TopNovelさかなシリーズ扉>さかなの予報・3



〜こうちゃんと花菜美・8〜
…3…

 

 

「ひや〜っ! そんなのって、あり? 聞いたことないわよっ! …花菜美、かわいそ〜」

 白にピンクにクリーム色。どこまでも続く布の林の中を歩きながら、みどりちゃんが叫んだ。今日は気も早くマタニティーっぽい服を着ている。紺色でおなかがすとんとしていて。全然目立ってないけど。こう言うのを着ると、電車とかで席を譲って貰えるんだって。

 今日は、衣装選びに来てる。和装と洋装。一応、ドレスはお色直しも混ぜて2着。和装はあっという間に決まっちゃって、かつら合わせがちょっと面倒だったけど、レンタルのモノでどうにかなりそう。ドレスを選ぶのくらい、こうちゃんに付き合ってもらいたかったけど、電話で聞くと、今日はまだ山。それにこうちゃんは自分のはさっさと決めちゃったんだって。

 仕方なく、みどりちゃんをチャーターしたのだ。ひとりでドレス選びをするくらい、空しいモノはない。土曜日だったけど、今日は卓司さん、お出かけなんだって。

「何でもね、従兄弟の何とかさんが結婚するとかで。明日の披露パーティーの下準備なんだって。でもそんなところに行って、あのおばばと会うのかと思うとね…具合が悪くなりそうだから、断ってもらったの。夜までかかるらしいから、夕食食べていこ? 帰りは迎えに来てもらうから…」

 そんなこと、していいのかしら? と言うようなことを、みどりちゃんはあっさりとやってのける。卓司さんの従兄弟さんと言ったら、これからだっておつき合いのある人じゃないかしら? ちょっと口うるさいお姑さんのお誘いを断って、また大変なことにならないといいけど…。

「お迎えって…いいの? そんなことまで…」

「いいの、いいの…」
 みどりちゃんは、余裕の笑顔で答える。

「卓司さん、私のためなら、地球の反対側までだって、迎えに来てくれるわ。毎回、妊婦検診の日には年休を取って付いてきてくれるって言ったし。今日は、久しぶりにあのイタリアンにしようか?」

 …つわり、と言うモノはないんでしょうか? あの…?

「んで? 大泉さんは山籠もりなの? 嘘でしょう? 修行僧でもあるまいし…」
 そう言いながら、相変わらずの赤いマニキュア、ぴらんと一枚めくる。でも手触りだけでげんなり、と言う表情。

「ああやだっ! 何よ…安売りのレースのカーテンみたいなのばっかりっ! 持ち込みは駄目なの? 私の貸してあげるのに…」
 みどりちゃんはオーバーなジェスチャーでお手上げポーズを取る。私は部屋の壁際に背中を押しつけたままで、ふううっと大きなため息をついた。

「あのね、ここのレンタルやさんのドレスを借りたらパック料金に含まれてるの。でもね、持ち込みすると5万円もかかるんだって…」

「ひえ〜〜〜っ、ぼったくり〜〜〜っ!」

 …もう。何とでも言ってください。私はここしばらく悩まされている頭痛がさらに酷くなった気がしていた。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 信じられないっ! 初めての打ち合わせじゃないのっ! そんなことって許されるはずないわっ…

 あの日。私を置いてさっさと仕事のトラブル処理に行ってしまったこうちゃん。私は姿の見えなくなった階段の下に向かって、じわじわと念を送っていた(叫ぶわけにも行かないし、この街中で)。でもその後、ひとりで紙袋を抱えて、時間通りに式場に出かけたのは言うまでもない。

 何しろ、スケジュールは詰まっているのだ。怒りにまかせて約束をすっぽかしていい次元ではない。

 土曜日の昼下がり。式場である県民会館は若いカップルの姿を何組か確認できた。あとは小さな子供連れのパパとママ。ああ、そうか。小さな宴会場がたくさんあるここは、よく七五三のお祝いに使われる。両家の親や親戚を集めて食事会をするのにはちょうどいいとウチの社員さんも言ってたわ。
 そんな人の波をすり抜けて、つかつかと受付に進む。対応してくれたお姉さんに担当者の方の名前を告げると、すぐそこのテーブルで待つように言われた。

