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〜こうちゃんと花菜美・3〜

…1…

 

 天災は、忘れた頃にやってくる。

 そうは言うけど…今朝の出来事はまさにその通りだった。

 

「もしもし、花菜美ちゃん…? あのね、今、駅」

「…ふが?」
 実は私は歯磨きの真っ最中だった。歯ブラシをくわえたまんま、声にならないうめき声を上げていた。

「…ひょ、ひょっと…まっふぇ…」
 そう言いつつ、受話器を置いて慌てて洗面台に走る。
 どうにか口をゆすぐとタオルで口元を拭いつつ電話に戻る。

「…で、駅って? ママの話は要領得ないから、困るんだよね」

「ううんと…花菜美ちゃんのアパートの近くの駅。今着いたの…」
 受話器の向こうからママがのほほんとした声で答える。

「…は?」
 聞いてないよ、田舎(とは言っても同じ関東ではあるが)から出てくるなんて。
 留守録にも入ってなかったし、ファックスだって来てない。

「でね…ここ、たくさん同じような建物があって…ママ、花菜美ちゃんのアパートが分からなくなっちゃったの。ちょっと出てきてくれる?」

 ええ〜っ!? 待ってよ、今日は久々にこうちゃんとの日中デートなんだよっ! 半月ぶりなんだから。
 それに今週はこうちゃん、仕事がものすごく詰まってるとかで電話で5分しか話してない。

 ふと左側の窓から私に降り注いだ朝の日差しが照らし出すものを見た。…私の左手の、こうちゃんがくれた指輪。あれきり、また1ヶ月半が経過して。年末とお正月を越えて。私とこうちゃんの間には何の進展もない。それどころか年末はこうちゃんの仕事がらみのスキー、そして入れ違いで私は帰省しちゃって。何と半月近く離ればなれになっちゃったんだ。

 曲がりなりともダイヤモンドの入った指輪を渡してくれたのだ、これはエンゲージリングだよね? そもそも婚約指輪は結納で交わすものかも知れないが、恋愛の場合はそんなこともないだろう。女の子がバレンタインにすべてを賭けるように、男だって1つの指輪に託すものがあるんじゃないだろうか。

 

 将来を誓い合った恋人たち、次にやってくるのは…双方の家族への紹介と承諾。ドラマで何回も見てきた。
「お嬢さんを僕に下さい」と言う奴…う〜ん、一生に一度は経験したい(もっとも何回も経験する人は少ないと思うけど)。
 こうちゃんのご両親は他界されているので、家には弟さんたちしかいない。とりあえず、彼らは私の存在を知っているらしい。

 対して。

 私は年末に帰省するとき…指輪を外していた。寂しいからバッグには入れて置いたけど。
 半月以上、指になじんだそれを外したとき、こうちゃんの気持ちが見えなくなった気がした。

 お正月に…実家に一緒に行こう、と、どうして言ってくれなかったんだろう。
 89%くらい期待したんだけどな。聞く前にスキーに行っちゃったから。

 指輪だけして戻って、家で騒動になるのも嫌だったし。

 

 お正月が終わって、ご飯を一度食べたきり…こうちゃんには会えずにいる。
 でも電話の向こうのママの声を聞くと…このままにしておくのも可哀想だ。それにママにはちらっとこうちゃんのことを話した。紹介するのもいいかも知れない。

「…じゃ、駅前の喫茶店、あるでしょう? そこで待っていて。支度して…30分はかからないと思うの。人を連れて行くけど…大丈夫だよね?」

「それで…花菜美ちゃん。こっちも実は…」

「花菜美ィ〜〜〜〜!!」
 いきなり耳をつんざくような声が響いた。電話越しなのに部屋中に反響している。

 もう少しで。

 受話器を落っことすかと思った…。

 ゆっくりとつばを飲み込んだ私は…かろうじて体制を立て直し、声を絞り出した。

「…ゴンちゃん…!?」


 

「…どうしたの? 改札出てくれって…何かあった?」
 自動改札を抜けてきたこうちゃんはグレイのコートのポケットに定期入れをしまった。お正月に合わせてちょっと短めに切りそろえたらしい髪の毛が少し伸びて普通に戻りつつある。

