「…寺島のおじいさんから話を聞いたときは、正直、信じられなかったなあ…。こういうことってあるんだな、本当に…」 「はあ…」
若い人同士で話してください、と早々に爺さん2人はいなくなってしまい…仕方なくセッティングされた席に着いた。 ここの展望レストランはこの街で有数のデートスポット。ちなみにこうちゃんとはまだ来たことがない。こうちゃんも私もお互いに知り合いに会いそうでちょっと怖かったりするのだ。私はとにかく、こうちゃんはそう言うことをとても気にする。休みの日に彼女とランチする事をそんなにこそこそしなくてもいいと思うんだけど…日中デートもそんなわけで、いつも電車に揺られて遠出することになる。 …それでもって…今使っているテーブルは多分、店内で一番いいポジションだ。窓際の市内が一望できる絶好の位置で予約が1ヶ月前から埋まっていると聞いたことがある。会社の社員さんが営業にどうしても使いたいと四苦八苦していたのを思い出した。遙か向こう、冬の澄んだ空気の向こうにうっすらと富士山が見える。運ばれてくるお料理もさりげないのにとてもおいしい…。 あああ、沈んでいるのに…お料理の味はしっかり分かるのね、私。
「…ご無沙汰しました、本当に奇遇ですね。先輩の卒業以来じゃないかしら? 本当に歯医者さんになられたんですね」
青山先輩は…みどりちゃんに引っ張られて入った某大学のサークルの先輩だった。 みどりちゃん曰く、 「男女の比率が半々の中堅大学のサークルは駄目、だってキャンパス内で彼女を調達出来ちゃうもの。つき合ったところですぐに浮気されるのが落ちよ、やっぱり有名大学に限るわ、もちろん偏差値の高いところ。そう言うとこに来る女はきつくてしっかりしているの。彼女にするにはちょっと難しいタイプね。その点、私たちみたいな良妻賢母をウリにした女子大生は受けがいいわ。さあさ、頑張りましょう!」 …とのこと。気合いが入っていた。 新入生歓迎に湧く、誰でも知っている名前の大学(ちなみにもちろん箱根駅伝も走る)のキャンパスで両手に余るくらいのチラシを調達したみどりちゃんは、持ち前の野生のカン(?)でサークルを絞り込んだ。ここで1つに決めることはない。仮入部にすればいいのだ。 「ようするに、サークルって言ったって…その実、ねるとんパーティーみたいなもんよ。みんな彼女、彼氏をGETしたくて来ているんだから…遠慮することなんて無いの!」 ちゃっかりしているみどりちゃん。女の子はペアの方が動きやすいと言うことで自然と私は彼女に同行する羽目になった。 どこに行っても、はっと目を引く程の美人なみどりちゃんは他の女の子とは明らかに扱いが違った。みどりちゃんといると先輩たちがどどどっと寄ってくる。ちらちらと遠巻きに眺めている視線も感じる。女の子たちからは嫉妬の怖ーい目が向けられていた。…特に同じ1年ではなく、2年生以降の女子先輩の目がマジで怖い。 「ほら、ご覧なさい…」 「サークルは1年生の間が勝負なのよ、2年生以降はもう男から相手にされないんだから」 みどりちゃんが吟味に吟味を重ねて入ったサークルのひとつ(結局、絞り込めずに3つ掛け持ちすることになった、でも「君が入るならサークルの会費は僕が持つよ」何て言う幹事さんがいたので懐が痛まないのが良かった…あ、もちろん、みどりちゃんに対して言ったのだけど…私もその恩恵を授かっていたのは言うまでもない)…彼女自らが「フェロモン・四天王」と名付けた先輩たちがいた。全員がいわゆる六大学の学生。そんな中にいたのが…今私の目の前にいる、青山先輩。
