TopNovelさかなシリーズ扉>さかなの予報・2



〜こうちゃんと花菜美・8〜
…2…

 

 

「お料理も、司会者も、招待状のデザインもみんな決まってるの?」

 私の話を一通り聞いた後。

 みどりちゃんは眼をぱちくりさせながら、呟いた。心底、びっくりしたみたいに。

 イタリアの工房に特注したというダイニングの照明は淡くオレンジ色。食事の色をおいしそうに見せるんだそうだ。高級レストランとかがちょっと暗めの白熱灯の照明になっているのもそのせいなんだよね。椅子に座った姿勢でかろうじて相手の顔が見られるくらいに低く吊られている。

 その灯りの中央にあるピザをみどりちゃんの珊瑚色の爪を乗せた指がすすっと取る。本当にお料理しているのかしら? そんな風に不安になるほど綺麗な手。何しろ、私は短大時代のみどりちゃんを知ってるから。家政学部食物学科でありながら、週に3回もあった料理実習の最中、お皿拭きしかしてなかったもん。

「ま、別に、結婚式にそれほどこだわりなんてないもん」
 私はあっさりと言ってのけると、首をすくめた。

「みどりちゃんみたいには、燃えないわ」

「そう? 私なんて標準的だったと思うわ。あのくらい、当然でしょ?」
 お食事中だというのに、髪をかき上げて。相変わらず、綺麗な黒髪。染めないのがみどりちゃんのこだわり。耳元のピアスがきらきらと輝く。

「…あれの、どこが標準なのよ?」

 半年前のみどりちゃんの結婚式を思い起こす。秋にプロポーズされてから、半年もかかって準備したその一部始終を私は全部知っているわよ?

 

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 某大物女優も使ったという由緒正しい教会で挙式、1000人を越える招待客を受け入れた、披露パーティー。

 高級住宅地に忽然とそびえる、地上2階、地下1階のおしゃれなレストランが人で溢れた。もちろん、1000人が全て一堂に会した訳でなくて、6時間あまりに渡るパーティーの間、お客の入れ替えがあった。

 もちろん、ドレスはオーダー。

 みどりちゃんは、朝、お家を出るときから始まって、10回もお召し替えをしたのだ。あ、これには新婚初夜のバスローブとか野暮なものは入ってないからね。人目に晒したものだけで10着。それのデザイン選びから布地選び、仮縫いに試着まで全部付き合いましたしっ!
 そのたびにアクセサリーを替え、髪型を変え、靴を変え…衣装を置くためだけにホテルを二部屋借りたそうだから。

 引き出物は田舎じゃあるまいし、7点ぎっちり。今時、鯛の尾頭付きと伊勢エビがどどんと入っていたのには閉口した。舌を噛みそうな名前のなんとかグラスの花瓶を始め、お砂糖とお紅茶のセットですら、お中元にも選ばないような高価な値段が付いていた。申し訳ないけど、あの畳半畳分もあるどでかい袋を狭いアパートには置く気になれず、手にしたまんま、クロネコに託して実家に送ってしまったわ。

 そして。

 みどりちゃんが手渡してくれたブーケの大きいこと、重いこと。雑誌にもたびたび登場する、自然派フラワーコーディネーターの作品で、うん十万円だと聞いて仰天した。遠目に見ていたときも大きかったが、抱えてみると、これがもう。ほら、「新装開店」とかで生花の足つきの籠みたいな奴、あるでしょう。あれをそのまま無理矢理に抱えているみたいだった。
 作った人も、よっぽど嬉しかったんだろうな。何しろ、貸しビル経営の大地主さんと総合病院経営者の家の結婚式。お金なんて、こう言うときにケチケチする必要もない。何もかもが「最上級のものを」とそろばん勘定なんてなかった。あ、でもみどりちゃんのパパ。時々値切っていたよな…。商売人だから。

 そのどでかい花束は、そのまま携帯で呼び出したこうちゃんと一緒にそこら中に配った。私の勤める小さな印刷事務所とこうちゃんの勤務する県庁の来客用のフロアと、応接室と、そして私のアパートとこうちゃんの家と、ついでにこうちゃんのご両親が眠るお墓にまで持っていった。
 人間の顔より大きなひまわりのお化けみたいな花は、お墓の小さな花器には収まらず、お寺の住職さんにあげたわよ。

 