「…うん…」
 何と言ったらいいのだろう? 不意打ちだと思われるかも知れない。
 またドタキャンで逃げられるといけないから、携帯にかけたときには正直に言えなかった。

「仕事場で何かトラブった? それだったら、一緒に行こうか?」

 言葉少なに俯いた私にこうちゃんは全く別の想像をしていた。…その時。

「花菜美〜〜〜!!」

「…あれ、もしかしてみどりさん? どうして彼女がここにいるの?」
 こうちゃんはまたも目をぱちくりとさせている。予期せぬ状況が次々に起こっていく。

 みどりちゃんはそんなこうちゃんにお構いなしにタクシーを降りると、カツカツとヒールを鳴らしてやってきた。ふわふわのリアルファーが長い首を綺麗に包み込むカシミアのコート、Aラインの定番の形だけど太めの共布ベルトでウエストをきゅっとマークしているところが今年っぽい。
 昨シーズンから着ている自分のオフホワイトのコートがちょっと悲しかった。

「もう、花菜美ってばあ〜いきなりでびっくりよ〜慌てて支度して飛んできたわ!」
 そう言いつつ、コンパクトを開いてまつげの辺りをチェックしてる。

「こんなで、いいかしら?」
 大輪のバラの様に微笑むみどりちゃん。彼女はちょっとオリエンタルな魅力のある美人だ。さらさらのストレートをかき上げると、こうちゃんの方を向いた。

「…大泉さん、ご無沙汰してます」
と、言ってもこの2人は1,2度、立ち話をした程度の面識だ。

「は、はあ…どうも」
 事態を一人、飲み込めてないこうちゃんはしどろもどろに対応した。

「あ…あの、今日は…一体どういう…」
 こうちゃんがどうにか切り出した駅前ロータリー…そこに次の瞬間、絶叫が轟いた。

 

「花菜美〜〜〜〜!! 会いたかったぞ!!」

「きゃああっ!」

 がばっ。

 振り向きざまにいきなり抱きつかれた。

 身動き取れずにバタバタしていると、ぱっと腕が解かれる。

「…これはこれは…みどりちゃんじゃないですか! いつもうちの花菜美がお世話になってます! 相変わらずのべっぴんさんですな〜目の保養になりますわいっ!」

「どうも〜」
 両手を捕まれてぶんぶんと振り回されても、にこにこと対応する辺り…凄い根性だ、みどりちゃん。

 ボーっと感心していると、背後から声が降ってきた。

「…あの…水橋。俺、良く状況が分からないんだけど…お父さん?」
 耳元にこそそっと訊ねてくる。私たちの視界の先にはみどりちゃんに狂喜乱舞している中年男性の姿があった。グレイ、と言うよりもシルバーに近いスーツを着込んで黒い髪をポマードで艶々と後ろに綺麗に流している。
 どこかを間違えた村議会議員…と言った風貌だ。

「ううん」

 覚悟を決めた。

「…パパは…あっち。これは…おじいちゃん」

「え? …嘘」
 無理もない、どう見ても50代だ。あっち、と指さした方向には…心配そうにおろおろしているママとパパがいた。

 

 

「…ごめんね、花菜美ちゃん」
 みどりちゃんにゴンちゃんを連れてちょっと席を外して貰った後…ママがすすすっと近寄ってきた。ソバージュの髪はオレンジのカラーを入れて肩でふっつりと揃えてある。

