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〜こうちゃんと花菜美・8〜
…1…

 

 

「なあ、水橋。結婚、行く?」

 …このお話は。いつでも意表をついたひとことから始まることが多い。
 今回も例外ではないんだけど、それにしてもびっくりしてしまった。

「…は、はぁ…?」
 私はこうちゃんと半分こしたミルフィーユを苦労しながらフォークに刺して、今まさに口に運ぶ瞬間だった。ただでさえ食べにくいミルフィーユ。それをはじっこからお互いに食べ合えばなんだからぶらぶな気分だけど、そこはこうちゃん。きっちりと食べる前にふたつに分ける。もうその時点でぼろぼろの無惨な姿になってしまう。

 ぼと。

 私があまりのことにフォークを静止しているうちに、薄い層になったケーキの欠片はお皿の上に落下して、ばらばらになった。

「な、何? …どういうこと?」

 向かい合ったこうちゃんに、詰め寄ってしまう。よく見たらいつもなら私の二倍は早く食べるこうちゃんのお皿、まだ全然口を付けてない。それどころかお店ご自慢のソルティードックも手付けず。それに今の今まで気付かずにミルフィーユと格闘していた自分が何とも情けない。

 …でもさ。

 あのね、こうちゃん。普通、これは…『結婚しよう』とか、『結婚式に行く』とか…ああ、このふたつじゃ、全然意味が違うんだけど。もしも、私とこうちゃんが結婚するなら前者だし、誰かの結婚式に出るなら後者だし…ああん、もうっ!
 どうして、こうちゃんって、肝心のところで言葉が足りないんだろう? …ほらっ! 黙ってないで何か言いなさいよ〜〜〜っ!

 久々のデートだった。丸一日じゃなくて、仕事の帰りに待ち合わせして夕ご飯を食べた後、いつものカクテルのおいしいお店に流れただけだったけど。窓際の席に座って外を見れば、たくさんの人が表の道を歩いている。しっとりと暮れた風景に明るく浮かび上がる店内が見渡せるはず。
 私たちはどこから見ても恋人同士。人前じゃ、手も繋いでくれないけど恋人同士だ。私の薬指に光る指輪を買ってくれたのはこうちゃんだって、きっとみんなが思ってる。

 それなのに、こうちゃんの謎解きのような台詞が私たちの貴重な時間を迷路に誘い込む。本当に嫌になっちゃう。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 指輪は去年の暮れにもらった。でもって、多分、プロポーズらしきものもされたと思う。こうちゃんの家族である弟くんたち(なんと、4人もいるのだっ! もう男、5人の家なんて、林の中に居るみたいよっ!)にも挨拶した。それどころか、三番目の孝雄くんは、もうこの前の9月にお父さんになってしまったのだ。ひ〜どうにかしてよっ! 21歳だって…ヤンパパ、って奴よね?
 で、3月にはこうちゃんが私の実家まではるばる来てくれて。両親と祖父母とお兄ちゃんに挨拶してくれた。ついでに飼い犬の伝衛門(愛称:でんちゃん)にも愛想を振りまくことを忘れないんだから偉い。ちゃんとビーフジャーキーを買ってきてもらって、なかなか人になつかないでんちゃんもめろめろだった。

 そこまでは順調だった。果てしなく順調だった。

 

 しかし。そのままきちんと行かないのが、私たちの常で。

 孝雄くんの結婚騒動もそのひとつだった。何しろ生活力のないふたりだ。奥さんである亜由美ちゃんのご両親は同居を勧めてくれた。ゆくゆくは孝雄くんを婿養子にしようと考えてのコトらしい。それはそれでいいじゃないかと思ったのに、こうちゃんが頑としてそれを受け入れない。