「…親戚の伯父さんがリタイヤして、その後釜に…ちょっと、情けないかな?」 そんな仕草を久々にボーっと見ていると、青山先輩は私の心を見透かしたかのようにふふっと笑った。 「…気乗りして、ないでしょう?」 「え?」 「水橋さんって…サークルのころ、俺のダチの竹村が言い寄って、ちょっと付き合ったりしたけど…すぐに振っちゃったでしょ?。あの時も『ああ、きっと心に決めた人がいるんだな』と思ったけど…今もそうなんじゃないの?」 「竹村さ、未練たらたらで卒業後もOBと称して良く顔を出していたんだよ、でも君とは二度と会えなかったって…」 …だって、みどりちゃんが「2年になったら行くだけ無駄!」と社会人向けのパーティーに乗り換えちゃったんだもん…あああ、何だかベリベリと過去の汚点をさらされて行くみたいだ。 「…今、奴はニューヨーク勤務でさ。昨日メールで報告しておいた…死ぬほど悔しがっていたな。でも結婚式には来てくれると思うよ?」 …は? ちょっと待て。結婚式って…結婚式って!? 私はからかわれているに違いない。馬鹿馬鹿しい…と思いつつも、大きな瞳でじっと見つめられるとどうしていいのか分からない。…実のところ、私はとてつもなく面食い。SMAPだったら、断然キムタクだ。 「水橋…花菜美ちゃんの方はおじいさんに無理矢理に連れてこられた感じだったよね? でも、こっちとしては見合いをするってことはそれなりに心構えがあるってことだから」 ぎゅ…? ちょっと! いきなり握るかよ、手を!! こうちゃんだってしっかりとは握ってくれたことが無いんだから! 「またまた〜〜〜」 「やだなあ、青山先輩…歯医者さんって言ったら、美人の歯科衛生士さんに囲まれて選り取りみどりでしょう? 私なんかで妥協するなんて…」 「みんな、そう言うんだけどね…」 「実は…女性は扱い方が難しいと大学の先輩に聞いていて…病院が自分の代になったときに、全員を男性にしちゃったんだ。いるんだよ、結構…男性歯科衛生士。ついでに受け付けも大学の後輩をバイトで雇っているんだ。気付いたら凄い男所帯」 「…それって、凄いですね」 「そしたらさ〜参っちゃうんだよ。口コミで近所のおばさんたちがこぞってやってきて…ホストクラブと勘違いされてるみたい。まあ、繁盛するからいいんだけど…俺さ、『先生は男性が好みなんですか?』とか真顔で聞かれちゃうんだ」 「やだあ〜」
…すると。先輩は笑顔をさっと真顔に戻した。
「…やっと、笑ったね」 「へ…?」 「ひどいじゃない、せっかく何年ぶりかで再会したのにさ、苦虫を噛みつぶしたみたいに眉間にしわを寄せちゃって」 「そんな…」
あ、でも…そうかも知れない。私はまだ、ショックを引きずっているのだ。だってさ、こうちゃんのあの態度はひどいよね。
「彼氏のことでも…考えてた?」 ぎくり。多分、顔色が変わったんだと思う。先輩の視線が色を変えた。 「…どういう奴なんだろ? 花菜美ちゃんの彼氏って…」 「え? 彼氏なんて…そんなんじゃないんです、はい」 「…でもさ、花菜美ちゃんだけが一方的に思いを寄せている、ってわけでも無いでしょ?」 先輩の視線を感じて、ハッとする。…指輪。 「参っちゃうよな〜普通、見合いにエンゲージリングを付けてくる人っていないと思うけど…」 がたん、と席を立つ。そのまま、先輩に向かって思い切り頭を下げた。 「す、すみません…先輩。本当に、私、知らなかったんです…ゴンちゃん、じゃない祖父がこんな席をセッティングしてあったことも、相手が先輩だってことも…だから、その…本当にごめんなさい。このお話は無かったことに…」 「一方的に…決めないで欲しいんだけど」 恐る恐る…顔を上げると、静かに微笑む先輩の顔があった。 「俺は、簡単には引き下がらないからね…」 「え…?」 とにかく座りなさい、と目で合図される。すごすごと従ってしまうあたりが先輩と後輩だ。 「言ったでしょう? 俺は花菜美ちゃんが相手だって分かっていてこの話を受けたんだよ。花菜美ちゃんが相手ならいいかなって思ったから来たんじゃないか? そんなに邪険にされるとは心外だな…」 お料理が冷めないうちにと一切れ、口に押し込む…おいしい。 