「そんなに、ドレスや靴や…どうするのよ?」
 聞いても仕方ないと知りつつも、聞かずにはいられなかった。

 オリエンタル美人のみどりちゃんはもともと衣装持ちだった。背も高いので、どんな服でも似合ってしまう。似合わないのはぴらぴらの可愛い系くらいだ。あの、重ね着しまくるところのとかね。でも、さすがにこんなドレスを色とりどり…不経済じゃないか。ああ、しがないサラリーマン家庭の私はもう目眩を起こしそうだった。

「あら、そんなこと」
 何度目かの仮縫いの時。ラベンダー色のドレスに身を包んだみどりちゃんは、私の問いかけに妖艶に微笑んだ。ああ、高級バーのホステスさんみたいだ。ちょっとその色はおミズかも…と思ったけど、言えなかった。

「もちろん、この後、少し直してもらって着るわよ。卓司さんは海外勤務もあるのよ? あっちでは始終、ホームパーティーとか開かれるの。そう言うときに恥ずかしくないようにするの。お父様のお仕事の関係でも、いろいろな公の場に出ることになりそうなのよ」

 …はあ、そうですか。

 まあ、そのみどりちゃんのどたばたに付き合ったためかしら? おなかがいっぱいになっちゃって、自分の時にやる気をなくしているのかも知れない。

 それだけじゃないのよ。

 みどりちゃんのご主人である卓司さんのお母様という方が、またものすごい方で…お互いに一ミリも引かないもんだから、壮絶バトルが婚約の時から続いている。私の方はこうちゃんのご両親がもう亡くなっていて、騒ぎ立てるような親戚もなくて、本当に穏やかなのに。もうみどりちゃんのせいで、嫁姑のバトルまで経験した気分だわ。

 ウエディングケーキのことでふたりが対立して、仕方なく会場であるレストランのメインフロアには大きなケーキがふたつ並んだのはひとつ話だ。ツインタワーとか呼ばれていたわ。どちらも名前を聞けば分かる老舗の洋菓子屋さんで、中の方まで生ケーキ。イチゴを何百個とか、TVチャンピオンの世界だ。

 …そのほかにも話したいことは山ほどあるけど、それだけで終わってしまいそうだからやめるわ。みどりちゃんのことじゃなくて、今回は私の結婚式がメインなんだから。

 

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「…で。小さな県民会館の、これまた小さなフロアで…招待客は60人? それじゃあ、親戚も入り切れないじゃないのっ!」
 こうちゃんが用意してくれた見積書を奪い取るように手にすると、みどりちゃんは案の定、素っ頓狂な声を挙げた。

「いいのよ、こうちゃんは親戚少ないし。ウチは田舎から出てくるから、親戚も夫婦じゃなくてひとりずつにしちゃうし。今、ゴンちゃんたちが慌ててリストアップしてるわ。明日にはファックスが来ると思う」

「そうよねえ…何しろ急だもん。招待状は1ヶ月前までには出さなくちゃならないのに、ギリギリだもんね。いくらほとんど決まっているパックだからって、結構細々した準備がいるわよ?」

 それから、あら、と小さく呟いて。ワインを一口含む。

「急がなくちゃいけないと言えば…仲人さんはどうするの? あれって、何ヶ月も前からお願いしなくちゃならないんでしょう? こんなに急じゃ、…」

「あ、それはいいの」
 みどりちゃんの慌てぶりに対して、私は落ち着いたもの。さすがにいきなりの結婚宣言に昨日の晩はパニック状態だったけど、実家に電話したり、今日職場でこれからのことを相談したりしていたら、だんだん冷静になってきた。

「もともとも同僚さんが頼んでいたお仲人さんが、こうちゃんの上司でもある方なのよ。だからそのまま引き継いでやってくれるって。明日、ご挨拶に行くの…」

「えっ…」
 さすがのみどりちゃんも、絶句。

「そんな、仲人さんまで…もらい物?」

 酸素不足の金魚みたいに、口をぱくぱくしてる。そりゃ、そうだろうな。私もさすがにびっくりしたもの。

 

 私もいつかは結婚するんだと思っていた。こうちゃんという彼もいるし、私たちにはなんの障害もない。ただ、日程だけ決めれば、そのまんまゴールインできる状況にいた。その余裕が逆に災いしたのかも知れない。こうちゃんの仕事が忙しくなったこともあって、そう言う面倒なことは後回しになっていた。
 あれやこれやで、一緒にいる時間も少なくなる。久しぶりに顔を合わせても、こうちゃんは仕事明けで疲れ切っていて。何かさ、ちょい、ヤバいんじゃない? とか、思ってた。はっきり言って。

 長すぎる春、とかあるじゃない。そんな風になったらどうしようって。

 