「…お一人で、いらっしゃったんですか?」
 イイオカさんと言うその担当の方は、銀縁眼鏡の奥で何度も瞬きした。かなり珍しい光景なのかも知れない。そうかもねえ…私たちの他に二組の話し合いが別のテーブルで行われているようだけど、どちらともカップルだわ。

「はあ、…あの、急な仕事が入ったそうで…」
 なんだか、こちらをじっと確認されている気がして、どぎまぎしながら答えた。

「そう…ですか」
 イイオカさんはまだ不信のオーラを発している。

 それでも手にしたファイルを開いてくれたので、私も紙袋の中身をごそごそ探ってみた。今日はふたりの生い立ちとかその手のことを書いて持ってくることになっている。ふたり分の用紙を渡されて、私も昨晩、四苦八苦しながら書いたのだ。生まれたときの身長や体重まで書く欄があったので、実家に電話して聞いちゃったわ。

「あの、ですね…」
 かちっと、ボールペンを押して、眼鏡をかけ直して。イイオカさんは思いきったようにこちらを向いた。

「このようなことは、まことに申しにくいのですが…『もしも』の場合は早急にご連絡をお願いしますね。もともと大泉様と水橋様は飛び入りの挙式なのですから…いろいろと、ございますでしょう?」

「は…?」
 奥歯にモノが詰まったような話し方。私はその真意がつかめず、聞き返していた。イイオカさんはコホン、と咳払い。

「結構、多いんですよ。挙式間際の破局。こんなこと言いたくないんですけど…私の担当させて頂いた方々でも、年に数組ございまして。早く仰ってくだされば、それなりに対応のしようがございますが…つい最近などは…当日にいきなり花嫁が消えたこともございまして」

「……」

 思わず、絶句してしまい、次の言葉が出なくなっていた。ひ〜、いきなり破局? イイオカさんっ! 結婚前の私を前に何を言ってるのよ〜その上、この方、ちょっとくだけすぎ…。

「ま、そちら、お預かり致します。司会の方はフリーでも色々やっている方で…上手な方なんですが、とにかく捕まえるのが大変で。打ち合わせも顔を合わせては2度ほどしか行えません。ちょっと忙しいですが、申し訳ございませんねえ…今日も、そろそろ来てくれると思うんですが…」

 そんなことを言いつつ、身上書(?)をぱらぱらしてる。私、自分の分は書いたから知ってるけど、こうちゃんの方は見てないわ。イイオカさんは中肉中背でう〜ん、40歳くらいかな? 人のいい職員さんといった感じだ。県民会館だから、ここに勤めるのは県の職員になるのかも知れない。そうなると、安月給のお役所仕事、色々大変なのかも。

 …と、背後からばたばたと足音。

「ああ〜、10月だって言うのに暑いですねえ…お待たせしましたっ! 後藤ですっ!!」

 ハッとして、振り向く。

 異様に顔の濃い、タレント崩れみたいな男性が立っていた。髪型が昔の西城秀樹の様だわ…ああん、どうして私がそんなことを知ってるのよっ! ママがファンだったのっ、家にででんとポスターが貼ってあったのよ〜。

「おおう、ご無沙汰してます。後藤さん、このたびはまた、宜しくお願い致します。こちら、新婦様の水橋花菜美さんですよ」
 イイオカさんは席を勧めつつ、表情を崩した。いわゆる営業スマイル、と言った奴かしら。

「やあ、これはこれは…」

 とか何とか。いきなり右手を取られて、ぶんぶん振られて。なんだこの人は…あまりの勢いに気後れするわ。

「よ、宜しくお願い致しますっ…!」
 私の方も、解放された右手を引っ込めつつ、こうちゃんとふたり分の挨拶をした。

「あれっ? 新郎様はっ!? トイレですか?」

 がたたんと、音を立てながら司会者・後藤さんが椅子に座る。まあ、当たり前だけどそんな風に言うから、隣のイイオカさんが慌てて耳打ちしてる。ああん、もう…あんまり大声で騒ぐと、周りの人にまで聞こえちゃうでしょう? 勘弁してよ〜〜〜っ!