「自分たちで所帯を持って、生活していくだけの心構えがなくてどうするんだっ!」

 何故か仲介役として私まで呼ばれた両家の話し合いの席で、こうちゃんは見たこともない剣幕で怒り出した。いつも眠いくまさんみたいにぼーっとしているこうちゃんの兄としての姿に私は感動を通り越して愕然としてしまったくらいだ。

 もうその後は、滅茶苦茶。こうちゃんの言い方が気に障ったのか、あちらのご両親は機嫌を損ねちゃうし、こうちゃんも黙りになってしまうし。もう、乗りかかった船で両家の間を取り持ち、結局こうちゃんたちの家のそばで若夫婦がアパートを借りて、いっさいの援助を受けず、暮らす…と言うことで話がまとまった。まあ、出産費用とか足りない分はこちらで負担して、ローン返済(!)ということに。
 お互いの家を行ったり来たりして、アパート探しも手伝い、もろもろの手続きに付き添い…と休みのたびにそのことでつぶれて、こうちゃんとのデートも激減した。

 …その上。

 4月に人事異動があったこうちゃんの職場。あ、こうちゃんは県庁勤務なんだけど、その中の教育番組を作成するところにいるの。学校教育課の中の教育企画室、というとこ。で、そこにいることは変わらないんだけど、役職がちょっと変わった。週に1度の番組の責任者になったそうで、もう今まで以上に多忙になった。
 こうちゃんは地元の少年野球のコーチもしているんだけど、仕事でなかなか行けなくなって、今年は代理の人をお願いした、と言うくらい大変だ。地元のTV局で放映される15分番組。それを小学校3年生の子供たちが郷土のことを学習するために観るんだって。地理も歴史もあるから、なかなかその内容は多様。取材だけでなく、企画から下調べからもう大変そう。
 頼みの綱の夏休みも子供たちを集めての体験学習や、普段じゃ時間がなくてゆっくりと出来ない取材などにつぶれてしまった。

 …本当はさ。夏休み、ふたりっきりで旅行に行こうとか…言ってたんだよね? それ、こうちゃんが言い出したんだよ? 夏休みをもらったら、どこか涼しいところでゆっくりしようって。こうちゃんは暑がりの汗っかきだから、那須とかそう言うところに行きたかったみたい。

 そうそう、旅行よ、旅行っ!!

 だったら、期待するじゃない? 実はまだ、こうちゃん、あの、泥酔して運び込まれた時以来、私のアパートに泊まったことがないのっ! …と言うことは、と言うことで…ああん、もう。今時、バージンロードを歩くために、清い関係でいるカップルなんているの!? 私の知ってる限りじゃ、一組もいないわっ。期待して、勝負下着まで用意していた私が可哀想だと思わない!?

 …ああだ、こうだで。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋も深まり…とうとう10月。

 世の中はもうばりばりの秋のブライダルシーズン到来! 私だって、学生時代の友人の結婚式に3つもお呼ばれした。ああん、もう。12月の誕生日が来たら、私、25よ。一昔前だったら、クリスマスケーキの売れ残りになる年齢なのよっ!

 それなのに、こうちゃんは相変わらず忙しい。私もお産見舞いのお返しをする亜由美ちゃんに付き合ってデパートに行ったり、雑用が多い。自分のことがおざなりなんて、こんなのあり? こうちゃんだって、もっとしっかりしてくれてもいいのに…くすん。
 実家に帰省するたびに肩身が狭いったらない。両親はともかく、おばあちゃんとゴンちゃん(注:祖父「さかなの楽園」を参照のこと)がすごい。どうして話が進まないのか、実はこうちゃんは他にいい人が居るんじゃないのか。お前は騙されているんじゃないか…とかなんとか。どうしてマイナス思考しか出来ないのか、悲しくなる。まあ、そう言う憶測が湧いてくるくらい、のろまなのは事実なんだけどね。

 …そんな感じで毎日を過ごしていた。はしたないけど、文字通り「悶々」と…ああ、うら若き乙女がこんなんでいいの? これも全部、こうちゃんのせいなんだからっ!