「いいのよ、もう。結婚するのが大切で、お式のことはそんなに我が儘言わないもん…」
 私はそう言うと丸のまんまのジャガイモをスープの中からすくい上げた。大口に押し込む。

「まあ…ねえ…」
 みどりちゃんはまだ言いたいことがあるらしく、見積書をぴらぴらしてる。何とも言えない憐れみを含んだ視線がこちらに向く。

 でもさ、そうじゃない? 今は、同じ街で仕事していても、こうちゃんとは週に1回くらいしか会えない。それも晩ご飯デートだ。一日中一緒になんていられない。

 結婚すれば、こうちゃんは毎晩家に戻ってくる。それから朝までは一緒にいられる。毎日会えるなんて、色々おしゃべりできるなんて、考えただけで嬉しくなっちゃう。そして、私はこうちゃんの奥さんになるんだ、こうちゃんのためにご飯を作ったり洗濯したり。しばらくは共働きかも知れないけど、そうしたら出勤も一緒だ。何て素敵なんだろう…。

「けど。同居なんでしょ? そのまんま、大泉さんちに…」

 広い敷地に離れを建ててくれるという卓司さんのご両親の有り難いお申し出をご辞退申し上げ、このマンションを買ったみどりちゃん。そりゃさ、それが出来れば最高だけど…。

「うん、末っ子の雅志くん、今年受験生だし。孝雄くんがアパートに行ったから、部屋は空いてるし。こうちゃんのご両親が使っていた部屋もあるしね」

 大変なこともあるかも知れない。こうちゃんの弟だから、やっぱりみんなでっかくて。ご飯もものすごくたくさん食べる。炊飯器も1升炊きのやつだった。初めてお邪魔してご飯を作るとき、10合のお米とぎをして、その後筋肉痛になったんだわ。お洗濯だって、半端じゃない。みんな結構、自分でやるけど…この先はどうなるか知らないし。…でも。

「いいの、こうちゃんと、ずっと一緒にいられるなら」

 半分、自分を納得させるみたいに呟く。みどりちゃんは、ふううっとため息をついた。

「まあ、ごちそうさま。…でも、良かったわ。実は私からも報告があるの」

 …え?

 食事を中断してお皿から顔を上げると。みどりちゃんが、ちょっと恥ずかしそうに微笑んでる。珍しい表情だ。

「何?」
 みどりちゃんとは対照的な薄茶の髪。染めたんじゃなくて、生まれつきこの色なんだ。シャギーを付けてゆるゆるのパーマをかけてある。小首をかしげると肩をするっとそれが流れた。

「…ふふふっ…」
 ほっぺを真っ赤にして首をすくめる。それから、ちょっと低い声で。

「実は…出来たの、今3ヶ月。4月が予定日なんだ」

 

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「…でね、みどりちゃん。今からなら、学年が一緒になるから、花菜美たちも頑張ってね、だって…」

 特別の時にしか着ない一張羅のスーツを着たこうちゃんの隣を歩く。私も桜色のスーツを着ていた。春っぽいけど、ベージュが入っているからいいかな。スカートはひらひらの花柄だ。あまり堅苦しすぎないのがいいと思った。

 翌日、になって。お仲人さんを引き受けてくださったこうちゃんの上司の方のお家に行った帰りだ。

「ふうん、おめでたいね」

 こうちゃんもちょっと緊張していたのかな? ネクタイを少し緩める。こうしておひさまの出ているときにこうちゃんを見るのはどれくらいぶりだろう。今日は土曜日で仕事もないので、これから式場に行くことになっている。式場の担当者さんと司会者さんとの打ち合わせだ。

 披露宴の司会者は式場に専属で雇われている方をお願いすることにした。初対面だから、打ち合わせをするんだって。ついでに音楽とか、いろいろな式次第のことも話し合わないと行けない。刷り上がった招待状も頂いて、宛名書きだ。本当なら専門の人に毛筆をお願いする所なんだけど、そんなことしたらギリギリになっちゃう。あさっての大安にはポストに入れたいし。

 一応「ふたりのブライダルプラン」とか言う本を買ってきた。結構いろいろなことをこなさなくちゃならないんだと気が重くなる。

 こうちゃんは大きな取材が入っていて、本当なら今の時期、山奥に10日くらい泊まり込みになるはずだったんだって。
 炭焼き小屋の仕事を追う番組。他の人に代わってもらいたいくらいだけど、こうちゃんはそんなことを人に頼める性格じゃない。穏やかにでも的確に仕事をこなすから、どんなことを任せても大丈夫なんだ、と今日も上司さんが仰っていたっけ。

