赤鬼のようだ」とも言われている。これから出仕する竜王様の御館のひとつ「南所」では、この朱色の髪の者たちが特に多く仕えていると聞く。それも気が重い理由のひとつだ。
  同じことなら「北の集落」の民の多い「東所」へ行きたかったが、こればかりは仕方ない。もともと他の村で欠員が出たため、なかなか希望に見合う者が見つからずに瑠璃のところまで話が回ってきたのである。だいたい下々の者がお仕えする場所を選べる訳もないのだ。

「いいの、わたくしは他の皆様とは違うのだから」

 自分自身に言い聞かせるようにそう呟いたが、やはり雑踏の中で瑠璃の声に気付く者などなかった。

 

 瑠璃は同じ一族ばかりが集まる小さな村で生まれ育った。そこには「北の集落」の民であるだけではなく、その中の一派・青の一族のそのまた分家筋の家柄の者たちが集い、ひっそりと秩序を守りながら暮らしている。華やかな暮らしなど望むべくもなく、ただ生まれながらに自らに与えられた使命を全うするためだけに生きることを望まれた。
  瑠璃の実家は代々多産の家系で、それを理由にこの家に生まれた女子は年が合えば村長の家に側女として上がることに決まっている。世継ぎとなる御子を授かれば正妻と同じほどの扱いにされるし、そう悪い話ではなかった。正妻が身罷った後は、それに準じる立場になる場合もあるという。
  そう言う身の上を当然のこととして育った瑠璃にとって、生まれながらに婚約者がいるという自分の立場を特殊だと思ったことはなかった。しかしまた、自分たちのような血族婚を繰り返す一族を奇異の目で見る者たちも多いことを知っている。実のところ、やがて嫁ぐことになる相手のことを瑠璃自身がよく知らないのだ。だがそれも、たいした問題ではない。

 自分自身に絡みついた理不尽な鎖の意味など知らないで生きてきた。そう―― 「彼女」と出会うその日までは。

「こんにちは、初めまして」

 竜王様の御館にお仕えする侍女たちは、女子寮に住まうこととなる。その話は里を出る前に聞いていた、そして相手も出身集落や種族に関係なく適当に振り分けられると。

「こちらこそ、……およろしくね?」

 温かな春の日だまりを思わせる笑顔、ついつい見入ってしまって上手い受け答えも出てこない。

 竜王様の御館「南所」の侍女としてお仕えして数日。与えられた寮の一室で、ひとりきりで寝起きしていた。寮を使う侍女の数が奇数で丁度ひとりあぶれてしまったのだろう。もしもそのままであったら、気楽でいいなと思っていた。
  寮母に手招きされてそちらに向かうと、その傍らに女の童と見まがうほどのこぢんまりとした女子が隠れていた。燃えるような赤毛、深い緑の瞳。この者が「西南の集落」生粋の血筋であることは間違いない。しかし対面しても不思議と嫌悪の気持ちは覚えなかった。

「あなたもご存じでしょう。昨日、西南から新しい乳母様がご到着されましたね? 里にいた頃はその御方の侍女をしていたのだそうです。乳母様の新しい居室(いむろ)は手狭ですし、こちらで部屋を準備することになりました。丁度あなたの部屋がおひとりだったので、ご一緒にお願いします。いろいろ教えて差し上げてね」

 用件だけを言い終えると、忙しい寮母はさっさと自分の仕事に戻ってしまう。あとにはふたりきりで残されてしまい、途方に暮れた。

「……あのう……」

 初めに口火を切ったのは、相手の方。小さな包みをひとつだけ大切そうに抱えて、こちらを見上げている。どこまでも愛らしく、あどけない表情。期待と不安がそこから素直ににじみ出ている。

「私、柚羽と申します。その、都は生まれて初めてなので……とても緊張してしまって……」

 そんなこと、わざわざ説明されなくても丸わかりだ。その顔には大きく「私は何故このようなところにいるの?」と書かれているようである。

「わたくしは瑠璃と申します。これからよろしくお願いします、柚羽様。同室の者として仲良くしましょうね」

 数日でもこちらの方が「先輩」になるのだ。そう思って、必死に気合いを入れる。

 この場所にお仕えしてから、覚えることの膨大さに気が遠くなりそうな気分でいた。他の先輩方は難なくこなせることが、自分には難しすぎる。やはりこのようなお務め、荷が重すぎたのではないか。実家で静かに花嫁修業を続けていた方がどんなにか気楽だったことかとすでに後悔し始めていた。

「は、はいっ! こちらこそ、ですっ!」

 ではお部屋に案内しましょうと告げると、彼女は嬉しそうに後に従った。

 侍女の独身寮は竜王様の御館の一角にある。侍従のそれが御庭の表に造られているのとは対照的であった。やはり大切な娘子を預かる立場にあると言うことで、様々な気遣いがなされているのであろう。
  地方に比べ、都はことに若者たちが開放的で使用人同士の恋愛も特に禁止されてはいなかった。表通りにはそれようの一夜宿まで設けられているというのだから驚きである。しかし、何事にもやはり秩序は必要。あまり乱れすぎてしまっては都の、そして何より竜王様の品格に関わってしまう。

