「……何処まで行くの?」 霊園の細道を走り下ると、閑静な住宅地の中を縫って走った。それからまた、山道へと向かう。人家がまばらになってくると、咲夜(さくや)はだんだん不安になってきた。言われるがままに付いてきたのはいいが、果たしてこれが得策であったのだろうか。よくよく考えれば、今一緒にいる男が一番胡散臭い気もする。 そう言えば、惣哉(そうや)が迎えに来てくれると言っていた。今頃、霊園の惨事を見て何事かと思っているかも知れない。自分が黙っていなくなったら、彼はどんなに心配するだろう。 「あの……どこかで降ろして貰えば、迎えを呼ぶから」 キッと、ふいにブレーキがかかる。赤信号で停止した朔也(さくや)は不思議そうにそう呟くと、自転車に乗り出してから初めて振り向いた。 「本当に、聞いてないの? 何も?」 こちらを小馬鹿にするような口調に、ムッとしてしまう。何よ、この男。チャラチャラしていて、全然信用出来ないじゃないの。だいたい、一体何者なのか。 「さっきから、何なの? 私、あなたのことも何も知らないわよ? 助けて貰ったことには感謝するわ。でも――」 「僕、君のじいさんに頼まれたんだけど」 「……お祖父様に?」 「うん、そうだよ。君の、捜し物を手伝えって」 「捜し物?」 「何よ、捜し物って。そんなこと、いつ聞いたのよ? だいたいお祖父様は、あなたの様な人と面識があったの?」 「君のじいさんとは一度しか、逢ってない。7週間前の、霧の深い朝。その捜し物っていうのも本当は何なのか、実は知らないんだ」 「ああ、もう! あなたの言うことって、訳が分からないわ!」 「おいおい」 「ただ座ってる君の方は楽チンだろうけどね、これで結構なスピードなんだから。荒っぽいことされるとバランスが取れないよ」 「そっ、そんなこと言ったって、あなたが悪いんじゃないの! そうよ、だいたいあなたが、理解できないことばかり言うんだから……!」 黒目がちの瞳に睨み付けられた朔也の方は、そう慌てている様子もない。ゆっくりとした仕草でマウンテンバイクを降りた。 「もしかして、咲夜。君は腹減ってる?」 「……は?」 「だって、怒りっぽくなるのは空腹が原因だったりするって言うじゃない」 「あなたに、そんなことを言われたくもないわ…」 そう言いつつも、どうしたことか急に足の力が抜けていく。自分の意志とは関係なく、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。 「腹が減っては何とやら……でしょう。僕の昼飯ならあるんだけど、分ける?」 そのまま、朔也も咲夜の隣りに腰を下ろした。アスファルトが途切れた道端の草むらは気の早いシロツメクサが大きく葉を広げている。 「ほら、コレ。ああ、さすがに疲れたなあ。久し振りに、いいトレーニングだったけど……」 彼はコンビニの袋からサンドイッチを取り出して、手渡してくる。それを手にしたまま、咲夜はぽつりと言った。 「あなたのお昼なんでしょう? 頂いたりしたら、悪いわ」 「そっちが嫌なら、菓子パンもあるけど。それと……あなたじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれない? 名乗ったんだしさ」 「だって……自分の名前と同じなんて、嫌だわ。後藤家(ごとうけ)さん、でいい?」 「駄目」 「名前で呼んでよ。あと本当にパン、交換する? 好きな方を選んでいいよ?」 「あの……」 「これ、どうやったら開けられるの、朔也?」 一方、朔也の方は咲夜の言葉の方に面食らっていた。 「開けられないの? もしかして、コンビニのサンドイッチ、食べたことない、とか?」 呆れかえった声ではあったが、しぶしぶ頷く。このままでは袋入りのサンドイッチを開けることは永遠に無理な気がしてしまう。 「うわぁ、信じられない。よく今まで生きて来れたよなあ……」 「ここの開いたところから、一個ずつ取り出すんだよ? 分かった?」 何気ない仕草であるのかも知れないが、咲夜にとっては高等なマジック・ショーでも見ているようである。言われたとおりに一切れ取り出すと、申し訳程度に薄く挟まれた卵サンドを一口食べてみた。 「……おいしい」 「だろ?」 一切れかじったサンドイッチを手にしたまま、咲夜は小さいため息を付いた。 「あなたの……朔也、の話を詳しく聞かせてちょうだい。本当にお祖父様は朔也に頼んだの? ……どうして朔也なの?」 今更ながら脳裏に、自分に向かって振り下ろされたナイフのきらめきが甦ってきた。 幼い頃から誘拐には気を付けるようにと言われている。惣哉の保護のもとでそんな心配も皆無だったが、見た目よりずっと血なまぐさい世界に生きていることは分かっていたつもりだ。 そんな思いが心を埋め尽くしていくと、早く帰りたくなる。誰よりも、惣哉の元に。咲夜がそっと腕を伸ばせば、惣哉は必ず応えてくれる。彼が使い続けるやわらかな甘い香りのコロンは咲夜が初めて彼にプレゼントしたものだった。 でも。一方でもう一つの声がする――「逃げてはいけない」、と。 初対面にして人なつっこい少年は咲夜をいつもとは別人のように饒舌にさせた。