 泊まり込みは半分の5日で切り上げてもらうことにした。私の実家もちょっと離れているんだし、こうちゃんのご両親もいない。ふたりで何もかも、決めてこなして行かなくちゃならないんだから。
 ウィークデーは普通に仕事があるんだ。どうして、10月は体育の日しかないのっ!? いくら数えても4回しかない土日に出来るだけのことをしなくちゃ。私のアパートも引き払うんだし。ああん、どうしたらいいんだよ〜。

 みどりちゃんちにお泊まりして、一度は冷めたと思われた私の頭も再加熱。

 考えれば考えるほどパニクってくる。隣でのほほんと手帳を広げているこうちゃんを恨めしく思ってしまうほど。ちらと覗いてみれば、真っ黒になるほど、仕事のスケジュールが書き込まれている。

 焦っているのは私だけではない。

 いきなり寝耳に水の話をされた私の実家もてんやわんやだ。何しろ、いきなり1ヶ月後に結婚式だ。お祖母ちゃんはお着物にしようか洋装にしようかと悩んでるし、引き出物のことでも言いたいことがありそう。ああ、鯛のお頭はやめてね。あれ、友達に不評なんだから。
 ママも慌てていた。いくらこうちゃんの実家にそのまま入るとは言っても、それなりの嫁入り道具がいるだろうと聞かないんだ。こっちとしてはアパートの家財を引き取ってもらいたいくらいなのに。いらないわよ、もう。座布団とかお布団とか? そんなのを送られるより、その前にこうちゃんの家の掃除を…。

 …ああ、そうだ。思い出した、今朝電話で言われたんだ。私は、すっかり仕事モードに入っているこうちゃんのスーツを引っ張った。

「…何?」
 ちょっと、不機嫌な反応。まあね、本当だったら今日も仕事だったんだから。他の人に行ってもらってるんだから仕方ないかな? 「仕事よりも私のことを考えてよ」とか野暮なことは聞かないでおこう。

「あ、結納と言うほどのことじゃないけど。今度、パパとママもゴンちゃんも式場の人と話がしたいから、それで上京するついでにお食事でもって…」

 その時。携帯の呼び出し音が鳴った。こうちゃんのはデフォルトの全然いじってない普通のベル音だ。3回鳴らして出る。

「――あ、もしもし? どうした?」

 何だろう、仕事のことかな? こうちゃんは身体に似合わずちっちゃな携帯に話しかけながら、道の隅に寄る。私はちょっと離れて、話の終わるのを待っていた。一応自分の携帯の着信を確認したりする。

「え? …なんだって!? うん…、それで? ああ、どういうことなんだよっ…!」

 こうちゃんの受け答えだけでは、全然話が見えない。なんだかトラブっているのかな? と言うことは分かったけど。

 ごおおおおおおんと歩道の向こうをすごい勢いでダンプトラックが通り過ぎる。それに気を取られている間に、こうちゃんの電話も終わっていた。

 すすすっと側に寄ると、こうちゃんは携帯をポケットにしまいながら、ふうっと大きなため息をついた。

「どうしたの…?」
 俯いている顔を下から覗く。こうちゃんは180センチもあるから、普通サイズの私でも上を見上げなくちゃならない。

「こうちゃん…?」

 しばらく、沈黙が続く。それから、ようやく思い切ったようにこちらを向いてくれた。

「悪い、水橋」
 そう言うなり、顔の前で手を合わせて、ごめんなさいのポーズを取る。

「…え?」

「取材でさ、新米の奴が相手の方を怒らせちゃったらしくて。責任者を出せって言ってるんだって。スケジュールがギリギリの奴だから、今日中にどうにかしないと…」

 そう言いながら、私に持っていた紙袋を手渡してくる。式場から渡されたという見積書とかそう言うのが入ったものだ。

「こうちゃん?」

 私の視線から顔を背けて、こうちゃんは腕時計を見ながらきびすを返した。

「悪い、水橋。俺が行かないと、始まらないんだ。だから、今日はひとりで行って。…頼むっ!」

「…え? 嘘っ…、こうちゃんっ!? 待ってよっ…」

 

 ちょっと待ってよ〜、結婚式の打ち合わせでしょうっ!? 私がひとりで行くのって、あり? おかしいよっ! 絶対に、変だから、やだ〜〜〜〜〜〜っ!

 

 慌てる私をひとり残して。こうちゃんは振り向きもせず、ばたばたと地下鉄の階段を降りていってしまった。

 


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