「あ、それでは…お二人のこと読ませて頂きます…で、質問とかさせてくださいね…」

 喫茶コーナーの女性が持ってきてくれたアイスティーをごくんと飲んで、イイオカさんがまずは私の資料を手にした。なんだか就職の面接みたい。ドキドキする。思わず俯いてしまうと、テーブルの上に広がっていたこうちゃんの用紙が目に入った。なじみのある真四角の大きめの字が並んでいる。きちんきちんと欄に収まるように並んでいるのが楽しい。

 出生体重…あれ、2050g…こうちゃんって、すごく小さかったんだ。括弧して保育器に入ってたって書いてある。そう言えば、写真で見たお母さんはすごく小柄な方だった。大きな赤ちゃんをおなかで育てられなかったのかも知れない。
 5人兄弟の長男、小さな頃からおとなしい子供で、でも正義感が強くて。お目にかかった親戚の誰かが、優等生だったんですよと教えてくれた。でも生徒会長とかそう言う目立つのは絶対嫌で、担任の先生にいくら推されても断ったんだって。なんだか、こうちゃんらしいエピソードだなあと思った。

 私、こうちゃんのこと、よく知らない。もちろん、出会ってからのこうちゃんのことは知ってる。とても詳しいことまでは知らないまでも…理解してるつもり。それで、こうちゃんと結婚してもいいなって思ったんだもの。

 …でも。


 昨日、色々自分のことを書いていて思った。こうちゃんの知らないいろいろな私。近所の幼稚園から地元の小学校に上がって、その後中学校に行って。跳び箱が跳べなくて、にんじんが苦手で…初めてあげたチョコレートは中3の時。同じクラスの野球部の男の子。結局、ホワイトデーにお返しも来なくて、失恋しちゃったんだよな…。
 地元で有数の進学校に受かったのはいいけれど、レベルの違いについて行くのが大変だった高校時代。たくさんの挫折と、そこで知り合った人々、別れた人たち。まぐれで短大に受かったときは、担任の先生がびっくりしてくれた。その学生時代に、みどりちゃんと出会って。その後、就職。

 普段は日々の生活に追われて忘れている、懐かしい思い出たち。結婚が近くなって、ナーバスになっているんだろうか?

 披露宴に出てもらおうと、久しぶりに高校時代の友人に電話する。招待状を送る前に、一応ね、言わないと…いきなりだし。地元で就職した葉月ちゃんという部活仲間が、一度会おうと言ってくれた。私はコーラス部に所属していたんだけど、その時の仲間を集めてくれるって。懐かしい声を聞いて、色々話していたら、ちょっと泣けた。「おめでとう」って言葉、すごく重くて。

 こうちゃんもごくごく普通の履歴だ。地元の公立の小学校と中学校に行って、その後、県下でも有数の進学校に行って、国立大学に現役で合格。で、卒業した後、県庁に就職して。

 …大学に入学、の後に。

 小さく走り書きみたいに、追記してあった。

「両親、死亡(自動車事故)」

 普通の履歴にだったら、書くことはないのかも知れない。でも結婚式だから。大学生の時だったんだ、それも1年生。こうちゃん、成人してなくて、保護者を失っちゃったんだ。いっぺんに、両方。

 ちらとは聞いていたけれど、こうして文字になると重い。お父さんが郵政省の職員で、そのためかきちんといろいろな保険にかかっていたんだって。だから、ご両親が亡くなって、奨学金を利用はしたけど、バイトしながらそれほど苦労もせずに卒業できた。家には、お母さん方のお祖母ちゃんが住み込みで世話してくれたって。その方は今も健在で別に暮らしているけど。

「高節(こうせつ)は…本当に、いい子だったんですよ。親のせいで苦労もかけました。花菜美ちゃん、くれぐれも宜しくお願いしますね…」
 春にご挨拶に伺ったとき、お祖母ちゃんは目にたくさんの涙をためながら、私の手を取った。70歳を越えてると言うのに、背筋のしゃんとした、小柄だけどお元気そうな方だ。今でも息子さん夫婦と一緒に畑仕事をしているという。使い込まれた農家の手をしていた。


「…で、お二人の出会いは? これじゃあ、よく分からないんですけど…」

「…あ、はいっ!」

 ああ、びっくり。忘れていたわ、披露宴の打ち合わせをしていたんだった。何時の間に席を外したのか、イイオカさんはいなくなってる。私に質問してきたのは、司会者・後藤さんだ。

 慌てて、指し示された書類を見る。私はそれを知らなかった。こうちゃんが自分で書こうとしたみたいだ、でもほとんど空欄で、ぽつんぽつんとしか書き込みはない。

「ふたりのなれそめ」…仕事の発注で。

 思わず、目を見張る。何だ、これは。私も全然分からないぞ?