「パパとママ、今朝の4時半に叩き起こされたの…ゴンちゃんがいきなり…花菜美ちゃんに会いに行くんだって聞かないから…」

「それは…」

 思わず、息を飲む。
 夫婦の寝室に乱入する爺ちゃん、凄い場面だ。しかも4時半…今の時期は真っ暗じゃないだろうか…。

「あ、あのっ!」
 傍らに突っ立って、口をポカンとしていたはずのこうちゃんが突然、改まった声を出した。

「…お父さん、お母さん…初めまして、大泉です」

 きゃ、営業用の格好良さだ! 思わず後光が差しているかと思っちゃった。
 うるうるしちゃうよ〜とても嬉しい。こうちゃん、逃げないで挨拶してくれるんだね…。

「まああああ…」
 158cmの私よりさらに8cm小さいママはのけぞるようにしてこうちゃんを見た。
 さながら大人と子供のような対比。

「ねえ、パパ。この方が…」
 つんつんと袖を引っ張られた170cmのパパは180cmのこうちゃんを首をそらして見上げていた。

 でも。

 次の瞬間…お互いに顔を見合わせた2人の表情がふっと曇った。

 そしてどうしたことか…ママは110度に腰を折って、叫んだ。

「ごめんね!! …花菜美ちゃん、大泉さん…実は」

 しかし、ママが何か話し出す前に、また「彼」の「絶叫」が辺りに響き渡る。

「うおおお、楽しいのう〜みどりちゃんとデートしていると心が躍り出すようじゃ…みんな、このことは豊子さんには内緒だぞ!」
 大股で戻ってきたゴンちゃんは似合わないウインクをみんなに投げた。

 豊子さん、というのは…言うまでもなく、ゴンちゃんの奥さんで、パパのお母さんで、私のおばあちゃんだ。きっと今日は留守番なんだろう。

「…お、そうそう。茜ちゃん…今、何時じゃ?」
 で、茜ちゃんはママのこと。

 いつの間にかゴンちゃんはみどりちゃんとしっかり腕を組んでる。
 みどりちゃんはこちらを見て、苦笑しているけど…嫌がっている風でもない。

「…ええと、11時半になりますが…」

「おおっ!! …それは、いかんいかん…」

 ゴンちゃんは頭をがしがしかいた。生え際がちょっと白い。ゴンちゃんは禿げなかった代わりに白髪なのだ、でも2週間に一度染めているので、黒黒している。

 よくパパと兄弟に間違えられるし、ママはゴンちゃんの奥さんにされてしまう。

 背筋をピンとのばして、入れ歯のひとつもない歯医者知らず。はっきりした物言いは現役で田舎の農協の組合長だ。しかも県の組合長会長もやっている。そのほかにもトヨペットの会の県会長やら、地元ロータリークラブの委員までやっている。

「花菜美ちゃん、行くぞ…駅前ビルの展望レストランだ!」

 ぐいっと、腕を引っ張られる。パパとママはおろおろしている。

「あ、あの…レストランって…」
 慌てふためいて、腕を振りほどいた私にゴンちゃんは満面の笑顔で振り向いた。

「私が…花菜美ちゃんにぴったりの素晴らしい結婚相手を見つけてやったぞ! 先方はもうお待ちじゃ、早く行こう!!」

 …え?

 結婚相手…!?

 驚きのあまりパパとママの方を見ると2人はやっぱりおろおろしている。
 多分…今日は4時半からずっと、おろおろしていたんだろう…2人して。

「ちょっとォ〜ゴンちゃん…ただ、花菜美の顔を見に来たんじゃなかったの?」
 さすがのみどりちゃんも驚いている。

 私だって、寝耳に水だ。

「…何を、みんなで驚いているんだい?」
 当のゴンちゃんは涼しい顔だ。

「豊子さんが…花菜美ちゃんがこのままだとクリスマス・ケエキとやらになって、大変なことになると言うから…私が一肌脱いだんじゃ。…照れる歳でもないじゃろ? いい男だぞ〜」

 …ちょっとお…あの…

「待ってください!!」

 その声に、ゴンちゃんの話が一瞬、止まる。

「あのっ、…水橋、困ってるじゃないですか? どういうことなんです? 本人の承諾無く、勝手に話を進めて…」

 声の主は、…こうちゃん。
 ずいずいっと、ゴンちゃんの前に歩み出た。

 180cm・85kgの山のような姿を目前して、その時、ゴンちゃんはようやくこうちゃんの存在に気付いたらしい。
 ゴンちゃんは目を見開きポカンと口を開けて、しばし呆けていたが…やがてぽつりと言った。

「…ところで、あんたは、どなた…ですかな?」

 

つづく(011103)

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