「こちらは男子禁制になっております。先ほどからすれ違うのは女子様ばかりでございましょう?」

 何気なくそう告げると、彼女は神妙に頷いている。間に合わせなのか少し大きめではあったが、品の良い肌色に似合った衣をまとっている。多分、彼女のお仕えしていたという新しい乳母様が用意してくださったものなのだろう。

「お、驚きました! こちらには本当にたくさんの方がいらっしゃって、それで皆様目映いほどにお綺麗で……! 私、この先やっていけるのでしょうか? 上手くいかなくて、里に追い返されたらどうしよう……!」

 確かに自分も数日前に同じようなことを考えた、と瑠璃は思った。しかし、それをあえて口にして誰かに聞かせることはなかった。
  思ったままの感情を口にすることは、女子としてとても恥ずかしいことだと里では聞かされている。何かを考えても、全てを押し黙ったまま流して行かなくては女子としての立場は務まらないのだ。

 しかし……目の前の赤毛の女子を見ていると、今まで必死に制していたそれが少しもみっともないことではないような気がしてくる。自分でもとても不思議な感情であった。

「そ、それに……こんなに広い御館で迷子になってしまったらどうしましょう? どこも似たような渡りで、すぐに分からなくなってしまいそうです。瑠璃様は……どうして迷わずに歩くことが出来るのですか?」

 思わず吹き出しそうになるのを、瑠璃は必死で堪えた。何故、いちいちこのようにおかしなことを仰るのだろう? このような方、今までお目に掛かったことがない。里にも大人ばかりで同じ年頃の仲間も皆無であった。

「それは、……だいたいの場所の目星はつけておりますから。あとは人の通りの多い方に従って歩けば、わたくしどものお仕えする次期竜王・亜樹様の『南所』はすぐ分かりますわ。あそこは今、一番人も多く賑やかですから……迷うことはないと思います。戻りは、宜しければわたくしがご一緒しましょう。着任してしばらくは宿直のお務めもないというお話ですし」

 そう告げると、彼女の頬にうっすらと花の色が差した。

「良かった! 同室が瑠璃様のようにお優しい方で。私、瑠璃様にご迷惑をお掛けしないように頑張りますね!」

 寮の造りはどこも同じようなものだ。ひとつの扉を入ると中央に可動式の衝立があり、左右に足付きの寝台とささやかな物入れがある。正面には美しい中庭を楽しめるように大きな窓があった。そこに好みの布やすだれを掛けて、楽しむのである。

「あ、あのっ! ……瑠璃様、いいですか?」

 女子同士でそんなに遠慮することもないのに、彼女は衝立の向こうから恥ずかしそうにこちらをうかがっている。

「これ、宜しかったらどうぞ。お友達の印に受け取ってください」

 差し出されたのは、深い青を基調とした美しい飾り紐であった。彼女の寝台の上には他にいくつもあり、その中から一本を選んでくれたらしい。

「まあ、このように高価なもの。宜しいのですか?」

 手にしっとり馴染む丁寧に造られた織りである。瑠璃の生まれ育った里にはこのような飾り物を好む風習はなかった。もちろん手にしたことはあるが、あまり馴染みのない品である。

「はい、あまりに美しくて思わず求めてしまったのですが、私にはちっとも似合わなくて。瑠璃様の御髪ならきっとよくお似合いです。瑠璃様、髪がとてもお綺麗。特別の香油などお使いなのですか?」

 自分はふわふわの猫っ毛で、いくら梳かしてもすぐにこごってしまうのだという。確かに言われるとおり、十分な手入れがされているとは思えない仕上がりであった。

「ええ、北には良い品がございますのよ。それに手入れには順番もありますの。そうですね、これからは毎日ご一緒にしましょうか」

 髪を美しく整えて綺麗に着飾ったところで、自分には何の価値もないことだと心のどこかで諦めていた。だが、どうしてだろう。彼女を見ていると、忘れかけていた感情が湧き出てくる気がする。誰のためでもない、自分のために。自分の明日のために生きてみるのも良いのではないのだろうか。少なくとも、ここに居る間だけは。

 そのとき、己の心の中に芽生えた新しい希望に瑠璃はまだ気付いていなかった。でも窓の外に見える風景が、今朝までとは確かに違う気がする。新しい友、新しい生活。煩わしいしがらみも全て忘れて、しばらくは思い切り羽を伸ばすことが出来るのだろうか。そうであって欲しい、いつかは全てが思い出に変わってしまうとしても。

 

 ―― 物語が始まるのは、もうすぐ。

了 (070710) 

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お題提供◇湯月透様(サイト・Lover Soul
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「秘色語り夢」の舞台になる海底国、
竜王の住まう地「都」には各地からたくさんの有能な人材が集まってきます。
春は年に一度の人事異動・役職の入れ替えの季節。新しく「南所」の侍女となったふたりを書いてみました。
様々な成り行きで皆「都」に上がってきます。「お務め」ではありますが、その一方で人材育成の一面もある都仕え。同じ年頃の集団生活なんて、ちょっと「学生寮」っぽいですね。