「ええと…」
 後藤さんは慌てて、私の書類をぱらぱらと改める。

「水橋様は、印刷会社にお勤めでしたよね…?」

「はい…」

「じゃあ、県庁が作成した書類の印刷の外注か何かで…?」

 …違う…違うよ、そうじゃない。まあ、大きく言えばそうかも知れない。でも…微妙に。もしかして、それを説明するの? 初対面の人に? 知らないおじさんに??

 ごくっと、唾を飲み込む。でも、後藤さんだって仕事なんだ。新郎新婦のふたりのなれそめなんて、一番重要なことなのかも知れない。

「ええと…私が…発注された仕事の伝票を届けに行って。でも県庁の中は広くて迷っちゃって。ちょうど、こうちゃ…じゃなくて、大泉さんがいたので、案内して頂いたんです」

 ああん、恥ずかしいよお…どうしてこんなことを告白しなくちゃいけないのっ! まあ、こうちゃんがいても多分、答えてくれないと思う。きっとどっちにせよ、私が言うことになるんだけど…でも、恥ずかしいっ!

「へえ」
 後藤さんは嬉しそうに身を乗り出してきた。

「それは、もしかして、一目惚れという奴ですか? で、どうだったんですか? 大泉様がプッシュしたんですか? それとも…あなたが?」

「…えっ!?」

 思わず、声がひっくり返ってしまう。真っ赤になって俯くと、先ほどのほとんど空欄の書類が目に入る。「初デートの行き先」「思い出の場所」「結婚を決めた瞬間」「プロポーズの言葉」…ああああ、まだ、たくさんあるよ〜〜〜っ!

 これ、もしかして。これから、私が聞かれるの? 全部っ? 嘘でしょうっ!!

 …その後。お昼ご飯を食べてない空腹も忘れ、私は1時間45分に及ぶ打ち合わせに耐えていた。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「ふうん、それが2週間前ね?」
 みどりちゃんは嬉しそうにそこら中の「安売りカーテン」を見ている。めぼしいモノがあると、抜き出して、チェックして、また戻して。

「で、大泉さんもまさか、打ち合わせにその後、一度も来てない訳じゃないんでしょう?」

「まあね…」

 答えるのも面倒くさい。ううん、結婚式なんて面倒くさいことばかり。どうして、世の女性たちがブライダルに燃えるのか、私には分からない。そりゃ、素敵なドレスを着て、腕から溢れるくらいのブーケを手に、愛しの彼(私の場合は、こうちゃん)と共に祝福される…それは素敵だと思う。私だって、夢見たわ。結婚するのはこうちゃんだって、決めてたもん。

 でもね。

 結婚式はウエディングドレスとブーケだけじゃないのだ。招待状の宛名書きに、返送されたはがきに従っての席次作成(これがこれで、大変らしい、親戚や職場の人の席の順とか、一歩間違うと血を見るわ)。
 いきなりだったから、引き出物だって、これから選ぶの。もうぎりぎり。明日の日曜日にウチの実家と、こうちゃんのお祖母さんが県民会館に来てくれることになってる。都会は簡素になってるけど、親戚が田舎の方に多いと色々大変。

「仕事の合間にちょこちょこ来てるらしいよ。私も、電話でぶちぎれておいたから」

「来てるらしいよ、って…」
 みどりちゃんが、あきれ顔で振り返る。

「あんたたち、ふたりで来てないの? …そりゃ、担当者さんは不安になるわ」
 さっき、ここに来る前に、イイオカさんと少し打ち合わせをした。その時の空気を、実は結構敏感なみどりちゃんは感じ取っていたらしい。

「う〜、だってぇ…」
 私は、別に何の気なしに、林の中の1着を引きずり出した。

「こうちゃん、山籠もりの合間に、時々会議とかのために戻ってくるの。それが終わるととんぼ返りで…全然会ってもいないもん。ついでに、その山、携帯がなかなか入らないのよっ!」

