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〜こうちゃんと花菜美・3〜

…2…

 

 ゴンちゃんが呆けていたのは何もこうちゃんの存在に恐れをなした訳ではない。
 ただ単に自分の視界にいるはずもない人間が出てきたので驚いただけだ。

 …でも最初からみどりちゃんとこうちゃんは並んで立っていたので、十分視界の範囲には入っていたはず。それに気付かないと言うことはどれだけゴンちゃんがみどりちゃんしか見えてなかったと言うことだ。

 

 ゴンちゃんの「べっぴんさん」発言は昨日や今日に始まったことではない。

 自分の姪に当時好きたっだ有名人さんのなんとか三枝子さんをそのまま名付けた経歴もある。弟の子供なのに名付けてしまう辺り、当時から爆裂していたらしい。その後、「せっかく、べっぴんの名前を付けたのにどうして美人に育たないのか?」と首をひねっていたそうだ。そんなことがまかり通るのであれば、世の中は美男美女ばかりになってしまうはずなのに、どうしてそれが分からないのだろう?  

 …それがゴンちゃんなのだ。

 

「…どなたさんか存じませんが、他人に口出しされるようなことはございませんな。これは水橋家の問題でありますんで」
 それだけ言うと、さっさと背中を向ける。

「…ちょ、ちょっと待ってよ! ゴンちゃん!」
 私は腕を掴まれたままだ。このままでは小柄な割に力持ちなゴンちゃんにずるずると引っ張られてしまうじゃないか。

「花菜美ちゃん、時間がないんじゃ。話は後で聞こう」

「後でって…そう言う問題じゃ、ないでしょ!?」

 …視界の向こうにいるパパとママ。相変わらず、おろおろしている。本当にあの人たちは私の両親なのだろうか? 誰か、この暴走を止めてよ〜〜〜!!

「…待ってください! おじいさん!」

 周囲の人間たちがあまりに頼りにならないことを察したのだろう。のんびりクマさんのこうちゃんが仕方なく仲介に出てくれた。

 だが。

 …次の瞬間。ゴンちゃんの動きがピキリと止まった。

 

「…お、おじいさん…じゃと? お前さん、おじいさんとは誰のことを言っとるんだね!?」

 くるりとこうちゃんに向き直ったゴンちゃんは地獄の閻魔大王もかくや、と言うほどの恐ろしい形相で睨んでいた。眉間には青筋まで立っている。ふるふると私を掴んでいた手が大きく震えたと思うと、ばっと放たれた。

 そのまま、それはこうちゃんのシャツの胸元をグッと鷲掴みにする。

 

「…誰に向かって言ったと聞いとるんだ!?」

「…は…?」
 ゴンちゃんが緊迫したムードで迫ってきても、こうちゃんは相変わらず落ち着いている。

「だって、あなたは…水橋のおじいさんなんでしょう? あなたのことを言ったに決まっているでは無いですか?」

 どどどーーーーんっ!!!

 ゴンちゃんの背後に。

 火山が10個ぐらいいっぺんに爆発した…様な気がした。

「誰が…じいさん…だと!?」

「誰がって、あなたのことに決まっているでしょう?」

「誰があああああっ〜〜〜〜!!!」

 ぶるん、とゴンちゃんの腕がしなって、こうちゃんのシャツを振り落とした。弾かれたようにこうちゃんが何歩か後ろに下がる。さすがに体型の差があるので、たいしたダメージはないらしい。

「…こうちゃんっ!!」
 私は慌てて駆け寄った。

「水橋…なんで、あの人は腹立てているんだ?」
 きょとんとしたクマさん目が私を見下ろした。怒りの表情はなく、ただただ、戸惑っていると言う感じだ。

 振り向くと、ゴンちゃんがさすがに歳には勝てないのか、肩で大きく息をしながらこちらを睨み付けている。

「あのお…こうちゃん」
 おずおずと説明する。

「ゴンちゃんに、『おじいさん』は禁句なんだよ…」

 