「だからあ、…先輩、私なんかを相手にしなくたって他にたくさんいらっしゃるでしょう? サークルの頃だって人気あったじゃないですか?」 すると先輩はナイフを止めて、静かに言った。 「花菜美ちゃんだって…なかなかの線だったって…知らないでしょう?」 「は?」 「男の目を節穴だと思ったらいけないよ。花菜美ちゃんは…サークルの中でもよく働いてたし…バーベキュー大会の時も先輩女子に混ざって一生懸命準備していたでしょう? 手つきも良かったよね。そう言うことを男たちはちゃんとチェックしてたんだ。でも君は…そんな視線を意識もせずに…自然にやっていた。だから女子の間でも受けが良かったんだよ」 「…竹村が君と付き合うと言ったとき…俺も内心、ショックを受けた一人だったんだけど」 …聞いてないよ、そんな話! もう、どうしてそう言う展開になるの!? …早く、帰りたいよ〜 「…少なくても。今日1日は俺に付き合ってもらうから…いいでしょう? ディナーの予約だってしてあるんだから。俺の顔を潰さないで欲しいな…」 …先輩、先輩…すごまないでください…ええ〜ん、怖いよお〜〜!! ここまで言われてしまうと、白旗降参をするしかない。
結局。ランチの後、横浜までドライブをして…夜景の見えるレストランで食事して。誰が見たってデートしているとしか思えないスケジュールをこなした。先輩とは顔なじみだし、共通の知り合いも思い出もある。話は尽きない。先輩のおしゃべりは小気味が良くて、楽しくないと言ったら嘘になる。…正直、楽しかった。
「じゃあ、俺の返事は寺島のおじいさんに言うまでもないから…あと、君のおじいさんに言っておいて。近いうちに一局、お手合わせ願いますって」 駅前で車を止めて貰うと、先輩は白い息でこういった。辺りはすっかり夜が更けていた。 「…将棋、なさるんですか?」 確かに、ゴンちゃんは将棋が三度の飯より好きだ。若い頃から、将棋仲間の家に入り浸ってなかなか帰ってこないと豊子さんがぼやいていた。賭将棋も好きだったらしく、背広を剥がされて、真冬にワイシャツ一枚で戻ってきたこともあるとか。 私が意外そうに瞬きすると、先輩の視線が嬉しそうに見下ろした。 「寺島さんを通じて、君のおじいさんには言ってあるんだ…一応、都の学生アマチュア大会で優勝したこともあるんだ」 「…はあ」 だもん、ゴンちゃんの勢いが違ったはずだ。パパは将棋が下手でいつもヤキモキしているんだから…将棋仲間が出来たら、嬉しいだろう。 …でも。 「…あの、先輩…私は」 とうとう一日外さなかった指輪がネオンに照らされてキラキラしている。 でも、見上げた先の先輩は静かに首を振った。 「返事は…よく考えて。君の彼氏と、俺と…ちゃんと較べてみてよ。そんなにすげなくされる自分じゃないと…思うんだけどな…」 「で、でも…」 「じゃ、気を付けて帰ってね。本当に送らなくて大丈夫? …おやすみ」 先輩は私の言葉から逃げるように、さっさと車に乗り込むと片手を軽く挙げて挨拶して…そのまま車を発進させた。 呆然とその車を見送る。ワインレッドのピカピカした車体が遥か遠くに消えていった。
「…困ったなあ…」 時計は九時。ガヤガヤとした人の賑わいも市街地の休日だとあまり感じられない。あーあ、本当なら…今日はこうちゃんと一日、楽しく過ごすはずだったのに…まあ、先輩と一緒で、それなりに楽しかったけど。おいしいごちそうだって頂いたけど…コメディーの映画も楽しかった。…でも、でも… 「馬鹿」 止めて欲しかったな、こうちゃんに。 ううう…悲しいよお…
その時。背後に人の気配を感じた。聞き覚えのある靴音。 「…水橋」 その声は…? 「…こうちゃん!?」 慌てて振り向くと、こうちゃんが…別れたまんまの格好でそのまんまの場所にぬぼーっと立っていた。 「おかえり」
つづく(011113)
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