彼女の通う学園は共学であったが、あまり咲夜に声を掛けてくる者はなかったのだ。かといって無視されているわけではなく、絶えず周囲からの無数の視線を感じていた。女生徒たちとも必要な日常会話のみだった。それは当然のことだったし、寂しいと感じたこともなかった。 咲夜にとって、周囲の人たちはあまり重要ではなかったのだ。家族…特に祖父・月彦と……そして惣哉。その存在が確かめられればあとは空気も同然。いてもいなくても大差なかった。 しかし。 さっき、朔也は祖父の名を語った。それを聞いてしまったら後には引けない。咲夜にとって…祖父の存在は絶対なのだ。 「赫い渓(あかいたに)へ、行けって」 「……赫い、渓?」 「それは、紅葉の観光名所かなにか? どこにあるの?」 「うわあ……」 「それも聞いてないの? こりゃ、重傷だな。困ったな、どこから話せばいいのか分からないよ」 「じゃあ、朔也は知っているの!?」 「知ってるも何も」
彼方から、辺りをふたつに切り裂くほどの金属音。猛突進の外車が遥か下の方の道に見えた。ふたりは山道をいくらか登った所の路肩にいた。そうでなかったら迫り来る車を確認できなかっただろう。 「あれ」 「暁彦さんの……車だわ。変わったかたちだもの」 朔也の顔色もすっと引いていく。 「ええと、暁彦って、さっきのスケベ親父だろ? それって、まずいよ! もしかしなくても、君のこと追ってきたのかい?」 「駄目だ! 走っても、すぐに捕まるな」 「きゃあ! ちょっと」 「ちょっと……何のつもりよ? 朔也!?」 「そこの茂み! 腕を伸ばして掴んで!」 ふたりが崖の途中に生えた茂みに転げ込んだその時。山肌を揺らすエンジン音が風のような速さで頭上の道を走り抜けていった。 「とりあえず、行ったかな?」 「どうして、私がこちらの方向にいるって分かったのかしら」 「咲夜、何か持っているんじゃない? 発信器みたいなものとか」 「え、いくらなんでもそんなものないわ」 「手帳とお財布と……あと、いつも持っているように言われているので携帯とPHS、両方を」 「―― それだ!」 「電信機器は、ちょっと調べれば所持者の所在が分かるんだと聞いたことがある。素人じゃ簡単にはいかないけど、君の家ぐらいになれば、それ専用の部署があったりするんじゃない?」 「えっ、待って! 何するのよ!!」 咲夜が叫ぶのも聞かず、朔也は腕を高く振り上げるとそのまま谷底に向かって投げ入れた。 「どうするのよ! 見えなくなっちゃったじゃないの!! 私の荷物が……!」 「この下は川が流れている」 「上手くいけば僕たちの進路と反対方向に流れてくれる、ただの時間稼ぎかも知れないけど」 「どういうことよ! 訳の分からないことを言わないで、あれは私の所持品のすべてよ! なくなったら……」 家に帰れないじゃないの! ―― そう続けようとしたが、声は遮られた。 かなりの至近距離にいた、それは確かだ。身体も動かせる状態じゃない、少し身をよじればバランスを崩して真っ逆さまに谷底だ。ただ転がり落ちるだけならいいが、そこらじゅうにごつごつと岩がせり出している。頭でも打ったら、即座にあの世行きだ。 ……だからと言って。 咲夜には今、自分の身に起こっていることが信じられなかった。 口を塞がれている、しかも塞いでいるものが朔也の……。 「……う……」 「全く、君はどうにもならないね。そんなに大声で叫んだら、居場所を教えてるようなものだよ。―― 死にたいのかよ?」 「ぎゃあぎゃあ、騒ぐな。本当に殺られたいなら、ここに放って行ってやるけど。……どうする? 君のご希望通りにしてやるけど」 どうする? と、聞かれたところで即座に返答出来るものではない。でも、心に浮かぶ言葉はひとつだ。 「……惣哉さんのところに、帰して」 朔也の表情がぴくりと動く。咲夜は、今起こったばかりの一連の出来事のショックがようやく現実のものとなって、心に注ぎ込んでくるのを感じていた。 「……咲夜」 「……惣哉さんに、会いたい」 彼の、惣哉の。大きく広げた羽のような腕でしっかりと包んで欲しい。暁彦なんて蹴散らして欲しい。他の誰も信用出来ない。でも惣哉なら、いつの時も変わらずに優しく守ってくれる。 「……ごめん」 昼下がりの明るい日差しは春の色。あれきり一台の車も通らない上の道路。辺りは静まりかえったままだ。しばらく、咲夜が落ち着くのを待っている様に黙っていた朔也が、いくらかの時間を過ぎてようやく口を開いた。 「電車の音がする」 「え?」 「多分谷底に沿って、路線が通っているんだな。行ってみる?」 「行くって……」 「こんな斜面を、どうやって降りるのよ」 「ロッククライミングの要領で行けばどうにかなるよ、誘導はするから。実のところ降りるのは難しいんだけど、でも道を行くよりは安全だと思うよ?」 「で、でも……」 なおも躊躇する咲夜に、朔也はにっこりと微笑んでこう言った。 「その、惣哉って奴には敵わないかも知れないけどさ。とりあえず、さっきのカエル男と僕と、どっちがいい? そのことを考えて、上に行くか下に行くか決めて欲しいな」 咲夜は思わず吹き出した。そんなこと、答えるまでもない。自然な仕草で、朔也へと片手を差しだしていた。 |