「え?」
 こうちゃんは私の言葉の意味が理解できないらしく、目をぱちくりさせている。
 すまない気持ちでいっぱいになって、そんなこうちゃんを見上げた。


 

 普通の人に理解できる次元ではないだろうけど… ゴンちゃんは私の『おじいさん』ではないのだ。

 ウチのパパは4人兄弟の長男。私はゴンちゃんにとって5人目の孫になる。パパの兄弟はみんな男でそれぞれに家庭を持っている。パパの弟に当たる叔父さんたち2人の方が先に結婚したので、孫の誕生もそちらが先だった。しかし…

 最初の従兄が誕生したとき、ゴンちゃんはまだ48歳だった。

 今でも頭を黒々と染めて50代でも十分行けそうな風貌なのだから、当時は『おじいさん』なんて形容詞が自分の存在を示すとは到底受け入れられなかったらしい。よって、片言でしゃべり出した従兄によって彼の『厳之助(ごんのすけ)』の名前を一部使って『ゴン』と言う呼び名が付けられた。どうもそう言うキャラが出てくるアニメが当時流行っていた、と言う説もある。

 普通に考えて『おじいさん』よりも『ゴン』と呼ばれる方がよっぽど恥ずかしい気もするんだが、ゴンちゃんはそんなこと気にしてなかった。

 私やお兄ちゃんは小さいころ家にかかってきた電話で、
「おじいさんはいますか?」
と、訊ねられるたびに
「ウチにはおじいさんはいません」
と、本気で答えていた。
 ゴンちゃんがパパのお父さんだと言うことは知っていたけど、『おじいさん』だとは思っていなかった。

 こんな攻撃を受けたのもこうちゃんが初めてじゃない。幼稚園のころ、よく遊びに来ていた近所の男の子が最初の被害者だ。いきなり家の外に追い出されて、泣いて家に帰ったため…パパとママと豊子さんは3人で菓子折を持ってその子の家まで謝りに行く羽目になった。
 その後も何度かそう言うことはあった。何故か全員が男の子だ。

 …それにも理由があるらしい。

 ゴンちゃんは自分の子供が全員男だったばかりか、私より先に生まれた4人の孫…従兄3人とウチのお兄ちゃん…も男だった。その上、私より年下の従弟もみんな男の子。ゴンちゃんの私への執着の原因はこの辺りにある。私の結婚式、新婦入場の際には自分が腕を組んで歩くんだと言って聞かない位だ。


 

「…花菜美…ちゃん、そんな輩から早く離れなさい」
 ゴンちゃんの怒りは頂点に達しようとしていた。

 怖い…あんまりにも怖い。子供のころなら泣き出していたかも知れない。

 でも、今の私はそこまでヤワではない。

「…嫌ですっ!」
 そう叫んで、キッとゴンちゃんを睨む。背後にはこうちゃん。

 対するゴンちゃんは私がいきなり反撃に出たので、一転して戸惑った表情。口をぱくぱくさせている。

「この人は私の大切な…」
 そう言いかけて、止まる。

 私の…何なんだ、一体? 
『婚約者』というのはちょっと気が早い気がする、『恋人』…と言う形容もいまいち。かと言って…『彼氏』…何とも煮え切らない表現だ。

 まごまごとしているウチにゴンちゃんの方はすっかり体勢を立て直してしまった。

「…ほお…」
 不敵に微笑みを浮かべて、こちらにすたすたと歩み寄る。ポマード頭が不気味なほどに光り輝いている。

「そう言うことですかい? この礼儀知らずが、花菜美ちゃんをたぶらかしているのだな?」

 …たぶらかす? ううん…別に何もたぶらかされてない気がする、残念ながら。

「…認めんぞ」
 腹の底から絞り出したような、不気味な声がした。あまりの重々しさに最初はゴンちゃんの発したものだと気付かなかったほどだ。

「え…?」

「花菜美ちゃんの相手は私が決める。花菜美ちゃん、こいつだけは駄目だ、絶対に認めん!!」

「ゴンちゃん! なんでそんなことを勝手に決めるのよ! こうちゃんに失礼じゃないの!」

 …横暴だ、あんまりにひどい。こんなことが21世紀の現代にまかり通ってなるものなのか!? 今時、親の言いなりになる人だっていないわよっ! …ましてや祖父の言いなりになるなんて…さすが、ゴンちゃんは戦前育ち。馬鹿馬鹿しいったら、ありゃしない!