 そりゃ、もともとが多忙なこうちゃん。下手すると、デートの周期が3週間くらい空くこともあった。そりゃ寂しいけど、我が儘は禁物だと思ったから。こうちゃんだって、忙しい中、私との時間を作ってくれてるんだと知っていたし。私が、こうちゃんを大好きだって、その気持ちをきちんと持っていればそれでいいと思っていた。そう、信じ込もうとしていた。

「…それ、ヤバイよ」
 それなのに。みどりちゃんは心に浮かんだ疑問をばしっと口にしてくれる。どきりとする。

「だってさ、結婚式よ? 一生に一度のことなんでしょ? そんな山籠もりは他の人に任せて、大泉さんはこっちのことにかかりきりになってくれなくちゃっ! こんな風に花菜美に何もかも押しつけて…こんなんじゃ、将来、子供の教育問題も顧みない駄目駄目の父親になるわっ!」

「…う、それは…」

 あんまりにも、飛躍しすぎじゃないかい? そりゃ、ちょっとは心配になったけどさ…。

「今回は、仕方ないのよ。最初から決まってれば、仕事だって動かしていたはずよ? 結婚式が後から決まっちゃったんだもん…」

「だけどさ〜」
 まだまだ、言いたいことがありそう。でも、みどりちゃんの視線が止まる。

「あ、…ちょっと、これ、いいかも? ちょっと試着してみない!?」

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ *** ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 その後、女の買い物の如く、延々と時間を掛けて衣装選びをして。その後、行きつけのイタメシやさんで「シェフおすすめディナー」を心ゆくまで味わって(妊婦のみどりちゃんのために、今日はソフトドリンクにした、飲みたい気分だったけど…)。お店の前まで迎えに来てくれた卓司さんと共に彼女が行ってしまうと。

 急に、しん、と心が寒くなった。

 夜の10時半。土曜日の夜だから人通りは少ない。駅を挟んで15分くらいでアパートだ。まあ、いい、歩こう。今日は月が綺麗だなあ…。こうちゃんは、もう寝たかな…山小屋の夜は早いって言ってたし。今度は火曜日だって言ってたっけ、こっちに戻るの。

 …寂しいな。

 いろいろと、忙しい。でも、空しいなあとか思っちゃう。どうして、こんなこと、頑張っているんだろう。結婚式が終わった後、二次会もある。こうちゃんの仕事場の人が幹事さんになって、友達とか仕事場の人とか呼んでくれる。その打ち合わせだって、私がほとんどやってる。この2週間、こうちゃんからかかる電話よりも、幹事の人からの電話のがずっと多い。

 マリッジリングだって。明日には決定しなくちゃいけないのに、こうちゃんはそれも私に一存するという。指輪も式場に提携したお店で買い求めることになっていて。私が選んだら、ふたり分のサイズを伝える。まあ、明日はママが来るから、一緒に選んでもらおうと思うけど。

 そんな。身につけるモノも…いいのかな? いい加減で…。

 ああん、丸い月が歪んで見える。みどりちゃんの前では気丈に振る舞うことが出来たけど、結構きてるのかも知れない。

 結婚に向かってる。それが私の独り相撲な気がして。こうちゃんは、自分の生活を一切変えず、新しい生活に移行しようとしてる。でも、私はどう? いろいろ変わっちゃうんだよ? 住むところも、名前すらも。仕事だって、いつまで続けられるか知らない。180度変わった未来がある、それなのに、こうちゃんは何にも変わらない。変える必要がない。

 …というか。

 もしかして、こうちゃん。そんなに結婚とかに固執してなかったのかな? 式場のことで、相談を受けたから、なんとなしにそう言う方向に行っただけで…だって、本当、4月からこっち、全然話が進んでなかったし。

 ああっ! …もう。

 ぶんぶん、と、かぶりを振る。

 こうちゃんが。側にいてくれないからだよ。だから、不安になるんだよ。もっと、一緒にいたいのに、声を聞きたいのに…こんなにぐらついたときですら、駄目なの? 仕事、大切なの?

 駅のロータリーが見えてくる。私は袖口で目元を拭った。さすがに人通りがある。泣き顔は見られたくない。

 その時。

 私の携帯が、ポケットの中で、震えながら鳴り出した。

 


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