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 …で?

 思わず、我に返る。よくよく考えたら、こうちゃんは「結婚、行く?」の後、何もしゃべっていない。私がこの半年間のことを走馬燈のように思い出している間も、俯いたまんま、酔ってもいないのに耳まで真っ赤にしている。時々、こうちゃんの目の前のお皿がかたかたっと揺れる。身震いしてるのかな? でも、続きを言ってくれなくちゃ、何にも分からないんだけど…?

 この後、私はこうちゃんに次の言葉を言わせるまで、43分の時間を要し、その間にカクテルを3杯もお代わりした。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「ぎゃははははは〜〜〜〜〜、大泉さんっ! もう、相変わらず、最高なんだからあ〜〜〜〜!」

 次の日。仕事を定時であがってから、みどりちゃんの家に行った。夕食の時間に申し訳ないかなと思ったけど、ご主人様である卓司さんは今日、出張でお泊まりなんだって。本当なら実家に行こうと思っていたらしいけど、私が電話したら泊まりにおいでと言ってくれた。次の日は土曜日だし、ゆっくり出来る。

 意外なことに一応主婦しているらしいみどりちゃんがポトフを煮てくれて(まあ、野菜を切って牛のすね肉と煮るだけなので、誰にでも出来そうだと思うけど…言わない)私は途中でピザとケーキを買っていった。グリーンサラダと共にテーブルに並べると、みどりちゃんは食事よりも私の話の方に興味があるらしい。フォークを持ったまま、身を乗り出してきた。

「…もう。そんなに馬鹿にすると、これ以上言わないからっ!」
 ずるずる。スープをすする。ああ、おいしい。今日は夕方からちょっと冷えたもんね。県境の山小屋に取材に行ったこうちゃん、大丈夫かな〜?

「ああん、ごめんごめんっ! もう、このごろ、滅入ることばかりでさ。久々に大声で笑ったわ〜!」

 高層マンションの最上階、14階。見晴らしが良くて、東京の夜景も一望できるとか。天気のいい日には富士山も見えるとか。たっぷりと造られた3LDK、ついでに納戸付き。角部屋で東と南に窓があって、ベランダもL字型。頭金をたんまりと払っても、月々のローン支払いが13万円と聞いて、夢の世界かと思ったわ。この不景気にそれだけの稼ぎを出来るのって、卓司さんくらいかも知れない。
 お風呂もべこべこのユニットバスなんかじゃないんだよ? ちゃんと固くてすべすべした浴槽はジャグジー付き。大人がふたりゆったりと入れるくらい広い。大きな窓があるお風呂なんて贅沢だわ。天窓付きで、星空を見ながら入れたりする。

 こんなところで、若奥様をしながら気が滅入るなんて、もう贅沢この上ないと思うんだけどな〜〜〜っ!

「いいじゃない、でも彼らしくて。で、どういうことだったの? もったいぶってないで教えなさいよ?」

 家にいるのに、綺麗にお化粧したみどりちゃん。秋の新色を乗せた唇がきらきらしてる。外資系の銀行にお勤めするご主人とこの3月に式を挙げたばかり。新婚6ヶ月のらぶらぶだ。
 結婚したら、もうのろけ話は聞かなくて済むかと思っていたのに、さもあらん。気を抜くと、仕事中にまで携帯が鳴る。そっちは気ままな主婦かも知れない、でも私はフルタイムで勤めてるのっ!

「う〜ん…」
 少しぐらい、じらしたってバチは当たらないと思う。私は考える振りをしながら、ピザを一切れ頬張った。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「…実は、な?」

 話は昨日に戻る。43分後に、ようやく話を再開したこうちゃんは、おずおずとこちらを見上げた。あまりに時間が経過したのでさすがに顔の火照りも取れている。小さな目が私を見つめる。

「はっ、はいっ!?」
 思わず、姿勢を正してしまった。何で、私がこんなにドキドキしなくちゃ行けないのかしら?