 くるりと振り返ると、こうちゃんの方は大してダメージを受けた様子もなく、のほほんと立っていた。

 私と目が合うと、にっこりと微笑んでひとつ頷いた。

「…ご挨拶が遅れまして…私は大泉と申します…」
 あくまでも紳士的な態度を崩さず、こうちゃんは自分の名刺を取り出すとゴンちゃんに差しだした。

「ふん…学校教育課、教育企画室…何だ、藤村の子分か、大したこと無いな」

 藤村、というのは知る人ぞ知る我が県知事さんだ。多分、藤村さんの方はゴンちゃんのことを知らないだろう、でもゴンちゃんにとっては呼び捨ての存在になってしまう。

「あんたが、花菜美ちゃんをどう思おうと構わん。だが、それとこれとは別問題だ。花菜美ちゃんも、あんたとの付き合いなんて犬に噛まれたとでも思ってすぐに忘れることが出来るじゃろ? …今日のお相手は最高に良い条件なんじゃからな?」

 ぴたぴたぴた…こうちゃんから受け取った名刺を片手で持ち、もう片方の手の甲に軽く打ち付ける。

「花菜美ちゃんの人生は、花菜美ちゃん自身が決めるんじゃ。…そうじゃろ?」

 ひどい! …何てこと言うのよ! 何か言ってやってよっ、こうちゃん!!

 すがるようにまた振り向くと、相変わらずのほほんとしたこうちゃんと目が合う。

「…約束を破ったら、悪いんじゃないの? 行っておいでよ」

 

 …え? どういうこと!?

 

「ちょっと、それはないんじゃないの!? 大泉さん!」
 愕然としている私よりも早く、みどりちゃんが反応した。

「あんた、男だったら…決めるとこはガツンと行かないでどうすんのよ! 男でしょ!?」

「…でも」 
 こうちゃんはみどりちゃんの方を向くと静かに言った。

「出会いは色々経験した方がいいと思うんですよ、水橋のためにも…」

 その穏やかな口調にはみどりちゃんも更なる言葉を言うことが出来なくなったようだ。

 水を打ったような不気味に静かな空間に、正午の鐘の音が響いた。


 

「おお、水橋さん! お久しぶりです!」
 人の良さそうなおじいさんがこちらにニコニコと歩いてくる。真っ白になったまつげの下で細い目が笑っている。

「…そちらが、ご自慢のお孫さんですか。お噂通り、お可愛らしい…」

「寺島、遅くなって申し訳ない、とんだトラブルが起こりまして…いえ、もういいんですけど。で、お相手は? どちらですか?」
 ゴンちゃんも先ほどまでの殺気じみた気配もなく、上機嫌だ。

 2人のやりとりを自分には関係ないような気分で眺める。頭の中では全く違う思考が渦巻いてた。

 …こうちゃん、ひどすぎる。

 どうして、ゴンちゃんを止めてくれなかったのかしら?

 どこの世の中に自分の彼女が他の男とお見合いするのをあっさり認める男がいるのよ? そんなに自分に自信があるの? …それとも。

「お待ちしましたよ、水橋さん…」
 俯いたまま憂鬱この上ない暗ーい表情をしているであろう私の前に、すっと人影が近づいてきた。

 面倒臭そうに顔を上げると…次に瞬間、思わず叫んでいた。

「…青山…先輩!?」


 

つづく(011112)

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