「俺の同僚の佐久間がな、来月に結婚することになっていて。ええと大学が一緒で、同期に入った奴で…要するに、仲がいいんだ。それで…」

「ああ…」
 な〜んだ、ちょっと脱力。そんなことだろうと思ってはいたけど。

「二次会にでも一緒に出てくれって言うのね?」

 うんうん頷きながら言う。夏前にも一度、そんなことがあった。私たちが一緒にいるとき、偶然こうちゃんの職場の人と会って。その人が同僚さんの結婚式の二次会の幹事をしている人だったのね。西谷さんとか言ったかな? で、お約束なんだけど…
「大泉にこんな可愛い彼女がいたなんて。お前、何にも言わないから、てっきりひとりもんかと思ってたぜ?」
 …とか言うことになり。これはみんなにもお披露目しようと言うことになって。1週間後にその二次会に飛び入り参加をすることになっちゃったのだ。滅茶苦茶恥ずかしかったけど、でも嬉しかったな〜。ホント、こうちゃんって、私のことひた隠しにしていたらしくて。中にはいい子を紹介しようと思っていた人までいたらしいの。ひどいわ、まったくもうっ!

 私の職場のみんなは社長も、社員も(と言っても4人しかいないけど)みんな私たちのことを知っている。こうちゃんは何度も事務所まで来てくれてるし、そのたびにおみやげの塩豆大福を持ってきてくれるから。その大量の大福を消費する皆は半分恨めしく思っているくらいだ。
「いつ、ゴールインするんだよ? 花菜美ちゃんは…」
 同期入社の森田くんを始め、ぶつぶつと言われるのは私だ。もう、こうちゃんに直接言ってよね? とか叫びたくなっちゃう。

 いいかも知れない。皆さんがこうちゃんをせっついてくれるなら、二次会に出るわっ! 何だったら、披露宴に出たっていいわよっ!

「私、この前に平服の式に出たときに買ったワンピースがあるの。それで出るわ、その二次会はいつ?」

「…へ?」
 手帳を取り出した私に、こうちゃんはぼーっと見つめてる。何なの、その気の抜けた顔はっ…と、こうちゃんはいつもこうだったか。

「二次会、って?」

「…結婚式の話じゃないの…?」

 回り始めた会話が、また1分45秒途切れる。こうちゃんはちらっと時計を見てから、うーんと腕組みした。

「その。式を挙げるコトになっていた佐久間が、急遽、海外出張になってしまって」

 ああん、だから。話を切らないでよ? 会話が途切れるじゃないのっ!

「奴が携わっていた仕事の関係で、どうしても本人が行かなくちゃならないらしいんだ。モンゴルの秋祭りの取材だから日程も決まっていて…でね、」

 こうちゃんはまた言葉を止める。そして大きな手をテーブルの上で組む。そこにため息をふうっと落とす。そんな姿を私は見つめているだけだ。もう、こちらまで緊張するじゃないのっ!

「彼の…予約してあった県民会館の式場を、譲ってくれるって言うんだけど…?」

 

「…え?」

 な、何っ? それって…どういう…?

 

「い、今からだと、キャンセル料が生じるらしいんだ。人数の少なめの式で、今からだと予約待ちの人も入れないらしいんだよね。だったら、俺たちがそのままそこに入れば上手くいくって――」

 私は。黙ったまんま、こうちゃんを見つめていた。何て言ったらいいのか、よく分からない。あんまりに硬直した顔をしていたのだろう。こうちゃんが口元を緩めて、ちょっと笑った。それから、もう一度真顔に戻って、まっすぐに私を見つめる。

「結婚、しよう。水橋…?」

 

 かくして。何とも間抜けないきさつではあったが、私とこうちゃんの結婚行進曲(狂想曲?)は大音響で開演したのであった…。


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